《無能力者と神聖欠陥》11 テト/裁き、「ミューちゃん、ナイス!」
一日だけ、キリが學校に來たことがある。
きっかけは勿論、キリがそうんだからだった。
月に一度、父・ドウォンが視察とコミュニケーションの為、テトがいない時にキリの部屋を訪れた際、珍しくキリがドウォンに対して自分から何かを求めたかと思えば、それは「學校に行ってみたい」というものだった。
ドウォンからそのみをきくとして後から詳細を聞かされたテトとしては、意外だった。
この間のキリの外出許可が最後で、キリがあの部屋から出られることはもう金際ないだろうと思っていたからだ。
ただし、キリが一日のみ有能學園の生徒になるにあたり、ドウォンの提示した條件は、
その一。必ずテトがついていること。
その二。能力制裝置をつけること。
というものだった。
能力制裝置とは、文字通りのアイテムだ。
そもそも能力を得るために開発小板をれるのであって、わざわざそんな代を使用する有能の人間はこの世にはいないし、そのような代の存在は公にはなっていない。
得ることができた能力を制するというのは有能の人間からしてみれば無意味なことだし、重度の神病患者にはそれが用いられることはあったりするものの、それは基本的には倫理に背いた上での特例として認識されている。
キリにさえそれをはめるのはタブーとされていたので、部屋で隔離する代わりに、彼がその部屋で能力を制されることは一切無かったのだ。
が、校舎を出歩くにあたり、萬が一のことを想定し、その日はその裝置が必要になった。
それは細いワイヤーのような銀のただので、うなじのあたりでかちりとははめ込む。首というよりは、アクセサリーのようだった。はめ込めば、生報を登録している人間以外は解除できないような設定だ。
キリは、自分の為に用意された蕓能學部の生徒と同じ黃の制服に著替え、そして、他の生徒は勿論つけていない能力制裝置をドウォンにはめられ、テトと共に登校した。
教室に、テトの隣の席を新しくわざわざ空け、そこでキリに授業をけさせた。
初めはキリもちゃんと授業を聞くものの、かろうじて文字が読めるだけでまったくついていけないこともあってか、座學の時キリは大寢ていた。
音楽の授業だけは初めから最後まで起きていて、それまでは張している様子のキリだったが、楽しそうに歌ったり、楽を見たりしていた。
どんな授業でもずっと、他の生徒が珍しがりキリに視線が集まった。キリがどういう人間であるかのか噂にはきいているようで、キリにだれも近寄ろうともしない。が、それをキリは不思議がっていない様子だった。
ソラもキリのことを聞きつけ、テトのことが心配だったのかそれともキリに対してだったのかはわからなかったが、休み時間になるとわざわざ下の階から上がってきて、キリの様子を確認しに來た。チャットで『大丈夫?』とテトに送ってきただけで、二人に話しかけようとする素振りはなく、ただ教室前で腕を組みこちらを見ているだけだった。
キリと學食を食べた晝休みも無事終わり、午後の授業も無事終わり、テトはすっかり安心しきっていた。
キリがこうして他の生徒と同じように通學を許されない理由がますますわからなくなるほど、予想以上にキリも落ち著いていてトラブルも何もなかったのだ、今後キリが通學してもいいんじゃないか、とテトはドウォンに渉してみようかと考えていたところだった。
それから全ての授業が終わり、部活のため、育館でバスケをしていたが、気が付くとキリがいない。
絶対に口付近から離れないように、とは聲をかけていて、「テトを見ていればいいから」とすんなりと言うことを聞き了承したキリだったが、口付近にキリの姿は無かった。
かわりにソラがいたため、ソラにキリについてきくと、ソラは今ここに來たばかりだと言う。
事態を察したソラの顔から、さっとの気が引く。
テトは練習を無理矢理抜け、ソラと手分けしてキリを探しに出た。
育館のあるA舎の隅から隅まで走り周り、一つ一つ教室を確認していったが、どの教室にもキリはいない。
A舎を抜け出し、渡り廊下を走り、今度はB舎を確認する。
最上階の奧にたどり著いたところで、誰かがすすり泣く聲が聞こえた。
その聲は、キリのものだった。
聲が聞こえる教室のドアに手をかけて引こうとするも、施錠されていて開かない。
一度落ち著き、手元に集中する。
學園の教室の鍵は基本、レベル3で設定されているので、有能であれば、時間をかければ開錠することができる。もっとも、テトの手にかかればたった數秒間あれば十分なレベルだ。
施錠した人間から許可を得ていない――いわゆる「無許可開錠」。
とは言え、わざわざ普段誰も使用していない教室を利用し、中から施錠する側の生徒にも、罪がある。
ガチャ、と音がし、拡張視界により「開錠」の文字が手元に浮かんだ瞬間、テトはドアを勢いよく開けた。
そこには、テトの知っている男子生徒と、能力制裝置によりほぼ無防備のキリがいた。
「テト……」
機の上に押し倒された狀態で、キリは泣きながら呟いた。
振り返り、テトを見て、男子生徒は慌てて制服のズボンを上げる。それが終わったと同時に、テトがすぐに彼をキリから引きはがす。
ぐったりするキリを抱き寄せると、キリは汗だくで、ずっと泣いていたためか、顔も涙と鼻水で濡れていた。
他に何かが當たったので、見てみると、それは汗でも涙でも鼻水でもないだった。
すぐにそれが何か察する。
生徒が逃げようとしたところで、テトはその方へ手を向け、すかさず教室のドアを閉めた。
施錠したわけではないが、ドアは固く閉ざされ、生徒がドアを橫に引いて開けようとするが、テトの能力によって、簡単には開かない。
近くにあった椅子を持ち上げ、未だドアを開けようと必死になっている生徒に近づき、テトは彼の頭を後ろから強く毆った。
ゴン、と鈍い音がした。
生徒は仰向けに倒れたが、まだ意識を失ってはいない。
「――――」
頭からを流しながら両手を顔の前に出し、震える聲で何かを言った男子生徒だったが、その言葉はテトには聞こえていなかった。
何かを言ったその彼に馬乗りになり、二発目、三発目、とそのまま続けて椅子で顔面を毆り続ける。
その時自分がどんな顔で彼を毆っていたのかテトには記憶がない。どんなで毆っていたのかも、あまり覚えていない。
が、確かにそれは、殺意の上での行為だった。
自分の手にも毆った衝撃の痛みが加わる。
椅子を振り下ろすのが五回目にさしかかろうとしているとき、ドアが開いた。
ソラだ。ソラも他の校舎を周りきり、そしてここに行き著いたのだ。
テトと生徒の現場を見るや否や、ソラも大きな聲でこちら側に何かを言ったが、テトにはそれすらも聞こえない。
自分の意識の外でのに支配され、夢の中にいるような覚。
ただ、自分の息は荒く、呼吸がうまくできないことはわかっている。
ソラに生徒から引き剝がされるまでその覚は続き、自分が現場から離れ、誰に連れられたのかも記憶が定かではないが、ドウォンの部屋で椅子に座ったところでようやくテトは我に返った。
大きめの黒い椅子に座っているドウォンが、見慣れた白い錠剤を渡してきた。躊躇うことなく、テトはそれを嚥下した。最近ではもう飲むことはなかったが、中等部までは頻繁に飲んでいた神安定剤だ。
何があって、そしてああなっていたのかを訊かれ、薬がまだ効果が出ていないこともあり泣きながら噓偽りなく全てをドウォンに説明すると、テトの予想とは裏腹に、ドウォンはテトを責めることは一切無く、何かしらの処分についても何も無いようだった。
腰掛けるものではなく鈍と化した椅子で頭を複數回毆られた男子生徒は意識を失い、學園付近の大學病院に送られ、一方でキリは學園の特別処置室へ送られたということをドウォンに聞かされた。
ドウォンに連れられ、まずは特別処置室へ向かった。
キリのいる個室の処置室へると、ベッドの手前に、椅子に座っている人がいた。
彼の濃紺の髪を見て、すぐにジュノだということに気がつく。
彼は一切キリに近寄ることを許されていないので、ここにいるのも恐らく無許可だった。
そんなジュノを見て、本來ならばドウォンもすぐにジュノに聲をかけ追い出す狀況であったが、ドウォンはジュノに何も言わずにそこに立っているだけだった。
はっとしてこちらを振り返ったジュノの深く暗い緑の目には、涙がたまり、充している。
「ジュノさん……僕、」
小さな聲でテトが言いかけると、ジュノは立ち上がり、テトに歩みよる。
そして、テトの顔を橫から思い切り毆った。
突然のことにどうしようもできず、そのままテトはバランスを崩し、餅をつく。
テトが頰に手をやる間も無く、ジュノはテトのぐらをつかみ、立ち上がらせ、テトを見下ろす。
「お前なんか、いなければよかったのに」
軽蔑した表。
怒りに震える聲。
もう一度ジュノが拳を振り上げたところで、
「ジュノ」
低い聲がした。ドウォンだった。
ジュノはぴたりと止まり、ぽろぽろと涙を流し、テトからパッと手を離した。
そして疲れ切っている様子で、そのまま力を失い、ジュノは全重を預けるように一度椅子にどっと腰をおろした。
「……全部きいた。何があったのか」小さな聲で、ジュノが言った。「……ぼくの……ぼくのキリがどうして」
テトは謝ろうとするも、ジュノは頭を抱えて俯き、呟く。
「きみがちゃんとキリについていたら、こんなことにはなってなかった――いや、きみじゃなくて、ぼくだったら」
ほとんどジュノの獨り言のようなものではあったが、それはあっさりとテトの腑に落ちてしまう。
僕がついていたら。
僕じゃなかったら。
こんなことには、なっていなかった。
何も言えずにそこで呆然とし、重たく靜かな時間が流れていると、ドウォンのスーツのポケットから著信音が鳴る。
攜帯端末への著信だった。通話相手は誰かわからないが、ドウォンは通話を開始し、しかし返事はしない。
何かを聞き、そのまま通話を終了させ、彼は攜帯端末をまた元の場所にしまい込む。
特に憂う様子もなく、淡々と、しかし靜かにドウォンは言った。
「グァンインが死んだ」
グァンイン、というのは、あの男子生徒の名前だった。
當然、自分のせいで死んだ、と思い、テトは何かを言おうと口を開こうとするも、ドウォンは続ける。
「殺されていたそうだ。この件は、これで終わりだ」
ジュノが涙を手で拭う。
そしてそのまま何かを言うこともなく、二人に目を合わせることもなく、立ち上がり、早足で処置室から出て行った。
ジュノがその場から去り、キリの顔が見えるようになる。
眠っている。
いや、眠らされているのか。
細い銀の首をはめられたままの彼は、細い腕に點滴の針を刺され、白い布をかけられ、目を閉じてそこに橫たわっていた。
「殺したって、誰が……」
「グァンインのの他に、青いが一滴、落ちていたらしい」
「青い……?」
意味がわからず、ゆっくりと、テトはドウォンを見上げる。
ドウォンの表は変わらず、いつものように、口角は下がっていた。
テトを見下ろし、
「知らないのか。ジュノのは、青だ」
■
『そこの前の車! 停まれ!』
どこからか響いた聲で、テトは目を覚ます。
疲れていたのと、シートの座り心地がよかったのとで、どうやら寢てしまっていたらしい。
ソラもテトと同様寢ていたようだったが、聲により目が覚め、ぴくりと白いを震わせた。
「まさか、警察?」寢ぼけながら、ソラが顔をしかめて呟く。
後部座席の二人が後ろを振り返ると、百メートルほど後ろに、こちらへ向かって走ってくる車がいた。特殊車専用道路を走っているので、通常車ではないことは確かだ。
目を細めてにテトがその車を観察すると、今自分たちが乗っているこの裝甲車と同じように窓が一枚も無いデザインで大きさもさほど変わらないものだったが、は太のように赤みを帯びたオレンジで、まだ薄暗い深夜の道の中では一際目立つ。
「ミュー」目をり、テトは運転席のミューに大きな聲で言う。「あっちも裝甲車だ」
「うん、ぼくも見えてる」
正面のモニターの左側に、自分たちの車の後ろの景の映像を映し出し、ミューが言った。
『おい、聞いてんのか! 停まれ!』スピーカーでも使っているのか、向こうの裝甲車からである若い男の聲は、こちら側にハッキリと聞こえるほどに響き渡る。
「やだね!」ミューもスピーカーをオンにし、相手の車に怒鳴りつける。「なんで停まんないといけないのさ!」
『おれ達は警察だ! 特殊車専用道路の速度規定に違反してるぞ! 取り調べをするから、一旦停まれ!』
「はあ? 警察って、どこの警察?」
『……済州チェジュだ、済州!』
「ダウト」ミューがにやりと笑い、八重歯が覗いた。それから大聲で笑い飛ばし、「済州の指定裝甲車はオレンジなんかじゃありませーん! 緑でーす! ていうか、オレンジ指定のとこなんてないから! きみたちのそれ、盜難車のカスタムだね?」
相手の車はミューの言葉に何も言い返してこないが、明らかに追ってくるスピードを上げてくる。
「指定があるのを知らないでカスタムしちゃったんだね。お馬鹿さん」
ミューが笑いに口元を歪ませながら、前を見る目とレバーを握る手にぐっと力を込める。
すると、車からピキピキと細かい何かが這うような音が耳に響いた。
部には何も変化がないので恐らく外部での出來事だが、何も見えないテトとソラには何が起きているのかがわからない。
二人そろって車をきょろきょろと見渡して、ソラが聲を上げた。「ミューちゃん、何の音?」
「ぼくが車を『ミューちゃんミラー①』で包んだの」ミューがスピーカーをミュートにして言う。「だから、あっちにはもうこの車は見えない」
「學迷彩だ」ミューが何をしたのか理解したテトが後ろの車を見ながら、解説にる。「ミューが車全に鏡を張ったから、が迂回する――見えなくなるってわけ。ミューは鏡やをったり生むのが得意なんだ」
「ま、細かく言えばこれは鏡とは別なんだけどね」ミューは目を細めながら、「この車にも元々迷彩機能はついてるんだけど、ぼくがやっちゃったほうが早いし、こうやってカバーしちゃえば防力も結構増すから」
『クソッ!』
相手が焦る聲が聞こえ、相手側の裝甲車の顔から筒のようながびてくる。
向けられたのは、銃口だ。ダダダダ、と続けて発砲音が鳴り、テトたちの車へ容赦なく銃弾が浴びせられるも、すべて跳ね返されはじける音がし、車は変わらず走行を続ける。
「大丈夫、この程度の攻撃じゃ『ミューちゃんミラー①』付きのミューちゃん號X-1はまったくの無傷だよ」
ミューが笑って言うその間にも、車は銃弾を浴び続けている。
「なんなの、あの車……なんで……」
鳴り止まない大きな被弾音に両耳を塞いで、ソラがしかめ面で嘆く。
そんなソラに対して、ミューは鼻で笑って言った。「それ、本気で言ってる? 二人ともキリちゃんとジュノさんを追ってるんだから、それ関連に決まってるでしょ。そうじゃなきゃ警察でもないヤツにいきなりこんなふうに襲われないって」
言われ、ソラは黙り、テトを見る。
テトも勿論ミューの言うことはわかっていて、腕を組み、ミューを振り返って聲をかける。「それで、どうする? いくらうちの車が耐えられるとは言え、撃たれっぱなしはまずいよ」
「そんなの、決まってる」けろりとした様子で、ミューが軽く言った。「バイバイするしかないでしょ」
片手で空中を薙ぎ、ミューは拡張視界でオプションメニューを開く。
數多あるメニューが羅列されている中で、最下部にあるただの「★」は異様な雰囲気を放っていた。
ミューがそれを選択すると、それまで黙りっぱなしだったナビが聲をかけてくる。
『実行しますか?』
「うん、もちろん」ミューが即答し、スピーカーをオンにする。「ほいじゃ、バイバーイ」
全く躊躇いなく、その「★」はミューの指先にれられた。
『うわっ!?』
スピーカーがオンになったままだったのか、相手の驚嘆の聲が聞こえた。
瞬間、背後で大きな発音が響く。
テトもソラもミューのほうを向いていたため、揃って耳を塞ぎ、そしてすぐに後ろを振り返った。
気が付くと百メートルから五十メートル程に近づいていた相手の裝甲車がピタリと止まり、青い炎に包まれて燃えている。青の炎はわずか二秒程でその裝甲車と同じ橙に変わり、燃えさかった。
ゆっくりと耳から手を下げるが、二人の口は開いたままだった。
相手の裝甲車とはすぐに距離が開け、メラメラと燃えている景が遠ざかっていく。
「ミューちゃん、ナイス!」ミューがご機嫌に自畫自賛をし、「二人とも、よかったね。これで邪魔者とはバイバイできたよ」
「だ、大丈夫かよ、あれ」先にどうするか聞いたのは自分だったものの、ここまでのことは予想していなかったテトが揺しながら言った。「もし、死んでたら」
「死んでないと思うよ」
相変わらず運転も止めず、寧ろ今までよりもスピードを上げて二人を目的地まで連れて行こうとするミューはぞっとするほど冷靜だった。
「この車に積んでたミサイル、あの距離で當たったら普通すぐに木端微塵になって、炎なんか出ないようになってるもん。中のヤツも『有能』で、炎出して守ったんでしょ、車を。その炎は大丈夫なの、って話だけど」
ミサイルはぼくの趣味で勝手に積んでたものだから、緒にしてね。
そう言いながら、ミューは正面を見據えたままだった。
「じゃあ、もし炎を出してなかったらあっちは死んでたのか?」
テトは力し、ソファにだらしなく寄りかかる。
そんなテトを一瞥し、ミューは溜息をついた。
「あのね、二人とも、さっきから何言ってんの? 何を心配してんの? 君ら、追われて襲われても仕方ないんだってば。逆に言えば、こっちがあのまま何もしてなかったらあっちじゃなくてこっちが死んでたかもしれないんだよ? ……ぼくの予想だけど、あの車の中のやつもきっとキリちゃんを探してた。それで邪魔しに來たんだ。ま、それにしたっていろいろ疑問はあるけどね」
「……なんでキリを僕たち以外の人間が――絶対にうちの施設の人間でもないし……」
「そ、だからそこが謎なの。何者なのかが想像できないから」
とりあえず、あっちは死んでないからね。
全員が數秒黙り込んだあとに、ミューはそう切り出す。
「復活して追われるかもしれないし、さっさと目的地に到著しちゃおう」
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