７

――A.D.2981.7.30　1:32 ????――

海岸に打ち付ける波の音を聞いていた。

ゲル狀の躰を打つ波紋が、月の引力に従ってしばかり下肢に降りて來た気がする。

同時に、仮想世界が與える擬似覚ではあるものの、と言う牢獄から出した昂揚と不安がほんのし和らいだ気がして、紙園エリは視界を巡らせた。

航空寫真の様な鳥瞰で広がる南國の夕暮れが、急降下する。

サンセットオレンジからディープブルーへと見事なグラデーションを展開する海中で極彩の魚群を追い抜き、鼈甲を躱し、人魚の様に海面から海岸を眺めると、波打ち際にはゲル狀の肢が漣に曝されていた。

自の覚象徴を見るのは、伝え聞く所の幽離の様な不思議覚で、どこまでも噓のない電気信號がまやかしなのだと、教えてくれる。

『何だか、母親に見送られながら初めて買いをしに行く子供みたいね』

帰屬するモノを何度も確認してしまうのは、人間だけが持つ習ではないのだろうが、些か正直過ぎる自の反応が可笑しい。

このVR手法から発展したリラクゼーションサービスには、と言う概念がなかった。

利用者は延髄のマイクロチップから知覚神経信號を電子の海に飛ばし、自の五をバラバラに配置出來た。

容と言う制約を解かれた狀態というものは強い解放を伴い、短時間であれば強いリラクゼーション効果を発揮する。が、一方で、これに長時間曝された場合、神面に強い負荷が掛かり、最悪の場合乖離してしまう事もあった。

行き過ぎた自由が生む破滅を思い、エリはフンと鼻で笑う。

『まるでどこかの共同社會群だわ』

“自由に食い殺された國”と稱され、かつては世界の主軸となったある國を思い出していた。

結局、國民かれらは何から解放されたかったのだろうか。

集合である事を誇る癖に自由をび、その権利を他者にも押し付け続けた連中のれの果て達は、一どんな気持ちで今を生きているのだろうか。

覚象徴をほんのし移させ、後頭部が波に浸る覚を味わっていると、唐突に現実が押し寄せて來た。

「エリ！急！」

頭いっぱいに響き渡るメッセージに、エリは神経接続を現実リアルに戻す。

視覚化されたネットワーク世界から舞い戻った五が捉えたのは、コーヒーの香りとヒンヤリとした空気。

T.T.S.の報部門たるI.T.C.。その一角に設けられたティーカウンターの主観風景だった。

即座にNITにアクセスし直し、エリは集音マイクの音量レベルを上げる。

煩わしいOSAIを嫌うエリの前時代的カスタムOSは、即座に環境音ノイズを流し、同時に訳を図式化する。

疾駆怒濤する折れ線の群にサッと目を走らせ、目敏く幾本かの波に目を留めた彼は、地鳴りの様な気流の合間にその音を探す。

『……３、いや４人ね』

その察は、果たして正鵠をていた。

「エリ！跳躍中のT.T.S.から急通信よ！」

靜謐と喧騒の境界を破ったのは、彼とチームを組むI.T.C.のメンバー。

李麗莉。

シェンディー・ロザベラ。

ニア・ビコ。

クラーラ・シュクロウプ。

のも母國語もバラバラな四人のは、しかし全員怪訝な顔をしていた。

だから、という訳でもないのだが、エリもまた怪訝な表で応える。

「ええ、今し方聞いたは、でも今日の跳躍者ってあの馬鹿でしょう？」

“あの馬鹿”は彼達にとっては符丁に近い言葉で、議論を待つ話題ではない。

「いや、それが」

だから、アフリカ出のニアが言葉に詰まっただけで、エリには全てが分かった。

「絵さんからなのね？要請先と容は？サルベージとクラックのどっち？」

通常、任務での連絡や確認事項であれば、優秀な部下達は自の判斷で解決する。

それが葉わず、エリの顔を拝みに來るという事は即ち、彼が持つ肩書きの効力を絵が要しているという事に他ならない。

I.T.C.報統括局長。

民を問わず世界中のあらゆる組織に対して違法時間跳躍者クロック・スミスに関する報を要求出來るこの肩書は、21世紀中程から続く報管理社會で唯一にして絶対の効力を持っていた。

ただ、この権力だけで全ての片が付く訳ではない。

何故なら、報管理化された社會ならば有効なこの力も、社會そのものが破綻している場所ソースには無力なのだから。

「絵さんからの依頼は二人の人調査です。が、一人の行方が現北アメリカ共同社會群、舊アメリカ合衆國に渡っている事が分かりました。エリさんにお願いしたいのは、當時の移民管理局に殘る當該人のデータサルベージと子孫の歩みを出來るだけ詳しく探る事です」

舊チェコ共和國ブルノ出のクラーラが一息で告げた言葉に、エリはニヤリと笑みを返す。

「程。で？どこまで探るの？その子孫とやらが昨日食べたピザの原産地や下のお世話に選んだTABOOのポルノ優のスリーサイズまで調べろって言われた？」

その一言で、メンバーの表は緩んだ。

どうやら、彼達の上司はやる気満々の様だ。