再び目覚めたとき、トバリは家のトイレの中にいた。

周りを見回して、今の自分の狀況を確認する。

「たしか僕は、剎那に噛み付かれて、それで……」

そこでやっと、自分がどうやってこのトイレにることになったのかを思い出した。

ゾンビと化した剎那に噛み付かれたトバリは、彼から逃れるためにこのトイレへと逃げ込んだのだ。

「――っ！」

染。

そんな単語が脳裏を過ぎる。

慌てて肩を確認すると、まるで何事もなかったかのように傷口が塞がっていた。

「あれ？」

夢ではない。

こうして目が覚めても、トイレの床はトバリのでべったりと汚れているのがその証拠だ。

……おかしい。

ここまで大量に出するほどの傷が、數時間で塞がるなどということがあり得るだろうか？

それに、

「僕は、染したんじゃ、ないのか……？」

剎那に噛み付かれたときに、致死率百パーセントのウイルスがトバリのの中にり込んだのは間違いない。

の中心から冷たくなっていく、あの覚。

あれは間違いなく『死』だったと、トバリの直がそう告げていた。

「生きてる……よな？」

不安になり、のあちこちをぺたぺたとってみる。

特にが冷たいということもないし、心臓の鼓も聞こえる。

脈もある。

なにより、トバリはこうして自分で思考することができている。

なくとも、死んでいるということはない。

「でも、なんで死ななかったんだろう？」

致死率百パーセント。

それはつまり、これまでにこのウイルスをに取り込んで助かった人間はいないということに他ならない。

そんな得の知れないウイルスをに取り込んで助かったということは、

「僕のが特殊だった、ってことなんだろうな……」

運がよかった。

首の皮一枚繋がったと言ったところだろうか。

しかし、狀況が良くなっているわけではない。

トバリは外を確認しようとして、トイレのドアをそっと開けた。

「…………」

扉を開けてすぐのところに、剎那の顔があった。

「うぉおおおおお！？」

慌ててドアを閉める。

全然ダメだ。

トイレのドアの前に立ち盡くす剎那は、く気配すらない。

「せめて剎那がリビングのほうまで行ってくれれば……」

トイレの目と鼻の先に階段があるので、剎那がリビングのほうまで行ってくれれば、とりあえずは自室ホームに帰ることができる。

まあ、帰ったところで狀況が好転するわけでもないのだが。

「ん？」

そんなことを考えていたトバリは、剎那の気配がこちらから遠ざかったのに気がついた。

おそらく、トバリの願いが通じてリビングに行ってくれたのだろう。

これはチャンスだ。

トバリは素早くトイレを抜け出し、階段を駆け上がろうとする。

それはトバリの気配に気付いた剎那が襲ってくることを警戒しての行だったが、

「……あれ？」

リビングにいる剎那がく気配は全くなかった。

まるで、トバリのことを獲として認識していないかのような様子だ。

「襲って、こない？」

ゾンビは、人間を見つけたら襲いかかってくるのではなかったのか？

そんな疑問が、トバリの中で膨れあがる。

おそるおそる近づいても、剎那がトバリに襲いかかってくる気配はない。

顔や目の向きを見る限り、トバリのことを認識してはいるようだが、先ほどまでの獲を狙うような切迫したじは全くなかった。

「じゃあ、最初のアレは一なんだったんだ……？」

先程までの剎那は、たしかにトバリのことを獲と認識していた。

間違いなくトバリの肩のを喰らい、咀嚼していたのだ。

どうして、剎那がトバリのことを獲として認識しなくなったのかはわからない。

……わからないが、襲ってこないならそこまで警戒する必要もないのかもしれない。

なにせ、相手はあの剎那なのだ。

ゾンビになったから警戒しなければ、と頭の中ではわかっていても、どこかで剎那のことを敵だと認識し切れていないトバリがいるのも事実だった。

「……、渇いたな」

トバリは椅子に腰掛け、ため息をこぼした。

張が途切れると、が水分を求めているのを実する。

あれだけのが流れたのだから、それも當然の反応と言えるだろう。

不意に、トバリは誰かに肩を叩かれた。

「ん？」

顔を上げると、麥茶のペットボトルとコップを持った剎那が目の前に立っていた。

剎那が、冷蔵庫から麥茶を取って來てくれたのだろう。

「ああ。ありがとう、せつ――」

そこまで言って、トバリは直した。

まじまじと剎那のことを見つめるトバリ。

その瞳の中に渦巻いているは、戸いだ。

普段の剎那ならばともかく、今トバリの目の前にいるのは、謎の疫病によってゾンビと化した剎那の死だ。

そんな存在が、トバリの言葉を認識して、トバリのために何かを行うなどということがあり得るのだろうか？

「……剎那、そこに座って」

ふと、ある一つの可能に思い至り、トバリは剎那にそう命令してみた。

すると剎那は、まるでそれに従うのが當然とでも言わんばかりに、リビングの椅子にちょこんと腰掛けたのだ。

「……どうなってるんだ？」

なぜか、ゾンビと化した剎那がトバリの言う事を聞くようになっていた。

わけがわからない。

に侵したウイルスが変異して、ゾンビに言う事を聞かせるような力を得たとでもいうのだろうか。

しかし、まだ仮説の域を出ない話だ。

そして、トバリには他にも気になることがあった。

「そういえば、肩の傷口も塞がってたよな」

この肩の傷口も、トバリがトイレで目を覚ました時に塞がっていたものだ。

トイレに誰もってきた形跡がない以上、肩の傷口は自然治癒したと考えるのが妥當なところだろう。

つまり、トバリのは、再生力、もしくは回復力が飛躍的に向上している可能が高い。 

「……まあ、どうでもいいや」

しかし、それがそこまでトバリの関心を引くことはなかった。

治癒能力が向上しているからなんだというのか。

どうせ、何かしたいことがあるわけでもない。

「……したいこと、か」

トバリの瞳が、椅子に座っている剎那をとらえた。

そして、トバリの顔と剎那の顔が重なり――、

――トバリは、剎那のにキスをした。

「……何をやってるんだ、僕は」

こんなことをしても、あまりにも遅すぎる。

そんなことはわかっているのに、トバリは剎那への想いを抑えられそうになかった。

トバリの視線がまず顔に行き、次に彼のに向かう。

さっきは心臓の鼓を確かめるために何気なくっただが、経験がないトバリにとって、そこはいまだに未知の領域だ。

そして、今トバリがそこにれて咎める人間は、どこにもいない。

「…………」

それを意識した瞬間、今までにない興を覚えた。

トバリにも、人並みにはある。

想い人である剎那のことを考えて、自分をめたのも一度や二度ではない。

そんな剎那が、今は無防備でトバリの目の前にいるのだ。

我慢など、できるはずがなかった。

トバリはゴクリと唾を飲み込む。

そして、剎那の雙丘にれた。

「……っ！！　す、すごい……」

らかなが、トバリの両手に伝わってくる。

想像していたよりもいが、服の上からならばこんなものだろう。

夢中になって、服の上から剎那のをみしだくトバリ。

そして、そんなトバリを、剎那が優しく抱きしめた。

「せつ、な……？」

今の剎那はゾンビのはずだ。

それはあまりにも不可解な行だった。

しかしトバリにとっては、それすらもどうでもよかった。

ただ、剎那が自分の事を抱きしめてくれたという事実だけが、トバリにとっての救いだった。

「僕はずっと、ずっとずっと昔から、剎那のことが好きだった。好きだったんだ……」

トバリの理が、剝がれ落ちていく。

その告白を聞いているのか聞いていないのか、剎那はトバリから離れる気配がない。

「だから、ごめん。剎那……」

トバリは、剎那を床に押し倒した。

剎那のを無くした瞳が、トバリの顔を映している。

それを見てはいけない気がして、トバリは再び剎那に口づけする。

命令を何もしていないにもかかわらず、剎那は明らかにトバリのことを求めるような挙を見せていた。

「――――っ！！」

そんな剎那の姿を見て、トバリの中で何かが壊れた。