トイレに殘ったのは、無殘にも食い荒らされたの死と、ゾンビの、それにトバリだけだ。

「……そいつが、憎かったのか？」

ゾンビのは答えない。

はトバリのほうをじっと見つめて、微だにしなかった。

まるで、何かをトバリに訴えかけるかのように。

「……」

トバリは、自分がどうすればいいのかわかっていた。

お互いを深く理解し合うために必要なことが、本能的に理解できる。

トバリは右手で、の頭にれた。

◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇

景がぶれる。

目の前にあったトイレが消え去り、そこにあるはずのないもの――どこかの教室がトバリの網に映し出された。

「これは……」

どんどん鮮明になっていく風景を前にして、トバリは一つの確信を得ていた。

「記憶の共有、ってとこか」

自分の中のゾンビに影響された部分が、今から目の前に映し出される映像は、そのゾンビが験した出來事なのだということを教えてくれている。

どうやらトバリには、ゾンビの頭にれると、そのゾンビが過去に見た景を見ることができる能力があるようだ。

……自分の知らないことなのに、確信を持ってそれが正しいと考えることができるのは、あまり気持ちのいい覚ではなかった。

普通に自分のをかすことができているので、視點はのものではなく、トバリのものとして見ることができる。

やがてそこにあるものがはっきりと映し出されると、トバリの瞳は驚愕のに染まった。

「うっ……」

トバリの口から、うめき聲のようなものがれる。

目の前に広がっていたのは、地獄だった。

ガタイのいい男がの人を組み伏せている。

には、もはや抵抗する気力すら殘されていないらしく、ただ男になされるがままになっていた。

辺りを見回すと、同じような勢の男が他にも數人いるのが確認できる。

男の醜いをけれているたちは、完全に瞳からが消えていた。

それはまるで、今のこの世界に絶し切っているかのような、そんな表だった。

「……ん？　安藤あんどう……？」

そこでトバリは、その中の一人に見覚えがあることに気付いた。

180センチはあろうかという長に、いつも何かに怯えているかのようにぎょろぎょろしている目が印象的な年だ。

今も目をぎょろつかせながら、の人に腰を打ち付け続けている。

その顔を、トバリが忘れるはずがない。

なぜなら安藤は、トバリのことをいじめていたクラスメイト達の一人だからだ。

しかし、なぜこんなところに安藤がいるのか。

そんな疑問がトバリの中で膨れあがる。

「いや……今はそれはいいか。後で見つけたら殺せばいいだけだし」

そんな思考を、トバリは切って捨てた。

今するべきことは、ゾンビののに何が起こったのかを知ることだ。

そう判斷したトバリは、教室の中にいるはずのの姿を探し始めた。

「お、いたいた」

はすぐに見つかった。

たちが凌辱されている様子を、教室の片隅から見つめる。

彼は靜かな憎悪のを瞳に燈し、男たちが油斷する瞬間を、ただひたすら待っているように見えた。

――視界が暗転する。

景が変わった。

「――この子が食料を盜み食いしてたんです！　わたし見ました！」

「……わたし、やってない」

「噓をつくんじゃないよ小娘が！　アンタじゃないなら誰がやったっていうんだ！？」

ヒステリックなび聲を上げながら、が床に転がされているを罵倒する。

よく見ると、そのには見覚えがあった。

先ほど、トイレでゾンビたちに無慘にも食い殺されただ。

周りの男たちも、厳しい表でのことを見つめている。

トバリには、今の男たちは何をしてもおかしくないような、非常に危険な狀態であるように見えた。

――食料の盜み食い。

それは、この極限狀態の中において、最もしてはいけないことの一つだっただろう。

この小學校の教室の中にどれだけの食料があったのかはわからないが、決して余裕があるわけではなかったはずだ。

「罰は、必要だな」

リーダー格の男がそう言うと、男たちによる暴行が始まった。

は男たちに毆られ、蹴られ、まるでボロ雑巾のようになっていた。

顔の形が変わるほど毆られた跡が、ひどい暴行をけたの様子を語っている。

「お願いです、もうやめてください！！　娘が死んでしまいます……っ！」

そんなに駆け寄り、元に抱き寄せるがいた。

ひどくやつれているが、その顔はとよく似ている。

おそらく親子だろう。

「どけ」

そんな親子に向かって、憮然とした顔でそんな聲を投げかけた男がいた。

安藤だ。

「お願いしますっ！　どうか……どうか娘だけは……！」

「俺はな、こいつみたいな卑怯なガキが大嫌いなんだよ」

安藤はそう言うと、を思いきり蹴り上げた。

のは面白いほど吹き飛び、教室の壁に叩きつけられた。

「か……はっ……」

の口の端からの泡がれ出し、彼の端正な顔が赤で汚れている。

今の一撃で、臓がやられてしまったらしい。

から、命の燈し火が消えつつあった。

「……安藤、やり過ぎだ。殺したら母親が発狂するぞ」

「あっ、すいません。つい」

リーダー格の男が、安藤をたしなめる。

その聲に反応して安藤が適當に謝罪したが、それに何の意味があるというのか。

は取り返しのつかない怪我を負い、助かる見込みはない。

そしてこの中で、死にかけのをそのままにしておくほど優しい男など、いるはずもなかった。

「でも、教室に死を殘しておくわけにもいかない。ユリちゃんには、ゾンビの餌になってもらうしかないっすよね」

にんまりと笑い、に殘酷な言葉を突き付ける安藤。

その顔は、こらえることのできないほどの愉悅に歪んでいた。

リーダー格の男は、しばらく難しい顔をして黙り込んでいたが、やがて口を開いた。

「……やむを得んな」

それは、の死刑宣告にほかならなかった。

「やめてぇええええええええええ！！！」

「イチイチうるせぇんだよ。お前もちょっと黙れ」

安藤が、の腹部を毆りつけた。

目を見開き、腹部を押さえてがその場に崩れ落ちる。

はそのままかなくなった。

その様子を満足そうに確認した安藤は、床に橫たわっているの服の元を摑み、暴に持ち上げた。

「じゃあお外に行こうか、クソガキ」

「…………」

は、安藤の顔を無表で見つめている。

それが気に食わなかったのか、安藤は眉を上げてを床に叩きつけた。

「ぐ……っ」

「死ぬ直前まで俺をイライラさせるのかお前は。本當にどうしようもないカスだな」

安藤は再びを持ち上げ、教室の窓際まで足を進めた。

窓から見える夜の校庭は真っ暗だ。

しかし、僅かな明かりが校庭を照らすと、そこに蠢うごめくモノたちがいるのがトバリにも視認できた。

「じゃあな」

そして、あまりにもあっさりと、安藤はを窓から教室の外へ投げ捨てた。

「――――」

闇の中へ落ちていくの瞳が憎悪の炎で爛々と輝き、安藤のほうを見つめていた。

ただ、その瞳だけが、闇の中で輝いていた。

そして、の姿は闇の中へと消えた。

◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇

「――っ！！」

視界が再び暗転し、今トバリがいるトイレへと戻ってきた。

ゾンビのは、なんのもじさせない顔でトバリのことを見つめている。

それはあまりにも無機質な視線だったが、トバリの心はの憎しみに、自然と共に似たを抱いていた。

「……人間が憎いか？」

はこくりと頷いた。

その瞳の中には、未だ消えぬ憎悪の炎が燈っている。

「僕と來い。そうすれば、お前の復讐を必ず遂げさせてやる」

ゾンビのは再び頷いた。

それはすなわち、がトバリと共に憎き人間共に復讐することに同意したという意思表示だ。

「お前の名前は、『ユリ』でいいのか？」

ゾンビの――ユリは、トバリの言葉に深々と頷く。

「そうか」

それを見屆けたトバリは、フッと笑った。

この場所で、使い勝手の良さそうなゾンビを手にれることができたのは幸運だった。

それに、

「僕としても、ここには確実に掃除しなくちゃいけないゴミがいるみたいだからな」

安藤。

他のレイパー共ももちろんだが、あいつだけは確実に殺さなければならない。

ユリの記憶の中でも、安藤は相変わらずクズだった。

あんな人間を生かしておいても、不幸になる人が増えるだけだ。殺してしまったほうがいい。

そもそも、ここにはもう気のれた人間しか殘っていないのだ。

ならば、トバリがそれを実行するのに、ためらう理由など一つもなかった。

「殺そう。一匹殘らず」

ユリが頷く。

その瞳には、隠しきれない狂喜のが見え隠れしていた。