しかし、安藤たちの虛無的な生活は、そう長くは続かなかった。

安藤が盜み食いをしたユリを始末したことで、グループの空気は明らかに悪くなってしまった。

そして、

「……そうか。死んでしまったか」

とある報告をけた東あずまは、し疲れた表でそう呟く。

――ユリの母親が、窓からを投げて自殺した。

三階という高さは投自殺には不向きだが、下で蠢うごめいているゾンビたちのおかげで、一度下に落ちてしまえば生存は絶的だ。

安藤がそう思った通り、窓から下を見ると、そこには大量のゾンビ達が集まっている。

ユリの母親だったものを見下ろしながら、安藤は彼を犯したときの、中の合の良さを思い出していた。

本當に、それだけだった。

「――安藤！　起きろ！　夜襲だ！　ゾンビ共が來た！」

「――っ！！」

そんな男の聲がして、安藤は跳ね起きた。

それを見た男が、僅かに安堵したように表を弛緩させる。

「……どうしたんすか？　いったい何が……」

「安藤も駆除を手伝ってくれ！　頼んだぞ！」

「え！？　あの、ちょっと！！」

そう言われて、何がなにやらわからないまま、男からサバイバルナイフを手渡された。

手に持つとずっしりと重く、それが人の命を容易に奪える代であることを安藤に実させる。

サバイバルナイフを安藤に渡した男は、再び闇の中へと消えていった。

「いったい何が起こってるんだ……？」

ありとあらゆる音が、安藤の鼓を震わせている。

何かいものがぶつかるような音。

何かが割れるような音。

の悲鳴、男の怒聲。

そして、闇夜に蠢うごめく者たちの気配。

暗闇が支配する中、辺りは混に包まれていた。

「とにかく、狀況の確認を……っ」

安藤はゾンビに襲われることはないが、例外もある。

高校で法の男と共に遭遇した、あの化けのことだ。

安藤がアレに襲われないという保証は、どこにもない。

むしろ、襲われる確率のほうがはるかに高いだろう。

「いや、落ち著け……」

あの夜のことを思い出し、安藤は小さく震えた。

――だが、今回は皆がいる。

ここで暮らし始めて、たった數日だ。

だが、彼らを守りたいという気持ちは、安藤の中にたしかに芽生えていた。

一人じゃないというのは、なんと心強いことなのだろうか。

「――安藤か！　助かる！　こっちを頼む！」

安藤が教室を出ると、男たちが數のゾンビと応戦しているところだった。

金屬バットで、ゾンビ共の頭を狙っている。

既に事切れている男が一人いたものの、それ以外の人間に目立った怪我はない。

「あ、東さん！」

「……ん？　あぁ、安藤か」

ゾンビに応戦している男たちの中には、東の姿もあった。

「東さん、これはいったい……」

「バリケードが突破されたんだ！　ゾンビ共が壊したとは考えにくいんだが……とにかくここを抑えていてくれ！」

「はい！　わかりました！」

東から直々の要請をけて、安藤も戦闘に加勢した。

「オラッ！！」

サバイバルナイフを振るい、ゾンビの目の部分に突き刺していく。

眼球を貫通し、頭蓋にまでサバイバルナイフが達すると、ゾンビはそのきを止めた。

「ふぅー……」

返りを袖で拭いながら、安藤はため息をつく。

どれだけ近づいても、ゾンビに襲われないという安心は大きい。

結果的に、すべてのゾンビを殺すことができた。

「ふぅ……なんとかなったな」

「そっすね」

疲労困憊ひろうこんぱいといった様子の東の言葉に、安藤は同意する。

安藤以外の男たちは、全員金屬バットでゾンビたちに応戦していた。

やはりゾンビ相手なら、リーチが長い武のほうが有効のようだ。

サバイバルナイフは、ゾンビ共の相手をする武としてはあまり適しているとは言えなさそうだった。

もっとも安藤にしてみれば、殺傷力の劣る金屬バットより、殺傷力が高く、使い勝手のいいサバイバルナイフのほうが合っていた。

ゾンビに襲われないという質が、サバイバルナイフのリーチの短さを十分に補って余りあるのだ。

「……ん？」

ふと、何かの気配をじて振り返る。

……何もない。

ただ、ゾンビたちの死が散しているだけだ。

「どうした？」

「いえ……何か、そこにいたような気がして」

何かがいたような気がしただけだ。

大した違和でもない。

……だが、安藤にはそれが、ひどく不吉なものに思えた。

「俺、ちょっと下のほう見てきます」

気付けば、そんな言葉を口にしていた。

「一人で大丈夫か？　もし必要なら俺も……」

「東さんは休んでてください。俺なら大丈夫ですから」

東まで來たら、安藤が持っているゾンビに襲われないという質を存分に生かすことができなくなる。

萬が一、法の男や彼が連れていた化けが姿を現したとしても、すぐに二階に逃げればなんとかなるはずだ。

「わかった。一人で行くならこれを持っていけ」

東は、懐から懐中電燈を取り出す。

「あ、ありがとうございます。それじゃあ行ってきます」

それをけ取ると、安藤は一階に向かって歩き出した。

「暗いな……」

一階まで降りた。

電気がついていないため、頼りになるのは手元にある懐中電燈の明かりだけだ。

校舎の向きが悪いのか、月明かりもほとんど差し込んできていない。

そんな中でもゾンビたちは、さまようように、ゆらゆらと歩いている。

懐中電燈のを彼らに當ててみても、特に何の反応もない。

ゾンビは、には反応しないようだ。

もしかしたら、安藤のゾンビに襲われない質のせいかもしれないが。

「……ん？　え、なんだよ、これ」

一階の教室の窓やドアが、破壊されていた。

その中にいたはずのゾンビたちは、今は一匹もいない。

「誰かが、ゾンビたちを解放したのか……？」

そうとしか思えなかった。

そして、そんなことをする理由があるのは――、

安藤の頭がひとつの結論に達しかけたとき、今度は安藤の耳が何かの音をとらえた。

「……なんだ、この音」

くちゃくちゃと。

何かを咀嚼そしゃくするような小さな音が、斷続的に辺りに響いている。

懐中電燈を、々な方向に向けてみる。

すると、いた。

教室の中で、のゾンビが、人間の腕に齧かじりついていた。

「……クソガキ？」

安藤の眉が吊り上がる。

の顔には、見覚えがあった。

いや、見覚えがあるなどというレベルではない。

先日、安藤が窓から放り投げた。

そのがゾンビと化し、いま安藤たちの前にゾンビとして現れているのだ。

「……っ！！」

ゾンビのが、安藤のことを見つめている。

それは、他のゾンビたちに向けられる視線とは、明らかに違った。

の瞳には、強い憎悪のが宿っている。

安藤は、これほどまでに人間に憎しみを向けるゾンビを見たことがなかった。

「まさかこれは、お前がやったのか……？」

思わず、そんな言葉がれる。

教室に閉じ込められていたゾンビ達が、今は外を自由に闊歩かっぽしていた。

これは、目の前にいるゾンビのの仕業なのではないか。

明確な拠はないが、安藤にはそう思えてならなかった。

「…………」

ゾンビのは、安藤のほうを睨みつけると、すぐに二階へと上がっていった。

「おい！　待て！」

あれはマズイ。

安藤の本能的な部分が、そう告げている。

あれを放置しておけば、莫大な數の犠牲者を生むことになる、と。

「クソっ！！」

ゾンビのの後を追って、安藤は二階へと向かった。

「うわっ！？　な、なんだこいつ！？」

安藤が二階に上がると、男たちの戸ったような聲が聞こえてきた。

どうやら、既にゾンビのと戦しているようだ。

「――！！」

ゾンビののきは軽快だった。

とは思えない速度で走り、男たちによって振るわれる金屬バットをすり抜け、男たちの足や腕に噛み付き、そのを抉り取っていく。

それだけのことで、頼れる仲間は排除すべき害蟲へと変わってしまう。

「クソッ！！」

安藤も、ゾンビののきをとらえられない。

ただ、に向けた刃がむなしく虛空を切るだけだ。

既に、三人の男たちがゾンビのに噛まれ、意識を失ってしまっている。

彼らが死んで、ゾンビとして再び起き上がるのも時間の問題だった。

そして今、近くにいた男がゾンビのに噛み付かれ、の目線が東の背中へと向けられた。

「東さん！」

「わかっている！！」

安藤の聲に反応した東が、背後に向かってきたを蹴り飛ばした。

東からの思わぬ攻撃に、ゾンビのが目を見開く。

「はぁぁあああッ！！」

に隙ができたと見るや否や、東はすかさず、の頭部を狙って金屬バットを振るう。

それは鋭く、重い一撃だった。

のが宙を舞う。

そのまま勢いを殺し切れずに、廊下の壁に激突した。

終わったか……？

安藤がそんなことを思ったのはしかし、一瞬のことだった。

「…………」

のゾンビは、頭からを流しながらもふらふらと立ち上がった。

その瞳には、未だ強く燃える憎悪の炎が輝いている。

しかし、今はこれ以上戦闘を続ける気はないらしい。

ゾンビのは足元に落ちていたゾンビの死の腕を引き千切り、それを持って暗闇の中にその姿を消した。

「やめろ！　深追いはするな！」

咄嗟とっさに追いかけようとした安藤は、東に強い制止の言葉をかけられた。

「でも！」

「……今は混を収束させるほうが優先だ。安藤には、それに協力してもらいたい」

「っ……。わかり、ました」

「――三階に撤退する！　皆、落ち著いて行してくれ！」

そして東は、ゾンビのに噛まれてしまった者たちのほうへと目線を向けた。

「東さん、染者は俺が始末します」

「……だが」

「東さんは疲れてるでしょう？　ここは俺に任せてください」

「……恩に切る」

東が、蚊の鳴くような聲でそう言った。

あれだけ頼もしいと思っていた東の瞳は、今は弱々しいを燈しているだけだった。

夜が明けると同時に、東の指示に従って、三階への移が始まった。

十數人いた仲間たちは、今や五人になっていた。

男が三人に、が二人だ。

その全員が協力して、作業に取り組むことになった。

ゾンビのを侵させないために、隙間を塞いで、より強固なバリケードを作る。

幸いなことに、三階には図工室があったので、々と必要な資材を調達することができた。

丸一日かけて、廊下を完全に塞ぐ新しいバリケードが完した。

まだ水道や電気などのライフラインは止まっていない。

電気は點くし、水も出る。

食糧も、安藤が持ってきた分がそれなりに殘っている。

しかし、明るい表をしている人間は一人もいなかった。

そして、また夜が明ける。

安藤は、今朝がた、が一人いなくなっていることに気付いた。

そして、昨晩東あずまともう一人の男が犯していたが、死んでいることにも。

「……どうでもいいか」

睡している東と男を見て、ぼんやり考える。

ここはもう終わってしまった。

どこか新しい場所を探さなければならない。

「……なんか、騒がしいな」

今日は、學校の雰囲気がし違うような気がする。

安藤はその違和を、気のせいだと思うことができなかった。

高校で見た景を思い出す。

男子生徒の腹部に手を這わせ、何かをまさぐるような挙を見せていた化け。

安藤は、その景を振り払った。

まあ、安藤はゾンビには襲われないのだ。

あのゾンビのも、安藤のことを襲おうとはしなかった。

ならば、今やるべきことは、すぐに化けや法の男、それに東たちから逃げられるように準備しておくことだ。

安藤がそう考えて荷を整え始めたのと、バリケードの先からおびただしい數のゾンビたちが現れたのは、ほとんど同時だった。