「どうやら、何人かやられたらしいな」

化けを視認した三田が、苦々しげな顔でそう言った。

手をばしている化けの周りには、の水溜まりができている。

三田の推察は正しいように、トバリには思われた。

「……二人、食べられた」

「……そっか。ありがとう、ユリ。大丈夫か？」

「うん。だいじょうぶ」

トバリは、ユリを抱きしめる。

軽くを調べるが、怪我をしている様子もない。

だが、トバリにはしだけ気になることがあった。

「ユリ、あれを食べたのか？」

トバリが小聲で、ユリにそう尋ねる。

その目線が示す先には、先端が中途半端なところで削れたような手があった。

「うん。力、でなかったから」

「……なんだって？」

「力。前よりも、弱く、なってたから……。たぶん、しばらく、食べてなかった、からだと思う」

そこまでユリが言って、ようやくトバリも彼が何を言わんとしているのか、気がついた。

つまり、ユリは最近人を食べていなかったから、トバリと出會う以前よりも力が弱くなっていたのだ。

それで、ユリは手を食べて足りていなかった何かを補給しようとしたのだろう。

「いや、だからって、あんな得の知れないものを食べなくても……」

「だいじょうぶ、だよ。ユリが食べたかったから、食べただけ、だから」

「いや、そういう問題じゃないんだけど……まあいいや。今はそれより――」

トバリはユリの説得を途中で切り上げ、目の前にいる化けを見據えた。

あれがどこからやってきたのか、あれの正は何なのかなど、々と聞きたいことはあるが、化けに人間の言葉が通じるとは思えない。

「あれが、他の拠點を壊滅させた化け……なんだろうな」

城谷が、忌々しげにそう吐き捨てる。

トバリも、城谷の考えに同意見だ。

あんなのが大量に襲ってきたら、ただの人間などひとたまりもないだろう。

「それにしても、どこからってきたんだろう？」

辻は、困したような表を浮かべている。

それはさっき、トバリも疑問に思っていたことだ。

屋上のり口は、一つしかないはずだ。

そこからあの化けが進してきたとは考えにくい。

まさか、外壁を登ってきたとでも言うのだろうか。

「あいつ、空から、降ってきた……」

「……え？」

「男の子たちが、そう言ってた」

トバリを含め、他の三人も驚愕の表を隠すことができない。

ユリのその言葉が事実ならば、あの化けは空を飛べる可能すらある。

「なんにせよ、早く殺してしまうに越したことはないわけだな」

三田はそう呟くと、化けに向かって駆け出す。

自を捕らえんとする手を回避しながら、右手に持った金屬バットを、化けの真ん中に振り下ろした。

そして、すぐに距離を取る。

普通の人間であれば、背骨が折れてしまっていたであろう、鋭く重い一撃だ。

しかし、化けはしじろぎしただけで、大したダメージをけている様子はない。

その様子に、三田は舌打ちする。

「とりあえず、あの黒を引き剝がしてみないと、中がどうなっているのか見當がつかんな」

「ですね……」

今の化けはその全を黒に覆われており、その中がどんな構造になっているのか、まったくわからない。

「とにかく、あの邪魔な布を引き剝がしましょう。構造を見れば、攻略の糸口も見えてくるはずです。三田さんと城谷と辻はあの化けの気を引きつけてください。ユリは僕と一緒に本の布を狙おう」

「わかった」

三田もそれがベストだと判斷したのか、トバリの提案に反対することはなかった。

「ユリ、ナイフはあるか？」

「……ごめん。お家に、忘れた」

「じゃあこれ使え。さすがにあいつらの前で噛み切るわけにもいかないだろ」

トバリは懐に隠し持っていたサバイバルナイフを、ユリに手渡す。

こういうことになることを見越して、常に二本のナイフを攜帯していたのだ。

どうやら、トバリたちが來るまでの間、彼はナイフ無しであの化けと渡り合っていたようだった。

その戦闘力には改めて心せざるを得ない。

「行くぞ！」

「はいっ！」

三田と城谷と辻が、先に仕掛けた。

化けも、黒の下からさらに手を増やして応戦する。

城谷と辻は、先ほどよりも數の増えた手に翻弄されている。

向かってくる手たちを金屬バットで叩き落とすのにいっぱいで、それ以上の役割は期待できそうにない。

対して、三田は手をすり抜け、化けの本に何回か金屬バットでの攻撃を當てていた。

しかし、化けのきが鈍くなる気配はない。

「よし。僕たちも行こう」

「うん！」

トバリとユリも、化けの本に向かって走り出す。

そんな中で、トバリは僅かな不安をじていた。

トバリにとって初となる、人外との戦闘だ。

人間やゾンビ相手ならともかく、相手が手というのはなかなか厳しいように思われた。

だが不思議なことに、トバリたちを狙う手は、三田たちを相手にしている手よりも明らかにきが鈍い。

それらの間をって、割と簡単に化けの本に近づくことができた。

「トバリ！」

「よし、いくぞ」

トバリは、化けにサバイバルナイフを突き立てた。

黒が破れると共に、を抉るがあった。

サバイバルナイフを黒に突き立てたまま、それをゆっくりと下ろしていく。

やがてそれが下まで到達すると、ユリがその切れ目から布を引き千切った。

そしてついに、化けのがあらわになる。

「……おいおい。マジかよ」

その正に、トバリはおろか、三田や城谷たちも驚きのを隠せない。

化けには、人間のような頭があった。

いびつに歪んだその頭部が、不自然な角度で首を曲げて、足元にある人間のを食べ続けていた。

そしてその化けには、人間のようなと腕、それに足があった。

一つだけ人間と違うのは、中のありとあらゆるところから赤紫をした手が生え出ていることだ。

その化けのは、全のサイズがし大きいことと手が生え出ていることを除けば、トバリたちが知っているあるものに、とても似ている。

それは他でもない。

「まさか……あれはゾンビなのか？」

「いや……でも、そう考えるのが妥當だと思う」

トバリの疑問の言葉を、辻が肯定する。

しかし、あの化けがゾンビならば、納得できる部分もある。

安藤が法の男に遭遇したとき、隣に寢ていた男子生徒は腹部を食い荒らされていたという。

でも、もしその化けがゾンビの一種なのだとしたら、安藤が化けに襲われなかったのは運が良かったからでもなんでもなく、『資格』を持っていたからだ。

先ほど、トバリとユリの接近に対してもいまいち反応が鈍かったのも、トバリとユリが半ゾンビ化しているから、と考えれば辻褄つじつまが合う。

もっとも、普通のゾンビと違って、トバリとユリを全く狙っていないわけではなさそうだが……。

どちらにせよ、あれは、

「ゾンビの変種、ってことになるんでしょうね」

おそらく、そういうことなのだろう。

「でも、それなら頭を狙うのが有効なはずだ。三田さん！」

「わかっている！」

トバリが聲をかけるよりも前に、三田がいていた。

それに反応して、化けが背中から大量の手を生やし、頭の部分を守ろうとするが、

「はあ――ッ！！」

トバリとユリが、その手を切斷していく。

結果、三田たちのほうに大した量の手はびない。

「これで、終わりだ」

三田が、化けの頭部に思い切り金屬バットを振り下ろした。

頭蓋が砕ける鈍い音が辺りに響き、化けのきが鈍くなる。

三田がもう一度毆ると、化けのきが完全に止まった。

その頭蓋は、完全に砕けている。

脳漿のうしょうとが飛び散り、化けだったものはただの死骸になり下がっていた。

「ふぅ……」

終わった。

一瞬、場の空気が弛緩する。

だが、ゆっくりはしていられない。

この化けがここに來たということは、つまり、

「……法の男がき出した可能が高い。三田さんたちは、すぐに下にいる人たちに避難準備を始めるように――」

トバリがそこまで言った、そのときだった。

「……ん？　なんか揺れてないか」

「地震かな？」

小さな振が、トバリたちの足に伝わってきた。

城谷と辻が、揃ってそんな聲を上げる。

「……いや、これは」

三田が目を細める。

トバリも一瞬、地震かと思ったが、違う。

振は、一定の間隔を開けて、トバリたちの足元を揺らしている。

天災ではなく、これは人為的なものだ。

そして、

「……誰か、來る」

トバリたちが謎の振に困していると、屋上に一人の男がやってきた。

相當急いでいたようで、息も絶え絶えだ。

彼はなんとか息を整えると、

「た、大変です！　巨大なゾンビが、バリケードを突破しようとしています！」

「……なに？」

彼のその言葉に、三田は訝しげな表を浮かべる。

城谷と辻も、同じような顔をしていた。

「トバリ……」

「ああ……。來たみたいだな」

事態の進行に思考が追いついていない三田たちを目に、トバリとユリは、お互いの理解を確かめ合っていた。

法の男たちが、ついにここへとやって來たのだと。