３ ７月８日　同じ匂い

太が目を覚ましたときには水滴に曇った窓から見える景はすっかり暗くなり、夜に耽っていた。

雑誌類や様々な事件の參考書が散らばる汚いソファーからゆっくりとを起こした。

「……ここは？」

「気が付いたかー？」

飲みを持って、乙黒が太のもとにやって來た。

どうやらここは乙黒探偵事務所の中らしい。

桜と霧島と共に報を聞きにやってきた太だったが、『影零』という名前を聞いてそれから記憶が無かった。

「えっと……あれ？　どうして俺……まさか寢てたんすか？」

「んー。寢てたってより気絶に近いけど。……いや寢てたね、隨分ぐっすりと。人様の城でくつろぎ過ぎだよ、しは遠慮を知れ」

「あ……えっと、すみません」

乙黒は呆れ顔を太に向けた。

「霧島と胡桃沢には先に帰ってもらったよ。お前はただ寢てるだけだったからね」

「どうして寢てたんですか？」

「アタシが知るかよっと。ま、そうだな……影零……」

「！」

「……って名前を聞いた途端に倒れるようにして寢たんだよ」

「……」

「この名前に聞き覚えがあったのかい？」

「い、いや……無いはずです。無いはず」

「『はず』ってことは『ある』って言っているようなもんだぞ」

「……知らないです、たぶん」

「たぶんって……」

「ただ前にどこかで聞いたことがあるような……ないような」

「……お前のクラスメイトらしいからな。聞いたことがあるのは當然だろが」

乙黒は辭書みたいに厚い本で太の頭をぽかりと叩いた。

「あ、いて」

乙黒は太を汚いソファーに座らせ、その向かいに沢山のオカルトチックな雑誌を積み重ねて腰を置いた。

「神谷太。お前、影零について何を知っている？」

「だから……何も知りません。クラスメイトってことすら気付いてなかったんですから。名前覚えるの苦手で」

「ふん……じゃあ言い方を変えよう。お前は『審判』について何を知っている？」

「はあ？　俺は何も知りません！　だから原因と対策を練るために貴方に頼んでここまで來て調べているんですから！」

「ふーん」

「俺を疑ってるんですか？」

「そんなことは無いよ。事聴取イコール犯人とは限らん」

「……俺、今まで本當に寢てただけですか？」

「……ああ。お前はずっと寢てたよ」

太は不審な目を乙黒に向けた。そして、差し出された飲みを一口飲み、渇いたを潤せた。

「神谷、お前。『審判』について『正義』or『悪』どっちの印象を思っている？」

「何を……？」

「率直なお前の意見を聞かせろ」

「……人が死んでいるんです。いいわけないでしょう。俺は早く審判を……悪夢を終わらせたい」

「とは言っても。死んでいるのはこの世に不必要な人間だとは思わない？」

太は目を見開き、真顔でそう質問を投げ掛ける乙黒を見つめた。

「なんだと？」

「人に迷を掛け、陥れるような人間が裁かれるのは當然だとは思わない？　また、そういう人間なんか居なくなったほうがいいとは思ったことはない？」

「ふざけるな！　アンタ言っていいことと悪いことが――」

乙黒は頬を緩め、を釣り上げた。

「ああ悪い……そうだな。じゃあ質問を変えるよ。今までめられたことはある？」

「！」

「あるか？」

「……小學校の頃に軽いことならしだけ……でも多分それはイジメられたにりません」

「そうか」

そう言うと乙黒は靜かに目を閉じ、再びゆっくりと口を開いた。

「影充が１０年前に死亡したことに対して何か異論はない？」

「は？」

「影充が死亡していない、現在も生きているという仮説を立てられるとしたら？」

太の腕が痙攣し始める。太は乙黒を睨みつけるように視界に捉え続けた。

「有り得ると思う？」

「……な、なにを」

「ねえ？　『神谷太』」

「影充は、し、死んだはずでしょう？　仮説も何も死んだ人間が生き返るなんて有り得ません！」

乙黒は靜かに太の目を見つめ続けた。そして、「ふふ」と笑い、頬を緩ませた。

「あーいや、悪い。そうだな、當然だよな。今のことは忘れて。もう目も覚めたでしょ？　帰ったほうがいい。親も心配するよ」

太は乙黒から視線を外し、ソファーから立ち上がった。

そして、俯く乙黒を視界に捉えながら、出口に向かって歩いていく。

「『神谷太』」

再び咄嗟に名前を呼ばれ太は振り向いた。

「な、なんですか？」

再びにやっと乙黒は笑っているように見えた。

そして、

「『お前は私と同類だよ』」

そう呟いた。

「え？　どういう……？」

「夜道は危険だから、男でも油斷すんじゃねえぞ、ってことだ。気を付けて帰んな」

太は何かを考え込むようにした後、乙黒の背中に向かって、

「迷掛けました。乙黒さんありがとうございました……」

と、不満そうに告げた。

乙黒はわずかに手を振り背中で応えた。

そして太はれる音の鳴るドアを開け、事務所をあとにした。

暗い事務所の中で乙黒は一杯のスポーツドリンクを飲み干した。

そして、影充に対する調査資料を眺めた。

「影充は１０年前に自殺……。父親は既に死去……。妹は宵崎高校３年１組生徒である影零の可能……。そして母親が消息不明……ね」

資料をテーブルに置き、自らの椅子にふんぞり返るように腰を落とした。

そして、窓のから街頭の下を歩く太の姿を見つめた。

「お前はアタシと同じ匂いがするんだよね。神谷太」