４ ８月２０日　母

太と霧島は靜間宅から駅へ向かい、電車に乗り込んだ。

そのまま乙黒の探偵事務所に向かうためである。

靜間宅から外へ出た後、桜は用があると言って、太たちとは別れた。

しかし、太は見抜いていた。

最近、桜の調が悪いというのは本當であると。

明らかに無理をしている顔である。

「気をつけろよ」

と、太は念を押すことしかできなかった。

桜のことを思えば、何が何でも、もうこれ以上自分たちの勝手な調査に巻き込むのはいけないのではないか、と考えているのだった。

電車に乗っている間も、太と霧島は黙り込んでいた。

太は桜のことを案じているというのもあった。

だが、それとは別に靜間から告げられた真実の衝撃も大きかった。

「確かに『いじめ』は存在していた」

靜間はゆっくりとそう語った。

そして、

「その『いじめ』から救い出すことができずに、影充君を殺してしまったのは、自分たち教師に責任がある」

と続けた。

いくら教師といっても神様ではない。

全ての人間を、生徒を守ることなんて必ずしもできることではない。

しかし、影充を助けることはできた。と、靜間は語った。

その口調や表からは、激しい後悔をじた。

このとき太と霧島は同時にあることを思ったのだった。

影零。

彼が恨み、復讐を願っているのは影充を自殺まで追い込んだ生徒たちだけではない。

そのとき助けなかった學校中の教師たち。まわりの人間たち全てであるのだ、と。

太も霧島もそのとてつもない範囲と人間たち、その規模に愕然とした。

自分たちがいくら推論を広げたところで、その復讐の対象は壯大である。

だが、太と霧島が驚いた真実の衝撃とはこのことではない。

そのあとに『靜間から告げられた事実』のことだった。

そして、それを確認するために太と霧島は前方に建つ乙黒探偵事務所を見上げた。

相変わらずの小さなオンボロ事務所だったが、とても大きく見えた。

そして、太はれる音の鳴るドアを開けた。

「來たな」

乙黒はビールを片手に機に座り、ドアを開けた若き依頼者を見て、笑った。

「こんにちは。お久しぶりです。乙黒さん」

太は丁寧にお辭儀をした。

「かたっくるしいのはきらい。ま、座りな」

２箇所に雑誌が重ねられており、乙黒はそれを椅子として太と霧島に勧めた。

「影充の家族構を調査した……って」

乙黒は太と霧島のいつもと違う雰囲気を察し、言葉を詰まらせた。

「てめーら、なんかあったのか？」

太は膝の上で、拳を小さく握りしめ、靜間宅での出來事を反芻するようにして、乙黒に言った。

「影充は學校でのいじめが原因で自殺を図った。しかし、當時、宵崎高校に勤めていた教師たちは皆、影充を救うことはできなかった。だが、その高校には影充を『教師という立場からだけで見ることのできない人間』がいた」

乙黒は「あ」と小聲で呟き、小指で頭をかき、太を見つめた。

「……なんだ。アタシが調査するまでもなかったのかよ」

霧島は太に続き、言った。

「以前見せてもらった乙黒さんの調査結果にはこうありましたよね。影充の母はどこかの學校で講師を勤めていたって」

「……その通りだ」

「靜間先生……俺たちの擔任の教師から教えてもらいました……。影充の母親は、『１０年前、一緒に宵崎高校で働いていた』と」

「つまり……學校で影充のいじめを見て見ぬフリをして、自殺まで追い込んでしまった教師たちのなかにいたんですよ。彼の実の母親が」

乙黒は立ち上がり、資料を摑み、太と霧島に見せるように広げた。

「探偵に依頼しといて、自分たちの力だけで、そこまで調べるか、フツー？　アタシの立場もあったもんじゃないよ」

乙黒は資料を睨みつけ、言った。

「影充の母親……このは、『母の欠落した』だよ」

＊　＊　＊　＊　＊

「まず初めに父。父は影徹（ミカゲ　トオル）。この人は最初に報告した通り、既に死亡している。そして、その実の娘であり、影充の義妹であるのが、お前らが言っていた通り３年１組にいる影零だ。そして、影充の実の母であり、影徹の再婚相手、そして、宵崎高校で當時講師を勤めていたのが、影浪子（ミカゲ　ナミコ）というだ」

ここまで一気に喋り上げ、乙黒はビールをに流し込んだ。

「なみこ……？」

太は何かを思い出すように呟いた。

「ここまで調べ上げれば、影充の苦しみも理解できる。學校でいじめられ、助けを求めていた彼は、唯一の母親にすら、見捨てられたんだ」

太は資料に目を通しながら、呟いた。

「母親が実の息子がめられているのを黙って見ていられますか。普通」

乙黒は空いたビールを潰して、言った。

「だからそのは普通じゃなかったのさ。言っただろ。『母の欠落した』だって」

「……」

「おそらくだが、そのは自分の息子、影充に対して、一切のを抱くことができなかったんだ」

霧島は資料がファイリングされたものを閉じ、太を見た。

「これで、なんとなく影零の言っていた『あの』の正が摑めたかもね」

「……」

「おそらくだが、影浪子。このこそが、影零が最も恨んでいるだと思うよ」

乙黒はそんな霧島の発言を聞いた後に、手を上げるようにして、ぼやいた。

「だーがねー。この人に関しては、追えないっていうか、現在の消息すら摑めないんだ。今、どこで、何をしているのか、生きている保証すらないんだよ」

「當時は講師だったんだから、今は教師なんじゃないんですか？」

太は瞬きをしながら尋ねた。

「そう思うだろ？　だけど何故か、あとを終えないんだよなーこれが。まあ頑張ってみるけどさ」

乙黒は頭をかきながら、溜息まじりに呟いた。

「だけど、この影浪子って人を見つけたとして、『審判』は終わるのか。結局は『審判』を起こしてる人間には……」

太は喋りながらも、霧島と目が合ったところで、思いついたようにはっと目を丸くさせた。

「そうだよ。つまりはこの影浪子という人間が現れてくれることが『審判』の狙いなのかもしれない」

霧島は口元を釣り上げて、不気味な笑みを作った。

「影浪子に恨みを持っている人間。ということは、『審判』を作り出しているのは、影零もしくは影充、この二人に絞られたわけだ」

「ふふふ」と笑いを広げながら、霧島は続けた。

「やられたね。僕たちみたいに影充の過去を捜査し、その元兇となる正を暴き出し、その正である影浪子を見つけ出すこと。それこそが『審判』の真の狙いである可能が出てきたわけだ。ようやく。尾が見えてきたよ『審判』！」

「でも影充君には、同するよな」

太は目を床に落としながら、呟いた。

「なんだか可哀相だ……」

「可哀相？　同？　キミは何を言っているんだ？　ああ、そうか。影零が犯人であることに賭けたいと言っているのか？」

霧島は太に目を向けて、そう言い放った。

どこか霧島の目は苛立ちを含ませているようだった。

「い、いや。そういうわけじゃない。素直にそう思っただけだ」

今度こそ霧島の目に、完全なる怒りのが見えた。

「何を言っている？　神谷君。キミはいつまで呑気なんだ！　関係のないクラスメイトが殺害されて、同だと？　いい奴ぶるのもいい加減にしたらどうだ！？」

太はそんな霧島の激昂を初めて見て、揺を隠し切れなかった。

「そ、そんなつもりで言ったんじゃ……どうしたんだよ。霧島……？」

「……誰彼構わずに同するのが、ヒーローじゃない。僕の前で二度と、影と名のつく者に同するな」

まるで思い切り毆られたかのような衝撃が太を襲った。

今までいろいろな嫌味や、腹が立つような臺詞を浴びせてきた霧島であったが、今は本當に怒っているのだと、太はじた。

だが、どうしてそこまで怒ることがあるのか、今の太にはわからなかった。

【同するのが――悪イ――の、――か】

「まあ。喧嘩もそのへんにしてくれ。アタシはまだまだこの影浪子とかいうの調査を進めていくよ。お前たちは影零とかいう生徒の監視を頼む」

「お願いします。乙黒さん」

霧島はいつも通りの作り笑みに戻り、そう告げた。

「アタシもどうあれみたいだね。こういう奴がいるなんて許せないよ。自分の大切な人すら……子供すらせないなんて――」

そのとき、部屋のなかで何かがざわめいた。

暗く、大きな闇が、何かに圧し掛かったような覚が響いた。

そして、乙黒のに太は手をかけていた。

「え……？」

太は、意味もわからない、理解が追いついていないとでもいうように呟いた。

その太の手は#太の意に反している__・__#ように乙黒の首を絞めた。

乙黒は呆然と太を見上げた。

太はそのまま乙黒を突き飛ばした。「がはっ」という鈍い咳を溢し、乙黒が雑誌散らかる床に叩きつけられた。

「か、神谷君！？」

霧島は太を押さえつけるようにして止める。

この狀況に理解すらできていない。

「神谷君！　なにをしてるんだ！　キミは！」

乙黒は「ぜえ、はあ」と息を荒くしながら、前方に立つ依頼人の顔を睨んだ。

乙黒の全からじわっと汗が吹き出てくる。痙攣が止まらずに、中に寒気と悪寒が走った。

そのまま、この部屋にいる依頼人へと手をばそうとした。

そのとき、その依頼人の口元がいた。

そして、乙黒はそれをなんとか読み取った。

【――ヤ――メ――ロ――】

神谷太の口はそういたように見えた。

乙黒は息を荒げながら、呟いた。

「くそっ……『神谷太』……や……ぱ、り、お……ま……、が――」

眼球はぐらぐらと焦點を摑めなくなり、そして乙黒は気を失った。

「え……え……？」

太は自らの掌を見つめ、何度も呟いていた。

「神谷君？　キミはいったい何を……？」

ふっと、張り詰めていた糸が切れたように、太はその場に倒れた。

「神谷君！　神谷君！　しっかりしろ！」

という霧島の聲だけが、薄れ行く太の意識のなかで響き続けていた。