２ ９月２日　第４の審判①

朝の校門にはまだ殘暑の日差しが照りついていた。

夏季休暇が終わったといっても、まだ暑さは終わってはいないようだ。

生徒たちが久しぶりの學校に登校してくるのが、３年１組の窓から見えた。

「おはよう」「久しぶり」などと、元気な聲を掛け合っている。

今の世界を嘆いているのは自分たちしかいない、と太は改めて実し絶した。

９月の第１週目。

全てが始まる第１週目。

夏季休暇の間、忘れていた、いや忘れようとしていた恐怖がじりじりと殘暑の太のように、自らの心を焼き返してきた。

再び始まるであろう鮮と恐怖の慘劇である『審判』を、自分たちは止めようとしている。

もう誰も失いたくはない。

９月２日。

この日は不思議なことに、何事も起こらず、平常なほどに時間は過ぎていった。

數學の時間も、地理の時間も、英語の時間も、殘酷で皮なほどに、以前までの太が願っていたカーストの無い、普通で平和な學校生活そのものであった。

あっという間に時刻は晝休みへと突した。

授業を終わらせ、靜間も職員室へと帰っていこうとしていた。

教科書を畳み、教壇の機に重ねている。

そのとき、ふらふらとした足取りで、胡桃沢桜は立ち上がり、教室を出て行こうとした。

太は桜の面持ちを朝から気になっていた。どうにも、かなり調が悪そうである。

「大丈夫か、桜」

太は慌てて、桜へと聲をかけた。

桜は太のほうを向いて、にこっと微笑んだ。目元が微かにくぼんでいた。

馴染の太でなかったとしても、調が悪いのを無理していることくらいはわかるほどだ。

「平気、平気！　死にはしないよ。ちょっとトイレに行ってくるだけだから。お化粧なおしするんだよー」

「なんだよそれ」

「私、めっちゃ子力高いからねー。ははっ」

と、桜は自らの頬をペチペチと音を出して叩いて見せたが、どう見ても太に悟られないように無理をしていた。

教室のドアを開けた桜に、

「無理すんな」

と、太は聲をかけたが、

「わかってる」

と、桜から返されるだけだった。

太は売店から買ってきたパンをかじりながら、霧島とともに窓の外を眺めていた。

食などはない。

教室中の生徒たちも弁當を広げたりはしているが、薄汚いどんよりとした空気がこの空間を支配しているようだった。

霧島が缶コーヒーに手をかけた。

「胡桃沢さんも調わるそうだが、キミのほうも大丈夫かい？　神谷君」

「俺のほうって？　俺は平気だ」

太は霧島には目をやらずに校庭の青々と茂る木を見つめて答えた。

霧島は夏季休暇のとき、太が乙黒探偵事務所で倒れたことを心配しているらしかった。

「ところで霧島。親父さんから何かあったか」

「僕の父親もそれなりの立場だし、暇じゃない。私の調査となれば、それなりの時間はかかってしまうよ」

霧島は缶コーヒーを窓際に置いた。

風が吹くと缶が倒れてしまいそうなことが気がかりだった。

「一番は乙黒さんが元気になってくれればいいんだけど」

霧島はぼやいた。

「乙黒さん。まだなのか？」

「ずっと寢たきりさ。目覚めている時間もあるけど、一日のうちほとんどは寢ているらしい。……キミとの一件以來ね」

霧島はいつも通り口を釣り上げたが、目は笑っていなかった。

「神谷君。本當に何の覚えもないのかい？」

「……」

太は自分のに掛かったことを思い出そうとしてみた。

しかし、わからない。

あのとき、どうして乙黒を襲ったのか。自分で、自分がわからなかった。

そして、何故乙黒は現在も原因不明の調不良に悩まされているのかも、太にはわからなかった。

「神谷君。やっぱりキミは、もしかして……『審判』に――」

霧島がそう言い掛けたときだった。

「神谷君。霧島君」

靜間が教科書を抱えやって來た。

「靜間先生」

「駄目です。當時、先生とともに働いていた影先生ですが、今はどこの學校にいるのかも摑めませんでした。もしかしたら學校を職場にしていない可能もあるのではないでしょうか？」

靜間はかぶりを振り言った。

「そうですか」

と呟いた霧島に太は目をやった。

「なんだ霧島。お前、靜間先生にも調査を依頼してたのか」

霧島は殘念そうにしながら答えた。

「まあね。手が多い方が、多くの資料を開けるだろう？」

「どうして俺には相談しなかったんだ？」

太は霧島を睨みながら言った。霧島はそんな太を睨み返す。

「別に。今までだって、全てキミに相談していていたわけじゃないだろう」

嫌な沈黙が流れた。嫌味な笑みを浮かべ、霧島は続けた。

「深い意味はないよ」

太はその言葉をけ、視線を逸らした。

「深い意味はない」ということは、「ある種の気がかりならある」と言っているのと一緒ではないのか？

「先生は今まで、キミたちに何もしてやれませんでした。だから、しでも、それが雑用だったとしても、役に立ちそうなのであれば、聲をかけてください！」

靜間は親指を立てて、太と霧島を互に見つめた。

そのポーズが古かったので、太は思わず笑ってしまった。

そのときだった。

ザー　ザー　ザー

教室、黒板の上にあるスピーカーから砂嵐のようなノイズが鳴り響いた。

教室中の生徒たちが、そのスピーカーに目を張った。

「いやぁ！」と誰かの聲が響いた。

悸が激しくなる生徒もいる。

閉じたを震わせ、直している生徒も。

ただただ涙を浮かべている生徒も。

だが、不思議なことに太は恐怖をじなかった。

「終わらせる」ただただ怒りを抱いた瞳をノイズ鳴らすスピーカーへと向けた。

紙パックジュースを握り潰し、平森隆寛は笑った。

影零は靜かに目を閉じて、瞑想しているかのように呼吸を整えた。

そして教室中を冷徹な空気な覆っていく覚を味わった。

「これが……？」

靜間が眉間に皺を寄せ、呟いた。太も霧島も頷く。

「だが、おかしいな。今までの傾向では罪人の決定はスピーカーじゃ行わない」

霧島は言った。

「放送室に行けば！」

靜間はあっとしたように聲を上げた。

スピーカーから鳴っているのならば、放送室に何かあるのでは、と。

太は何故かそんな基本的なことを今まで思いもしなかった。

「無駄だと思う」

霧島が意見を払うかのように言った。

「そんなんで解決するなら、僕たちのしてきたことはなんだったんだ」

靜間の指示で、靜間とＢ軍二人の生徒が教室を出て行った。

放送室は３年１組教室の同階にある。急いで行けば數十秒もかからない。

ザー、というスピーカーのノイズが徐々に大きくなってきている気がした。

靜間と生徒たちが帰ってきて、首を橫に振った。

やはり、放送室には何もなかった。

この『審判』という現象は、そんな現実的な問題では解決しない。

太も理屈でどうこうする前に、で察していたのだ。

ザアアアアアアアアアアアアア

砂嵐が大きく響いた。

『３年１組のくだらない命を抱える皆さん、ごきげんよう』

気の悪い機械音が響き渡った。