《山育ちの冒険者 この都會(まち)が快適なので旅には出ません》2.旅立ち その2
ステルに與えられた三日という時間は短かった。
暮らし方を変えようというのだから、準備はいくらでもある。
とりあえず、彼は必要だと思ったものを順番に集めることにした。
自室で荷造りを行いながら、大きめの背負い袋に順番に荷を詰めていく。
「えっと、著替えと日用品。水と食料はちょっとでいいかな? 狩りに行くわけじゃないんだし」
服と保存食の他、ロープに小刀といった狩りのための道も詰めていく。
冒険者として魔退治をするなら、狩りの道も役立つだろう。
「あとはこれとこれ……」
手の中に収まる大きさの小さな箱と小さめの筒も詰める。
火付けと燈りの魔導である。狩人の必需品だ。どこかで水を作る魔導も調達すべきかもしれない。
他に必要なものは? そう思った時、ドアがノックされた。
「ステル。準備は進んでいますか?」
返事を待たずに穏やかな笑みを浮かべたターラがってきた。
手には何やら紫の包みを持っている。
「山に籠もるのと勝手が違うので、何が必要なのか迷っています……」
素直にそう返すと、母は微笑みを浮かべながらステルの前に座って言った。
「街道を行くのですから、水と食料はなめで良いでしょう。アコーラ市にまでにいくつか街を通ります。路銀を多めに持って、必要なものは道中で揃えれば良いのですから」
なるほど。狩りの時より軽でも良さそうだ。
「わかりました。じゃあ、お金を多めに……」
「そのことで來たのですよ。これは母からの贈りです」
そう言ってターラは荷の包みを開けた。
中から出てきたのは服だった。
黒い上下の服。何かのの皮でできているようだが、ステルには正がわからなかった。
「母さん、これは?」
「冒険者という命がけの職業に息子を就かせるのです。母もそれなりの準備をしてきました」
言いながらターラは上著を手にした。
黒く染められた上著は肩と肘、それとの部分に金屬の板のようなものがい付けられていた。
主張すぎない程度に銀の糸でわれており、品良くまとめあげられている。
ステルのような田舎者にも、それが上等な品であることが一目でわかった。
「この服の素材はわかりますか?」
「いえ、何らかの皮ということくらいしか」
「竜の皮で出來ています。金屬板に見えるのは鱗です」
「はぁっ!? 竜? 竜ってあの竜ですか?」
竜。母の口から出た唐突な単語に、ステルは頓狂な聲を上げた。
「勿論です。母がこんな冗談を言うと思いますか? 古い知り合いに頼んで作って貰ったのですよ」
「母さんが凄いのは知ってましたけど。まさか竜とは……」
笑みを浮かべながら自慢げに言うターラを見ながら、ステルの呆気にとられるばかりだ。
母はこんな冗談を言うような人では無い。
竜はとんでもなく強いと聞く。
地上最強と呼ばれる魔であり。種類も多く、竜ならば一匹で街の一つ滅ぼすくらい簡単だと伝わっている。
ステルも子供の頃におとぎ話をいくつも聞かされて震え上がったものだった。
ふと、ステルの脳裏によみがえる記憶があった。
竜に怯える息子を見る度に、母はこう言ったのだ。
『大丈夫。竜などただの大きなトカゲです。母が退治してあげますよ』
い頃はその言葉を聞くだけで安心して眠れた。
長した今、冷靜に考えると母のその言葉が誇張ではなかったのだとし納得できるところもある。
母ターラの強さはでたらめなのだ。自分も相當腕をあげたが、未だに一本とれていない。
それに加えて、謎の人脈もある。
アコーラ市に知人がいることや、竜の皮を加工できる職人のことも知らなかった。
この母なら竜を狩っていても不思議では無い。
息子はそう結論した。深く考えても無駄になりそうなので。
「基本素材は竜の皮。要所を竜の鱗を加工した板で補強しています。著心地に配慮して上著の部には溫度調整の魔導も仕込んでみました。し重いですが、お前なら使いこなせるでしょう」
「い、いいんですか? こんな凄いもの」
竜を素材に使った服など、まるでおとぎ話に出てくる伝説の裝備だ。
自分はそんなものをけ取る立派な人だったろうか?
「凄いからいいのです。母はこれが息子の命を守ると思って用意したのですから。それと、この手袋と靴を使いなさい」
そう言って、黒い手袋と靴を渡された。一目でわかった、同じ素材だ。
手袋は手の甲の部分などがしっかりと鱗で補強されていた。靴も同様だ
「手袋は竜の皮の中で一番薄い皮を使っています。お前ならばその拳で魔法を砕くことすらできるでしょう。靴の方も、つま先と踵に竜鱗が……」
「い、至れり盡くせりですね……」
「當然です。長を思っての決斷とはいえ、可い一人息子のためなのですからっ」
突然の強い口調に驚いたステルだが、同時にあることに気づいた。
母の目が赤みがかっていたのだ。
ターラとステル。二人はの繋がりのない親子だ。
しかし、ステルは自分がされていないとは微塵もじていない。
母は自分をしてくれたし、の繋がりはなくても立派な家族だ。
その點だけはステルはいつでも、誰にでも斷言できる。
本當に、この旅立ちは僕のことを考えてくれてのものなんだ。
それがわかって、ステルのにこみ上げてくるものがあった。しだけ涙が流れた。
「母さん。ありがとうございます……」
「いけませんよ。どうせなら旅立ちの日に泣いてくれないと……」
ステルにつられたのか涙目になりながらターラが言った。
二人はし時間をかけて心を落ちつかせると、話を再開した。
「まだ渡すものもあります。路銀とアーティカへの手紙です。それとこの紙には彼の住所が記されています。アコーラ市は広い街ですが、住所を役人に話せば案してくれますよ」
「はい。ありがとうございます。やっぱり金貨じゃないんですね」
ステルに手渡されたのは大量の紙幣だった。三十萬ルン。この地方なら一年は暮らせる大金だ。
「この辺りのような田舎でも紙幣が珍しく無くなっていますからね」
魔導の発展と同じくして、都會の方で紙幣が一気に普及した。
今では田舎でも珍しくなく、ステルにとっても近な存在だ。
「あの、多すぎませんか?」
「母からの最後のお小遣いです。大切に使いなさい」
「はい」
金は使い道さえ間違えなければ非常に便利だ。
ステルもそのことは把握しているので、素直に荷の複數箇所にわけて保管することにした。
「今日から旅立ちの日まで毎日ごちそうにしましょう」
「はい。楽しみです……」
それから二日間。親子は穏やかに過ごした。
○○○
そして、旅立ちの朝が來た。
その日の朝は晴れやかで、スッキリとした目覚めを促すような程よい寒さの朝だった。
し前までを切るような寒さと雪に閉ざされていた山中にも春が近づいている証拠だ。
まるで旅立ちを祝福するかのような日だ。
荷を擔いで玄関を出たステルは、日差しを浴びながらそう思った。
「じゃあ、母さん。行ってくるよ」
振り向いて、見送りに出てきてくれた母に短い言葉をかける。
この三日間、別れの挨拶について、ステルは大いに悩んだ。
そして最終的に、當たり前のちょっと買い出しに出るくらいの挨拶をステルは選んだ。
勿論、もっと他の言い方、例えば「寄りの無い自分を今日まで育ててくれてありがとうございました」というような言葉も考えた。
考えた上で、この気軽な言い方を選んだのだ。
気軽に旅立てば、気軽に帰れる気がしたから。
ステルのそんな思いを察してか、ターラは楽しそうに微笑むのみだ。
「ステル。気をつけてね。あと、母が贈った服ですけど、売れば一財産になります。できればそれは最後の手段にしてくれると嬉しいです」
「う、売るなんてそんなことしませんよ! 僕がそんなこと出來ると思います?」
旅立ちにあたってとんでもないことを口走った母に、思わずステルが抗議した。
贈りの服は、しっかりと著込んでいる。今日この時に著ない理由は無い。
「軽い冗談です。私の息子がそんなことをするとは思ってはいません。でも、どうしようもない時は私に連絡するのですよ。母はお前の味方です」
「はい。ありがとうございます。母さん。……行ってきます」
「……行ってらっしゃい。私のステル」
母の聲に笑顔で返すと、振り返ってステルは歩き出した。
山道を一人。これまでの生業の狩りのためではなく、新たな日々のための歩みだ。
母の視線をずっと背中にじたが、振り返りたい思いをどうにか耐えて、年は冒険の旅へと踏み出す。
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