《僕と狼姉様の十五夜幻想語 ー溫泉旅館から始まるし破廉恥な非日常ー》第9節—銀狼神様の祠と、僕のパンツ—
桜の話を聞いたからかな。行きしなには、あんまり視界にらなかった桜の木にまで、意識が傾いてしまう。
そこら中で咲いている桜……もう満開のものまで見えるのに、あの丘の桜はまだ花の一つもつけていない……。あの木はとても古いものに見えたから、弱ってるって見方もできるけど。
何かあるような気がするんだよなあ。銀にし、話を聞いてみてもいいだろうけど、なにか知ってるだろうか。
でもその前に、僕は行こうとしていたところがあったんだ。目的は狼。そう、昨日、山から聞こえた遠吠え。そして、汰鞠と呼ばれていた狼は昨夜、旅館の裏手にある山から何処かに行った。
あの山の方角には、確かに祠があるんだ。山道を上がっていくと小さくて古い祠が。
まさかそこに、銀が祀られているだなんて思いはしなかったけれど。
春の気にわれて……なんてメルヘンちっくな理由じゃない。僕はただ知りたくてその祠がある山に行こうとしてる。
狼……本來は日本からはいなくなった、絶滅したはずの種なはず。それが家の近くにいるなんて。ある程度知はありそうな様子だったし、銀のいた祠も見ておきたかった。だから、散歩がてら行ってみようと思ってたんだ。
うちの旅館は山に沿うように建てられてるから、裏手は民家などがない。その先は、大きかったり小さかったりする山が広がってる。
その祠があるのは、旅館近くにある山道のり口からって、登ったところ。そこには赤い小さな鳥居が立っていて、そこからは舗裝も何もされていない、踏み固められただけの土の道。
まだり口付近は日差しもよく差してる。どこからか聞こえて來る、川のせせらぎの音を橫に聞きながら、涼やかな空気が降りてくる山道を悠々と歩けるんだけど……。
「あ、久々だなあ首無し三地蔵。ずっとそのままなんだね」
途中、山道の斜度がきつくなる手前に、不意に何かが現れた。それは、綺麗に橫並びになった三の、首のないお地蔵様。
このお地蔵様が怖くて、父さんに連れてこられた時はよく泣いてたっけな……。
もはやただの石の塊みたいだ、このお地蔵さんは……。
何かを供えられることもなく、そして何かを聞き見て話すこともない。
なのにそこに存在し続ける。
それには意味があるんだって、父さんから聞いたことがあるような。
【彼らはね、この山にる人たちが神隠しに遭わないようにここにいるんだよ】
そう、そんなことを言っていたような気がする。彼らの頭は登山者の頭を模すために無いんだ。でも首のないお地蔵さんは三人しかいないから、この山にっていいのは一度に3人までなんだよ。
なんて……子供ながらに、恐怖心を煽られるようなことを言われていたような気がする。
僕はそのお地蔵さんを橫目に、突然急になった山道を登っていく。祠までそう遠くはないはずだし、日差しも悪くない。
「……」
でも、そんな昔話を思い返してしまった手前、怖くないと言えば噓になるんだけどね。
神隠しとか何よりあのお地蔵さんが怖いよ!
時折足をかけようとしてくる、地面から飛び出した太い木の。風に揺れこすれ合う木の葉の囁き……。さっきまですぐ隣に聞いていた川のせせらぎはもう隨分下に聞こえる。
結構登ってきたけど、祠まではもうしあるみたいだ。
ここまでくると、何か小さなやら蛇やらと遭遇しそうだ。昔、一度ウリ坊と遭遇して、親に見つかる前に急いで下山したこともあったなあ。
「っ?」
がさり、がさり。すぐ前の茂みが斷続的に揺れて葉を落としてる。うわあ……またウリ坊かな……ここまで來て引き返すのはやだぞ……。
じりじりと揺れる茂みを避けていこうと前進していると、通り過ぎる間も無くその茂みから何か出てきた!
引き返したくないと頭では思いながらも、足は完全に下山の方向に向いてしまっている僕は、隨分と小心者らしい……。
「わふ」
「いっ……子犬? じゃない……」
よちよちと茂みから出てきたのは、昨日見た汰鞠という狼と瓜二つのい狼だった。茂みを通ったためにについた葉っぱを、ふるふるとを揺することで飛ばしてから、息を飲み、けないでいる僕にそろそろと近づいてきた。すると、すんすんと匂いを嗅ぐ仕草をしたかと思うと、僕の周りを一周、二週と回ってからまたひと鳴き。
「わふ」
「かっ、かわいいな」
いやいや、そんなことを呑気に考えてる場合じゃないんだ。狼は基本群れで行するだから、この近くに親が居るかもしれない。子狼に危害を加えていると判斷されれば襲われる……?
なんて考えていると、大きく茂みが揺れた。この小さな狼が出てきた茂みだ。
今度は、探り探り通ってきている様子じゃなく、まっすぐ早く向かってきているような激しい揺れだ。
「そ、そこでじっとしててね」
「くぅくぅくぅ」
ええい、なるようにしかならない。腹を括ったその時に茂みから勢いよく飛び出してきたのは……、先に出てきた子狼より一回り大きな狼だった。
「わうっ」
ひと鳴きしたその狼は、びびりまくる僕に気づいた様子だった。けれど、そんな僕を無視して、子狼の方に歩み寄り、鼻先で子狼の顔を小突いてしまった。
小突かれた子狼ちゃんはというと、よろよろとゆっくり勢を崩してぽてりと転げてしまった。
なんだろう……なんていうか、大きな狼が子狼ちゃんを叱っているようなじがする。
「くぅぅぅ……」
「わうっ」
威圧しているような狼の吠えと、子狼ちゃんが隨分落ち込んでいる様子を見ると、やっぱり叱ってるんだろうな。
何言ってるのかわからないけど。銀ならわかるんだろうな……。
だろうなだろうなと、僕はどれだけ目の前の狀況を頭で補正するんだ。なんて、浮ついた心の中で考えていると、大きい方の狼がこっちを向いて恭うやうやしく頭を下げてお辭儀してくれた。
野生のが警戒すべき、人間に向かって頭を下げてくれるというのは、常識から考えてあり得ないことだ。
「あ、その模様……」
大きな狼、その灰のを持つに、白く抜かれたようなまんまる模様が一つ。
そういえば、昨日見た、汰鞠と呼ばれていた狼のにも同じ模様があったような気がする……。
地面に転げたままジタバタしているい狼のには、三日月型の白い模様があるし……。
「汰鞠……かな? 昨日溫泉で會った」
「わう」
「それは肯定の意味なのか否定の意味なのか……」
うーむ、わからないな。でも人の言葉を理解しているみたいだし、意思疎通はできそうなんだよ。
そこで僕は、その子に向かって提案してみた。合ってたら一度吠えて、合ってなかったら二度吠えてみてと。
決して蕓を仕込んでいるわけじゃなくて、真面目な顔して提案してるんだから間抜けな絵面になってしまっているだろうけれど。
「わう」
おお、意味が通じたみたい。やったね! 一回吠えてくれたということは、汰鞠で間違いないということだ。
そしてこの小さな狼は……たしか、銀が【子鞠にもよろしくの】って言ってたから……。
「じゃあこの子は子鞠こまりなのかな?」
「わう」
「汰鞠は子鞠の親なのかな?」
「わう、わうっ」
二回吠えてくれたということは違うんだな……。地面に転がってお腹を見せている子鞠の別は、の子だということはわかる。汰鞠は昨日溫泉で飛びかかってきたときに、の子だということはわかってるから……。
「じゃあお姉さんだ!」
「わう」
「そっか、名前も似てるしの模様も繋がりがあるじだし、やっぱり姉妹だったかぁ」
くるんと寢返りを打って起き上がった子鞠が、汰鞠のに寄り添って、頬をり付けるようにしてる。
なにか、ごめんなさいしてるのかな……。でもなんで、こんな人の通る可能のある山道に出てきたんだろう。隠れて住んでいるわけじゃないのかな。
と、汰鞠が一度子鞠のそばを離れて自分が出てきた茂みの方に近寄った。その先には、茂みに引っかかったなんか見覚えのある灰のものが。
下著なんだけどあれ……。グレーの無地のボクサーパンツじゃないか……。
汰鞠は茂みに引っかかっていたそのグレーのボクサーパンツを口でくわえて、とことこと僕のところまで持ってきてくれた。
「えっと……」
タグに僕の名前が書いてある。
「これ僕のじゃん!!」
「ッ……」
「キャンッ」
突然大聲を出した僕に驚いて、汰鞠はびくりとを跳ねさせて、子鞠は驚きの聲を上げながらひっくり返ってしまった。
「わあ、いきなり大聲出してごめんね! ちょっと驚いただけなんだっ」
ひっくり返った子鞠を、慌てて抱き上げて立たせてあげた。小さいだけあって軽いな。嫌がる様子もなかったから、宙ぶらりんになりながらも全くバタバタしなかった。
この子は人懐っこいのかな? と、いうのはいいんだ。とにかく何故、僕のパンツを汰鞠が持ってきたのか……。
け取ったパンツをポケットにしまい込みながら、帰ったら銀を問いただそうと心に決めた。
この下著は僕の部屋、しかもタンスの中にしまってあったはず。僕の部屋で銀が寢ているから、多分これを渡したのは銀だ。
「……」
おを向けた汰鞠は、じっとこっちを見ている子鞠のおを鼻先で小突いて付いて來させてる。しばらく僕から離れて山道を上がったかと思うと、顔だけこちらへ向けて僕を見つめて、ひと鳴き。
「付いてこいって言ってるのかな……」
僕の行きたいところがわかっているのか、案してくれるような素振りだ。
僕がこの子たちの後ろをついていくと、汰鞠と子鞠は再び歩み始める。
こうして僕の散歩は一人じゃなくなった。山道を登るにつれて心細くなっていたからとても頼もしくじるな。
この子たちにしたらこの辺の山なんて庭みたいなものだろうし……。
「僕がどこに行こうとしてるか分かったの?」
「わう」
「そっか、案してくれるの?」
「わう」
「えへへ、話し相手ができた」
なんだかと話しているのは、むずいじもしないではないけど。やっぱり一人より二人、三人だなあ、お付きは狼だけど。
しばらくこの山で暮らしてるの? とか、狼はまだたくさんいるの? とか、はいかいいえで答えられるような質問をしていた。だけど、そろそろ疲れてきたというところで、僕は黙ってついていくことしかできなくなったけど。
途中、小さな滝があってそこでひと休憩いれることに。子鞠と汰鞠はピチャピチャと水を飲んで、僕は滝から落ちる水を手でけ止めてし飲む。
手を刺すような冷たさが、疲労して熱を持ったに心地いい。
口から流し込むせせらぎの味はとてもまろやかで、つるりとを通り潤してくれる。
「ぷはあ、おいしいなあこの山の水」
湧き水をそのまま飲んでいるに等しいこの水は、昔一度飲んだことがある。父さんがコップにれてくれて飲んだことを思い出して、し懐かしい気分に。今はもういない父さんのことを思い出してし気が沈む。けど、空気も味しいし、麓よりも気溫が低いのかとても涼しい。この雄大な自然が、沈んだ心を勵ましてくれるよう。
休憩もすぐに終わって、しばらくまた山道を登ると鳥居が見えてきた。そこからは、ごつごつとした石がみっしりと敷き詰められた道と石段が続く。息を切らせながら登ると、その先に小さく、褪せた木のを見せる、古い祠がポツンと建っているのが見えてきた。
「わう」
到著のひと鳴きを聞いて、僕はその古い、銀が祀られている古い祠に近づいていった。
「これが祠かあ。あんまり意識してみたことなかったから気づかなかったけど、ところどころ壊れたりしてるし、かなり古いんだね」
祠の屋や壁は、雨や風にさらされて劣化しているみたい。は黒ずんだり褪せたりしてるし、木の板はささくれ立っていて、扉の取っ手も外れかけてる。
うーん、銀が祀られていた祠というにはし……。なんていうか、殘念なじがするんだよね。
日曜大工とか得意だったなら、僕が直してもいいんだけどな。おじいちゃんはそういうの得意だから、綺麗に直してくれるだろうけど、僕には無理だなあ。
とりあえず、中見てみようかな。せっかく汰鞠や子鞠が案してくれたんだから。
がたつく祠の扉を開こうと、取っ手に手をかけて引っ張ってみる。すると、隨分軋みながら、なにか埃のようなものがパラパラと。
う……これ壊れたりしないよね。
「ん、開いた」
途中、片目を閉じて恐る恐るになっていたけど、なんとか開くことができた。
中は流石に外ほど劣化が進んでいることはないな。しカビの匂いが気になるくらい。
そして、もうひとつ気になったのは、臺座の上にある一點の曇りもない丸い鏡。これだけ祠が古いのに、この鏡だけはまるで、今日作られてこの臺座に収まったかのような様子だ。
「うわ、すごいなこの鏡。曇りも傷も一切ないや」
ピッカピカのその鏡を覗いてみる。當たり前のことだけど、し凸狀になっているその鏡は僕の顔を広げて映してくれた。
でもこれだけかあ。目的だった狼に會うことと、祠を見ることは達したし、そろそろ家に戻ろうかな……。
なんて考えながら、祠から顔を出して、後ろで待機してた汰鞠と子鞠に、ここまで案してくれてありがとうと言おうと振り返ると……。
「あ……れ?」
振り返ると、僕が今まで見ていた景は一変していた。さっきまであせた朱の小さな鳥居があった場所には何もなく、待機していた子鞠も汰鞠もいない。
辺りには、白い霧が立ち込めている。し息がし辛い。石畳だったはずの地面は、細かく白い砂利に変わってる。地面の砂利には、なんだか波だった模様が走ってて、川みたい。
そう、これは枯山水というやつだ。水がないところで水面みなもを表現しようとする日本庭園獨特の表現方法。旅館の中庭にももちろん存在する。
でもその枯山水が普通じゃないと気づいたのは、景の変わりように驚いて、一歩引いた時。
その枯山水の波が、かした僕の足から発生してる。まるで僕が、この枯山水の水面に立っているかのように。
なんだか異様に高いところにいるような覚に襲われる。登ってきたはずの山の標高は高くない、それこそ普段著で登ってこれるようなところなんだ。でも、ここはまるで大きな山……富士の山頂のような清々しさと、空気の薄さをじる。
白い雲のような霧の中には、ぼんやりと青くる蛍のようなが浮かんでいて……。その、幻想的な風景にを覚える前にまず、不安と心細さが僕を満たしていく。
「汰鞠、子鞠ー!? どこいったのっ?」
「兄様あにさま、こちらでございます」
「うわあ!!」
背後から思ったより早く返事があった! しかも人の聲……。とてもしっとりと澄んだ、丁寧なの人の聲。
兄様なんて呼ばれたこともないし、妹なんていた覚えもないし。でも、いきなりの環境の変化で崩れかけていた僕の心は、平穏を取り戻し。振り返るとそこには……。
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