《代わり婚約者は生真面目社長に甘くされる》26 代わりとしての役割を
『クマのぬいぐるみじゃない?』
と、電話の向こうでつばきは言った。
「何の話?」
真夜中に突然通話アプリで電話かけてきて何事かと思ったら、クマ。
挨拶もすっ飛ばして、クマ。
時刻を見れば夜の四時だった。絶妙に嫌な時間すぎる。電話を取らなければよかった。だけど取らなかったら取らなかったで文句が嵐のようにくる。本當に暴風雨のような子だ。
「というか、どこにいるの?」
『ニュージーランドだけど』
「ははあ、羊の國だねえ……」
寢起きで定まらない思考のまま、羊を思い描く。
時差は三時間。あちらは七時ぐらいだろう。つばきはどこにいても早起きが出來るので羨ましい。
……っていうか、ニュージーランドにいるんだ……。
『あやめが言ったんでしょ。私の寶ってなんだっけって』
「ああ、そういえばそんなこと送った気がする……」
『なに眠そうな聲出してるの。わたしとの電話なんだからちゃんとしなさい』
「寢てたんだよね……」
怒る気力さえない。
自室とはいえ、聲で悠馬さんを起こしてしまうかもしれない。早めに通話を切り上げてもう一回寢直したい……とふわふわと考えたところで、はっと目が覚めた。
つばき!? ニュージーランド!?
「なに呑気にニュージーランド行っているの!? あなた、縁談すっぽかしたんでしょ!?」
『あーうるさいうるさい。実家から毎日すっごい量のメッセージ屆いててうんざりしてるのよ』
「當たり前!」
あなた縁談すっぽかしてるんだからね!?
『だからしばらく日本からの通知全部切っていて、今日あやめに寫真送ってあげようと思って開いたらそんな質問があったから答えたわけよ』
「チャットで良くない? わざわざ音聲で伝えてくる意味ある?」
『記録に殘らないでしょ』
つばきは冷靜な聲音で言い放った。
『わたしと連絡を取り合ったと知ったらうちの実家、どんな容だったか詮索してくるに決まってるもの。チャットは記録に殘るけれど音聲は殘らない。自由に話すなら斷然こっちの方よ』
「つばき……」
確かに本家の束縛は強い。つばきが過去何度も家出をしていたのも頷ける。
とはいえ、まさか海外まで行っていたとは……。
『それで、面白いメールがあったからそれについても聞きたくて』
「面白いメール?」
『あやめ、わたしの代わりになっているんだって? わたしが戻るまでの時間稼ぎでどっかの社長と婚約したみたいだけど』
可笑しそうに言う彼に、怒りが湧かなかったといえばうそになる。
つばきが逃げるから私が自分を偽って生活しなくてはいけなくなったのだ。それをからかうように言われては頭にもくる。
「……そうだけど」
『大変ね。わたしのフリをして生活するのはどんな気持ちなの?』
「ずいぶん他人事じゃない、つばき」
『だって他人事だもの。わたしが戻らなかったらあやめはどうなっちゃうのかしら。そのまま結婚しちゃう? 『つばき』として』
無邪気に恐ろしいことを言う。さすがに法律がそんな邪道なことを許さないにしても。
「……悠馬さんは、私の婚約者ではなくてあくまでもつばきの婚約者だよ。あなたが戻らない限り、解消されるんじゃないかな。彼には申し訳ないけど……」
『へえ、悠馬さん。悠馬さんって呼んでいるんだ』
変なところに食いついてきた。
『堅って聞いていて、それが嫌だから見合いもしなかったけど――あやめが男を名前呼びするなんてかえで以外にいなかったから驚きだわ。どんな人なの?』
「どんなって……。優しくていい人だよ。料理も上手だし、いろんなことに気づいてくれるし……真面目な人」
暗がりで、機に視線を向ける。
悠馬さんから貰ったネックレスが置かれている。あれからもったいなくてつけれないけど、でも一日に一度は必ず見てしまっている。
『ふうん。あやめがそこまで高評価するなんてね。ちょっと興味湧いた』
含みのある言葉に、背筋が冷たくなる。とっさに「取られる」と思ってしまった。
なにを馬鹿なことを。元に戻るだけだろう。悠馬さんは、つばきの婚約者なんだから。
いくら悠馬さんが『私』をしてくれていても……本家は必ずつばきとくっつけようとする。
「……日本に帰ってくるの?」
『まだ帰らないけど。今日はね、彼氏が海に連れて行ってくれるんだって』
「そう……」
『そろそろ朝食の時間だから切るね。じゃ、わたしの代わり頑張って』
神経を逆なでするだけして一方的に通話を切られた。
私は怒りのはけ口が見つからないまま寢転ぶ。
あのわがまま高飛車お嬢様が……! 元気にエンジョイしているのがなお一層むかついてしまう。
「なにが『わたしの代わり頑張って』よ……」
あやめとして悠馬さんの隣に居られない私への嫌味でしかない。
それに、つばきが悠馬さんへ興味が出たのが気にかかる。本來ならそれでいいのだろうけど、悠馬さんからの気持ちを聞いてしまった今、心は穏やかではない。
「純粋に、好きでいられたらいいのに……」
何も遮られることなく、自由に悠馬さんをすることが出來たら何て素敵だろう。
そのために戦うと決めたけど、まずはどこから切り崩せばいいものか。まずは悠馬さんにすべてを話すところから? でも、すべて話して悠馬さんを呆れさせてしまったら……。
結局そこから一睡もできないまま、朝を迎えた。
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