《代わり婚約者は生真面目社長に甘くされる》44
つばきの來襲から五日目。
不気味なほどに本家からは連絡がこない。――というのも、つばきが未だに実家に戻っていないらしい。そのまま戻ってこなくていいのではないだろうか。
まあ、正一郎おじさんに叱られるのは後回しにしたい気持ち、分かるけど。
そわついた気分の中で、一ついいニュースが屆いた。悠馬さんからのショートメールで、思ったより用事が早く終わったので一日繰り上げて帰るとのことだ。つまり明日には飛行機に乗る。
帰國して早々暗い話を聞かせたくはないが、當事者として諦めてもらうしかない。
つばきの帰宅か、悠馬さんの帰國か。どちらが早いのだろうか。
あまり眠れていないけれど、葉月カウンセリングによりいくらかは気分も落ち著いた日々を送れている。
「……と、思っていたのは數秒前までか……」
夕方、かえで君からメッセージがっていた。
つばきが帰ってきたらしい。すさまじく説教が聞こえるから近くのコンビニまで避難しているとのことだ。
そのレベルの説教を食らってもあの子はケロリとしているので、外出止令を出したほうがダメージ大きいのでは……。ああ、外出止令出されるからあちこちに遊びに行っていたのか。妙に賢いというか……賢いならまず國外逃亡しない。
「もしもし? かえで君?」
『おれ』
「今夜中に収まりそう?」
『……無理じゃねえかな』
まあ二ヶ月弱の家出がたかが數時間の説教でちゃらになるとは思えないからね…。その上縁談まですっ飛ばして。
あの子、余計な事で私の名前を出さないでくれるだろうか。
『あやめ姉さんにも飛び火するかもしれない』
「それは昔からだから慣れたものだけれど。悪いけど、私をそちらに呼ぶみたいな話を聞いたら連絡して」
『可能な限りそうする』
「お願い」
『……あやめ姉さんはさ』
不意に、彼は聲を低くした。
『香月さんのこと、どう思ってるんだ?』
「え、なに急に」
『つばき姉さんが帰ってきた今、婚約者としての役目は終わりだ。そのうえで聞くけど、あやめ姉さんは……香月さんに未練を持っているのか?』
答えはただ一つ。
「うん」
『……』
「私、悠馬さんのこと好きだから」
かえで君は向こう側でずいぶん長いこと黙っていた。
そして、長い長いため息とともに「分かった」と呟く。
『敵わねえなあ……』
「なにが?」
『こっちの話。おれもそろそろ家に戻るよ』
「うん。気を付けて帰ってね」
スマホを置いてぼんやりと窓の外を眺める。
雲が覆っているのか空は真っ黒で月も見えない。
つばきへの説教が終わったら、正一郎おじさんは本格的につばきと悠馬さんを本來の婚約者として結び付けるだろう。籍させ、親戚に知らせる。そうして結婚式を挙げて――政略結婚は功する。
「そのためには、私が邪魔……」
私と悠馬さんを切る方法なんていくらでもある。
正一郎おじさんは『実家への融資』という強力なカードを持っているので、それは必ず使ってくるはずだ。何とかして無効化できないだろうか?
――一介の事務員には難しいか。
……実家を巻き込みたくはなかったけれど、そして心配をかけさせたくなかったけれど、手段を選んではいられない。悠馬さんとの生活を守りたいのなら、けのままではだめだ。
実家への電話番號を直接力する。
「もしもし、私。あやめ」
『あらあんた、こんな時間にどうしたの?』
出たのは副社長たる母親だった。
「お母さん、お父さんは?」
『今お風呂ってるけど……』
「お母さんにも関係があるから話すね。えっと、正一郎おじさんから何か――融資の話はされている?」
『……どうしてあやめがそのことを?』
どうやら、約束は守るつもりのようだ。
それとも話を進めておいて、私が反抗したら「ここで中斷させるつもりか」と脅しをかけるつもりか。
「今、その話はどうなっている?」
『どうしてあやめが気にするの?』
「いいから」
今まで娘としては會社の話をしてこなかったから疑問はあるだろう。
社長令嬢という肩書が嫌でここまで逃げて來てしまった。
『ニか月間様子を見るって。そこから融資額を考えるとか言っていたけれど』
「それはいつの話?」
『ええとね……』
その日付は、ちょうど正一郎おじさんに呼び出された日だった。
……そこに至るまでの一か月間はいていなかったことになる。これは――相當下に見られているようだ。私が悠馬さんと仲良くしているのを知り、慌てて切り札を用意した可能だってある。
あの一件さえなければ融資の話だって未だ出ていないはず。
なによりもあれは口約束で――そうだ。契約も何もしていないのだから、正一郎おじさんが「そんなことは言っていない」と開き直れば終わりだ。本家當主と分家の娘、どちらの文言が強いかは明白だから。
『……何か突然すぎるって話をお父さんとしていたのよね。あやめにもなにか関係があるの?』
そこまで言って、母親は察したようで息をのむ音がノイズじりに聞こえた。
『もしかして、つばきちゃんの代わりにお見合いしたのって――』
「……」
『なんてこと――。正一郎さんに何か言われて縁談をけたってお父さんから聞いていたし、あなたも濁すばっかりでまったく事が摑めなかったけれど、そういうことだったなんて』
「だって、あんまり心配かけさせたくなくて」
『いきすぎたは逆に迷になるのよ、あやめ。一人で解決できるならいくらでもを背負っていいけれど、これはそんなものではないの』
この二か月間のことを思うと非常に耳に痛い。
悠馬さんや同僚たちや両親に最初から明かしていたら、どうなっていただろうか?
だけどもう時間を巻き戻せはいない。選んできた選択肢の結果を進んでいくしかない。
『それを聞いてきたってことはとっても嫌な予がするわ。もしかしてつばきちゃんが戻ってきたの?』
「うん」
つばき、一種の天災扱いをされている。
『……で、トラブルが起きそうだと』
「……うん」
『お父さんにもこのこと話しておくからね。みんなで顔を合わせて話しましょう、明日仕事帰りに家に來ることは出來る?』
「うん、行く」
電話を切る。
さっきからずっと傷痕が痛みっぱなしだ。
大丈夫、大丈夫。きっとうまくいくから。
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