《寢取られ令嬢は英雄をでることにした》エディス=アリンガムという令嬢
* * * * *
エディス=アリンガム子爵令嬢と出會った翌朝。
普段通りに登城し、ショーン様の住まう宮へ向かう道すがらで近衛隊の同僚の何人かに聲をかけられた。
昨夜、令嬢とダンスを踴ったことをからかうものであったり、ライリーに遅い春が來たのを喜ぶものであったりと若干の違いはあったものの、殆どは「良かったな」という言葉がっていた。
貴族の令嬢。それも爵位が上の令嬢とダンスを踴った上に求婚まで迫られたという事実は一晩寢ても、自分自、信じられない気持ちがいまだに強い。
それが最初から最後まで令嬢の方からのアプローチによるものだった。
全ては夢だったのではないかと思ってしまう。
しかし職場であるショーン様の宮にると即座に主人に呼び出された。
そうして書類の束を差し出されたものだから、反的にけ取ってしまった。
「これ、エディス=アリンガム嬢の辺調査書だよ」
そう軽い調子でショーン様に言われて思わず手元の書類を見下ろした。
「彼を調べ上げたのですか」
「それはそうだよ。君は王家が信を置く大事な騎士で、この國を魔獣の脅威から守る英雄で、第二王子ぼくのお気にりなんだから。そんな騎士の結婚相手がどんな人柄でどんな人間関係を持っていて、君や王家に害があるかどうか判斷するために調査するのは當然じゃない?」
君も一通り目を通しておくといいよ、と促されて、しの罪悪と自分のようなものに求婚するへの興味とで複雑な気持ちを抱えたまま書類へ目を通していく。
エディス=アリンガム子爵令嬢は年十八歳。
現アリンガム子爵と前子爵夫人――夫人も元子爵令嬢で十年前に病で亡くなっていた――との間に生まれた子である。両親の特徴も書かれていたが、どうやら彼は髪も瞳のも母親似らしい。
子爵と夫人は政略結婚で二人の間にはや家族としてのはあまりなかったようだ。
子爵は平然と人を作り、夫人と子はほぼ放置されていた。
十年前に前妻が亡くなるとすぐさま平民の人が屋敷へ迎えれられる。
後妻になった人にはエディス嬢より一歳年下の娘、フィリス=アリンガム嬢がおり、フィリス=アリンガム嬢は子爵と人との間の子。異母姉妹であった。
後妻――現子爵夫人は前妻の子を疎んだ。
それは母親を失ったばかりの八歳のエディス嬢が新しい母親と妹を拒絶したのも理由の一つだが、両親共に貴族である異母姉のエディス嬢がいる限り、母親が平民である己の娘は子爵家をけ継ぐ権利がないことにも不満を抱いていた。
何より期のエディス嬢の人畫には社界でしいと有名だった母親の片鱗が窺えた。
今よりもやや素の濃いプラチナブロンドに雪のように白い、同の睫に縁取られた瞳は今と同じしい菫で、母親と並んで描かれた姿はまさしく生き寫しの母子だった。
現子爵夫人はエディス嬢を一人離れに住まわせ、最低限の數の使用人もつけず、類も食事も平民並みに質を落として與え続けた。機嫌が悪く食事を與えない日もなくなかった。空腹に耐えかねていエディス嬢が本館にやって來ると折檻すらしたという。
そんな母親の様子を近くで見て育った異母妹のフィリス=アリンガム嬢は母親そっくりに育った。
子爵を止めた母親のしさを持ちながら、腹違いの姉を奴隷として扱い、母親と共に暴力を振るうこともあれば、価値がありそうな前妻の形見を奪い取ることもあった。
エディス嬢が長のわりに細なのは長期に栄養が足りなかったからだろう。
侍どころかメイドすら來ない日は己のことは自分で何とかしていたようだ。
それなのに淑教育は徹底的に施され、そのなりのせいで教師にすら馬鹿にされ、蔑まれながらも必死でけた。出來なければ教師からも折檻される。
やがて十三歳の誕生日に彼は父親が政略で決めた相手と婚約者となる。
相手の名前はリチャード=オールドカースル。伯爵家の次男坊だ。いずれはリチャードが婿養子でり、アリンガム子爵家はエディス嬢とこの男とでけ継いでいくはずだった。
だがリチャードは婚約者のエディス嬢を嫌いしていた。
一応伯爵家の息子と顔を合わせる時には地味で野暮ったいがドレスを著させられていたが、栄養が足りず、痩せて、髪ももあまり整えられていないエディス嬢はリチャードのお眼鏡には適わなかった。
それよりも両親にされて何不自由なく育った異母妹のフィリス=アリンガムの方にリチャードは夢中になったのだ。
婚約者に會いに來るという名目でリチャードは婚約以來五年間も異母妹のフィリスと逢瀬を重ね、婚約者を無視して出掛けたり贈りをしたり、婚約者であるエディス嬢へ心無い言葉を浴びせ続けるなど好き放題にしていた。
社デビュー後もドレスや裝飾品は必要以上與えられず、継母や異母妹によって化粧も許されず、夜會へ婚約者と共に出てもすぐに放置されて壁の花になるしかなく。
目立つ場所への暴力はなくなったが、それでも時折折檻をけ、日々継母や異母妹や婚約者に暴言を吐かれながら正しい筋であるはずのは小さな別館で一人でひっそりと息を潛めて過ごす。実の父親は無関心で助けてはくれない。エディス嬢は十年間耐え続けた。
それ故か彼は表の変化に乏しく、いつも俯いて従順な靜かなに育った。
しかしついに婚約者のリチャードと異母妹のフィリス=アリンガム嬢が男の一線を越え、フィリス=アリンガム嬢が子を宿し、両家はエディス嬢を無視してかに話し合い婚約は破棄された。
アリンガム子爵はこれを機にエディス嬢を修道院送りへする腹積もりらしい。
そして昨夜、エディス嬢は舞踏會の最中に婚約を破棄されるという辱めをけた。
書類を読み終えたライリーは盛大に顔を顰めた。
これは、貴族の令嬢がけるにはあまりにも酷い扱いであった。
昨夜のエディス嬢を思い出し、ライリーは納得する部分と出來ない部分があることに気が付いた。
一つは地味なドレスで化粧っ気が全くなかった點だ。あれは継母と異母妹のせいで子爵令嬢に見合った生活も裝いも許されなかったからだ。よくよく思い出すと裝飾品は一つもに付けていなかった。
そしてもう一つは――……
「昨夜のエディス嬢はここに書かれている格と一致しない気がします」
婚約を破棄された後のはずなのに彼は堂々としていた。
地味なドレスも、化粧のされていない顔でも、痩せたでも、エディス嬢は毅然とした態度で前を向いていたし、一刻と話しておらずともその格が男に従順だとはとても言い難い。
むしろ第二王子であるショーン様に真っ向からライリーがいかに素晴らしいか説いたくらいだ。
……こんな大柄で恐ろしい外見の男を可いと表現するのは彼だけだろう。
ライリーの言葉に主人は頷いた。
「そう、そこが不思議なんだよね。昨日までは書類通りの反抗すら出來ない無気力なの子だったのに、君や僕に會った時には全く異なっている。何が彼を変えたのか」
「……婚約を破棄されたこと、でしょうか」
「うん、思い當たるのはそれだけなんだけど、普通の令嬢は婚約破棄されたら格が明るくなったりする? 逆じゃない? それとも彼なりに何かが吹っ切れたのかな?」
思わず、主人と共にライリーは首を傾げた。
「まあ、その辺りは要観察ってじだね。でもそれ以外、本人自は毒にも薬にもならない子だよ。君がまないなら斷るのも選択肢の一つだけど、あれだけ熱心にまれてるんだから結婚してもいいんじゃない? 変に野心もないし、王家への忠誠心があるかは微妙だけど第二王子ぼくを敬うくらいの気持ちはあるようだし、年齢的にも不釣り合いってほど離れてもいない。……どうする?」
ライリーは手元の書類へ視線を落として小さく息を吐く。
「これを読んだ後に斷れるわけがありません」
自分よりもか弱い令嬢がげられ続け、自分が迎えれればそれは終わる。
なくとも彼はむ夫の下で今よりもまともな生活が送れる。
しかし呪われた騎士の妻などという立場で周囲から孤立してしまうかもしれない。
ただでさえ婚約破棄されたばかりで辛いはずなのに、更に自ら呪われた男の妻になりたがるなんて変わった令嬢だ。何を考えているのかサッパリ分からない。
それでも拒絶は出來なかった。その生い立ちを哀れに思い、呪われた自分の下でも、もっとマシな扱いをしてやれると思ってしまったのだ。
恐らく、この主人はそれを見越した上で書類を読ませたに違いない。
降參とばかりに書類を返卻すれば主人はそれをけ取った。
「それじゃあ、大変興味深い未來の奧方を迎えれる準備をしよっか」
「お手數おかけしますがよろしくお願い致します」
「いいよ、いいよ、君が結婚して上手くいって子が出來てくれたら魔師である僕の知的好奇心も満たされそうだしね」
手元の書類を火の魔で灰燼に帰した主人がニヤリと笑う。
そういう顔をする時は何があっても自のむ方向へ事を進ませると知っているので、ライリーは自分の役割を果たすことだけを考えれば良い。その場で幾つかの話を詰めて置く。
既に昨夜のうちライリーの件は國王陛下と王太子の耳に屆いており、アリンガム子爵には王家の印が捺された手紙が送られている。中は今日の午後にエディス=アリンガム嬢と共に登城するようにという旨が書かれているはずだ。
今朝早くに調査書を確認した國王陛下の手によって、エディス=アリンガム嬢とリチャード=オールドカースルの婚約破棄に関する書類は承認済みだ。本人達が同意すれば二人の婚約屆もしくは婚姻屆は理されるだろう。
ただしリチャード=オールドカースルとフィリス=アリンガムの婚約屆は未承認のままである。
「本來は誠実さを示すためにある婚約期間中に婚約者の妹と浮気するような男も、姉の婚約者と分かっていて寢取るようなふしだらなも、別にこの國には必要ないんだけど。陛下に承認期間を延ばせるだけ延ばしてもらえるようお願いしてきたから、段々妊婦の腹が大きくなって、それでも婚約屆すらなかなか承認されなかったら両家もその二人も大慌てだろうなあ」
きっと君達に構ってる余裕なんてないだろうね?
と、笑う主人の姿は清々しさすらあった。
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