《寢取られ令嬢は英雄をでることにした》養子縁組み
仕立て屋がお屋敷に來てから二日後。
養子先のベントリー伯爵夫妻と顔を合わせることとなった。
まだ注文したドレスなどは屆いておらず、アリンガム子爵家から持って來た類しかなくて、それを著ていくしかないとは分かっていても失禮に當たらないかと心配したが、ライリー様が「そのままの方が良いでしょう」とおっしゃるのでそのようにした。
くすんだベージュのしり切れたドレスだが他よりかは多まともなものだ。
午後になるとそれをに纏い、馬車に揺られて王城へ向かう。
王城に著いて門番へ名前を告げればショーン殿下の宮までの道のりを教えられる。
その通りに馬車が進み、宮が見えてくると、ライリー様が出迎えてくれた。遠目にも黃金に輝く並みが見えて、それが誰か分かった瞬間、嬉しくてすぐにでも窓からを乗り出して手を振りたいほどだった。
淑として何とか我慢したけれど、満面の笑みになったのは仕方ないと思う。
出迎えに來てくれたライリー様にエスコートされながら殿下の宮を進み、以前通されたのと同じ部屋に行くと、そこには既に殿下とベントリー伯爵夫妻がいた。
「遅くなり申し訳ございません」
登城する時間が遅かったかと慌てて頭を下げると殿下が首を振る。
「いや、遅れてないよ。ちょっと話したいことがあったからベントリー夫妻には早めに來てもらっていたんだ」
そうだったのかとホッと息を吐いてから、改めてカーテシーを行う。
出來るだけしく、優雅に見えるようにゆっくり丁寧にドレスの裾を広げる。
「お初にお目にかかります、エディスと申します。この度は突然のことにも関わらず、わたしのような者をけれてくださった夫妻には謝の念に堪えません。何かと至らぬ點はあるかと存じますが、どうぞよろしくお願い致します」
張しながら腰を折ってやや深めに頭を下げる。
こういうことは最初が肝心で、養子先の方々には好い印象を持ってもらいたい。
すると穏やかな男の聲がかけられる。
「こちらこそ、こんなに禮儀正しいお嬢さんが娘に來てくれると知れて嬉しいよ」
かけられた聲に促されるように顔を上げれば優しそうな夫妻がわたしを見ていた。
年齢で言えば四十代後半ほどの男と、四十代前半ほどの。
貴族だからどちらもしいが、それ以上に穏やかさが先立つ人達である。
の方が「ええ、本當に」と嬉しそうに頷いた。
「立ち話もなんだからライリーもエディス嬢も座るといいよ」
殿下の言葉に、わたし達はソファーに隣り合って腰掛ける。
「私はベントリー伯爵家の當主を務めるイーモン=ベントリーだよ。隣にいるのが妻のダーシー。ここには連れて來れなかったけれど、君と同じく養子のアーヴィンという子もいる。私達は殘念ながら子寶に恵まれなくてね」
「でもお蔭で素直で賢いアーヴィンだけでなく、禮儀正しくて可らしい娘が出來るのだもの。そう悪いことではありませんわよね、あなた」
「そうだね、こうして私達の下に二人も可い子供が來てくれたのだから喜ばしいことだ」
ライリー様がおっしゃっていた通り、どうやら夫妻はわたしに好意的なようだ。
まあ、前の記憶のわたしからしても今生のわたしの人生は可哀想なものだったから、他の人が事を知れば同じように哀れに思ってくれるだろう。
ニコニコしている夫妻についわたしも笑みが零れる。
「後は君のサインさえあれば養子縁組みは整うよ」
差し出された書類にはアリンガム子爵のサインとベントリー伯爵家のサイン、証人としてショーン殿下のサインがある。空いた欄に渡されたペンで名前を書いた。恐らくアリンガムの姓を書くのはこれが最後になるだろう。
ペンと書類を殿下へお返しすれば満足そうに頷かれる。
「これで今日から君はエディス=ベントリー伯爵令嬢だね」
アリンガム子爵家から完全に離れることが出來た。
それは不思議な達というか、解放があった。
もうあの小さな別邸で一人で過ごすこともないし、継母や異母妹に暴力や暴言をけることもないし、冷たい元婚約者に蔑ろにされることもない。無関心な父に失することもない。
記憶が蘇った時ほどではないが心がとても軽くなる。
安堵の息がれると、ライリー様がそっと背中に手を添えてくれた。
大丈夫だと微笑み返せばライリー様もつぶらな目をし細めて笑った。
「ところで、エディス嬢の見た目が隨分変わってるけど、どうやったの? 魔ではないよね? その手の気配は一切ないし。……化粧だけでそんなに変わるものなの?」
心底不思議そうにまじまじと殿下が見てくるので苦笑してしまう。
「薄く化粧は施しておりますが、それ以外は何も」
「元々エディスはしい容姿をしていたのですが、子爵家での酷い扱いでそれがくすんでしまったのかと。我が家で令嬢に相応しい生活を送ってもらうようにしたところ、このように彼本來のしさが戻り始めたのでしょう」
ライリー様の言葉にベントリー夫妻が痛ましそうにわたしを見る。
なりすらまともに整えられないほど酷い扱いなんて、普通はない。
どんな家でも娘は政略結婚の道として見られるから扱いはそう悪くはないはずなのだ。
「それにしてもエディスさんはお母様によく似ていらっしゃるわね」
懐かしげに目を細める夫人に聞き返す。
「母を存じなのですか?」
わたしの記憶の中の母は病で痩せ細り、臥せっている姿しかない。
夫人は頷き、思い出すように目を伏せた。
「ええ、當時は社界でも有名な方だったのよ。とてもしくて、儚げで、でも意外と気の強い格だったからなかなか近寄り難くてね。だけど話してみると気の好い方だったわ。あなたは母親似なのでしょうね」
「気が強い? そんな所は見たことがありませんでしたが……」
「ふふっ、何度も言い寄って來る殿方に『しつこい方ね、あなたには興味ないのよ』とばっさり切り捨てていらしたのよ」
ライリー様と殿下が小さく吹き出した。
「ああ、それは母親似ですね」
「エディス嬢も同じことを言いそうだよね」
と、お二人とも笑った。
今のわたしは前のわたしの記憶の方が強いからこうだけれど、それが母親に似ているというのは不思議なじだった。でも悪くない気分だ。
殿下が側近に養子縁組みの証明書を渡すとふうと息を吐いた。
「これもすぐに承認されるだろうから、後は婚姻だね。いつ結婚するんだい?」
その質問にライリー様と顔を見合わせてしまう。
會って數日で結婚かあ。嫌ではないけれど、それはそれでちょっと勿ない。
「その、わたしとしましてはしばらくは婚約狀態でいたいです。婚姻後は夫婦になってしまいますもの。今は婚約者としてじっくり仲を深めて行きたいのです」
夫婦もいいけれど、婚約者同士の雰囲気も楽しみたい。
ライリー様が橫で「そ、そうか」と照れたので見上げたら顔を逸らされた。
照れてるのかわいい。
気を付けないとわたしも顔がデレデレしてしまうわね。
「良好な関係を築けているようで何よりだよ。まあ、婚姻は本人達の気持ちが纏まったらすればいいし、英雄に婚約者が出來たってだけでも僕達からしたら嬉しいことだしね。婚約おめでとう」
祝いの言葉ににこりと笑ってライリー様の腕を取る。
「ありがとうございます。絶対にライリー様を幸せにしてみせますわ」
「……それは私の言葉だと思うのですが」
そんなわたし達に殿下とベントリー夫妻が明るく笑った。
その後、用事は終わったので殿下に挨拶をして帰ろうとしたところ、ベントリー夫妻の「せっかくだからし我が家へ寄っていかないかい?」「これからは我が家はあなたの実家になるのだし、アーヴィンにも會わせたいわ」というおいをけて、そちらへ寄らせてもらうことになった。
もちろん、その場でライリー様に聞いて許可をいただいた。
殿下の宮を出て、馬車に乗ると、それがベントリー家の馬車を追って走り出す。
ガタガタと揺れる馬車の中で自分の手を見下ろしながら考える。
父や継母、異母妹、元婚約者のには恵まれなかったがそれだけが全てではない。わたしは今こうして新しい婚約者がいて、第二王子殿下が用意してくださった養子先があって、その養子先のベントリー伯爵夫妻はとても優しそうだった。
実の親だから無條件でしてくれるわけではないとわたしは知っている。
が半分繋がっていても親しくなれるわけはないとわたしは知ってしまった。
家同士の契約すら完全なものではないのだと思い知らされた。
それでもライリー様やショーン殿下、ベントリー夫妻を信じたいと思う。
たとえそこに確かながなかったとしても優しくしてくれただけで十分だった。
でもきっと今度は上手く付き合っていける。
まあ、ライリー様に関しては嫌と言われても付き纏うけれどね。
ガタンと小さく揺れて馬車が停まる。
開けられた扉から出ようとすると小柄な人影があった。
わたしより頭一つ分ほど小さなその人影がわたしに手を差し出してくる。
らかな金茶の髪に、同の瞳の、まだしばかりさが殘る顔立ちは整っており、將來有そうで、キリッと顔を引き締めているが走って來たのか僅かに頬が上気していた。十四、五歳くらいかしら。
「ようこそいらっしゃいました、姉上。僕はアーヴィン=ベントリーといいます」
その手を借りて下りるとそう自己紹介された。
遠戚の子が養子となったと聞いていたが、まさか年下だったとは。
前のわたしにも今のわたしにも弟はいなかったので新鮮な心地がする。
「初めましてアーヴィン様、エディス=ベントリーと申します」
カーテシーをすると慌てた様子で止められた。
「僕のことはアーヴと呼んでください。父上も母上もそう呼んでいますし、今日からあなたは僕の姉上です。姉が弟を様付けするのは変でしょう。それに丁寧な言葉遣いもしないでください」
「……分かったわ。じゃあアーヴもわたしには丁寧な言葉遣いはなしよ。だって今日からわたし達は姉弟だもの。ここには住まないけれど、よろしくね」
「うん、よろしく姉上!」
夫人が言っていたようにアーヴは素直な男の子のようだ。
初めて會ったばかりでも姉と慕ってくれるなんて優しい子だわ。
わたし達が無事仲良くなれたからか、傍で見守っていた夫妻も嬉しそうに顔を見合わせている。
夫妻に促されてお屋敷にお邪魔させてもらい、応接室ではなく居間に通され、そこで家族のティータイムに參加した。……いや、家族のティータイムを楽しんだ、が正解よね。
全員がわたしの家庭事を知っているのか優しくて、ベントリー家のことや夫妻のこと、アーヴが養子に來てからのことなどを々と話して聞かせてくれたが、わたしの生家での暮らしぶりについてはあまり聞かれなかった。
楽しい時間を壊したくなかったからその気遣いも嬉しかった。
質問されても誕生日や年齢、長、好きな食べやといったものだったのも答えやすかった。
けれども変に同した様子もなく、アーヴはまるで最初から姉弟だったかのようにわたしを姉と呼んでティータイムの後に庭を案してくれた。
「実は生家には兄上が二人いるけど、姉はいなかったからちょっと憧れだったんだ。でも養子に來たから兄上達のお嫁さんを姉上って呼ぶこともできなくなったし諦めてたんだ。だから姉上が出來て凄く嬉しいんだ」
庭でこっそりそう教えてくれたアーヴの瞳はキラキラと輝いていた。
異母妹のフィリスも純粋な良い子だと周りに言われていたけれど、あれはそう計算してそれらしく振舞っているのであって、アーヴのような子こそが純粋な良い子なんだろう。
アーヴ、と呼ぶと金茶の瞳が嬉しそうに細められる。
新しい弟はとてもかわいい。
婚約者もかっこよくてかわいい。
新しい両親も優しくて、穏やかで、子煩悩そうで。
神様がいるならこんなに素敵な人達に出會わせてくれたことに謝したい。
元婚約者と異母妹にもちょっとだけ謝してもいいかもしれない。
あの二人が浮気して婚約を破棄してくれたおかげで出會えた縁だもの。
ティータイムをして、庭を散策して、日が大分傾き始めた頃に帰ることになった。
夫妻もアーヴもし殘念そうな顔をしたが、夫人とも一緒にドレスや裝飾品を選ぶ約束をしたし、アーヴとも屋敷を案してもらう約束をしたのですぐにまたここを訪れるだろう。
「ここはあなたのお家なのだからいつでも帰ってきてね」
「今度は家族水らずで食事をしよう」
夫妻はそう言ってわたしを抱き締めてくれた。
アーヴも照れた様子だったが軽く抱擁してくれた。
「姉上、手紙を書いてもいいですか?」
その問いに頷き返す。
「ええ、楽しみに待ってる。私用の手紙なんて初めてだから変かもしれないけど、返事を書くわ。ライリー様にお願いして綺麗な便箋を沢山用意しておくわね」
わたしの言葉にアーヴがにこりと笑う。
名殘惜しい気持ちで馬車に乗り込み、三人に窓から手を振ってベントリー家を後にする。
お屋敷が見えなくなるまで窓の外を眺めた。
今日はまだ張して夫妻のことをお父様、お母様と呼べなかった。
次に行く時までに練習して、今度は頑張って呼んでみよう。
馬車の中の靜けさが寂しくじる。
だけど帰る先にもわたしの居場所があって、好きな人が帰って來てくれる。
そう思うと早く著かないかしらと気が急いてくる。
……なんだかライリー様に會いたい気分だわ。
ライリー様が帰ってきたら今日も沢山お喋りしましょう。
きっとあのつぶらな瞳は真剣に耳を傾けてくれるだろうから。
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