《お久しぶりです。俺と偽裝婚約してもらいます。~年下ワケあり生真面目弁護士と湯けむり婚前旅行~》21. このままで本當にいいの?(2)
母屋の食堂の個室は、離れと同じく和風の造りだった。
広い座敷の真ん中に四人がけの座卓と、赤くて分厚い座布団が載った座椅子がある。
壁二面のほとんどが外へ出られる大きな窓になっており、竹林をメインにしたしい庭がよく見えた。
葉月の隣には朔也、正面にはすみれと靜馬が座り、黒りする卓上には懐石料理が次々と運ばれてくる。
現在は向付──桜の花に見立てて盛られた鯛など、旬の刺が供されていた。
「朔也、仕事はもう大丈夫なの?」
「ああ。昨日で終わらせたから」
一昨日のように険悪になるかと危懼したものの、雨宮家の雰囲気はそこそこ和やかだった。
朔也の口數はないがそこに棘はなく、靜馬もすみれもそれを喜んでいるようだ。
この分なら、偽裝婚約の演技もうまくいくはず。
──そういえば、借金は噓だけど許嫁なのは本當、なんだよね。それもそれで変な話だけど……。
子どもの頃、朔也と遊んでいたのが噂になったらしく、葉月は「ヤクザの家に関わるな」と何度も母に叱られた。
それでも朔也と一緒にいるうちにさじを投げられたが、嫁りとなれば家の問題になる。
借金のカタでもなければ許されなさそうなのに、どうして葉月は朔也の許嫁になれたのだろう。
──おじいちゃんが勝手に口約束しちゃって忘れてたとかならありえるか。私の名前も忘れるくらいだったし。
──でも、靜馬さんは? 産を持ち出してまで私と朔也くんを結婚させようとしてる、ってことだよね。不思議だな、うちはお金持ちでもないのに──。
何気なく靜馬を見やった途端に視線が合い、にっこりと微笑まれる。
心臓が大きく跳ねたが葉月はなんとか笑顔を返し、平靜を裝おうと手元の刺を口に運んだ。
「んぐっ!?」
その瞬間、ツーンと山葵の辛みが鼻に突き抜ける。
「──……! 葉月さんっ」
朔也は葉月のくぐもった悲鳴を聞くなり、慌てて水のったグラスを渡してくれた。
「大丈夫ですか。ほら、鼻から息吸って……口から吐いて。これも飲んでください」
「うう……ありがとう」
食堂に來る前は気まずい雰囲気だったにもかかわらず優しく介抱され、申し訳なさと恥ずかしさと嬉しさがりじる。
落ち著いてから視線を上げたら、すみれと靜馬が微笑ましげにこちらを眺めていた。
「お茶のおかわりもあるぞ、葉月ちゃん」
「あ、ありがとうございます。ご丁寧にすみません」
「いや、こちらこそ遅れてすまない。し二人を見ていたくて」
靜馬が苦笑し、葉月の湯飲みに急須から緑茶を注いでくれる。
「昔の話になってしまうが、前にもこういうことがあったから慨深くてな」
「え?」
「この四人でカレーを食べたことがあっただろう? 私用に作った辛口のカレーを葉月ちゃんが間違えて食べてしまって……朔也がペットボトルごと水を渡していた」
「ああ……! そうですね、そのときも朔也くんが……」
記憶が蘇り、葉月は顔をほころばせた。
朔也は以前のようなギスギスした態度ではないものの、「また始まった」と言わんばかりに呆れた表をしている。
「あたし覚えてないやー。おじいちゃんよく覚えてたね」
「……葉月ちゃんと一緒にいるときの朔也は笑顔が多かったからな。よく覚えてるよ」
すみれの言葉に、靜馬はどこか切なげに目を伏せた。
「私はずっと朔也が笑わない子だと思っていた。普通とはし違う子なんだと。でも、本當はそうじゃない。葉月ちゃんの隣にいるときの朔也は、どこにでもいる年だった」
「ジイさん、いいかげんに……」
「笑えなかったのは、私のせいだ」
靜馬の瞳が今度はまっすぐ朔也に向けられる。
その眼差しの真剣さに、話を遮ろうとした朔也の聲が途絶えた。
「私は悪い仕事をしていた。息子にも……誠一にも同じことをさせた。よかれと思ってだ。だが……それが、罪のない孫にいらない苦労ばかりかけることになった。朔也は本來は普通に、幸せに暮らせる子だったはずなのに」
部屋は靜まり、靜馬のややかすれた低い聲の懺悔だけが響く。
「それに気づいたとき、足を洗おうと決めたんだ。今までの自分がどんなに愚かで、どれだけの人々を不幸にしたのか……急に、恐ろしくなったんだよ。誠一にも話して二人でカタギになることにした。お前の母さんにはうまく伝わらなくてあんなことになったが」
「……何だよ。いきなり……そんなこと、母さんは一言も」
「だろうな。だからお前に話しておきたかった。機會を逃し続けたから、これが最後だと思って」
揺している朔也とは裏腹に、靜馬は朔也から視線をそらさなかった。
「これまで、本當にすまなかった」
頭を下げる靜馬に、朔也が目を見開き言葉を失う。
すみれは心配そうに二人を見やるばかりで、もちろん葉月も口を挾めなかった。
次の料理を持った仲居がってきたところで、張り詰めていた空気がようやくほどける。
「うまそうだ。晝食の続きにしよう」
靜馬が笑い、焼き魚に箸をばす。
朔也もまだ顔が強張ってはいたが「ああ」と頷いた。
「突然悪かったな。明日、帰る前に話そうと思っていたんだが……朔也と葉月ちゃんの仲がいいところを見ていたら思い出してしまって」
「二人、ラブラブフィアンセだもんね」
すみれの援護撃で、和やかな雰囲気が戻る。
罪悪がまた湧き上がるのをじつつも、葉月は微笑んだ。
「葉月ちゃん、朔也と一緒にいてくれてありがとう」
「い、いえ。私は……そんな」
急に話を振られ、しうろたえてしまう。
靜馬の瞳は穏やかで溫かく、心から葉月たちを祝福しているのがわかった。
その目と目が合い、ズキン、とが痛む。
──……このままで、本當にいいの?
葉月は靜馬とすみれを騙している。
偽裝婚約を終わらせようとした朔也を一方的な心から引き留め、噓をつかせ続けている。
つい無視していた罪の重さを改めて実し、どんどんが苦しくなった。
「もし結婚式を挙げるなら、なるべく早めにしてくれ」
「……気が早いだろ。まだ婚約したばかりなのに」
「二人の幸せな姿が見たいんだ。私にはもう殘り時間がないからな」
さらりと靜馬が告げた臺詞に、朔也と葉月は再び絶句した。
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