《社長、それは忘れて下さい!?》1-4. Bitter memories
「は?」
間の抜けた聲を聞いて、思わず苦笑してしまう。龍悟はきっと、涼花が大の末に大失した話でもされると思っていたのだろう。そんな予想をしていた涼花は、眉を顰めた龍悟の顔をじっと見つめて苦笑いを零した。
大學二年の時、涼花に初めての人が出來た。二つ年上の先輩に告白され、所屬していたサークル公認の人同士となった。
最初の頃は仲良くデートを重ねていた。たどたどしいながらも、涼花の初験はその先輩とであった。
しかし初めての験から數週間が経過したある日、人の先輩がサークル仲間たちに『涼花の表現が重い』と話しているのを聞いてしまった。『一回もやらせてくれない』『期待させておいて、いつもお預け』『男のを逆手に取って楽しんでいる悪』とひどい口を叩かれていると知ってしまった。
そしてその次のデートのとき、先輩に『させてくれないなら人なんて言えない。別れよう』とあっけなく振られてしまった。涼花は追い縋ったが、不思議なことに先輩は涼花との行為の一切を、本當に記憶していない口振りだった。
意味が全く分からなかった。今までじたことのない恥と破瓜の痛みに耐えて大事な初めてを捧げた相手に、その全てを蔑ろにされた。
覚えているのは自分だけで、先輩は涼花の初めてを何一つ記憶していない。そればかりか、別れの原因を涼花に押し付けて、話のネタにされていたのだ。
サークルは違ったが大學が同じだったエリカに話すと、彼は涼花以上に怒りをわにしてめてくれた。しかし悲しみとショックは大きく、サークルはそのまま辭めてしまった。先輩がどうして不思議な作り話を広めたのかは、結局は有耶無耶になってしまった。
その後、大學四年の時に新しい人が出來た。その時の人は一つ年上の社會人で、涼花がいた學部の卒業生だった。就活の際に親になってくれた優しい男と打ち解け、自然と仲になった。だが數回のデートの後、その人も涼花との行為の一切を記憶していないことを知った。
それだけではない。その人は涼花をストーカー呼ばわりして『就活で親にしてやっただけなのに、自分の家までやってくる』と警察に訴え出たのだ。當時すでにグラン・ルーナ社から定をもらっていた涼花は、騒ぎが大きくなって會社に迷がかかる前に相手とはすっぱり縁を切った。
後にその元人が別のの子と浮気をしていたことを知り、更にどん底に突き落とされた気分になったが、エリカのめにより大きく塞ぎ込まずにいられた。
二人に共通することは『涼花を抱くと、その記憶を失ってしまう』ということだった。
それからの涼花は、自分の人生からの一切を追い出すことで心の均衡を保ってきた。心無い言葉や行に傷付けられるのを恐れ、いつの間にかそのものが怖くなってしまった。
確かに人がしい日もある。だが自分の一方的な想いばかりが募って相手に蔑ろにされてしまったら、結局傷付くのは自分なのだ。それならまだ、寂しい夜を我慢した方がいい。
「……ファンタジーの話か?」
涼花の話を聞いた龍悟がこめかみを押さえながらく。涼花は
「私もそう思うことにしています」
と返事をしたが、龍悟の眉間の皺は深まるばかりだった。
多分信じないだろうと思っていた。自分が不思議な話をしている自覚はある。だが龍悟は、思いのほか真剣に涼花の悩みについて考えてくれた。
「お前を抱いても、相手の男はそれを忘れると?」
「そういうことになりますね」
ファンタジーでしょう? と肩を竦めると、隣から再度唸り聲が聞こえてきた。
本來は上司に、しかも想い人に聞かせるような話ではない。けれど涼花は、龍悟が『焦るな』『大丈夫だ』といつものように勵ましてくれることを期待した。もしくは『下らない』と笑い飛ばしてくれてもよかった。
だから信じてもらえないことを前提で話したが、話すことで気持ちは隨分楽になった。先ほどまでの不快もじないので、歩いて帰るのも問題はないと思える。
「だから私、出會いのイベントも合コンも行くつもりないんです。も、もうしないって決めてるので」
そもそもこんな話になったのは、エリカとの會話を聞いていた龍悟が『合コンに行くのか』と聞いてきたからだ。ことの経緯を思い出し、改めてイベントには行く気がないことを言い添える。
誰かと付き合う勇気は、まだ持てそうにない。だから合コンに行く気がないのは本當だが、をしないと言うのは噓だ。何故なら今、涼花の目の前には想い人がいる。
誰かを好きになる気持ちはどうしても止められない。けれどこの想いを伝えるつもりはないし、知ってしいとも思っていない。一番近い場所で仕事が出來るだけで、十分満足しているのだ。
心の中でそう結論付けて立ち上がる。歩き出そうとしたところで、背中に龍悟の不機嫌な聲がぶつかった。
「意味がわからないな」
聲が聞こえたので振り返ると、ベンチに座ったままの龍悟が不服そうにこちらを見上げていた。
世界中の夜空を集めて閉じ込めたような、しい漆黒の瞳と見つめ合う。その瞬間、涼花の時間がゆっくりと停止した。
「俺だったら、秋野ほどのいいを抱いたことを、忘れるわけがないと思うけどな」
「……!!」
止めるような口振りに、涼花は一瞬、自分の心臓が止まったようにじた。數秒の後に心臓がいていることに気付くと、今度は腰から首の後ろまでの間をゾクリと熱い電流が走り抜けていく。
涼花が電の余韻に怯えていると、龍悟がはっとしたように目を丸くした。どうやら自分で口にした容に、自分で驚いたようだ。その瞳のきを追った涼花の全から、熱い覚がすっと抜けていく。
龍悟は自分の冗談にちゃんと気が付いた。だからまた、笑いながら『セクハラだな、すまない』と謝るのだろう。そう思っていたのに。
「秋野。俺がお前を抱いてやる」
「……え? …………は?」
名案を思い付いたとばかりに立ち上がった龍悟は、涼花に近付くと腕を摑んで突然そう宣言した。言われた意味が全く分からずに間抜けな聲を上げた涼花の眼を見て、龍悟がにやりと笑う。
「俺は記憶力はいいぞ」
「ぞ、存じて、おります、けど……」
「俺は自分がそう簡単に記憶を無くすとは思えない。だが、お前が噓をついているようにも思えない」
だから確かめる、と耳元で囁かれる。
「しゃ、社長? 本気で仰ってます?」
「當たり前だろ」
肯定の臺詞を聞いた涼花は、顔とに再び熱さをじた。全が燃え上がるほどに熱を帯び、同時に妙な汗が噴き出してくる。しかし龍悟は直する涼花には有無を言わせず、摑んだ腕を引いてそのまま歩き出してしまう。
(う、噓……!?)
一ノ宮龍悟という人は完璧に報を収集し、緻な計畫を立て、幾重にもシミュレーションを繰り返し、確実に実行に移す戦略を好む人だ。
ビジネスにおいても堅実に策を練ることが多く、突拍子のないことはあまりしない分である。それを知っているからこそ、この思い付きと思い切りには大いに焦った。
書として上司の意思決定を妨げるようなことは、決してあってはならない。だが明らかに方向を間違っていると判斷できる場合は、そう進言するべきだ。
けれどここが繁華街ということもあって、思いつきを実行に移す場所には全く困らないようだ。涼花が言葉を選んでいるうちに、龍悟は近くの建の中へ涼花のを引きずり込んでしまった。
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