《社長、それは忘れて下さい!?》3-1. Little smile
翌週明け。
出社してきた旭に謝罪すると、彼は『大丈夫だよ』と笑って許してくれた。
龍悟から聞いた狀況を考えると、旭も涼花のに起きた変化には気付いていたはずだ。追及されたらどう説明したらいいかと悩んでいたが、旭が何も言わなかったので涼花もありがたくれずにいてもらうことにした。
次いで出社してきた龍悟には、とりあえず休んで迷をかけたことを謝罪した。龍悟も同じく『気にしなくていい』と笑ってくれたので、涼花はをで下ろした。
あとは二人になったときに、介抱してくれた事への謝と失禮な事をしてしまった謝罪をしようと思う。だが今日の社巡回への同行は旭の擔當で、涼花は執務室殘留なので、その機會はもうし後になるだろう。
朝のスケジュールの確認を終えると、タブレット端末を作していた旭が思い出したように顔を上げた。
「あ。そうだ、涼花。真悟しんごさんからコーヒー豆屆いてたよ。エチオピアで新しい農場開拓したんだって」
「え、そうなんですか?」
真悟と言うのは、龍悟の兄にあたる人だ。彼は海外から買い付けた輸食品の販売や、自社グループの製品を海外へ輸出することを主業とした食品貿易會社『ヴェルス・ルーナ社』の副社長である。
ルーナ・グループの他三社には副社長は一人しかいないが、ヴェルス・ルーナ社には副社長が二人いる。そのうちの一人である真悟は普段ほとんど本社におらず、自ら海外へ赴いては新しい商品を買い付けてくることを生き甲斐としている、奔放な人だった。
「兄貴は今、エチオピアか」
「さぁ、どうでしょうね。もう別のとこに移してるかもしれませんよ」
龍悟の呟きを聞いて、旭が楽しそうに笑う。二人のやりとりを橫目に冷蔵庫を開くと、確かにそこには見たことがないコーヒー豆の袋がっていた。
豆袋を持ち上げると中で小さな粒が移し、さざ波のようにザザザ……と心地の良い音を立てる。コーヒー好きの涼花は、たったそれだけで嬉しくなってしまう。
新しい豆はどんな味がするのだろう。どんな香りがするのだろう。前回開けたコーヒー豆はまだし殘っているが新しい豆も気になって仕方がないので、袋の上部をハサミで切って開けてみる。袋の口を広げると、閉じ込められていたコーヒー豆のほろ苦くて香ばしい匂いが広がった。
「わぁ、嬉しい……! いい香り~」
「!」
「……っ」
「社長、今日はこちらを飲んでみても……。……え?」
立ち上がって訊ねると、龍悟と旭がぎょっとした様子でこちらを見ているので、涼花も思わず直する。袋の中に蟲でもっていたのかと思ったが、中や周りを確認しても特に変化はなかった。
「ど、どうかされましたか?」
「いや……なんでもない。秋野、コーヒーは戻ってくる頃に合わせて淹れてくれ。始業の時間だ」
「は、はい。承知しました……?」
始業のアナウンスが鳴ると、龍悟と旭がほぼ同時に立ち上がる。二人は確かに驚愕の眼差しをこちらに向けていたはずなのに、訊ねても明確な答えは得られない。小さく微笑んだ龍悟は『頼むな』とだけ言い殘すと、旭を伴って執務室を出て行った。
「今のなに……?」
幽霊でもいたのかと思うと、殘された涼花はしだけ不安になった。だが再びコーヒー豆の袋を覗くと幸せな気持ちに満たされて、すぐにそのことは忘れてしまった。
一方、執務室から出た二人は、エレベーターの前までは無言だった。しかしエレベーターのボタンを押すと同時に、旭は驚きと呆れとしの気恥ずかしさが混ざった聲で龍悟に向かってを尖らせた。
「社長。涼花に何したんですか?」
「いや……俺は別に、何も……」
していない。とは言えない。
だが龍悟も驚いた。めったに笑わない涼花が、今日は朝からコーヒー豆の香りに浮かれてとびきりの笑顔を見せてくれた。涼花はコーヒーが好きだから、焙煎したばかりの新しいコーヒー香りが余程好みのものだったのだろう。
けれど今までは、そうだとしてもあんな風に笑ったことはない。頬をくすぐられた赤ん坊のような、咲き綻んだ花のような、優しい笑顔で。いつも張したように気を張っていて、冗談を言ってもからかってもじないのに、コーヒー豆一袋であんな笑顔を見せるなんて。
ほぼ初めてに等しい涼花の笑顔を真正面でけたせいで、思わず言葉を失ってしまった。きっと旭も同じだったのだろう。
「涼花にコーヒー豆持たせて社を歩かせてみます? きっと、あっという間に壽退社ですよ」
「……」
しも冗談に聞こえない旭の臺詞に、龍悟はただ唸ることしかできなかった。
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