《社長、それは忘れて下さい!?》EX_2. Sunrise and Black-Dragon ②
「俺の仕事のペースが、斎藤には速すぎるみたいだな」
「前社長はマイペースな人でしたからね」
「はははっ、圭四伯父さんは昔から呑気な人だからなぁ」
前社長の恵比壽顔を思い出して呟くと、龍悟が大聲で笑い出した。
旭も一瞬忘れていたが、ルーナグループは経営の會社だ。つまり彼らの名字は全員『一ノ宮』で、系列四社すべてのトップマネジメントが龍悟の親族なのだ。
「も、申し訳ありません。の方を悪く言うつもりは……」
「いや、いいんだ。むしろそうやって思ったことを言ってくれる奴の方が、俺は気楽なんだけどな」
まずいと思って謝罪しようとしたが、龍悟は気にしていないどころか、旭の意見に笑いながら同調してきた。龍悟の口振りに安堵し、同時に自分が呼び出された理由に思い當たる。
「あの……もしかして、それで自分に書を?」
「まぁ、そういうことだ」
龍悟は面白半分、本気半分と言った様子でゆるりと口元に笑みを浮かべた。しかし新しい書をしている理由には納得できたが、それで自分が選ばれた意味まではわからない。
旭はじっと龍悟の顔を見つめ、彼の笑顔の裏を読もうと思った。だが、どうにも上手く読めない。それどころか逆に旭の思考を読んだらしい龍悟は、組んでいた足を降ろすとを前へかし、自分の膝の上に肘を乗せて重をかけた。
「過去のデータを洗ってるときに、藤川が作ったコンペの企畫書と資料を見つけたんだ」
何でもないことのように言い放った龍悟に、旭は度肝を抜かれた。
恐らく龍悟は自分が社長に就任する直前までの『社の向』を知るために、過去のデータや資料を全て閲覧したのだろう。そしてその中の一かけらでしかなかったはずの旭の作ったプレゼン資料を目にした。
たまたま見たのが旭が作った資料だった、という意味ではないと思う。経営者は基本的に數字の羅列しか見ない。だが龍悟は數字の羅列だけではなく、それ以外のデータにも全て目を通した。だから全部知っている――という意味だと直した。龍悟の何気ない言葉の中に、彼の経営者としての素質と覚悟を垣間見る。
「よく出來てた。基本に忠実でまとめ方も上手いし、顧客の心理も上手く突いてる。クラルス・ルーナ社が國産ナッツの仕れルートを確保してることなんて、よく調べたな」
「恐れります」
「いいと思うぞ。ルーナグループはグループと謳ってる割に橫の繋がりが薄いからな。自社グループの人脈や製品をどんどん使う発想は、俺個人的には大歓迎だ」
龍悟が話しているのは、商品開発部や広報部とチームを組んでホテルレストラン『The Grand LUNA』のクリスマスディナーイベントを実施した案件のことだろう。
競合プランには既存の取引先から食材を確保するチームが多かったが、旭のチームはコスト削減と販促を図るために自社グループの商品を全面に推し、その下準備としてクラルス・ルーナ社やアルバ・ルーナ社が取り扱っている製品や食材については徹底的に調べ上げていた。
「ただ、し詰め込み過ぎてるがあったな」
龍悟の突然の指摘に、旭の心臓は奇妙な音を上げた。龍悟の指摘と同じことを上司にも言われていたのだ。
一瞬、龍悟と視線が合う。
旭はまた心の中を読まれている気がしたが、すぐに龍悟と渡り合うには力不足だと観念する。だから旭は彼の口から心を暴かれる前に、自分から心境を吐した。
「つい折角考えたアイディアは全部れたいと思ってしまうんですよね」
「なんだ。発想の寶庫なんて、羨ましい限りじゃないか」
龍悟は旭の能力を褒める上司のような口調でそう言った。
旭は一つの目標に一つの道筋を立てて事を考えるのが得意ではあったが、それと同じぐらい別の道筋を考え出すことも得意だった。その中から最良を選択して邁進すればよいものの、思いついた他の選択を上手く切り捨てられずにいつも後ろ髪を引かれてしまう。結果々と詰め込み過ぎて報過多になっている、と上司にも指摘されたことがあるのだ。
自分の欠點や失敗だと自覚していたことを認められると、心の奧にはなからず嬉しさと照れが芽生える。だが言葉巧みに旭を持ち上げる龍悟の考えと、現場で指示をする上司の意見が必ずしも一致するわけではない。
「蛇足が多かったんでしょう。コンペは通りましたけど、結局は形になる前に大半を削り落とされてしまいましたね」
「利益優先か。よくない傾向だな」
今度は経営者の顔をしながらも、當時の責任者を窘めるような言い方をする。
不思議な人だ、と思った。経営者でありながら、対費用効果よりも社員のモチベーションを優先する。その一方で自社のみならず、グループ全の活化を図るような気概も窺える。
旭は話を聞きながら龍悟の移り変わる表を見ていて、まるで四季のようだとじた。優しさも、力強さも、かさも、厳しさも兼ね備えている。
そして龍悟はそれを隠そうともしない。先ほど彼の笑顔の裏を読もうとして読めなかった理由にも辿り著く。彼にはそもそも表と裏が無く、見えている表が彼の全てなのだろう。
龍悟の整った顔を眺めていた旭に、龍悟がし心配そうに聲を掛けてきた。
「仕事は楽しいか?」
「……」
「催事企畫課の――水野課長が心配していた。藤川は頭の回転が速いから、立案からプレゼンまでの期間が空くと煮詰めすぎたり逆にモチベーションが下がってしまう。だが藤川の速さに合わせると周りが大変だろうって話だ。折角の才能なのに、勿ないな」
「社長にそう仰って頂けるなんて、栄です」
龍悟の言葉に、旭はフッと肩の荷が下りる心地がした。旭は今の仕事に対して息苦しいとじているわけではないし、合わないと思っているわけでもない。周りに気を遣われたくないので、仮に思ったとしても、何か失敗をしたとしても、おくびにも出さない腹積もりだった。
だが旭が周りと仕事のペースが合わないことは上司に見抜かれていた。口數は多くないが実直な上司が、自分にもちゃんと目を掛けてくれていることにしの安心を得る。今日、龍悟に會わなかったらそれを知ることもなかっただろう。それだけで旭には十分な収穫だった。
「俺と仕事をしないか、藤川」
自分の中で微かな満足を得ていた旭を余所に、龍悟は旭を懐しようと唐突に一歩踏み込んできた。
龍悟の本來の目的は旭を自分の書に口説き落とすことにある。ただ勵ますだけで終わるつもりはないとでも言いたげだ。だから先程、わざと室の違和を訊ねて旭の察力を試したのだ。本當は旭の勤怠や仕事ぶりなど呼び出す前に調べ盡くしているだろうに、自分の書としてなら旭の持つ能力をさらに活かせることを旭自に認識させたかったのだろう。周到なことだ。
「向いてると思うぞ。頭の回転が速いし、俺や顧客の考えを読んで先回りするのが得意そうだ」
龍悟は笑みを浮かべて、更にもう一歩踏み込んで來る。なんという遠慮のなさ。こういう多の高慢さと貪な姿勢がなければ、大企業をかせる経営者は務まらないのだろう。
旭は上司に対する謝と同時に、龍悟に対する敬意と畏れを抱いた。彼は己の名に『龍』の字と『悟』の字を持つ。名はを表すと言うが、まさにその通りだ。黒龍のように気高く優雅で、相手の気持ちを悟るとその鋭い爪先に容赦なく獲を絡めとろうとする。
そうなるともはや逃亡の余地がないことは本能的にじていたが、即答するのも躊躇われた。旭にだって仕事上の立場も、プライベート上の都合もある。
「考える時間を頂いても?」
「いいぞいいぞ、好きなだけ考えろ。別に斷ったからって、今後の仕事や給料に影響することはない」
龍悟はひらひらと手を振りながら、旭の逃げ道を用意してくれた。有難い申し出に旭は安堵したが、龍悟は逃げ道の向こう側にちゃんと落としを掘っていた。
「まぁ、社で顔を合わせる度に、俺はお前を口説くかもしれないが」
「えぇ……? 顔を合わせることなんてほとんどないと思うんですが」
「そうか? 俺は晝飯は社食だぞ」
冷めた湯呑みの中でたゆたう茶柱の底に、龍悟の完璧な笑みを見る。龍悟と社テラスで顔を合わせたことは無いが、この口振りからすると旭の行パターンを調べて晝食の時間を合わせることぐらいは簡単にしてきそうだ。
自分が篭絡される瞬間を知り、旭は頭の中で白旗を織るための材料いいわけを探し始めた。
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