《~大神殿で突然の婚約?!~オベリスクの元で真実のを誓います。》星墮しの夜。私たちはテネヴェを目指す
***
灰のツンツン髪が見えた。イザークだ。
イザークは広場の高臺に座って、同じように空を見上げていたが、ティティに気付くと、當たり前のように左側を空けてくれた。
〝二人でドロドロになっちゃえば、案外すっきりしたりして〟あんな言葉を聞かされて、意識しないはずがない。(あ、支度)バタバタと服の皺を直し、涙目をって、ティティはつんと言った。
「す、座るわよ」斷って腰を下ろした。こうしている間も、頭上では星が流れてゆく。
風は穏やかだ。ふと、地面に広げたままのイザークの手に気付いた。指は長く、強そうな手の甲。りたくて、無意識に手を重ねようとじりじりと近づけてみる。
心臓イブが破裂して、星になりそうだ。
「星墮しなんて聞いたこともねぇけど、綺麗なもんだな~、ティ?」
がいて、ティティはぱっと顔を上げた。重なる寸前だった手をぱっと引っ込めて、頬を軽く叩いた。
(……ふええ、ネフトさま、どうしたらいいの……)
「見てみろ、せっかくの〝大道蕓〟だから。一緒に見ようぜ」
空気がれるように、包まれた手を握り返す。指と指を絡めて、見つめ合った二人の頭上では、濃紺の空が一瞬撓んで、無數のの粒が落ち始めた。煌めいたの粒はゆっくりと一點に集まって、落下する。ティティは忽ち景に夢中になった。
虹彩を撒き散らせ、海の前で剣を構えたサアラに向かっていくつもの星が奔る。
サアラの剣には炎が宿っていた。黒炎に當たったをサアラは手で子供達に翳して見せる。人間業とは思えない。やがてサアラの周辺はでいっぱいになった。子供達はせっせとを船に乗せて、海に流してゆく。小さな手をしっかりと合わせ、消える船を見送った。
(すごい、すごい。の海だ――……)
星のをけるなんて、どんな呪でも不可能な話だ。聞いた覚えもない。
「イザーク。ネフトさまが言っていたの。サアラは夜空に縁があるって。何だろう。お空に親戚でもいるのかって思ったけど、違うみたい。がね、ちゃんと手の中に」
気付けばイザークはじっとティティを見詰めていた。目隠しを取ってしまったらしく、充した紺の眼が剝き出しになっている。ティティはそっと手をばした。
「眼の、やっぱり揃ってたほうがいいよね……一緒だからいいよ……ね。マアトなんかずうっと遠くにいればいいのよ」
さっとイザークは上半を近づけ、をくしたティティに顔を傾けてきた。口づけの予。ティティはを引き攣らせる。(ば、ばかっ)震えは激しくなる一方だ。
「嫌か? 俺と口づけは、嫌?」
聞かれて頭が真っ白になった。ぶんぶんと頭を振ると、イザークは小さく頷いた。どぎまぎして、ティティはそわそわと肩を揺らして見せる。イザークはガッとティティの肩を摑むと、素早く顔を傾けた。左腕をぐいとティティの腰に回し、力強く引き付けた。引き付けた弾みにとはより深くなった。の膨らみがイザークに屆き、ふにゃと凹んだ。上と下にを隠されて、點火される。
(わ、ぅわ……っ。火花、炎、見える……)
探り合って互いの心に火を燈すような、お互いを味わう激しい口づけだった。
イザークの舌がティティの炎を優しく宥めてゆくと、ティティもおずおずけ止めようと同じく、舌で応える。遠慮會釈ないがティティを包み込んだ。
「――もう、だめ……力、らない……ぅにゃ……ん」
「ティ?」抱き留めたイザークが呼んでいる。
夜空が本當にしいから、素っで飛び出して、空を突き抜けたい気分。
ティティは突如、視界に飛び込んだイザークを見た。頬が熱くなった。どこかに遊びに行った魂もすぽんと平然と戻って來た。
「あ……あの」イザークは上を舐めた。「頭、冷やしてくる」と背中を向けた。ティティはまた慌ててイザークの服を摑んだ。距離を取られるは嫌だ。魂を夜空に飛ばして、遊んでいる場合ではない。
「違うの! き、気持ち良かったの!」
イザークの闇に染まった背中が怖々といた。ぐるんとティティに向き直って、ティティはビク! と肩を引き攣らせた。イザークはズイと歩いて來た。ガツっと両腕を捕まえられ、揺さぶられた。
「本當の話か? ティティ、それ以上、無理した説明は要らんぞ」
「無理なんかしてない! ほ、本當……その、って來たあのじが嬉しくて、魂がぽーん、て、飛んでっちゃったの! も、もう何が何だか……!」
最後はモゴモゴになって、指を折ってをりり、必死で言葉を繋いだ。
「ティティ!」聲と同時に両腕を強く摑まれ揺さぶられる。
焦ったような、慎重なようなどっちつかずの口調でイザークが聞き返してきた。
「それ、本當か? 俺とのキスで、気持ち良かったって? 本當にティティ、そう思ったのか? 俺とキスして、良かったと。貴が言ったのか? それって俺をしてるとか、そういう話か? 俺がったじが分かったと貴が? 魂ぶっ飛んだ?」
「もうもうもう! 何度も繰り返さないで! 勝手に決めていい!」
「いーや。何度でも言うね。最高の気分だぜ! 聞いたか! 夜空!」
(ご勝手に!)とばかりにティティは立ち上がった。直ぐさま捕まえられた腕にじたばたして、モゴと告げた。
「ぜーんぶ、貴方のせい。こんなに大切にされたら、ずっと、そばにいてって思う。か、勘違いなんかじゃない! わたしはわたしの心に誇りがあるから噓なんか」
「素敵だ」イザークの腕を振り払う。イザークは見た覚えのない笑顔を浮かべていた。
(ちょっともう。何、そのけそうな表)
「こんな裁きの世界でも、する奴がいるって、心強いよな」
遠くから降り注ぐの雨を見ながら、イザークの口調は誇らしげになった。不思議だ。を判った途端、今度はこっちも伝えたくなる。
(見ていなさい、ファラオの娘の覚悟。言ってみせる。好きって! 驚くがいいわ)
すー、はー……ティティは大きく息を吸った。ところで靜止した。
(頭、まっしろ……全が心臓イブになったみたい。ええと、ことば、ことば)
「口開けて、止まってどうした? ティ?」
固まったティティの頬をイザークがでた。今度は心臓イブが張り切って滅茶苦茶にき出す。ぐるぐるする脳裏を叱って、ティティは何度も言葉を繰り返した。
「見てなさいよ、ファラオの娘の覚悟。見てなさいよ、ファラオの娘の覚悟。見て」
「ああ、分かったから。な、落ち著け」
また背中をぽん、ぽんとやられて、ティティは顔を上げた。イザークは照れ笑いを浮かべた。初めて見る、年のような屈託のない手放し全開の笑顔だ。
「俺のことでは一つたりとも困らせたくない。言えないなら、言わなくていい」
(優しい。そう、困ってるの。なら、言わない。言葉を無理して押し出しても、誤解を生むだけだから。この同じ空気、大切にしよう――)
こくんと頷いた。イザークはまた嬉しそうに破顔して、「もう一度確かめる。男に火をつけて、収まりつくと思うなよ?」と躙り寄った。
「話が違うでしょうが!」
「それが男だ。火が點いたら止まるものか! 止めどないを注ぎたくなる」
(よ、……? 止めどないって!)
「何を言ってんのよ――っ! 舌なめずりなんかしないでよ! 獣みたい!」
焦ったところで、コン、と木を叩く音。
「じゃれるのもそこまでよ。お二人」
ネフトが寄り掛かって二人を見ていた。ティティは焦ってイザークをどーんと押し退かせた。
***
イザークは茂みに突っ込んだが、すっくと立ち上がると、ズカズカ歩いてきた。
「気を利かせらんないのか! ネフトのおネエちゃんは」
「普段ならね」とネフトは告げ、國境の方角を指した。イザークが額に皺を寄せた。
ネフトは髪を夜空にたなびかせた。
「ここからずっと南に進めばテネヴェ界隈よ。近道を教えるわ」
ネフトはティティの服一式とイザークの背負い袋を持っていた。それに、こっそり磨き始めたドドメの寶玉。驚くティティをネフトは姉のように一度だけ抱き締めた。
「お別れよ、ティティインカ。夫の星墮ろしが終わったら、すぐに出るのよ。――軍隊の気配が聞こえるでしょう。かなりの人數がこのり江に向かって來ている」
イザークとティティは顔を見合わせた。ラムセスの追っ手に嗅ぎつけられた!
「ラムセスの野郎! どうしてこのり江が分かったんだ!」
を噛むイザークの前にサアラが現れた。ぐいとイザークに剣を突きつけた。
「持って行くがいい。無數の星が眠った剣だ。願いが汝らを助けるだろう。無事に呪いが解けたら返してくれたらいい。子供たちの親への願いは、殘酷なマアト神に打ち勝てるやも知れない」
會話の合間も、ティティの耳はザッザと歩く兵の足音を捕らえた。イザークは剣を手に、まだサアラと向かい合っていた。
「胡散臭いんだよな。あんた」
(ちょっと! 因縁つけてる場合じゃないのに!)イザークはサアラに躙り寄った。
「俺は男にゃ頭は絶対下げたくねえが! 俺とティティの呪いは解けるのか……それだけ聞いておきたい。知っている報を教えてくれ、頼む」
言ってぐいと頭を下げた。ティティはようやく知った。イザークは呪いに怯えているのではなく、報を探っていた。ティティ、大丈夫だ。告げながら、未來への暗中模索を繰り返していたのだと。
(一人で、背負わないでよ……ううん、わたしもついていくの!)
ティティも一緒に膝をついた。サアラは跪いた二人に興味を示さず、空を見上げた。
「神に打ち勝てるやも、と言ったはずだ。聞こえなかったか」
「――大逢えもしないのに、どうやって打ち勝つのか教えてしいね! 神だぞ! いるのかいないのか分からん存在!」
サアラはくくっと笑った。
「おや。汝たちはやるだろう? 神をみた覚えがない? よく言うよ、汝は見たはず」
イザークはバツが悪そうな顔をした。
「あんたは、すべて知ってて、黙ってるんだな。いけ好かねぇよ……! 毆りたい」
「本気で、人間は面白い。では、一つ、覚えておいてしいな」
サアラはくるりと背中を向けると、両腕を夜空に翳した。一気に空が明るくなる。サアラの腕に合わせて、星々が集まり始め、大きなの環になった。
集めたの環はラムセスの軍隊を照らし、のヴェールで遮斷した。両手を翳し、一瞥もくれず、サアラは嘲笑った。
「神の中にも、人間を案じる神もいるという事実をだ! 我が妻!」
「行きなさい。ここは、大丈夫よ。子供達はあたしたちが護るわ」
(神……いま、神の中にも、と言った……?)
「あんたら、まさか……」イザークが唾を呑んだ前で、どん! と大きな炎の壁が孤児院の窟を覆った。手を翳したネフトも振り向かずに聲を上げた。炎の香煙に捲かれ、ネフトは炎をっていた。ティティには判る。強力な呪だ。
「氷の空。南に繋がっているから、抜けられる。ティティ、イザーク、あたしたちは世界を変えることは出來ない。そういう縛りだ。ただ、夫婦の絆はどんな阿保な神よりも高尚なもの。それは保証する」
「悪い。我が妻ネフトはが昂ぶると言いが橫柄になるのでね」
ネフトは振り返り、ふっと笑った。サアラも夜空に掲げた両手を墮ろした。
「互いを信じて、行きな。それが全てだ。イザーク、ティティインカ」
――互いを信じて……聞いたイザークが強くティティの手を摑んで、引いた。
「ここは任せた。でも、俺は神を信じていなかった。これも覚えておけ」
(カルナヴァル神殿の柱の神の名は何? アヌビス、ネフティス、アラーだ……!)
「ネフト……ネフティス神! サアラ……アラー神! か、神さまって本當……」
ネフトがくるりと振り向いた。
「貴を何度も助けたでしょ? 諱を玩にしたら呪わないといけないルールなの。何かあったら呼びなさい。相が良いのよ、貴とわたし。暇してたら力を貸す」
気付いて、腰が抜けそうになった。
(あたし、渉した神さまたちと數日一緒に過ごしていたんだ! でもなんで、この世界で子供と旅なんかしてるんだろう……マアト神を知ってるのかな)
ティティはもう一度背後を振り返った。神に護られた孤児院の子供たちは、きっと幸せになれるだろう。
――わたしは、わたしの道を行きます。ネフト様。冥府の神、ありがとう、と。
ネフトの告げたはすぐに分かった。大きな海樹の幹を切り抜いた、氷結した雫がきらきらとしい。イザークは壁から垂れる雫を手でけ、頷いた。
「鍾か。行くぞ、ティ。テネヴェのオベリスクを見つければ狀況は変わる」
「そんな安直な話じゃないでしょ」
いつになくイザークは神妙な聲になった。
「知ってるんだよ。テネヴェ――……マアト神の一神教の國だ」
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