《本日は転ナリ。》4.決意表明
き通った冷たい風が頬をでる。辺りはすっかり暗くなり、疎らに並んだ街燈が道路へと明暗のコントラストを描いている。俺の隣を並んで歩く莉結は、ただただ黙って足を進めている。
家の近くの差點を曲がると莉結が俺の名前を呼んだ。そして振り向いた俺を見て、深刻そうにそっと口を開いた。
「瑠、大……丈夫?」
   風の音に消えてしまいそうな莉結の言葉に気の利かせた返事もできない自分が嫌になる。頭の中には今だに不安や焦りが渦巻いていて、立ち止まっただけでもそのに負けてしまいそうだった。俺はそんなをどうにかしたくて、無理矢理笑顔を作ると、空に浮かぶ星々に向かって大聲でんだ。
「あぁーっ! めんどくせーッ!」
その聲は辺りに響き渡り、歩道に疎な通行人達がこちらへと振り向く。でもその人達は自分に関係の無いものだと理解すると何事も無かったかのように足を進めだす。
……所詮は他人。あの人達からすれば俺が男だろうとだろうと、例え死のうとも関係のない事なのだ。
俺の奇行に困した様子の莉結だったが、何故かし嬉しそうに微笑むと、「あぁっ! めんどくせー!」と俺の真似をして空へとび、満面の笑みを俺に投げかけたのだった。
「なんだよそれっ」
「それは私のセリフだって」
夜空に二人の笑い聲が響き渡る。気がつけばの奧がすっと軽くなっていて、俺は無邪気に笑う莉結の橫顔を見て、"やっぱ莉結ってすげぇや"と思ったのだった。
「こんなん著れねぇって」
一夜明けた翌日、俺は莉結の部屋へと來ていた。というのも昨晩の帰り道、妙な高揚に浮かれた俺は、何故か"もとのに戻るまではを演じ切ってやる"なんて大口を叩いてしまった訳で……、それを間にけた莉結も莉結だけど、"それなら……"と莉結の私服を貸りる流れになってしまったのだ。
しかし莉結の出してくる服はどれも俺には小恥ずかしく、一時間が経とうとする今でも妥協できる服が決まらないでいた。
「じゃぁもういっその事服でいいじゃん」
いつまでも納得しない俺に呆れ始めたのか、莉結の言が雑になってきている気がする。そもそも"普通の服"でいいと言っているにも関わらず、如何にもが著ていそうな服ばかりをピックアップする莉結も悪いのだ。
「あっ……、じゃあこれはっ?」
突然輝きを取り戻した莉結の瞳が俺へと向けられる。莉結は嬉しそうに取り出した服を俺に當てがい、はしゃいだ聲を上げた。
「可いじゃんっ! いいよコレっ!」
先程までとは打って変わって上機嫌な聲。どんなものかと視線を下に向けた俺の目に映ったもの。それは黃と赤のみで構された布切れだった。
「これくまのぷ……」
「はいっ、次っ」
俺の意見など聞く素振りも見せずに莉結は次々と訳の分からない服を俺へと當てがった。次第に俺は無言となり、一人楽しそうにはしゃぎ続ける莉結をただただ見つめたのだった。
"こいつ完全に俺を著せ替え人形として楽んでやがる……"
そんな俺を目に妙な笑みを浮かべて子供のようにはしゃぐ莉結。俺は呆れつつも、莉結の楽しげなその姿に、暫くの間は黙っていてやろうと目をつぶってやっていたのだが。
莉結の手に水著が握られたのを見て流石の俺も口を開く。
「莉結……、それはやめろ。何だか……、それだけは駄目な気がする。てか真面目にやる気あるなら普通の服貸してくれよ。俺は何でもいいからさ」
「何でも良くないじゃん! そんなこと言って文句ばっか。著る気無いなら貸してあげないからねっ」
再び無邪気な笑みを浮かべてし始めた莉結を橫目に、俺は遂に呆れ返って「もう自分の服適當に著るわ」と言い殘し部屋の出口へと足を進めた。
「えっ、どこ行くのっ?」
「帰るのっ。俺は真剣に服借りに來てんのにお前がそんなんなら自分の服著てた方がまだ落ち著くし」
「自分の服って……」
「何だよ? いいだろ別に」
そう言ってから、莉結の微妙な反応の理由を理解した。自分の服。あたかも何枚も私服を持っているかのような口振りでそう言ったものの、普段出掛けると言っても病院くらいしか家を出る事のない俺。そんな俺は"金の無駄だ"などと言って學校の指定ジャージを休日に著こなす"非お灑落男子"だったのだ。馴染である莉結もその事実は當然知っていて、部屋を出ようとする俺の背中には冷ややかな視線が送り続けられていた。
「別に……、ジャージだって変じゃないだろ」
苦し紛れにそう言った俺だったが、莉結は一言、「の子でそれは……」と真顔で答えたのだった。
「もういい。それなら自分で服買ってくる」
そう言って部屋を出ようとすると、俺の背中に"ふーん"という、意味深な聲が纏わり付いた。何か言いたげなその言葉が俺の足を止める。暫く立ち盡くしたまま莉結の言葉を待ってみたが、莉結はせっせと服を片付け始め、俺が聞き返してくる事を待っているのは明確だった。
"悪め……、なんなんだよ"
こうなったら俺に勝ち目は無い。過去に幾度となく似たような展開に陥った事があったけど、己を貫いて突き進んだその先に待っていたのはいつも悪い展開だったのだから。
「っもう、何っ! 俺一人じゃ服も買えないって? 子供じゃないんだから」
「ううん、買えると思うよ」
何を言いたいのか分からない。ただ単に俺を揶揄しているだけなのか……。しかし莉結の怪しげな笑みがそうでない事を語っている。
「じゃぁ俺が服を買いに行く事になんの問題があるんですかっ」
俺がゆっくりと、嫌味を込めてそう言うと、莉結は俺の口調を真似てこう答える。
「じゃぁ瑠ちゃんはどこに買いに行くんですかっ」
"あぁそう言うことか"
そう思った。"どこに"と聞かれても自分の服には興味が無く、買いに行った事すら無い俺だ。そんな俺の頭には"どこに"の三文字がぐるぐると回転するだけで、俺の口がそれ以上開く事は無かった。
「だってさぁ、瑠はの子の服売ってる店知ってるの?」
半笑いで莉結が目を細める。俺は負けじと冷靜を裝って鼻で笑ってからこう言った。
「そんなんどこにでも売ってるだろ。別に俺はお灑落したい訳じゃないんだから」
「それはいいけどさぁ、一人で行ける?」
    "一人"と言うワードから、即座に俺の脳がシミュレーションを始めた。の服がズラリと並ぶ店に品定めをする達……、店員は勿論で……、あれ? ってどんな服著てたっけ……。
そしてその答えは五秒を待たずして俺の口を開かせた。
「まぁ、暇なら來ていいけど」
何か負けた気がして嫌だったが、この姿での服屋を歩き回って買いをするなんて絶対に無理だ。"ホンモノの"である莉結が居た方が効率的だし……、この際仕方がない。そう、仕方ないんだ。
そう言って自分に暗示を掛け、妙に上機嫌な莉結を連れて早速買いに出掛ける事になった。
莉結の影に隠れながら、なるべく目立たないようにして歩いていく。晝夜でこうも違うものなのか。他人の視線が気になって仕方が無かった。バスに乗る時にも俺は一番目立たない最後部へと座った。勿論、乗客の誰もが俺の事なんて気にしている素振りは見せなかったが、時折俺へと向けられる視線が、罪悪にも似た妙なを煽り立てたのだった。
著いた先は近所のショッピングモール。人が溢れる息苦しい所に來ることは極力避けていた俺だったが、平日の店は思いの外、人は疎らで、子連れの主婦の姿が目立つ。
慣れた様子で歩く莉結の後を追って行くと、その一帯にはずらりとの服屋ばかりが並んでいた。そのどれもが似た様な服ばかりで、俺には全て同じに見えたのに、莉結はそのどれにも目を向けずにその足を進める。
「何で店んないの? どこっても一緒なんじゃねぇの?」
そんな純粋な俺の疑問に、莉結はすぐには答えず、周囲を見渡して立ち止まると、突然怪訝そうに聲を潛めてこう言った。
「ちょっと、喋り方」
俺は疑問に眉を顰めた。するとそれを察したのか、莉結は"の子らしくしてよ"と付け加える。
"らしい喋り方"ってどんなだよ、と言い掛けてやめた。今は莉結の機嫌を損ねる訳にはいかない。
するとある店先に飾られたコートが目にとまる。以前ならこんなただの景の一部として通り過ぎていた。それなのに何故だろう、自分の服を探しているという狀況のせいか、不覚にも"これならいいかも"なんて思ってしまったのだ。
そんな俺の様子を見逃さなかったのが莉結だ。そのまま通り過ぎようとした俺の顔を覗き込んで「似合ってるよ、試著する?」と微笑んだのだ。
俺は自分の不覚を恥じながらも、"早く帰る為だから"と言い訳をし、試著を経てまんまとレジへとその足を進めてしまったのだった。
    そしてそれが引き金となり、別の店では莉結が選んできた々な服を試著させられ……、挙げ句の果てに子の代名詞である"ショップ巡り"までしてしまった。
それを苦に思わなかったのは、きっと子特有の脳質か何かのせいで……、俺が買いを楽しんでいるなんて事実は絶対に無い。そう自分に言い聞かせた。
「えっと、今日は……々ありがとな」
    ようやく"任務"を終え、達に満ち溢れた俺は莉結に謝の意を述べた。それなのに莉結は軽く返事をして、"じゃぁ次行こっ"と俺の手を引いたのだ。
「えっ、終わりじゃないの?」
既に両手はショップ袋で一杯になっているというのに、また別の店へと向かい始めた莉結。これでもかと服を買ったというのにまだ買い足りないのか……、なら兎も角、俺は男だというのに。そんな事を口にしようかとした時、莉結の口から気になる一言が発せられる。
「"一番大切な"買ってないからねっ」
    "一番大切な"なんて言っておいてきっと子の自己満アイテムとかなんかだろう。そんな、俺には必要無いし、そんなまで付けたら完全な"子"みたいじゃんか。
    
「俺は変なオシャレとかする気無いからな。あくまでもこれは俺が元に戻るまでの臨時的ななんだから。だからもう今日は疲れたから帰る」
俺はそう強気になって答えた。俺はもう買うべきは買ったんだから莉結もそれ以上は無理強い出來ないだろうと踏んで。
「ふーん……、まぁいっか」
    その瞬間、また俺の足が止まった。莉結がこういう言い方をする時は必ず何かあるのだ。
「今度は何だよ」
「最近寒いよね、冬だもんね?」
「だから何だよ、コート買っただろ?」
「の子はね、その下にもちゃんと"付けてる"があるって知ってた?」
「は? 付けてる?」
すると莉結は人差し指を立て、そのまま俺の部へと押し當てた。突然の事に、思わず"ひゃっ"とけ無い聲をらしてしまった。
「別に薄著じゃ無いし"ノーブラ"も否定しないけど、子として私はお勧めできないかなぁ」
    まさか……、こんな日が俺に訪れようとは。
この瞬間、俺に再び訪れた子故の憂鬱と後悔。その存在を知ってしまい妙な恥じらいをじ始めてしまった俺。所謂ハーディング効果というやつだ。こうして俺は自尊心と引き換えに下著を新調するに至ってしまったのだった。
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