《鮫島くんのおっぱい》梨太君のミートソーススパゲティ
梨太はノートパソコンを閉じると、さっそく冷蔵庫の方へ向かった。自分もすっかり忘れていたが、確かに飯時を過ぎている。
米も炊いていないので、パスタを茹でることにした。
スパゲティ一品だけでは寂しいが、一品料理を作るのまでは面倒くさい。
よしだくさんにしようと思い立って、トマトソースに末ブイヨン、炒めたナスとタマネギを追加。冷凍のミートボール、アンチョビとブラックオリーブ、隠し味程度に唐辛子。細切りのとろけるチーズ、仕上げに黒胡椒をゴリゴリ挽いた。
それができる間にコンソメスープを用意。食パンにバターとオリーブオイル、おろしニンニクを塗ってトースターへ。ついでに、作り置きの塩淺漬けに甘酢を足して、簡易ピクルスにしてみる。
十五分後、テーブルに並んだ料理に、犬居はオォッと聲を上げた。
「お前、料理するの早いなっ」
「半分インスタントみたいなもんだもん。さ、さくっと食べちゃいましょー。フォーク回して。お口に合うといいですけど」
アイスティーを注ぎ、梨太は席へつく。自作の料理をさっそく頬張ろうとし――
ふと、靜寂に違和を覚え、顔を上げた。
ラトキア人が、祈っていた。
それは無言で、ほんの二、三秒程度の短い祈りであったが、両手を膝に乗せ目を閉じて、たしかに神と食材に祈りを捧げている。
二人は同時に目を開くと、今度は日本式に「いただきます」と手を合わせた。
異文化流のまず第一歩は、彼らと食事をすることだ――
そんな言葉を、どこかで聞いた気がした。
彼らは上手にフォークを使い、なんら問題のない作法で食べ始めた。特に鮫島は、不思議なくらい、音がたたない。咀嚼音はもちろん、フォークが皿に當たる質音もだ。
そういえばどんな場面でも、彼はいつだって音がごくない人間だった。
梨太はこれまで、軍人、という職業の者に出會ったことはない。
騎士、というものにもなじみが無い。ただなんとなく漠然と、無骨な戦士をイメージしていたように思う。
それと、ラトキアの騎士たちは違う。騎士はただの「戦う兵士」ではなかった。もとより漠然としていたためどこがどう違うと言えないが――
二口ほど食べて、鮫島がクスッと笑い聲をらした。
「おいしい」
そう呟いて、食事を再開する。
梨太はそこに何も言わず、ミートボールを口にれるがなんだかどうにも噛みにくい。と思ったら、それはどうやら自分の口元が、間抜けなくらいニヤニヤとゆがんでいたせいだった。
全員が半分ほど食べ終えた頃だろうか。聞き覚えのあるブーピー音とともに、犬居の鞄からクジラ型無線機が自力で飛び出してきた。
は真紅。くじらくん二號機である。一號機はいま、猿川のアパートにいるはずだ。
モニターが自で作し、畫面に鯨史のバストアップが映し出される。
「おまたせ。おや、食事中かね? 何を食べている? これって何?」
「知らん。リタが作ってくれた」
「ミート・アンド・チーズボールりのアラビアータのようなナニカ、栗林家冷蔵庫にアッタモノ仕立て」
「ほほうほうほう。味そうだなあ。いいなあ」
くじらくん二號はしばらくテーブル周りをうろうろしていたが、突如、きりりとした聲を出した。
「さて、猿川は確保したぞ。やつはオーリオウル星人とのハーフで、地球になじみやすい外見をしていた。リタ君の進言がなければ捕まえられなかったかもしれぬ」
「オーリオウルって?」
「ラトキアの姉妹星だよ。ラトキアはオーリオウルと、オーリオウルは地球と古くからつながっている。地球人と伝子の起源が同じとされていて、地球にはかなり多く移住してきているぞ。母星で指名手配食らった悪人だとかな。當然、裏家業でその斡旋屋もいるわけだ」
犬居が解説した。
「まー、そういう仲介でもなければ亡命は難しいよねえ」
梨太は妙に悟りきった様子で、もぐもぐと茄子を噛んだ。
にっこり笑う鯨。
「猿川はオオモノだぞ、リタ君。こいつは多くの逃亡者の面倒役をやっていた。今、醫療科學に通した騎士が自白剤の調合をしている。うまくいけば殘黨を一網打盡にできるかもな」
「そりゃ良かった」
とはいったが、正直それほどの興味はない。
逃亡者たちは、この地球になんら害のない、ただの外國人でしかない。一介の高校生である梨太にとって、熱く正義を燃やすほど悪黨という覚がなかったのだ。
それよりも、関心は。
「……で、報酬は?」
鯨がのけぞる。どうやらを張って、ちょっと張りすぎたらしい。核弾頭のような大きな突起が、畫面いっぱいに映し出された。
「うむ、良いだろう。まだまだ働いてもらうが、これからの捜査になにか役に立つかもしれん。
約束通り、お前に話してやるとしよう。ラトキア人の生態を」
「やったっ!」
梨太は飛び上がってガッツポーズ。犬居があきれたような顔をし――鮫島の方へ、視線を移した。鯨も同時に弟をみる。梨太もつられた。
三人から視線を浴びて、彼は顔を上げた。スパゲティを食べ終え、コンソメスープで口直しをしていた鮫島は、その視線の意味をはかりかねたらしい。
「……なんだ?」
居心地の悪さに、不機嫌な聲で言った。
鯨が毅然という。
「いいな? 鮫」
「……なにがだ」
「地球人にお前ののことをはなす」
鮫島の細い眉がぴくりとあがった。
「……なんで、俺の、なんだ。ラトキア人全のことだろう」
「実例が必要だ。それに、この年がもとよりお前個人に興味があって聞いてきたこと。わたしは彼の働きをねぎらって、その求を満たしてあげたいと思う。そういう約束だ。政治家が噓をつくわけにはいかないんだよ」
鮫島は無言で嘆息。スープを飲み干すと、手を合わせて「ごちそうさま」と挨拶した。そのまま立ち上がる。
「勝手にしろ」
「どこへいく?」
「別に。し休む。俺の顔がそばにあると話しにくいものがあるだろう」
そう言って、彼は二十二畳のLDKの最奧、二人掛けソファにを沈めた。
背もたれ越に、頭髪の一部だけが見える。そこでそのままかなくなった。夫婦喧嘩のあとのお父さん狀態である。
「……なんか、そんなシリアスなの?」
梨太が聞くと、鯨はホホホと高笑い。
「なんだか気恥ずかしいから逃げただけよ。昔から、自分の誕生日パーティーに親戚が集まってくると真っ赤になって自室にこもるような子供だったわ」
鮫島の後ろ頭がぴくりといた。よけいなことまで言うなと抗議しているようだ。だが、姉は聲を潛めることなどなく。
「一度了承したことを恨む男でもないよ。安心しなさい」
「はあ……それじゃ遠慮なく、ほり葉ほりぜんぶ聞きます」
「お前の図太さってたいしたもんだよ」
半眼になる、犬居もなんだか逃げたそうにしていた。
居住まいを正して見上げる梨太に、鯨はコホンと咳払い。のどを潤して、簡潔に、言った。
「ラトキア人は――地球の言葉をつかって分かりやすく言えば、両有、半。男でもありでもあり、父にも母にもなれるよう、誰もがそうして生まれてくる民だ」
梨太は息をのんだ。
「といっても、並行してそうであれるわけではない。周期的に、男になったり、になったりすると考えてくれ。
そしてその周期には大きく個人差があり、年齢や健康、神狀態によっても大きく変わる。必ず別変換が定期で訪れるとはいえないし、本人の自由自在ではない。また、いくつかの條件を満たせば、その別を以後固定することができる――固定されてしまう」
「……ぐ、的には?」
無意識にが締め付けられていたらしい、うまく回らない舌で、梨太は追及していく。
鯨がうなずいた。
「うむ。それは、地球人の男である君もなんとなく共出來るのではないかと思うが……そうだな、男ので固定、すなわち雄化ゆうたいかを例にその條件を挙げていこう。
ひとつは、生まれつきの優位。『どちらにもなれる』とは言っても、やはり、『どちら寄り』というものがある。スタート地點で、男的、的と分かれて生まれてくるのだ。極限まで雄優位で生まれた場合、不完全ながらもその特徴は、地球人の思う男とかなり近いものになる」
「やっぱりの子を好きになる?」
「その通りだ。これが第二の條件。をすると、その相手にたいして異になろうとしホルモンが働き、心をよりそちらへ長させていく。
イメージとしては、『ちょっとの子っぽかった年が、にをしたことで、男らしく長した』となる」
「ああ、なんかわかりますねえ」
「だけではない、たとえば男ホルモンを活化するものと聞いて、リタ君もいくつか思い當たるだろう。君がを熱くさせるもの……スポーツ、コレクション、メカ、特定の言葉や音楽、そして、戦闘。そういったものが、雄化を促進させていく。
逆もしかりだ。男にをしたり、かわいらしいもんでもでておれば雌化したいかが進む。それが長年にわたれば自然と固定され、以後、変換はしにくくなってくるのだ。一度や二度の渉ならともかく、妊娠して、出産、育児で計二年近く雌が継続されたら、もう男には戻れない」
ここまで聞いて、梨太は報を整理した。
分かりにくい話ではない。が、目の前にいる三名にあてはめて想像するのは容易ではなかった。
「……と、いうことは、えっと。鮫島くんの場合は?」
「うむ。姉のわたしが知るだけの、あれの半生を話してやろう。あくまで一例であり、おなじ條件がそろえば誰しもあのようになるというわけではないのだがね」
梨太はそうっと、ソファの方を振り返った。星最強の騎士団長は、その後ろ髪だけでひとを威圧することが出來るらしい。
(でも、負けないもんね)
ぐっと拳を握りしめ、梨太はうなずき、鯨に続きを促した。
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