《ボクの彼は頭がおかしい。》フィナーレ
「何考えてるの!?」
五月の聲が校舎裏に響く。
「だから全部あなたのためだって言ってるでしょ?」
どちらかと言えば冷靜な藤堂さん。
「私のためになんかならないよ!今すぐやめて」
「それは無理でしょうね。あのゴミ蟲さんはあたしの大切な友達をこんなにも傷つけたんだから、當然ボロボロになってもらわなきゃ」
「あのね、私のことを思ってやってくれてるのかもしれないけど、でもそれは間違ってる。沙紀、お願いだから二度と早瀬くんに嫌がらせしないで」
「斷るわ。あたしはあのナメクジ男を叩きつぶす」
「…そう。だったらその前に、わたしが全力で沙紀を潰すから」
五月は多分、大勢の人に見られているという簡単な事実にさえ気付いていない。
それほどに熱くなっている。
周りが一切見えなくなるほど、今の彼は必死なのだ。
五月が藤堂さんに詰め寄った。
まずい。
始まってしまう。思わず息をのむ。
周りの聴衆たちも、ただ黙って事の行方を見つめている。
第二次學校戦爭発、か。
五月が相手に摑みかかろうとしたその時、長の男が颯爽と舞臺の中央に躍り出た。
イケイケ牛くんだった。
素早い作で五月を押しのけ、藤堂さんをかばう牛くん。
すげー。
うん、確かにすごいんだけどさ、彼が出てくるとなんか張無くなるよね。
「邪魔しないで!」
牛くんの登場にも関わらず、なおも突進をやめない五月。
「落ちつけよ」
牛くんは五月の肩を摑んで藤堂さんに近づけさせないようにしている。
「離して!」
暴れる五月。
そして次の瞬間、彼の右手が偶然に牛くんの目元を抉った。
牛くんが顔を歪める。
聴衆から悲鳴が洩れる。
「…痛ぇじゃねぇかよ?」
まるで別人の牛くん。
聲も表も信じられないぐらい恐ろしい。
五月もその異変に気付いたのだろう。
先ほどまでとは打って変わって、表が青ざめている。
牛くんが五月を見下ろし、拳にグーの形を作り出した。
おいおい牛くんまさか毆る気なの?ちょ、そんなわけないよね?
「の子毆っちゃダメでしょ牛ピー」
今度は別のところから別のイケメンが姿を現した。
あ、この人あれだ、何日か前に五月と楽しそうにお喋りしてた人だ。
カッコ良くてしかも格までイイらしい彼。
やっぱそういう類いの人は抜群のタイミングで登場するものなんだね。すごいや、まったく。
「あ?引っ込んでろよ」
牛くんが殺気に満ちた表でモテ男くんに近づく。そして毆るポーズを取ると、モテ男くんは呆気なくステージから退場した。
あれま。
五月が絶の表を形作る。
そんな彼との距離を詰める牛くん。
「オレを毆った分は許してやってもいい。だけどさっきお前、『沙紀を潰す』って言ったよな?さすがにそれは見逃せねぇぜ?」
牛くんが右腕を高く振り上げた。
その拳は力強く握り締められている。
まじかよ。
本気で毆る気だ。
――僕のは、気付くときだしていた。
周りの目なんか気にせず、とにかく五月を守ろうと全力で走っていた。
牛くんが彼に襲い掛かる。
彼は肩を小さく丸めて防の勢を取った。
頼む、間に合ってくれ。
勢い良く振り下ろされた拳。
僕は一杯腕をばし、五月の手を取った。
そして力任せに引き寄せる。
代わりに僕が牛くんの前に立ち、そして――
牛くんの拳は、僕の頬を綺麗に打ち抜いた。
ぐわん。
大きな衝撃が走る。
思わず二、三歩よろけたが、何とか踏みとどまった。
倒れるわけにはいかない。
「本気で毆る気だったなんて」と、僕は言った。
「ちげーよ」
痛みをこらえながら顔をあげると、なぜか牛くんは笑顔になっていた。
あれ?
「オレが毆るわけねぇだろ。お前だから毆ったんだよ」
「はい?」
「出てくんの遅すぎだろ、バカが」
「え…」
「じゃ、後は任せたからな」
牛くんはそう言うと、藤堂さんの肩を抱いて歩き出した。
藤堂さんだけがこちらを振り返って、いたずらっ子のような笑みを浮かべている。
校舎裏に大量に集まっていたギャラリーたちも、「あとは頑張れよ」とか「しっかりな」とか口々に言葉を殘して立ち去っていった。
そしてこの場に殘されたのは、僕と五月の二人だけ。
呆気に取られる僕。同じく狀況が摑めていないらしい五月。
うん、これハメられましたね。
王と牛くんに、いや、全校生徒にまんまとしてやられましたね。
ここ數日間の中途半端なイジメみたいなやつも全部伏線ですね。
すごいですね。まったく気付きませんでした。とても悔しいです。
…でも。ちょっとありがとう。
僕は五月のほうに向き直った。
「さ、五月」
「はい」
「えっと、あの……」
先をつづけるべきか迷った。
僕は今、一度自分で出した結論をあっさりひっくり返そうとしている。それはこの場の勢いに乗じているだけではないか、という疑問が脳裏をかすめた。
問題は何一つ解決しちゃいないだろうと。
もし昔のように戻れたとしても、またいつか同じような狀況に追い込まれてしまうのではないだろうかと。
「大丈夫だよ早瀬くん」
「え?」
彼は穏やかな表をしていた。目には自信が満ち溢れている。
「二人で乗り越えて行けばいいんだよ」
全部見かされていた。
やっぱり彼には敵わないな。
「五月、今までごめん!」
とうとう僕は言った。全全霊の土下座と共に。
一度言ってしまえば、あとはもう止まらない。
「僕は五月のことが好きだ。雫さんじゃなくて五月が。不安にさせていたのにも気付かなくて本當にごめん。それから、あの、周りの目を気にしすぎちゃって――」
「顔、あげて」
「…えーっと……」
「いいから」
僕は立ちあがった。同時に彼が口を開く。
「泥だらけになってるよ」
あ、これは。
「…え、僕?」
「そっそ。鼻のとこ、それからおでこもだけど、泥だらけになってる」
「あぁ、ありがとう」
僕はいったん言葉を切った。
思わず頬が緩んでしまう。「懐かしい」
「早瀬くんも覚えてたの?初めて話した時、確かこんなだったよね」
彼は笑っていた。
久しぶりに見た彼の笑顔は、やっぱり僕のを高鳴らせた。
そして僕らは、さまざまなことを謝りあった。
思い返してみると、ここ數週間の僕は一何がしたかったのだろう。こんなにも可いの子を振るなんて、頭がおかしいにも程がある。他人に釣り合ってないと言われただけであんなにもなってしまう自分。
うん、僕のメンタルはチキン以下だ。
釣り合ってないとか足を引っ張っているとか、そんなのこれからの努力次第でどうにでもなることなのに。
「それで五月。お願いがあ――」
「その前にわたしからも一つお願い」
「…何でしょう?」
「わたしを早瀬くんの彼にしてください」
この時僕は誓った。もっとちゃんと努力しようと。
彼に見合うだけの男になろうと。
本的にひねくれた格は當然変えなければならないし、それだけじゃなくて表面上のことにも気を配ろうと。
イケメンじゃないのは仕方ない。
だけどそれで、全てを諦めちゃいけないんだ。
髪型を変えたり、お灑落に気を使ったり、努力でカバーできる部分は多々ある。
言い訳ばかりして逃げ続けていること、それこそが最大の罪だ。
「僕からもお願いします。もう一度僕の彼になってください」
「もちろんです!」
五月は何度も何度も、頷いた。
頷いてくれた。
嬉しくてちょっと泣きそうになったけれど、恥ずかしいので我慢する。
「おいで、五月」
そして僕は両手を広げた。もちろん抱きしめ――
「いや」
急に無表になってそっけなく言う五月。
…あれ?ここはあなた、僕に飛びついてきてやったーハッピーエンドーばんざーいってなじで綺麗に終わるところでしょう?
「しばらく抱きしめさせてあげないから」
「そう…ですか……」
やらしい目的とかじゃなくて、もう単純にギューッてしたかったです。
がっかり。この広げた両手の処理、どうしましょう。がっかり。
そんな僕をまじまじと見つめる彼。ぽつりと口を開いた。
「抱きしめられるのも好きなんだけど、今はどっちかっていうと……」
彼の目がだんだんと輝き始め、そして新たな世界を創造するほどの大発を引き起こす。
なるほどね五月さん、読めましたよ。
「抱きしめたい気分なんだよね!」
彼に飛びつかれ、そのまま押し倒される。
顔だけじゃなく制服も泥まみれになってしまった、なんてくだらない思考はこの際捨てておこう。
見上げた視線の先、すぐ目の前にこんなにも綺麗で可くておしい五月がいるのだから、後はもうどうでもいい。
「もう離さないでね」
「離す気も離れる気もサラサラありません」
「うむ、よろしい。では褒にキスをして進ぜよう」
「ははぁ、ありがたき幸せ」
のれた。
これこそが、幸福の再來を告げる合図。
あぁ、これからは毎日が五月日和になるんだろうなぁと、僕は強く確信した。
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