――王城が『憤怒』に襲撃された。

「……そんな」

その知らせをけて、真っ先に反応したのはクレアだった。

力なくよろよろとその場に崩れ落ち、目の焦點が合っていない。

「落ち著けクレア。ヴァルター陛下はきっと無事だ。こうして伝令の人が事態を伝えることができているんだから」

クレアを安心させるためにそう言ったが、ヴァルター陛下が無事な保証などどこにもない。

事態は一刻を爭う。

「また、『憤怒』はクレア様の柄を要求しています。要求がけれられなかった場合、王城にいる人間全員を拘束すると」

「……拘束？　殺害の間違いではないのか」

ウルゾフ先生が疑問の聲を上げる。

たしかにそこは引っかかるが、どうせ何かロクでもないことをするために生け捕りにするだけだろう。

大して意味はない。

「『憤怒』か。できれば相手はしたくなかったが、王城が襲われたとなっては仕方ないのう……」

アミラ様は憂鬱そうな表でため息をらす。

『霊級』と呼ばれるアミラ様でも、『大罪』の魔師の相手をするのは気が重いようだ。

「おぬし、ラルフと言ったな。そなたに頼みがある」

「え？　な、何ですか？」

まさかアミラ様から話しかけられるとは思っていなかったので、若干反応が遅れた。

「そなたに、『憤怒』の討伐に協力してほしいのじゃ」

「……え？」

何を言われたのかわからない。

聞き間違いかと思った。

だが、目の前のアミラ様は至極真面目そうな顔で、

「『大罪』は、いずれも霊級以上の魔師じゃ。その絶対數がないからあまり知られてはおらんが、霊級の魔師は自の周りにいる霊を自の支配下に置いてしまう」

魔を使うためには霊の力が不可欠だ。

霊がいない場所というのはまず存在しないため、普段はあまり気にする必要はないのだが……。

「それはつまり、『憤怒』の前では魔が使えなくなるということですか？」

「その通りじゃ。ゆえに、『霊級』と『皇級』の間には絶対的な格差が存在する」

それはつまり、霊を『大罪』の魔師に奪われてしまえば、皇級以下の魔師はただの無力な人間と化すということ。

「そこでそなたには、その霊を『憤怒』から奪う役目を擔ってもらいたい」

そこまで言われてやっと、アミラ様がオレに何をしてほしいのか理解した。

しかし、そううまくいくのだろうか。

「僕なら、『憤怒』に隷屬している霊たちを奪えると？」

「奪えるじゃろうな。お主は霊にされておる。この上ないほどにな。そして霊を奪えれば、『憤怒』を撃退できる可能は大幅に上がる」

討伐じゃなくて撃退なのか。

隨分と弱気なことをおっしゃる。

なにか殺せない理由でもあるのだろうか。

とにかく、オレの答えは決まっている。

「わかりました。僕も行きます」

「……やめときなよラル君。相手はあの『憤怒』だよ？　危険すぎるよ」

「そうだよラル。危ないよ……」

そんなことを考えていると、ロードとクレアが真剣な表でオレのことを引き留めてきた。

単純にオレのことを心配してくれているのだろう。

「安心しろ。ラルフの安全はワシが保障する。そなたたちはただ、ワシとラルフが無事に帰ってくるのを祈っていてくれ」

「でも……わたしが『憤怒』のところに行けば、みんなは助かるんだよね？」

恐怖に震えながらも、そんなことを言い出すクレア。

「そんな保証はどこにもない。まず、クレアを『憤怒』に渡すなんて絶対にダメだ」

王家の筋とかそういうのは関係なく、一人の友達として、自分たちが助かるためにクレアを危険な奴に差し出すなんてできない。

當然のことだ。

「でも……」

「大丈夫だよ、クレア」

まだ不安そうな表を浮かべるクレアを見かねて、オレはクレアを抱きしめた。

「ひゃっ！？　ラ、ラル……？」

「牙獣のときも言っただろ？　オレはお前のことを絶対に守るし、必ず無事に戻ってくる。だから信じて待っていてくれ」

「……！　う、うん！」

クレアはし顔を赤くしていたが、さっきまでとは表が全然違う。

オレも勵ました甲斐があったというものだ。

ロードは難しい顔をしていたが、渋々といった様子でオレが『憤怒』のところへ向かうことを納得してくれた。

「ダリアさん。クレアのことをよろしくお願いします。ロードも、何かあったらクレアを守ってやってくれ」

「はい。任されました」

「僕もクレア様にはお世話になってるからね。こっちは僕たちに任せて、安心して行ってきなよ、ラル君」

「ありがとう。恩に著るよ」

この二人、そして學園の先生たちがいれば、『憤怒』がこちらまで來ることがあってもクレアを逃がすぐらいのことはしてくれるだろう。

そんなことにならないように、オレとアミラ様がなんとかして『憤怒』を倒さなければ。

――こうして、オレとアミラ様は『憤怒』の撃退に向かったわけだ。

まさかフレイズが殺されかけているとは夢にも思っていなかったので、かなり焦ったが。

あと數秒でも遅れていたら、『憤怒』に殺されていたことだろう。

危ないところだった。

「あ、ありがとうラル。助かった……」

「おっと」

フレイズは憔悴しきった顔でそう言うと、オレの腕の中で気絶してしまった。

慌ててそのを支える。

し重いが、さほど問題はない。

を鍛えていてよかった。

それにしても、

「……相変わらず気持ち悪いな」

異様なほど折れ曲がった腰に、長すぎて地面をっている黒髪と赤の服。

白すぎるに、ギラついた目が髪の隙間からこちらを覗いている。

その立ち姿だけでも異常なほどの嫌悪をじさせた。

「ああ、ご挨拶が遅れましたね。ワタシは『憤怒』の魔師、カミーユと申します。以後お見知りおきを」

丁寧なあいさつをするカミーユ。

それがむしろ、不気味さを際立たせる。

ここまで見ると、『憤怒』の姿は最初會ったときと大して変わっていない。

前と変わっている點を挙げるとするならば、やはり腹部からびている何十本もの赤黒い手だろう。

今もなお獲を求めるかのように口を開け蠢いている手たちと、ところかしこに転がっている片との海を見れば、何があったのかはおおよそ察しがつく。

おそらく、フレイズの同僚たちはカミーユに霊を奪われ、なすすべなく手たちの餌となったのだ。

吐き気がこみ上げてきたが、今はそれを必死に抑え込む。

「ふむ……話には聞いておったが、やはりワシの知っておる『憤怒』とはし違うようじゃのう」

「というと？」

「ワシの知る限り、『憤怒』は初老の男じゃった。まあずいぶん昔の話じゃから、代替わりでもしたのじゃろう」

アミラ様の目は、遠い過去を見據えているようだった。

いったい何年前の話をしているのか。

怖くて聞けない。

というか、今聞き捨てならないことを聞いた気がする。

「それってもしかして、『憤怒』が複數いる可能もあるってことじゃ……」

アミラ様が言っている初老の男と、今目の前にいる。

それは同じ『憤怒』を宿した別の人間なのではないだろうか。

「その心配はない。『大罪』は、その世界で一番素質がある人間に宿るものじゃからの。二人以上に宿ることはないのじゃ」

なるほど。

だから一人だけ、と。

『大罪』のしくみはイマイチわからないが、今はそれはいいか。

今はただ、目の前の敵を倒すことだけに集中すべきだ。

「まあ、今の『憤怒』が貴様であるというのなら、むしろ好都合というもの。余計な気を遣わなくて済むからのう」

アミラ様は僅かに口元を歪めながら、何もない空間へと手をばす。

「貴様の『憤怒』、ワシが斷ち切ってくれるわ」

いや、正確には、何もないはずだった空間、だ。

「――『炎霊刀』」

アミラ様が手をばした先に、それはあった。

それがまるで、最初からそこに存在していたかのように。

「……！　それはもしや、伝説の霊ではありませんか！？」

カミーユが驚愕の聲を上げる。

その刀は、見惚れるほどにしかった。

目に見えるほどの高度な火霊たちが周りに浮かび、炎を纏う紅の刀が、鋭い輝きを放っている。

カミーユの言葉を借りるのは癪しゃくだが、まさに伝説の霊と呼ぶにふさわしい姿だ。

「もしやとは思いますが……あなたは知りませんかね？　赤い棺を」

「狂人の戯言に付き合う道理はない」

カミーユの問いを、アミラ様はバッサリと切って捨てた。

しかしカミーユは、何かに納得したように深々と頷き、

「どうやら『霊級』と呼ばれるあなたでも知らないようですね。しかし、あなたの考えていることは読み取りにくい……まるで頭の中に靄もやでもかかっているかのような……」

「この程度で『大罪』を斷ち切れるとは思わんが……やれるだけのことはやってみるまでじゃ。ラルフ！　準備はいいかの？」

「はい、アミラ様！」

……先ほどから、アミラ様はカミーユのことをことごとく無視している。

間違ってもそれがひどいとは思わないが、何か理由あっての行なのだろうか。

単純にまともに取り合うのが疲れるから無視しているだけなのかもしれない。

まあいい、オレはオレにできることをやろう。

オレは霊たちに呼びかける。

特に、カミーユの周りにいる霊たちに向かって、こちら側へと來るように。

「霊よ、來てくれ！」

思考だけでは足りないかもしれないと思い、聲に出してみた。

「面白いことをしていますね。まさかそんなことでワタシの霊たちを奪えると本気で思って――」

カミーユは面白い見世でも見るような目で、興味深そうにオレのことを眺めている。

明らかに馬鹿にしている。

だが、その言葉が最後まで続くことはなかった。

『憤怒』の周囲から霊が消えた。

「は？」

カミーユの間が抜けたような聲が響く。

それは間違いなく、自分の周りの違和をじ取ったからに他ならない。

「……これは、想像以上じゃな」

一方で、アミラ様は嘆の息をらしていた。

オレの周りには、『憤怒』から奪った霊たちがいる。

あまりにも高度なため、青や赤などのついたになって目に見えるほどだ。

「なにを……何をしたのですか！？　一これはどういう……」

「ワシら『霊級』がやっていることと、本質的には同じことじゃよ。強さは桁違いじゃが」

無理解を示すカミーユに向かって、アミラ様は靜かに語りかける。

「良かったのう。これで皇級の魔を扱えるようになれば、おぬしも晴れて霊級魔師の仲間りじゃ」

「くっ……！」

カミーユが苦々しげな顔で、腹部から生やした手をオレのほうへばしてきた。

だが無駄だ。

風霊に軽くお願いしただけで、オレの霊たちがいる空間に侵したカミーユの手は、風の刃でバラバラになった。

それを見たアミラ様が、驚いたような顔を見せて、

「魔力を必要とせず、周りの霊の力のみを使い行使する……これは全く新しい系統のじゃ。霊、とでも呼ぼうかの」

これが？

たしかにこれまでも、霊たちが勝手にやってくれることは何度かあったが、そこまで珍しいことなのだろうか。

「……その顔を見る限り、どうやら、これまでも無意識のうちにそれを使っておったようじゃの」

「まさか……その子にそれほどの素質が」

アミラ様はし呆れ顔で、カミーユは有り得ないものを見るような目でオレのことを見ている。

「さて。これで丸だな、『憤怒』よ」

アミラ様が炎霊刀を構える。

それを見たカミーユは僅かに目を細め、

「黒を纏いし――」

「遅いッ！！」

魔を使えないはずのカミーユが謎の詠唱をしようとしたが、アミラ様の炎霊刀が奴を両斷するほうが速い。

「っ！　ミューズか！」

しかし、炎霊刀の一撃をけたはずのカミーユは冷靜な表を崩さない。

炎霊刀の攻撃が通っていないように見える。

そこでオレは、不意に気付いた。

カミーユのを守るように、一人の男が立っていることに。

いや、あれは立っているのではない。

地面から僅かに浮いている。

黒いフードを被っており、黒い布のようなもので全を覆い隠している。

ファッションにしては々奇抜だ。

黒髪で、それなりに整った顔立ちの男だが、その顔は悪く、生気はじられない。

それに、よく見ると男は半明だった。

やはり、なくとも生きている人間ではない。

それにしても、ミューズ？

アミラ様はアレが何か知っているのか？

「ワタシのしい彼に刃を向けた……？　貴様程度では彼に傷一つつけられないとはいえ、到底許容できるものではないですね。その罪、死を以もって贖あがないなさい」

カミーユは靜かに怒り、鋭い視線でアミラ様を抜く。

その瞳に宿る激は、まさしく『憤怒』と呼ぶにふさわしい。

「そんなものに魂を縛り付けるなど狂気の沙汰よ。本當にその男のことを想っていたのなら、こんな愚行を犯すはずがあるまい」

「黙れぇ！！　ワタシと彼はし合っているッ！！　それを貴様のような低俗で愚鈍で愚昧な小娘に否定されるなど、この上ない屈辱！　ワタシたちのを否定した貴様だけは絶対に許さないッ！！」

怒りで自らのを噛み切り、口からを流しながら激昂するカミーユ。

そこに、先ほどまでの落ち著きはなかった。

「ワタシたちの怒りを聴けぇええ！！　黒を纏いし――」

「いかん！　ラルフ、耳を塞げ！」

ここに來て、初めてアミラ様が焦った聲を上げる。

その原因がわからずに戸うオレをよそに、カミーユの詠唱は完した。

「――ミューズの旋律しらべぇ！！」