ほの暗いを、どんどん進んでいく。

霊にお願いして小さな源を創り出してもらっているが、迷宮の通路とは雲泥の差だった。

足取りは軽い。

まるでこの先に、何か懐かしいものでもあるかのような、そんな錯覚を覚える。

「ラルくん……やっぱりやめない？　なんかここ、気持ち悪い……」

「気持ち悪い？」

「うん。なんか……ここにいちゃいけないような、そんな気がするの」

ふむ。

オレは全くそんなじはしないが、キアラは何かをじ取っているのだろうか。

「どうしても無理だったら、キアラはさっきの最下層のとこまで戻っててもいいぞ」

「そんなことできるわけないでしょ。ラルくんを、一人でこんな暗くて狹いところに置いていくなんて……」

オレの提案に、キアラはとんでもない、といった様子で頑なに首を縦に振らない。

まあキアラがそう言うなら、オレは何も言わないが。

幸いなことに、今のところ魔とエンカウントすることもなく、順調に進んでいる。

というか、ここは迷宮なのだろうか。

階層と階層の間にあったあの通路では、巖壁は何かしらののを発していた。

それがここには一切ない。

本當に偶然できた窟のように、道は狹かったり広かったりと様々に変わる。

そうやってしばらく歩いていると、広い空間に出た。

かなり広い。

先ほどの最下層など、比べにもならないほどの広さがあるのがわかる。

おそらく、第一階層や第二階層くらいではなかろうか。

相変わらず、魔の気配はない。

辺りにあるのは、黒っぽいをした巖壁と、段差を作りながらも延々と続いている窟だけだ。

どうやら、これ以上奧へは進めないようだった。

「ラルくん。やっぱりここ、なんか変だよ……」

キアラが怯えたような聲を出している。

彼がそんな聲を出すなど、今までにないことだった。

「大丈夫だって。というか何もないじゃん」

その姿に違和を覚えながらも、好奇心を抑えることができなかった。

大きな段差を飛び降り、辺りの景を眺める。

迷宮の最奧部に空いていたからびていたところにある窟だ。何が出てきてもおかしくはない。

そんなオレの期待に、この窟が応えてくれたのかもしれない。

「お？　なんだこれ」

ふと気になるものを見つけ、それを拾い上げた。

小さな、鉄の塊だった。

平べったい形だが、風化していて、元の形狀はイマイチ判然としない。

大きさはちょうど、前世で言うスマートフォンくらいだ。

しばらくそれをしげしげと眺めていたが、今のところそれ以上の報を読み取ることはできなかったため、亜空間にしまっておいた。

その鉄の塊以外にも、近くに々と変なものが落ちていたので拾っておく。

「めぼしいのはこんなもんか」

キアラも怖がっているし、オレの知的好奇心もそこそこ満たされたことだし、帰るとするか。

そう思って、目の前にある段差を風霊の力を使って飛び上がろうとした、そのときだった。

「……手？」

目の前にある壁の模様。

それは明らかに、普通の巖壁ではなかった。

石化していてはっきりとはわからないが、それは大小さまざまな手に見えた。

まるで、大量の手たちが、この壁を形作っているかのような。

「……ラルくん、もう行こう」

「あ、ああ」

を押し殺したような聲をらすキアラに腕を引っ張られ、オレがその窟を後にしようとした、そのときだった。

巖壁が、いた。

「なっ！？」

信じられない景だった。

オレの目の前で巖壁が蠢き、本來あるべき形へとその姿を変えていく。

あっという間に巖壁が大小さまざまな手に分かれ、オレたちのほうへと向かってきた。

いや、巖壁だけではない。

さっきまで地面だったはずの場所まで不自然に盛り上がり、數本の手が顔を覗かせていた。

「くっ！」

キアラが『風の刃ウィンド・カッター』で手たちを切り裂く。

今までオレに迷宮の攻略を任せていたキアラが、初めて魔を使った瞬間だった。

それだけで、どれだけ目の前に迫る手が異常なものなのか察する。

だが、無駄だった。

切っても切っても、手たちはいくらでも湧いてくる。

どれだけ焼いても、切っても、潰しても、圧倒的な質量の前では、あまりにもささやかな抵抗だ。

生としての本能が警鐘を鳴らしている。

あの手にれたが最後、取り返しのつかないことになると。

理屈ではなく本能で、近づいてくる手を切り捨てる。

『空の刃エアー・カッター』を使い、目の前に迫る手たちを切って切って切って切りまくる。

「ラルくん！　早くっ！」

キアラの焦ったような聲を聞いて、ようやく己の失敗を理解する。

ここに來るべきではなかった。

キアラの直に従っておくべきだった。

「クソっ！　切っても切っても減りやしねえ！」

手たちが減る気配はない。

むしろ、しずつだが確かにその數を増している。

後ろを迫ってくる手たちに魔を食らわせながら、オレは窟のり口へと戻った。

「――『巖壁ロックウォール』！」

細いへと戻ってくると、『巖壁ロックウォール』の魔でり口を塞いだ。

これで、さっきの手が通路まで來ても、しは時間を稼げるはずだ。

後ろを振り返ることなく、時折『巖壁ロックウォール』で通ってきた道を塞ぎながら、オレとキアラは窟の道を引き返していった。

「……來ないね」

最下層の部屋まで戻ってきても、後ろから手が迫ってきている気配はなかった。

念のため、最下層に空いていたも『巖壁ロックウォール』の魔を使って塞いでおく。

ずっと続いている白く平たい壁には明らかに不釣り合いな茶い巖だが、今は見た目まで気にする必要はない。

「本當にごめん。キアラの忠告を無視したせいで、危うく死ぬところだった」

「死ぬなんて大げさな……とは、言いきれないか。あれはただの手じゃないよ」

「ああ。なんだったんだろうな、あれ」

キアラの言う通り、あれは普通の手じゃない。

オレたちが使う、闇屬の初級魔の『手』などとは比べ用もないほどの禍々しい気配。

ったらどうなるか、わかったものではなかった。

はっきり言って、もう二度と相対したくない。

「もしかしたら、あの手が舊世界が滅びた原因なのかもしれないね」

「え？」

「あの手が埋まっているところが、舊世界の大地だった場所なのかも。私たちは、その上でまた新しい文明を築いているけど、舊世界のはずっと地下で眠り続けてる……とか」

なるほど、その発想はなかった。

ということは、

「これは、舊世界のなのか？」

亜空間から、小さな金屬片を取り出す。

金屬片は、白いをけてキラキラと輝いている。

……オレたちのそんな疑問に、金屬片が答えてくれるはずもない。

「……帰ろっか、ラルくん」

キアラが、オレに向かって手を差し出す。

うん。そうか。

そうだよな。

もう、迷宮の攻略は終わったのだ。

「そうだな。帰ろうか、キアラ」

今日は疲れた。

このまま眠りたいほどの疲労度だが、間違っても最下層で寢るほど判斷力が鈍っているわけでもない。

せめて、第二階層の通路ぐらいまでは引き返さなければ。

「……？　ラルくん、寢ちゃうの？」

「いや、寢るつもりはなかったんだけど、なんか急に眠くなってきて……」

殘りのスタミナ的にも何ら問題ないと思っていたのだが、安心したせいか瞼が重くなってきた。

歩かなければと思うのだが、意志にが追いついていない。

「寢ててもいいよ。私がおんぶして帰ってあげるから」

「そんなこと、させられるかよ……」

疲れての子に負ぶさられるなんて、格好が悪すぎる。

「いいから。お姉ちゃんに任せなさい」

誰がお姉ちゃんだ。

変態幽霊の分際で何を言ってやがる。

「……うん」

でも、オレの口から出たのはそんな言葉だった。

ツンデレじゃない。

斷じてツンデレじゃないぞ。

これはほら、気の迷いというやつだ。うん。

「まったく、素直じゃないんだから……」

そう言って、キアラがオレを負ぶさった。

ほのかに香るの子特有の匂いが、オレの鼻腔をくすぐる。

溫かい溫が、黒いドレス越しにダイレクトに伝わってきた。

そのすべてが、オレを安心させる。

「……あれ？」

ふと、デジャヴを覚える。

キアラの白くて華奢な背中。

その背中が、誰かの背中と重なって見えた。

そして思い出す、あるはずのない記憶。

「……なんかさ、今、ちょっとだけ前世のことを思い出したよ」

「え？　どんなことを思い出したの？」

「昔……ホントに昔のことなんだけど、ちっちゃい頃のオレが公園かどこかで遊んでて、遊び疲れちゃったのか、誰かにおんぶしてもらってた」

父親のようなじではない。

もっと小さい……小さい頃のオレと大して変わらない大きさの背中だった。

あれは一誰なのだろう。

自分の名前すら思い出せないのに、そんなことを考えるのがし可笑しかった。

オレの言葉を聞いたキアラは、一瞬だけ驚いた顔をした。

でも、すぐにその表を崩して、一言。

「それじゃ、今と大して変わらないよね」

「……うるせぇ」

否定できない。

オレの子供じみた返事にも、キアラは笑みを絶やさなかった。

なんだか、本當に姉と弟みたいになっていてちょっと悲しい。

「おやすみ、ラルくん。また明日」

「……うん。おやすみ、キアラ。また明日」

だから、最後は素直に答えることにした。

明日もキアラと會えるのだから、何も不安に思うことはない。

その言葉を最後に、オレの意識は泥の底に沈んでいった。