《》第81話 アリスという
アリス・シェフィールドは、いわば神と呼ばれる存在であった。
マリーが彼のことを知った時には既に皇級の魔を習得しており、その長はとどまることを知らなかった。
き通るような翡翠の瞳に、シェフィールド皇族特有の深い緑の髪を長くばしており、容姿も端麗。
格も非常に溫厚で、生徒や教師たちからの評判もよく、まさに人々の理想のすべてを現したような――それがアリスという人間の評価だった。
當時のロミード王立魔學院において、尊敬と嫉妬と羨を一に集めながらも、彼は特定の誰かと深く流することをほとんどしなかった。
例外は、彼の弟であるシャルル・シェフィールドと、彼が『終焉の魔』として活を始めるまでは流があったマリーくらいのものだろう。
しかし、マリーがアリスと流を持ったきっかけは、決して表立って言えるようなものではなかった。
ある日、マリーがその日の授業を終えて寮に帰ろうとしていたら、視界の端に妙なものが映った気がした。
かの有名なアリス・シェフィールドとその他の男子たちが、校舎裏の目立たない茂みの中にって行った、ように見えた。
人気のない場所に行った彼らが何をしているのか、マリーは野次馬を発させて、彼らの後を追ったのだ。
「……なに、してるんですか?」
だから、マリーがそれを見つけたのは全くの偶然だった。
「なにって……。うーん、『教育』かな?」
まったく悪びれる様子もなく平然とそう言ってのけたアリスの後ろに、黒いヘルメットのようなものを被せられた男子生徒たちがいた。
口の中には何か布のようなものが詰められ、両手両足は地面から生えた手のようなもので拘束されている。
あまりにも鮮やかな手際だった。
「っ! ――っ!!」
男子生徒たちは、自由の効かない口の隙間から苦鳴を上げ続けている。
か細いそんな彼らの聲を、アリスは目を閉じて聴きっているようだった。
見ると、男子生徒たちの頭に取り付けられた黒いものは、本當にしずつではあるが小さくなっていっているような気がする。
それが意味することを想像して、マリーは漠然とした不安に包まれた。
「こうやって一分経つごとに一ミリずつ頭を締めていくの。って言っても、あなたたちには単位わかんないか」
目を閉じたままのはずのアリスが、彼の疑問に答えるかのような説明をする。
自分の想像が當たっていることに、マリーは愕然とした。
「それ、死んじゃうんじゃ……」
「ん? 大丈夫だよ。加減はしてるから」
どう見ても、加減しているようには見えなかった。
頭蓋が圧迫されてきが取れなくなっている彼らは、絶え間なく手足をかそうとしている。
それがどういったによるものなのか、マリーにはなんとなくわかったのだ。
「な、なんでですか……?」
マリーの口から次に飛び出したのは、そんな言葉だった。
彼らがいったい何をしたというのか。
何をしたにしても、こんな拷問まがいの行為が許されるはずもないのだが。
「こいつらね、私の弟にひどいことしたらしいの。だからここは姉として、ちょっとしたお返しをしてあげようと思って」
「ちょっとしたお返し」と言う割に、アリスのやっていることは容赦がなかった。
最悪彼らが壊れてしまっても、なんとでもなると思っているのかもしれない。
「それにしても、まさか人に見られるなんて思わなかった。あなた、名前はなんていうの?」
そう言って、アリスは微笑んだ。
完璧な笑顔は、マリーが普段遠巻きに見ているものと変わらないように見える。
それがなぜか、無に恐ろしかった。
「……マリー。マリー・ロミードです」
「……ロミード? もしかしてあなた、ロミードの?」
「は、はい。今代の王の娘です」
「ふーん。そっか」
マリーの背中から生えている黒い翼を視認したアリスは、納得したような顔で頷いた。
そして、先ほどのものとはしだけ違う笑顔を見せて、
「じゃあ、マリー。今日からお友達になりましょう」
「え?」
それは、マリーにとって思いもよらぬ提案だった。
だがアリスの目的を考えれば、その意図が見えてくる。
「……口封じということですか?」
「いや。というか、私がちゃんとお願いしたら、あなたはきっと黙っててくれるでしょ?」
アリスの言う通りだった。
マリーは男子生徒たちとの面識もなければ、アリスに対して悪があるわけでもない。
しやりすぎなのではと思ったのは事実だが、今見たことを明るみに出してアリスを追い詰めたりしようなどとは、マリーは考えていなかった。
「でしょ? そんなあなただから、しだけ興味が湧いたの」
微笑を浮かべるアリスに、噓を言っている様子はない。
あまり友関係はないと噂されている彼のイメージに合わない言葉ではあったが、拒否する理由もマリーにはなかった。
「……わかりました。お友達になりましょう」
「よし。そう來なくちゃね!」
そう言って、手を差し出してくるアリス。
マリーは、目の前に差し出された小さな手を握り返した。
「じゃあ、アリス。そろそろ彼らを解放してあげたらどうですか?」
「……なんで?」
マリーの提案に、アリスはわかりやすく表を歪める。
「さすがにそれ以上やったら、頭が割れちゃいますよ」
男子生徒たちの中には、口から泡を吹き始めている者もいた。
そんな彼らの様子を見ても、アリスはどこ吹く風だ。
「一回ぐらい割れてみたほうがいいと思うんだけどね。マリーはそう思わないの?」
「弟さんがひどいことをされたんだったら、ちょっとぐらいは……とは思いますけど。これ以上は明らかにやり過ぎです」
「……そうだね。じゃあそろそろいいかな」
まだ不服そうではあったが、とりあえずはマリーの意見に同意を示したアリスは、人差し指を軽くかした。
それと同時に男子生徒たちの頭を覆っていたが外れ、手足を拘束していた手が一斉に消失する。
結果的に、自由のとなった男子生徒たちが、けも取れずに軽く落下することになった。
「いい? 次に何か妙なことをしたら、さっきのを朝まで放っとくからね」
「ひっ……!」
それは遠回しに、次に何かちょっかいをかけてきたらお前らの頭をミンチにするぞと脅しているのとあまり変わらない。
男子生徒たちは、顔をぐちゃぐちゃにしながら校舎のほうへと消えていった。
心なしか変な臭いがするような気がするが、きっと気のせいだとマリーは自分に言い聞かせる。
彼らがいなくなったのを見屆けてから、アリスはマリーのほうへと向き直る。
「さて。それじゃあ改めてよろしくね、マリー」
「はい。よろしくお願いします、アリス」
そして二人は何事もなかったかのように、寮へと戻っていった。
……この日、マリーは確かに見たのだ。
稀代の天才、アリス・シェフィールド。
そんな彼の瞳の奧深くに、暗くて濁った炎が燻くすぶっているのを。
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