《》第95話 最後の戦い
キアラがそう言った瞬間、硝子がらすが砕けるような音と共に、どこまでも広がっていたはずの真っ暗な空間に亀裂が走る。
亀裂はどんどん広がり、やがて真っ暗な空間は砕け散った。
代わりにオレたちがいるのは、キアラの部屋の中だ。
さりげなく腕の中のキアラにハンカチを渡しながら、オレはこの部屋にいるもう一人の人を見やる。
エーデルワイス・エノレコートを。
「……どうして!?」
エーデルワイスは、激しく取りしていた。
オレとキアラのことをまるで化けを見るような目で見て、狂の中にそのを沈めている。
「アリスが正気を取り戻すなんて、そんなことが起こるはずが……! あなた一何をしたの……!?」
「いや、何をしたと言われてもな……」
ただキアラの過去を見て、キアラを説き伏せただけだ。
しかし、そもそもエーデルワイスの魔がオレにキアラの記憶を見せるなどというオレにとって都合のいいものだったとは思えない。
おそらく、何か特殊な要因が混ざった結果なのだろう。
「うふふ」
「っ!」
そんなエーデルワイスの注意は、突然笑いをらしたキアラに注がれる。
「……何がおかしいの、アリス」
「『』を理解できないあなたと、ラルくんをしてる私が、一つになれるはずないじゃない」
「わたくしが、を理解していないですって? そんなはずないでしょう」
エーデルワイスは、キアラの言葉を欠片も呑み込んではいない。
自分の考えに、絶対の自信を持っている。
……いや、より正確に言えば。
「ラルくんが『始祖』の継承者だったから? それともアリスの『傲慢』の力が、わたくしの『』の力を上回っているのかしら……」
エーデルワイスは、自分のことしか信じていない。
自分の考えしか信じていない。
自分の中だけで、全てが完結してしまっている。
オレやキアラも理解できていないなどという象的なものを、自分ははっきり理解していると思い込んでいる。
それがこの世界が生み出した、歪な怪の姿だった。
「キアラ」
「――わかってる。エーデルワイスは、私たちがここで倒さなきゃいけないんだよね」
キアラの言葉に、オレは頷く。
ここでエーデルワイスを取り逃がしてしまえば、彼はいつの日か再びオレたちの前に現れ、その牙を剝くだろう。
ここで、この世界で、すべて終わらせる。
それがオレとキアラの意思だった。
「勝算はあるの、ラルくん?」
「……思いつくのは一つだけだ。それも本當にできるかわからない」
「聞かせて」
キアラの目が、オレの目を見る。
その中に確かなと、信頼をじる。
「ああ」
オレはキアラに、考えた作戦を伝えた。
「……なるほど。たしかにそれなら、エーデルワイスの不死は関係ないね」
「自分から言っといて何だが、本當にできるのか?」
「私を誰だと思ってるの? ラルくんが世界で一番頼りにしてるの子、キアラなんだよ?」
「……ああ。そうだ。そうだったよ」
こんな時だというのに、なぜか笑みが溢れてくる。
そんなオレの顔を見て、キアラも笑顔になる。
「そういえば、『常闇の蔓』はダメなのか? アレならエーデルワイスにも効くと思うんだけど」
キアラが正気を失っていた時ではあるが、彼は『常闇の蔓』を使ってカミーユを屠ほふっている。
あの強力無比な手があれば、エーデルワイスに致命傷を與えることも可能なのではないか。
「いや、たぶん『最上位』の『大罪』には効果が薄いんじゃないかな。それに『常闇の蔓』は消費魔力も維持魔力も半端じゃないし、使い続けたら頭がおかしくなっちゃうから……」
どうやら、そういうことらしい。
あの手は強力な魔だが、エーデルワイスを倒すことができるかどうかは賭けに近く、リスクも大きいようだ。
「じゃあ、やめとこう」
「うん。どうしても危なくなったりしたら使うかもしれないけどね」
それなら無理に使う必要はない。
そう思ったのだが、キアラは一応『常闇の蔓』を使う可能を考慮しているようだ。
「それじゃあいくよっ、ラルくん!」
「っ! ああ!」
そうオレに呼びかけるキアラの顔に、もう影はない。
あの頃のキアラが帰ってきてくれた。
それがたまらなく嬉しかった。
オレたちがき始めたのを察知したのか、考え込んでいたエーデルワイスが顔を上げる。
「エーデルワイスぅううう!!!」
敵の名前をびながら、オレはエーデルワイスに薄する。
キアラは一旦オレと別れ、作戦のために行を始める。
その間、オレは一人でエーデルワイスの相手をしなければならない。
亜空間から剣を取り出し、七霊を纏わせる。
そのまま、エーデルワイスに斬りかかった。
「まったく。変わらないわね、あなたも」
いつの間にか、エーデルワイスがオレの背後に回りこんでいた。
その右手を、青白いが包み込んでいる。
「もう一度殺してあげるわ、ラルくん。『始祖』の呪いから解放してあげる」
そう言ったエーデルワイスが、振り返ったオレのすぐ目の前に迫っていた。
このままでは、青白いを発する腕が、今すぐにでもオレの心臓を鷲摑みにするだろう。
だが、
「ぐっ!?」
咄嗟とっさになぎ払った剣が、エーデルワイスの右腕を切り飛ばした。
鮮が噴き出し、青白いを纏った腕がを撒き散らしながら空中でくるくると回る。
「っ!!」
わかりやすい一撃を與えてしまったせいか、エーデルワイスの次のきに対するオレの反応が遅れた。
彼は自の負傷を確かめるとすぐに『リロード』を使い、萬全の狀態に戻る。
そして今度は両腕に青白いを纏いながら、オレの懐に潛り込もうと迫ってきた。
「……あら?」
だが、たしかに今の今までそこにあったはずのオレのは、そこにはない。
「――っ!!」
「はぁぁああっ!!」
そしてその一瞬の間は、今のオレには十分すぎる隙だった。
『強制移』でエーデルワイスの後方に回ったオレは、エーデルワイスのを両斷した。
大量のを撒き散らし、キアラの部屋の床にエーデルワイスの上半がぼとりと落ちる。
綺麗に切りそろえられた斷面からは、腸のようなものがれ出ている。
そんな狀態になりながらも、エーデルワイスの目からは消えていない。
「……うふふふふっ、あはははははっ!」
エーデルワイスは笑っていた。
これ以上ないくらい楽しそうに笑っていた。
「ここまでを破壊されたのは、何時ぶりかしらね……!」
エーデルワイスは興していた。
その目はに濡れ、オレの方を凝視している。
まともな神狀態の人間がする目とは思えない。
「……いい。いいわ。とてもいい。ラルくんが『始祖』の継承者でなければ、ラルくんの熱くてどろどろしたのをわたくしの中に注いでしかったのだけれど……」
「生憎あいにく、オレはお前に興味がないんだ。他を當たってくれ」
「あらあら。つれないわね」
そんな戯言を言いながら、エーデルワイスのが何事もなかったように元の姿に戻る。
何度致命傷を與えても、エーデルワイスを滅ぼすには至らない。
まあ、こんな攻撃では『暴食』のハイドすら倒せないだろう。
だがもちろん、ハイドの時に使ったような手は使えない。
『空間制絶』でしの時間閉じ込めることくらいはできるかもしれないが、自律して攻撃し続けるような魔は、エーデルワイスが干渉すればすぐにそのきを止めてしまう。
だから、オレはキアラの準備が整うまで、エーデルワイスの注意をこちらに引き付け続けなければならない。
「っ!!」
「あら殘念」
一瞬だけ思考に意識を集中させた隙に、エーデルワイスが青白いを纏った腕をオレの方へとばしてきた。
それをギリギリのところで回避する。
『強制移』を使って、エーデルワイスからピンポイントに致命傷を與えられないように、オレはき続けている。
気を抜いたら殺される。
そんな実がたしかにあった。
エーデルワイスと違って、オレにはもう『リロード』は無い。
『運命歪曲』がまたオレを助けてくれる保証もない。
今のオレにとっての致命傷は、普通の人間にとってのそれと変わらないのだ。
「てか、まだ諦めてないのかよ! どう見てもキアラは正気に戻ってるだろうが!」
オレへの攻勢を緩めないエーデルワイスに向かって、オレはぶ。
キアラは正気を取り戻している。
もう、エーデルワイスがむような世界の破滅を目論もくろむとは思えない。
「そんなのはどうでもいいのよ。どうせラルくんが死ねば元に戻るだろうし、わたくしが目的を達するのはもう決まっていることなの。わたくしにはそれをするだけの力と、その意思があるんだから」
そこで初めて、オレは理解する。
「……そうかよ」
エーデルワイスは、致命的な失敗をしたことがないのだ。
多想定外のことがあっても、その圧倒的な能力で解決できてしまう。
最後には必ず、自分が勝つと、功すると信じている。
その経験と自信が、彼の判斷を鈍らせている。
いまだに、キアラを再び深い闇に引きずり込むことができると本気で思っているのだ。
エーデルワイスは、自の力に絶対的な自信を持っている。
だが、それのせいでエーデルワイスは最初で最後の敗北を迎えることになる。
必ず、オレとキアラの手で迎えさせる。
それに、萬が一オレが死んだとしても、それでもキアラはエーデルワイスのむ結果はもたらさない。
そういう確信があった。
「――ラルくんっ!!」
オレの耳に、キアラの聲が屆く。
それはキアラが、オレの頼んだことをしっかりとやり遂げてくれた証だ。
だから、オレはんだ。
「ぶちかませぇええ!! キアラぁぁあああ!!!」
「うん!」
その直後、周囲の霊たちが、キアラの方にごっそりと持って行かれる覚があった。
その異様な覚に、エーデルワイスも困の表を隠せない。
「……なに? なにを……!?」
エーデルワイスの聲が途中で途切れる。
それは、『最上位』の『大罪』の魔師である彼から見ても、デタラメなものが上空に出現しているからに他ならない。
――それは、白いを発する円狀の巨大な式だった。
緻な文字列が編み込まれた円狀の式が、オレたちのいる場所の遙か上空に浮かんでいる。
オレはそれが、神級の破壊力を生み出すものであると知っている。
れたものを全て灰燼かいじんに帰す、悪夢の現だ。
何よりも恐ろしいのは、そんな式を數分で組み上げてしまうキアラ自だが、彼はオレの味方だ。
味方になっていてくれるのなら、これ以上頼もしい存在はない。
「なっ、なにを考えてるのアリス。そんなものを発させたら……」
エーデルワイスの言葉が終わらないうちに、キアラの式は完していた。
オレは急いで『強制移』を使い、できるだけ遠くに逃げる。
そしてその場で、無霊を囲えるだけ囲い込んだ。
「――っ!!」
それはまるで、この世界から夜という概念が消え去ったかのようなだった。
しかしそんな傷は、迫り來る圧倒的なまでの破壊力によって砕される。
「うぉぉぉおっ!?」
発させた『空間斷絶』が軋きしみ、ひび割れる。
すぐ側にもう一度『空間斷絶』を発させた直後、一番外側の斷絶が砕け散った。
『空間斷絶』がすぐ壊れていないのは、キアラの発させた式には、無霊だけは含まれていなかったからだ。
七霊すべてが含まれた攻撃であったなら、今頃オレは片も殘ってはいないだろう。
そして何度目かの『空間斷絶』を使いつぶした頃、圧倒的な暴力の発は終わりを迎える。
現代日本の街並みだったものは、瓦礫の山にその姿を変えていた。
遠くの方はまだ無事だが、オレの見渡せる範囲の損壊合は酷いものだ。
式の一撃を直接食らった場所はぽっかりと円狀のが開き、何もない空間になっていた。
無限の暗闇が広がる、何もない空間に。
そして、その円狀のが、しずつ広がっていく。
キアラが作り上げた世界は、キアラが本気で放った神級魔の破壊力に負けたのだ。
「……なんてことを」
その様子を、エーデルワイスは呆然とした様子で見つめている。
オレは、最後の仕上げをすることにした。
「……捕まえた」
「……?」
キアラが開けた大に注意が向いていたエーデルワイスは、オレが使った魔にようやく気付いたようだった。
しかし、もう遅い。
オレはエーデルワイスの周囲で、『空間制絶』を使った。
それも一つではない。
幾重にも張り巡らされた『制絶』は、エーデルワイスをしっかりと包囲している。
分斷された空間と空間の間では、『強制移』は使えない。
しかしそれを踏まえても、エーデルワイスが『制絶』から抜け出すことのできる手段は多い。
「――――」
灰の越しに、エーデルワイスが笑っているのが見える。
大方、こんなものが効くとでも思っているのか、と言っているのだろう。
しかし次の瞬間、エーデルワイスの顔が変わる。
彼が腕に纏った霊たちの気配は、ほとんど無いに等しかった。
「気付くのが遅かったな、エーデルワイス」
先ほどのキアラが放った一撃には、無霊だけは含まれていなかった。
ゆえにオレは、問題なく『空間制絶』を使うことができたし、それを維持することもできる。
だが、エーデルワイスが閉じ込められている周囲には、霊の気配などほとんど無いに等しい。
それは、先ほどの魔を使うために、キアラが周囲にいた霊たちを吸い盡くしたからに他ならない。
霊がいなければ、魔師は魔を使うことができない。
普通ならば、たとえ神級魔を使ったとしても、完全に霊が枯渇するなどという事態は起こりえない。
世界はそれだけ広いのだ。
しかし、ここではそうではない。
ここはキアラが無から作った空間で、キアラが吸収して持ってきた以上の量の霊は存在しない。
ゆえに、一度すべての霊を休眠狀態にしてしまえば、魔の使用を大幅に制限することができる。
……とはいえ、エーデルワイスとて強力無比な力を持つ魔師だ。
そんな存在を永遠に『制絶』の中に閉じ込めておくなどということは不可能。
だから、より大きくて、いずれ消失するものの中に閉じ込めておくことにした。
「いつでもいけるよ、ラルくん」
一仕事終えたオレの隣に、キアラが飛んできた。
キアラの『傲慢』の力があれば、オレを連れて元の世界に戻ることなど造作もないらしい。
そして、一人になったエーデルワイスに、元の世界に戻る手段はない。
「……エーデルワイス」
キアラが、しだけ目を細める。
その目は、『制絶』の中から出ようともがくエーデルワイスに向いている。
「……私、ね。この世界がちょっとだけ好きになったの」
『制絶』の中には、オレたちの聲は聞こえない。
そしてエーデルワイスの聲もまた、オレたちには聞こえない。
「あなたにはわからないわ。永遠に」
それだけ言うと、キアラはエーデルワイスの方から顔を背けた。
「行こう、ラルくん」
「……ああ」
エーデルワイスは、自力で元の世界に戻る手段を持たない。
彼はたった一人で、永遠に深い暗闇の中を彷徨い続ける。
「――! ――――!!」
なんとなく、自分がどうなるのかわかるのだろう。
エーデルワイスは、泣きそうな顔になりながら『制絶』のを叩いていた。
今まで散々好き勝手に人の命を弄んできた、『大罪』の『』にふさわしい最期だ……とは、どうしても思えなかった。
こんな形でしかエーデルワイスを葬り去ることができないことが、なぜかとても申し訳なく思えた。
きっとこれも、大切なオレのなんだろう。
「…………」
キアラが何か呟くと、オレとキアラの前にの壁のようなものが現れた。
ここを通れば、元の世界に帰れるのだろう。
オレと手をつないで、キアラはその中に一歩踏み出した。
その途中、キアラの口から言葉がれる。
「……さようなら」
キアラは振り返らなかった。
それは紛れもなく、この虛構の世界や、自の過去と決別するための言葉だった。
そして、エーデルワイスへ贈る最後の言葉でもあった。
「…………」
オレは振り向いた。
崩壊していく世界を、悲痛な表でこちらを見ているエーデルワイスの姿を、しっかりと目に焼き付ける。
そしてオレも、の壁の中へと足を踏み出した。
こうして、オレたちの長い戦いが、幕を下ろしたのだった。
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