貓がいた。コオニグライだ。それが俺と同じほうへと向かっている。森だ。耳をすませば、森の奧からコオニグライが仲間を呼ぶ聲が聞こえる。俺はかいてはいけない汗をから流していた。全力で走り出した。生きていてくれと。死なないでくれと。俺の藁にもすがるような細い願いを無理やり力に変えて、走るのだ。

だんだんと、貓たちの聲が大きくなっていく。近づいていくのがわかる。騒いでいるのは歓喜の聲か、威嚇の聲か。わからない。しかし、俺には後者であることをむしかない。そうして、目的の場所までたどり著くことができたのだ。

「ギャア！　ギャア！」

そこにはゴブリンと、數匹のコオニグライがいた。俺の願いはかなったのだろう。まだ確かに生きていてくれたのである。神に謝してもしきれないほどの喜びが沸き起こってくるのである。だが、今この瞬間はまだ、その喜びに溺れてはならない。俺が間に合っただけであり、まだ危険な狀態であることには変わりはないのだから。

ゴブリンは棒を振り回して近寄られないようにしており、その思通りにコオニグライは警戒して近寄ってくることはなかった。そのおかげか、俺は間に合うことが出來た。いや、俺が今までゴブリンに教えていたことが活きているのだ。棒を振る速度も、キレも、出會ったころには考えられない力を持っていた。コオニグライであろうとも、當たれば重傷は免れない。それを予させる振りだったからこそ、今まで持ちこたえていたのだ。

「キイェエエエエエエエエエエ！」

俺はすぐさま、奇聲を上げる。俺に注目させるためである。その通りに、コオニグライはこちらへと視線を向けた。邪魔がったことで、怒りのが見えている。邪魔するなとばかりに俺のことを睨み付けている。だが、その程度で俺はやめたりはしない。なくとも、今まさに大切な人が傷つけられる、殺される狀況で、守ろうとかないはずがないのだから。

「キシャアアア！」

俺へと威嚇行をとる。どちらが諦めるかの勝負だ。俺は手を広げて大きく見せる。それでも怯むことはない。お互いの威嚇合戦はしばらく続くのだろうか。どちらも怯む様子は見せない。このままでもいいのだろうが、確実に、このゴブリンを襲い掛かろうと思ってはならないのだと思わせなくてはならない。一時的な退散ではまだまだ俺の負けに等しいのである。

「《水風土よ》」

俺の魔力は三つの要素を掛け合わせて形を作っていく。水は氷へと土の要素を混ぜ形をとり、風がきを持たせる。それは生まれた。姿は獅子である。氷でできた獅子が俺の隣にいる。凜としてその場に立っており、まるで生きているかのように見える。氷でありながら、先の一つ一つはおそらく、本と同じ程度の質に仕上がっていることだろう。風にあおられてかすかに揺れている。それがまた、生きであるかのような錯覚を加速させている。だが、その場からくことは出來ない。それだけの技はないためである。

「キシャアアア！」

貓たちは獅子の方をより警戒する。視線は全て獅子へと移る。ゴブリンなど忘れてしまったかのようである。だが、彼らには當然のことだろう。明らかに、危険な生きが目の前に現れたのだから。警戒しなくては自然の中で生きていくことは出來まい。

「《震えろ、哮ろ》」

呟く。しかし、それはよく響く。木々の間を抜ける風であった。森の奧深くまでと響くような力強い聲が氷の獣をかすのだ。彼の開いた口から生者の雄びを上げさせるのである。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア！」

獅子は吠えた。空気を震わせる。ひびがるほどの雄びを生み出したのだ。それを浴びた貓たちはこまり、すぐさま散っていく。役目を終えると、氷は融け水は気化し、そこには何も殘らない。俺の魔力で出來る限界があれであった。もう大しての中に魔力が殘っていない。これで、追い払えないのであれば、事態はより危険なものになっていたことであろう。

俺は後ろを振り向いた。ゴブリンは、棒をぎゅっと抱きしめて小さく座っていた。俺はゆっくりと肩に手を置く。それにびくりと震えるが、ゆっくりと顔を上げて、俺の顔を見ると彼の大きな目から涙がこぼれてくる。

「もう大丈夫だ」

俺がそう言うと、棒を放って俺に抱きつく。その力は強く、痛みをじるほどであった。しかし、その痛みはびであった。生の執著をじた。の奧底からくる本能があふれ出ているのである。

俺も彼をしっかりと抱きしめ返す。力をれて抱きしめる。生きていると、死んでいないと、いていると、じると、伝えるために。

時間は進んでいる。それが過ぎれば過ぎるほど、ゆっくりと生の認識が深まっていく。まだ死ななくていいと、生きていていいと、自然が伝えている。俺たちはそれに合わせ力を抜いていく。そうして、が離れる。

「ア、アア……」

彼は手を握ったり閉じたりと、かしている。俺はそれを真っ直ぐみている。逸らしてはいけないとじた。彼もそれをんでいるようであった。俺の目を見る。俺も見つめ返す。そして、俺はにこりと微笑むのだ。それで、彼の顔がようやく緩んだ。今までの怯えたように張した顔つきから解放されるように。

「ア、アリガトウ……」

一杯の謝の言葉でだ。俺はその一言でようやく張が解けた。笑顔を作っていたのも、所詮は張していることに気づかれないためだったのである。

「よかった。本當によかった。死ななくてよかった。ありがとう、ありがとう……」

俺はそれだけしか口から出なかった。しかし、この喜びをで表現するように再び彼に抱きついた。彼のぬくもりが、先ほどまでじなかったものがようやく、俺にも屆いた。あたたかな気の巡りをじずにはいられない。

俺たちは喜びをお互いに噛みしめていた。しばらく。それの換が終わるころ、俺たちはようやくちゃんとが離れることが出來た。絶対に、この溫もりを失いたくないと深く誓うことが出來たのである。そのためにも、もっと強くならなくてはならないし、また、彼ももっと強くならなくてはならない。俺は空を見た。木々の隙間から見えた太はまだ上にいなかった。

「まだ大丈夫だな」

「ナニ、スル……？」

彼は、拙いなりにも覚えた言葉を使って質問する。俺は頭をなでると嬉しそうに目を細めた。とても溫かく、そしてらしい姿である。俺は何度でも、彼のこのらしさを守ることが出來たのだと実するのである。

「ツヨク、ナリタイ……カナ？」

が、俺が答える前に要を言う。俺はそれが嬉しかった。

「そうか。じゃあ、これを持って」

俺はそう言い、木刀を渡す。それをけ取りしっかりと構える。綺麗な構えをしている。彼は今までの教えのすべてをしっかり吸収しているのだ。天敵相手に気が転してしまって、実力を十分に出せていなかったのはもったいなかったが。だが、それであっても、今まではただ食われるだけでしかなかった相手に、それなりの時間を稼ぐことは出來ていたのである。もっともっと、力をつければ、そう簡単に死ぬことはなくなるだろう。

そうして、今日もいつも通りに剣を教えた。俺はそのいつもどおりがたまらなくうれしく思えてならないのである。