《ステータス、SSSじゃなきゃダメですか?》第二十一話
  マギルス皇國と魔人族領の間には広大な平原が広がっており、ちょうどそこが両者の緩衝地帯としての役割を果たしている。
  過去に幾度も人間と魔人の間で激戦が繰り広げられた土地ではあるが、今では利権を巡って數多のが流されたとは思えない程穏やかな風が吹き、地に生えた幾多の草を揺らしていた。
  仰ぎ見ればどこまでも広がるような青い空と、ちぢれになって広がる綿のような雲。穏やかな日差しも相まって、このまま寢転がればすぐにでも微睡みにわれそうだ。
ーードドドドドドドドドドド
「おらおら、走れ走れぇ!」
  ……最も、現在の狀況ではそんな呑気なことは出來そうにも無かったが。
  激しい地鳴りの音と共に大地を揺らすのは、愚直に地べたをひた走る地竜だった。草花を踏み荒らしながら、その鈍重な風貌からは考えられない勢いで疾駆する。
  その口元からびた綱を握っているのが、獰猛な笑みを浮かべたヴェルゼルだった。
  激しく響く地鳴りにも負けない程の聲量でばれる指示は、まるで言葉が分かっているかのように地竜へと伝わり、さらにその足の回転數を上げていく。
  とはいえ地竜の方も走りたくて走っているといった様子ではなく、時折悲鳴のような甲高い鳴き聲を上げている所を見ると、どうにも無理矢理やらされているという印象の方が強い。獣の思考など知る由もないが、車の部分で激しく揺られているヴィルヘルムには、何となくそんなが伝わってきた様な気がした。
「ちょ……ちょっと、速すぎない……?」
「……ミ、ミミは吐いたりなんか……おえっ」
「相変わらず暴な運転だ……」
  平地ではあるが、それでも凹凸が皆無な訳ではない。所々のホップに加えて、左右への急制が彼らのへと負擔を掛ける。三者三様ではあるが、憔悴した様子を見せる三人。
  斬鬼が一度ヴェルゼルの運転を斷った理由。確かに天魔將軍へそんな雑事を任せる訳にはいかないと言う事もあったが、何より一番の理由はこの酷く暴な運転だった。
  かつて魔王軍としてとある地方に遠征した際、何気なく彼が興味を持ったのがこの竜車である。當然周囲の人々はそれを諌めようとしたが、ヴェルゼルの話を聞かない癖は生來のだった。
  生死も振り切り、颯爽と地竜の背へと飛び乗った。この景を窓から見ていた魔王は、『実力行使してでも止めるべきだった』と後に述懐している。
  ヴェルゼルが一吠えした途端、それまでまんじりとしていた地竜達が堰を切ったように吠え出す。次の瞬間、唖然とする周囲の人々を目に、何故か竜車が猛スピードで走り出したのだ。
  結果、戦地までの移時間こそ二日ほど短できたが、その間は皆一睡とて出來ないほど憔悴したという。幸いにして事前準備が功を奏して戦いには勝っていたが、疲労の件を考慮すればプラマイゼロといったところだろう。
  その一件からというもの、彼に手綱を握らせようとする者はいなくなった。ヴェルゼル自はいたく気にったようだが、周りの者はなんとしてでもそれを阻止しようとあの手この手で引き止める。
  結果、彼のドライビングテクニックの餌食になる者はそれ程多くは無かったのだが、今回ばかりはアンリ達の運が無かったと言える。
  さて、では彼達がヴェルゼルの運転に憔悴している中、ヴィルヘルムは一何をしているのか。
(……羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……オエッぎぼじわるい)
  ……まあいくらスキルが強くとも、中はただの一般人である為。彼は必死で己の中……つまり胃の容と格闘していた。
  出てこようとする胃、それを必死で押しとどめるヴィルヘルム。両者は拮抗を繰り返し、たまに片方が優勢になることはあるものの、それでも全的な趨勢としては均衡を保っていた。
  だが、いくら鉄面皮がその事実をおくびにも出さずとも、の反応は正直である。徐に手をばし、竜車に備え付けられた窓の鍵へと手をかけるヴィルヘルム。
  どんな人間であろうと、人前で吐くというけない姿は見られたくないものである。故に、外気を取りれてしでも気を紛らわすと同時に、未だ暴走するヴェルゼルへと制止を掛ける必要があったのである。
  パチリ、と留めが跳ねる音と同時に、竜車の窓が下方にスライドする。勢い良く空いた窓から、清涼な空気がフワリと流れ込んできた。
  普段ならばその心地よさにため息の一つでも付いていただろうが、生憎と油斷すれば口の端から容が出てきてしまうような狀況で、一息つけるほど彼に余裕は無かった。
  青い顔をしたアンリが、窓の外に向かって聲をかける。
「ちょ……ちょっと、いくらなんでも運転暴過ぎない!?  そろそろ限界が近いんだけど!」
  限界、とは言わずもがなア・レ・の事である。乙の尊厳やら何やら、全てが流れ出るアレのことだ。
  長旅を続ける上で、いくつか『』である事を捨てなければいけないシーンもあったが、今回に関しては別である。他の、それも男がいる前で、自の吐瀉を曬すなど、それはである前に、一人の人間としてのプライドが許さなかった。
「アア!?  限界だァ!?  その分早く著くんだからちったァ我慢しろ!」
  だが、帰ってきたのは無の返答。最早手加減など一切する気が無い彼の言葉は、アンリへと絶を與えるには十分過ぎた。
  珍しく憔悴した様子の斬鬼が、力なく首を橫に振る。
「……無駄だ。ヴェルゼル様はああなったら魔王様の諫言すら聞かぬ。諦めて耐え忍べ、殘念ながらそれが最良の答えだ」
  夢も希もない斬鬼の答えに、側で聞いていたミミはガクリと頭を垂れる。
  だが、幾ら無駄だとしてもこの狀況に我慢ならないのはヴィルヘルムとて同じ。故に彼は、滅多に開くことのないその重苦しい口を、ゆっくりと開くことに決めた。
「……ヴェルゼル。止めろ」
  『止めて下さい、お願いします』という言葉が尊大に変換されて口から飛び出す。
  とんでもない変換のされ方だが、最低限の報だけ抜き取って伝えようとすると大抵の場合偉そうになるのが彼の常である。
  実際に立場として偉い為問題無いものの、かつてはこれで幾度もトラブルを引き起こしてきた。
  流石のヴェルゼルも彼の言葉には聞く耳を持つ……なんて事はなく、それどころか後ろを振り向いて彼の事を揶揄い始める。
「なんだ、お前まで怖気付いたかヴィルヘルム!  幾ら速度を出してるっつっても、《瞬刻》には程遠いぞ!」
「……もう一度だけ言うぞ。今すぐに竜車を止めろ」
「オイオイ、何をそんなに不機嫌になってーー」
  彼が不機嫌そうに見えたのは、調不良から顔面蒼白になっていただけであるが、それをよくよく確認する前に、ヴェルゼルの言葉が不自然に途切れる。
「ーーチッ、そういう事かよクソが!」
  急な悪態と同時に、思い切り手綱を引き急ブレーキを掛けるヴェルゼル。スリップした後がガリガリと音を立てて、大きく地面を削る。
  急ブレーキをかけられた竜車は激しく音を立て、半回転ほどして漸くそのきを止める。
  勿論シェイクされた車は阿鼻喚だ。ぶつけた鼻を押さえながら、アンリが文句を呟く。
「な、何よもう!?」
「……この魔力反応は……!?  チッ、まさか我らが嵌められるとはな」
  次の瞬間、地面をが埋め盡くす。
  いや、全面が埋め盡くされた訳ではない。上から直接見れば、それが巨・大・な・魔・法・陣・の形をしていると分かった事だろう。
  さて、魔法陣は大きさと複雑さに応じて、発される魔法が決まる。つまりこれだけ巨大な魔法陣を使えば、使われる魔法も非常に大味な効果になるのも當然なのだ。
  全員が一瞬にじる、謎の浮遊。恐る恐るといった風に全員が下を見やると、そこにはーー
「……じ、地面が……」
「……無いですぅ……」
「……これはちっと予想外だなァ」
  ぽっかりと口を開けた、巨大な空が広がっていた。
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