その場所にも夜は訪れた。

夜の闇に森全が包まれる中で、の粒達が気まぐれに周囲を漂っている幻想的な風景がそこにある。一見蛍が飛び回っているように見えるが、奴らは確かに蛍とは別の何かだ。

蟲の鳴き聲が森の至る所から聞こえている。目の前の焚き火がぱちぱちと弾けながら燃えている。

暫くぼんやりと炎を眺めていると、隣で布がれる音がした。

「ん…………」

小さな吐息をらしたあと、俺の白シャツを著て更に俺の服を下敷きにして眠っていたがむくりと起き上がった。

目が合った。

ルビーのように赤い瞳はブレることなくこちらを捉えていた。白銀の長い髪は目の前の炎と周囲の粒によって淡くって見える。小柄なとは裏腹に、しばかり大人っぽく映る整った顔立ちが、見る者に思わず息を呑ませるだろう。

この世の全てのとを集めたような存在。彼がそうだった。

何をどうしたら、これ程のがこの世に生まれ落ちるのか。神が本當に存在するというのなら、紛れもなくその手によって作られた存在に違いなかった。

「あなたは……だれ？」

き通った綺麗な聲。普通の人間なら聞くだけで心奪われるかもしれない。

「それを聞くのは俺だ。お前は何者だ？」

こんな森の中で結晶漬けにされた上、それをドラゴンが守護していた。あの祭壇を造った奴は、どう考えてもこの子を外へ出すつもりは無かったに違いない。

やっぱり封印されてたんだろうと思う。

「私は……ノア」

はただただ靜かに、表ひとつ変えることなく無にそう答えた。

こういうの起伏が薄そうなキャラを漫畫やアニメで見たことがあるが、リアルで拝めるとは思わなかった。しかしこの靜かと言うか不思議な雰囲気、あと銀髪で絶世のというのが何とも神気的に映って仕方ない。まるで存在が不確かな、例えるなら天使とか神とか、そんなフワフワ綺麗で曖昧な存在と會話をしている気分になる。

「……それだけか？何故あんなとこにいた？ここはどこだ？」

「……分からない。覚えてないの」

記憶が無いのか、そいつは困った。

頼みの綱だった彼がこれとなると、いよいよ帰り道が分からない。せめてあの跡の迷宮に戻れされすれば、天井をぶち抜いてでも最上層まで登れるというのに。

それに重要なのは帰り道だけではない。

「なあお前、寶の在処とか知ってたりしない、よな？」

ふるふると彼は首を橫に振った。

の奧から心底深いため息が出る。

ついさっきまで、俺は億萬長者だった。

が閉じ込められていた黃金に輝くクリスタルは、きっと高く売れたに違いない。けれどを取り出すためにクリスタルを砕いてみると、砕けて地面に転がった破片達は見る間にの粒となって蒸発し消えた。俺はのを抱き抱えたまま、熱に當てられた氷の様に消えていくお寶を前に呆然唖然と立ち盡くし、ついに何も出來ずに無一文の甲斐なしに早変わりした。

その時は流石にショックで數十秒もの間棒立ちを止められなかった。

どこかもわからぬ迷宮で、瀕死の思いでようやく見つけたお寶は目の前で消滅し、助け出したは記憶喪失で結局帰り道すら分からない。骨折り損のくたびれ儲けとはよく言ったものだ。実際骨を折るより酷い仕打ちをけたが。

「ねえ、お腹減った」

「……っ、我慢しろ」

半ば八つ當たり気味に語尾が強まる。

こんな時に腹が減っただとか、何て図々しくて太い奴だ。

夜の森のサウンドと幻想的な風景と焚き火の炎を眺めて荒れた心を落ち著かせていたのに、こののせいでまたイライラが募ってきた。

「ねえ、あなたの名前は？」

突然が、首をこてんと傾げて尋ねてきた。焚き火で顔が赤っぽく照らされている。

恐ろしいことこの上ない。

彼は人にものを尋ねる度にその顔で、その仕草で一々質問するだろうか。俺が普通の男だったらヤバかった。

落ち著け俺、こいつも他の奴らと同じ人間だ。人間は皆同じ、大嫌いだ。

頭の奧がスっと冷めるじがする。

「…………ユウだ」

を橫目に見ながら無想に言う。

正直もう彼に用はない。もうし報を引き出せたなら放っていこう。

「ユウ……わかった、ユウ。助けてくれてありがとう」

「ん？俺に助けられたことは分かるのか」

「違うの？」

「違わないけど……」

摑めない奴だと思った。ぼーっとした雰囲気もそうだが、作りかと思うほど綺麗な顔はそのを隠している。気を抜いていると裏をかかれるかもしれない。

「暗くて、寒かったの……」

「あ？」

「それだけは覚える。だから、助けてくれてありがとう」

「……そうか」

彼の表はしも変わりなしないが、聲音とか雰囲気で何となくが伝わってきた気がする。

このは一どれだけの間この森で眠っていたのだろう。數年、數十年、もしかしたら數百年とか。彼はずっとひとりで、をかすことも聲を出すことも許されず孤獨に耐えてきたのかもしれない。もしそれが本當なら地獄だ。俺の味わった地獄とはまた違った苦しみがあったに違いない。記憶が無くなったって仕方がないのかもしれない。

「これやるよ」

俺はアイテムボックスから取り出した攜帯食を放り投げた。宙に投げ出されたそれは數回転した後の手にすっぽりと収まった。

「……？」

「腹減ってんだろ？それでも食ってろ」

攜帯食はポムと呼ばれる干しで、栄養はあるものの本當になのか疑いたくなるほど味気がない。

だが無いよりはマシなはずだ。これでも食って々長生きしてくれ。

「じゃあ俺はもう行くから、あとは好きにしろ」

彼と行を共にする気はない。このまま一緒にいれば厄介事に巻き込まれる可能が高い。この場所について知っているならまだしも、彼には記憶がない。その時點で論外だ。

「ごはん、ありがとう」

「じゃーな」

干しをもぐもぐと食べるに背を向けて、俺は歩き出した。

――――――

――――

――

険しい道のりを歩いていると、次第に辺りが明るくなってきた。夜が明けたようだ。

それだけ歩き回ったのだが、行けども行けども生い茂る木々との粒しか目にらない。依然として狀況に変化はなかった。

いつまで経っても変わらない景にウンザリする。

それともうひとつ、ずっと無視してきたがいい加減気になって仕方がないので、とうとう俺は歩みを止めて振り返った。

「いつまで著いてくるつもりだ」

俺のすぐ後ろにピッタリくっ付いて來ていたのは、銀髪紅眼のだった。せめてものけで彼にあげた白いシャツは、小柄なのには大きいようで、膝上まで丈が來ていてスカート代わりみたいになっている。一応隠すところは隠せているが、どうも目のやり場に困ってしまう。しかし用の服や、まして下著なんて持っていないので、これが彼にしてやれる最善の施しなのだ。

「ユウに著いて行く」

「答えになってないだろ。誰が著いてくるのを許可したよ。著いてくんな」

の顔に指をさしてビシリと注意する。自分でも酷いことを言っている自覚はある。こんなバケモノだらけの危険な森の中で、水も食糧もなしにをひとり放り出そうとしているのだから。

けれど他人と関わるのはごめんだった。例えこの子が死のうと知ったことじゃない。いつ俺を裏切るか分からない危険分子は早々に退場願いたい。

しかしはこんなことを言われても眉一つかさないで無表を貫いている。終いには、

「ユウ、お腹減った」

「さっき干しやっただろ！じゃなくて、著いてくんなって言ってんの！」

マイペース過ぎて摑めない。こんなにの読めない人間は初めてで調子が狂う。

「はあ……どーすりゃいいんだ。出口も分かんねぇし、変なに付きまとわれるし、寶はねぇし」

肩をガクリと落とし、俺が改めて自分の今の狀況の不憫さに泣き言を垂れた、そんな時だ。

突如至近距離で鋭い殺気が放たれた。

跳ねるように顔を上げ、周囲を見渡す。

木々の奧にその正がいた。

のもよだつ巨大なムカデ。甲殻が黒り、棘のような無數の足をジョリジョリかし、前足部分は巨大な鎌のようにびている。

巨大ムカデは周囲の木々ごと俺を轢き殺す勢いで突進してきた。

俺は咄嗟に後ろに飛び避け、距離を空ける。しかし、すぐ隣にいたは眉一つかさず棒立ち狀態だ。

「お、おいっ！」

咄嗟に呼びかけるが、はこちらを振り向くだけでその場から離れようとはしない。

しかし偶然にも大ムカデの突進はスレスレで彼の橫を過ぎていく。

たまたま當たらなかったから良かったものの、一歩間違えばひきだ。肝が座っているというレベルじゃないぞ。

しかし気を取られていると兇悪な鎌が目前にまで迫っていた。

「うわッ」

咄嗟に漆黒の剣を取り出し顔面前で防ぐが、弾けるような鋭い音と共に後ろの大木まで吹き飛ばされぶつかった。

もちを著いたまま次に目を開けたその瞬間には、再び奴の大鎌が振り下ろされようとしている最中だった。

脳で騒ぎ立てる――やばい、避けないと死ぬ。完全に避け切るのは不可能だ。左腕、最悪左半分犠牲に――正にその瞬間だった。

視界の橫から両手を広げて飛び出してきた、ひとりのの子。銀に輝く繊細な髪が靡き、の細くて鋭い聲が響いた。

「ダメッ！」

しかし無に、ただ無慈悲に、けも容赦もなく死神の鎌はの頭頂目掛けて一直線だ。

終わった。避けられるはずはない。防ぐ暇もない。神の奇跡でも起きない限り、彼の命はたった今ここで潰える。そのはずだった。

「…………は？」

思わず間抜けな聲が奧かられる。

しかし俺は振り抜かれた敵の刃がにれる瞬間を、この目で確かに見た。

空間が曲がった……？

まるで刃自が意思を持ち、を斬り捨てることを嫌ったかのように。いいや、まるで世界が彼が傷つくことを拒み、無理矢理に空間を捻じ曲げたかのように。

何はともあれ、致命の一撃は不発。大ムカデの兇悪無比の大鎌は、彼にれることすら葉わず地に突き刺さった。

そして次の瞬間。

『――――――――――』

一瞬にして世界が白く塗り潰され、轟くのは雷鳴。極太のレーザーでも降り注いできたかと思う。それ程の極雷が大ムカデに直撃した。

大ムカデは全が破裂し黒焦げのミンチ狀態。聲を上げる間もなく完璧に絶命している。

ここまでの怒濤の展開に俺はまだ思考が追いついていないのだが、口だけは直ぐにいた。

「お前……一何をした……、」

しかし彼は首を傾げてこう言うのだ。

「？私は何もしてない」

紛うことなき噓つきが目の前にいる。実に人間らしいのだが、それで誤魔化せると思った訳を是非知りたい。

「噓ついてんじゃねえ！この、慘狀を、見て！お前以外の誰がやったって言うんだよっ！」

「？でもほんとに知らない」

「じゃあ偶然敵の攻撃がそれて、その後雨雲ひとつない空から極大雷が降ってきたってのかっ!?んなわけねぇだろっ！」

問いただすもは一向に知らぬ存ぜぬをやめない。

今の一連の出來事が全て彼のスキルによるものなら、こいつはとんでもなく危険極まりない。俺でもければ死にかねない攻撃を無効化した上で、ノーモーションで天変地異レベルの攻撃を仕掛けることが出來る。そりゃあ封印されても可笑しくはない。俺の中で、こいつ俺より強い説が浮上している。そんな怪をさっきまで俺の後ろで歩かせていただなんて、今考えただけでも恐ろしい。

「お前、マジで何が目的だ」

「？ユウに著いて行く」

「だから、俺に著いてきてどうするつもりなんだって聞いてんだ」

「…………」

は黙りこくった。そこから先は考えてない、とでも言いたいのだろうか。何にせよ超兇悪危険分子なので早いところ排除してしまいたい。俺を庇ったくらいなので、今のところ敵意はじないのは確かだが。

「はあ、帰り道さえ分かれば……」

「お家に帰りたいの？」

「そーだよ。お前をこの森に置き去りにした狀態でな」

「わかった。ならこっち」

「はあ!?お前道わかんのかよ!?」

「ううん、知らない」

「何じゃそりゃ」

「でも、多分こっち」

知らないけど、多分こっち。

彼の頑なな言い分がこれだ。バカにしてんのか、と大聲でびたくなったが、その気力もなく肩を落としてため息をついた。

どうせ行くあてもないのだし、行くだけ行ってみるかと思う。それで何も無かったら今度こそを放置して逃げてやると心に誓って。

そうして彼の言うがままに森を進むこと約五分、そこには空間揺らめくダンジョンゲートが確かにあった。

「ま、まじかよ……」

嬉しさ半分、驚き半分で呟いた。

「お前、やっぱり記憶無いとか噓だったな……」

「？噓じゃない。本當に何も覚えてない」

この期に及んでまだ言うか。

しかしこれでようやく帰れるわけで、このともおさらば出來る。

「まあこの際どうでもいいけど、まあ案してくれたことには禮を言うよ。じゃ」

「まって」と、が袖を引っ張った。

その時彼の無表には極わずかな変化があって、凄く分かりにくい悲しげな表をしていた。

「わたしも、ユウと一緒に……」

一瞬わされそうになった。流石に可哀想かもと、柄にも無く思わされた。驚異的な顔面だと思う。

しかしこのに深く関わるのはどう考えてもまずい。安全を考えるなら絶対に有り得ない選択肢だ。

「ダメだダメだ。お前なんかと一緒にいられるか」

俺がブンブンと首を振ると、彼は袖を摑む指を離して「わかった」、となしの聲で言った。

分かっている。なしに聞こえるだけで、本心には何かしらある。それが是か非か分かりはしないが。

俺はに背を向けて、ダンジョンゲートに向かった。

俺は、間違ってなどいない。