《悪役令嬢は麗しの貴公子》52. あくまで表面上は穏便に
 カラカラッ、と音を立てて扇が大理石の床を転がっていく。
 その音で初めて、周囲が沈黙に包まれていたことに気づいた。
 「……ロザリー殿?」
 叩かれた頬がジンジンと痛む。
 口にの味が広がる。
 そんな中で聞こえたのは、カレンの躊躇いがちな聲だった。
 「怪我はないかい、カレン?」
 振り返って背後にいるカレンに笑顔を向けるが、私の顔を見たカレンは表を凍らせて小走りに近づいてきた。
 「っ君、が…!」
 震えた手で口元にハンカチを添えられる。
 どうやら口を開いた拍子にが端の方から溢れてしまったらしい。
 安心させようとしたのに、これでは逆効果だ。
 「ちがっ違う違う、違うわ私わたくしっ、そんなつもりじゃっ!!」
 上ずった高い悲鳴をあげたルミエラは、髪を振りして目に涙を溜めながら激しく頭を振っている。
 公衆の面前で自分より分が上、しかも筆頭貴族である公爵家の嫡子に怪我をさせたのだ。
 後々のことを考えれば、混するのも仕方がないと言える。
 「いやっ嫌よ私わたくし、こんなことーーーーーーひっ?!」
 
 私はルミエラに近づいて彼の手を取った。
 扇を投げられた仕返しをされると思ったのか、ルミエラは咄嗟にをこまらせる。
 …そんな稚なことする訳がないのに。
 
 「驚かせてしまったね。怪我はしていないかい?」
 
 「は、…い、いえ……?」
 ルミエラは目をパチクリさせながらもなんとか頷いた。
 そんな彼に私は微笑を返す。
 
 「それは良かった。躓いた拍子に手がってたまたま・・・・扇が私にぶつかってしまったんだ。揺するのも無理はないよ」
 
 ルミエラの手を握ったまま、周囲にも聞こえるようにわざと大きめの聲で言い放つ。
そう、これは偶然起きてしまった事故。
 この場でルミエラの悪事を追求しても他國への醜聞にしかならないし、私自も事を荒らげる気などない。
 私の意図が伝わってくれたらしく、ルミエラも同意だとばかりに何度も頷く。
 「そう、そうですの! 私わたくしとしたことが、うっかりしていて…。ロザリー様、『他意がなかった』とはいえ申し訳ございませんでした!! 」
 言い終わると、ルミエラは慌てて頭を下げた。
 揺しているとはいえ、侯爵家とは思えないほど優さの欠片もない禮だったが。
 こっそり周囲を見渡した中には納得のいっていない者もいたが、大半は私達の考えに賛同してくれてるようだ。
 國王陛下や宰相も何も言ってこないということは、傍観に徹するということなのだろう。
 こちらとしては有難い限りだ。
 「どうか顔を上げて。幸い、他に怪我人はいないのだからそれでいいじゃないか」
 「……ご恩、謝いたしますわ」
 「構わないよ。ーーーただ」
 聲を潛め、頭を下げるルミエラと彼の取り巻き達にだけ聞こえるように囁いた。
 「私はこの件でお前達の弱みを握ったということを努努ゆめゆめ忘れないように、いいね?」
 どちらが優位な立場にあるか、それを決して忘れるな。
 この恩に対する代償は高いのだと、ルミエラ達の脳に刻みつける。
 アメとムチは上手に使ってこそ最大に力を発揮するものだ。
 當人達の間に何があったかは知らない。
 ただ、ルミエラがカレンに刃を剝けたことは隠しようがない事実。
 だからこそ、これは警告だ。
 「お父上にも是非伝えておいてくれ。これは公爵家からの貸しだ、と」
 「……承知、致しました」
 
 それだけ絞り出し、青白い顔のルミエラは取り巻き達を連れて去って行った。
 取り敢えず、これで當分はカレンに害をなさない為の抑止力となるだろう。
 
 ルミエラ達が去って行く姿を冷ややかな視線で見屆けた後、私は未だ心配げに自を見上げてくるカレンの腰に手を添えた。
 そして、大衆へ優雅に微笑みかける。
 「皆様、本日はこのようなことになり申し訳ございません。私は手當のためこれにて退出させて頂きますが、皆様はどうか殘りの一時をお楽しみ下さい」
 カレンと揃って禮をして會場の出口へと向かう。
 途中でお父様とニコラスに後はよろしく、とアイコンタクトすると二人とも頷き返してくれた。
 彼らならきっと上手くやってくれるだろう。
 アルバート達がいる方からも視線をじたが、敢えて気付かないフリをして會場を後にした。
 ……
 「すまないロザリー殿。私事に巻き込んでしまって…」
 王城にある醫務室で手當てをしてもらった私にカレンが土下座ポーズで謝ってきた。
 「私が勝手をしたのだからカレンが謝る必要はないよ。それに、貴を守るのは婚約者わたしの義務でもある」
 「だが、それではっ…」
 「カレン、過ぎたことをとやかく言うのは止めよう」
 「…………本當に、すまない」
 カレンは膝の上で両手を固く握り俯いてしまう。
 そして、何か決意したようにドレスの隠しポケットから信じられないを取り出した。
 「カレン、それは何?」
 「短剣だ」 
 カレンが取り出したのはシンプルなデザインの短剣だった。
 私が聞きたかったのはそういうことではないんだが、と言いかけてカレンが刃先を自分の腹部に添えるように當てたものだから慌てた。
 「何する気だい?」
 「切腹」
 「待って」
 騒な単語が聞こえたので瞬時に止めにかかる。
 何がどうなってそんな話になるんだ。
 武士じゃあるまいし。
 
 「一応は聞くけど、どうして切腹なんだい?」
 「これは父からの教えだ。する者を護りその為に力を振るえ、と。だが、私は君を護れなかったばかりか傷まで追わせてしまった。君や公爵家には勿論、家の顔にも泥を塗ったことになる。謝罪だけで済ませていいようなものではないだろう?」
 「だからといって自害する必要もないんじゃないかな。取り敢えず、それを早く仕舞ってくれ」
 鞘に収めている狀態とはいえ、短剣片手に鬼気迫る表でそんなことを言わないでほしい。
 だいたい、なんでそんなもの持ち歩いているんだ。
 まさか普段から? …などという可能を考えて私は心で頭を抱えた。
 すると、カレンが突然ピクリと震え、扉へと鋭い視線を向ける。
 こちらに近付いてくる話し聲に私も扉の向こうへ視線をやる。
 今この部屋には私とカレンしかいない。
 今は舞踏會の真っ只中で警備は會場に集中している。
 つまり、私達が今いる醫務室付近はほとんど人がいない狀況だ。
 さっきまでは靜かで落ち著ける空間だったが、今はやけに騒々しい。
 扉の奧から聞こえてくる聲の中にはニコラスのものが含まれているが、彼だけではないことは直ぐに分かった。
 しかも、ニコラスの聲から察するに穏やかな會話ではなさそうだ。
 「今はダメです。お戻り下さい殿下」
 
 「何故だ? ここは王城で俺は王子だぞ? 友が怪我を負ったのなら見舞うのが普通だ」
 
 「今は、と申し上げた筈です。ご自分のお立場を今一度、ご理解下さい」
 「十分に理解している。だからこそ來たのだ。ーーーどけ」
 聞き覚えのあり過ぎるこの聲はーーー。
 反的に表が一瞬固まった。
 「ローズ、無事か?」
 「……アルバート様」
 強引に扉を開けてってきたのは予想していた通りの人で、私は頬を引き攣らせるのだった。
 
 本日もありがとうございました(´˘`*)
 次回もお楽しみに。
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