《悪役令嬢は麗しの貴公子》57. 人権を尊重して頂きたい
 
 舞踏會が終わり、特に予定のない私は夏季休暇を満喫しようと思っていたのだが、何故こうなった?
 
 「坊っちゃま、お加減はいかがですか?」
 「だ、大丈夫…」
 心配そうに顔を覗き込んでくるマーサに、く度に生じる痛みに耐えて必死に笑顔を向ける。
 私は今、全が筋痛でマーサにマッサージしてもらっている最中だ。
 マーサは時折こうして私の顔を伺いながら全の筋を解してくれている。
 
 (あの筋バカ共め…)
 はじまりはディルフィーネ伯爵家から屆いた一通の手紙だった。
 前にも話したが、ディルフィーネ伯爵家は代々國王に仕える騎士の一族だ。
 男問わず、期から剣をに染み込ませるように訓練している。
 『己を守れずして王は守れない』という初代ディルフィーネ伯爵の言葉に則り、ディルフィーネ家の者は剣をにつける習わしがある。
 當然、ディルフィーネ家と婚姻・婚約関係にある者も例外ではなかった。
 つまり、カレンと婚約した私もまた、その対象になってしまった訳で。
 ほぼ毎日ディルフィーネ家に赴き、騎士団員に混ざって訓練をけているのだ。
 元々、ルビリアン公爵家は文の一族で剣は嗜み程度にしか習わなかった。そのため、普段から鍛えている騎士達とは天と地ほども面で差があり過ぎるのだ。
 だが、カレンの父ディルフィーネ伯爵は問答無用で私を騎士団に放り込んだ。
 騎士団練習にはカレンの兄弟も欠かさず參加しているので、彼らから指南をけることも多かった。
 最初は見た目がヒョロヒョロだのチビだの弱そうだのと散々言われたが、厳しくも分かりやすく指導してくれるいい人達だった。
 やっぱりこういう部分は兄弟だと思う。
 
 そんな訳で、私は今日までほぼずっと腹筋が割れた騎士達にまれ、筋痛に悩まされる日々を送っている。
 あと數日で夏季休暇も終わるというのに、結局何も出來ずじまいだった。
 
 ちなみにルミエラ嬢はあの後、処分が決定するまで自宅謹慎ということになっているらしい。
 父親のキャンベル侯爵から送られた直筆の謝罪文には、今後の処分については検討中とだけ書かれてあった。
 対処としては妥當だろうが、お父様とニコラスはそう思ってはいないらしい。
 お父様には『お前がむなら侯爵家を潰すことも可能だよ』と満面の笑みで言われたし、ニコラスはその隣で既に侯爵家を潰す算段をつけていた。
 『侯爵家殲滅計畫書』と書かれた書類を持ってこられた時は言葉を失った。 
 しかも、その束を持ったニコラスがこれまで見たことがないほど愉しそうな表をしていたのだ。
 これが絶句せずにいられるか。
 「終わりましたよ。…気休め程度にはなったと思いますが、念の為に本日はもうお休み下さい」
 「ありがとうマーサ。そうするよ」
 マーサのおで幾らかがほぐれた私は、夜著に著替えてベッドに飛び込んだ。
 最近ではずっといているせいか、橫になると直ぐに眠気がやってくるようになった。
 それは今夜も例外ではなく早々に睡魔がやって來て、それに抵抗せずにゆっくり瞼を閉じていく。
 安眠萬歳、と心で呟いて意識を手放そうとした、その時。
 「眠っているところ申し訳ないのですが起きてもらえますか、ロザリー・ルビリアン様」
 今の今まで気配すらなかった室に私以外の知らない聲が響いた。
 驚いて目を開ければ、黒いローブにを包んだ青年が私を見下ろしている。
 我が家のセキュリティは萬全の筈だが、私の部屋まで侵されておいて家の者が誰も騒ぎ立てないということは、青年が侵したことを知っているのは現狀、私だけということになる。
 「な、…っ!」
 「お靜かに」
 聲を出そうとした途端、首筋に冷たいものが添えられた。
 暗くてハッキリと見えないが、この狀況下においてソレが何かなんてことを聞くのは野暮だ。
 働かない頭なりにでも今、自分が不利であることは理解できるので取り敢えずは青年の言う通り口を閉じる。
 …まぁ最も、心臓は今も煩いくらい鳴り続けている訳だが。
 「賢い判斷ですね。こちらとしても無駄な殺しは避けたかったので有難いです」
 
 にこりと微笑みかけられるが、その瞳は未だ警戒対象を見るソレのままだ。下手なきをすれば、容赦なく命を刈り取られてもおかしくないだろう。
 正直言って、凄く怖い。
 これまでも分や立場上、それなりに危険の矢は投げられていたのかもしれないが、こんな死に直結しそうな験なんて今世になってからしたことがない。
 前世でだって平穏普通の生活を送っていたし、気づいたら死んでいた訳だし今みたいに迫した空気を味わったことはない。
 公爵家の使用人がどれだけ優秀か、今更になって実する。
 恐怖のあまり黙ったままの私を余所に、青年は『失禮しました』と言ってやっと首元に添えられていたモノをしまってくれた。
 「公爵家の方は隨分と眠るのがお早いんですね」
 「何が、目的ですか……」
 青年の言葉を無視してそう口にする。
 聞きたいことは山ほどあったけれど、一番先に確かめなければならないことはやはりこれだろう。
 監視の目を掻い潛ってここまで來たのに、私がまだ殺されていない理由なんてある程度察しがつく。
 その理由によっては、今後の出方もかなり変わってくるし、知っておいて損はない筈だ。
 …勿論、そう都合良く教えてくれるとは思っていないけれど。
 「やだなぁ~、そんな怖い顔しないでくださいよ。別に取って食ったりなんて真似しませんから」
 しかし青年は、構える私に対してあっけらかんとこたえた。
 彼の人好きしそうな笑顔にいいから早く言え、と目で訴えかける。
 それがきちんと伝わったらしく、青年は瞬時に表を引き締めた。
 「ロザリー・ルビリアン様。本日は、我が主人の命でここへ參りました」
 「…主人?」
 予想だにしない理由に眉を顰める。
 まだそこまで遅い時間帯ではないとはいえ夜に、しかも侵して伝言を伝える相手に刃を突きつけるような人の主人って一……。
 訝しむように睨めば、青年は眉を八の字にして微笑んだ。
 「恐ろしい思いをさせてしまい申し訳ありません。貴方を主人の元へお連れしても害がないか試させて頂きました。ご無禮をお許し下さい」
 言葉とは裏腹に全く悪びれていない様子に呆れてしまい、逆に何も言えなくなる。
 あんな事されて許してほしいとか言われても許せる訳がない。だって私は寛容でもなければ聖人君主でもないんだから當然だ。
 「許しません。でも、貴方の主人が貴方に命じた容くらいは聞いてあげましょう」
 
 武の一つもない今の私が青年に武力で勝てるとは思わないが、せめて嫌味の一つでも言ってやりたかった。
 そうでもしないと、に溜まったままの怒りのやり場を失くしてしまう。
 客観的には、凄く上から目線な臺詞に聴こえただろうが、青年は特に気にした様子もなく『ありがとうございます』と口元を和らげた。
 「我が主人は貴方にお會いしたいようで、貴方をご案するように、と私に命じられました」
 
 そう言って、青年はまるで騎士のように私に手を差しべてきた。
 まさかご案って…今から!?
 
 冗談でしょう、と心で思っていたことが顔に出ていたのか、青年は釘を刺すように『今からです』と告げてきた。
 「明日とかでは駄目なんですか…」
 「駄目です」
 「理由は?」
 「主人が待っているからです」
 當然とばかりの笑顔を向けられ、思わず頬が引き攣った。
 狂っている。そう思わずにはいられない。
 仕える主を第一と考えるのは良いことだが、度を越せばソレは一種の狂信だ。
 こういう類の人間に何を言っても無駄だろうが、こちらにも譲れないものがある。
 例えば今は夜で、人前の子どもである私はもう寢なければならないだとか。
 例えばただでさえ疲れているのに無理やり起こして刃を突きつけた上、怖い思いをさせた自覚があるのにまだ私のにムチを打つ気なのかとか。
 
 言ってやりたいことは沢山あるが、取り敢えずこれだけは言わせてほしい。
 「眠いから明日にして下さい」
 「卻下です」
 私の心からの訴えは青年によって呆気なく切り落とされてしまった。
 その上、青年は私がまた何か余計なことを言わないようにしたのか、足音もなく私に近づいて手をばしてきた。
 「失禮致します」
 「え、なに…って、ちょっと!」
 
 急にが宙に浮く覚に思わず上った聲が出た。
 腹部に腕を回され、脇に抱えるように持たれる。
 私より背が高くて格も良いのだからもっと他の持ち方だってあっただろう!
 
 「離して下さい!」
 「申し訳ありませんが、あまり主人を待たせる訳にもいかないので暫く我慢して下さい。……暴れると落としますよ」
 
 最後に低い聲で脅迫めいたことを口にした青年に戦慄した。
 先程のような言葉を吐く彼なら、いくら主人の命じたこととはいえやりかねない。
 諦めた訳じゃないが、これ以上はの危険をじてぐっとを抑える。
 そんな私を苦もなく抱え上げた青年は、迷いのない作で窓を開けを乗り出した。
 え、噓でしょ。まさか……!
 
 「口を閉じていて下さい。舌を噛まれても迷なので」
 
 そう思うならもっと別の手段で運べ、と聲を大にして抗議したい。
 私自、痛いのは嫌なのでを引き結んだが、いけ好かないので代わりに思い切り青年を睨んでやる。
 しかし青年に堪えた様子は勿論なく、『行きますよ』と聲をかけられた直後、戸いなく窓から飛び降りた。
 そしてそのまま、私は拐されるような形で青年に連れ去られたのだった。
 本日もありがとうございました(´˘`*)
 次回もお楽しみに。
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