《悪役令嬢のままでいなさい!》☆44 の隠れていた想い
10分も経たないうちに――ごろんと。
氷の上に転がされた瀬川松葉は、すっかりボロ雑巾になっていた。
たき火で燻されたら、こんな臭いになるんじゃなかろうか……。
煙をぷすぷすとたてて、口の悪い年は、水族館でよく見かけるの姿になってしまった。
そこには、白茶の被をした二ホンカワウソがいた。
焼け焦げた制服が、げて辺りに散らばっている。汚れきったスラックスは、熱によって表面がてかてか溶けていた。
よく見れば、泥だらけで痙攣している全は、ちょっと半明に青みがかっている。東雲先輩によって與えられた折檻によって、川獺の幽霊に戻ってしまったかのようだった。
……東雲先輩は、一仕事終えたとばかりに手を打ち払った。黒りのする汚らわしき害蟲――イニシャルGを見るような目をカワウソへと向ける。
瀕死の妖怪を前に、どこまでも冷やかな蔑みの視線である。
絵面が大変なことになっている。
世界の護団が逆上しそうな……じに。
瀬川は前世がでも、今はアヤカシになっているわけだから。アニマルではなくモンスターに當てはまる存在なのだけど。
白波さんを食い殺そうとして、鳥羽君を気まぐれに殺そうとした同の余地のない悪黨だと……私にも爪を立てたと理解してはいるのだけど。
それをきちんと認識した上で、この景をもう一度見返してみても、やっぱり待にしか見えなかった。
柄の悪い人男が希生をいたぶっているように、どーしても見えてしまう。
悪夢に出てきた東雲先輩の冷酷さが、瀬川をターゲットにしていた。
煙草の匂いを漂わせた柳原先生が、避難していた白波さんと遠野さんを引率してこちらに戻って來る。
今にも殺される寸前のカワウソを発見して、顔をしかめた。
「……せめて、娘っこの目につかないとこで始末つけたらどーだ。月之宮が二度と視線を合わせてくれなくなっちまうぞ」
先生と一緒にいた白波さんが、半霊の川獺を見つける。きゃあっとんで、私の方へとすっ飛んできた。
「……月之宮さんの手と足、全部揃ってるよね!?けちゃってないよね!?」
白波さんは、私のをぺたぺたって、涙聲になった。
私は目を丸くした。
『誰が川獺にこんなことしたの!?』と空気の読めないことを言い出すのではないかと構えていたので、肩すかしな思いになったのだ。
「……ええ、まあ」
「ちゃんと、ここに居るよね!?月之宮さんと、友達になれる前に死んじゃうか、もって……っ」
ボロボロと大粒の涙を零して、くしゃりと白波さんは笑った。
……え、友達……?
ぎゅうっと抱きしめられて、戸った。
私が辺りを見回すと、雪男は生暖かい笑みをこちらへ向けている。……カワウソの姿を見て、遠野さんは蒼白な表になった。
白波さんにスルーされた鳥羽君は、この景に苦笑していた。
そして、東雲先輩が驚いた目をこちらに向ける――――、
――私は、頭の中が白くなっていくような、奇妙な覚になった。
……ぞくっとを竦ませる。
唐突に、白波さんのしすぎる優しさが怖くなった。
彼の暖かい溫をじながらも、私は孤獨が増していく思いになった。
あえて表現するならば、それは空虛な嬉しさだった。
飢えた心が満たされそうになるのに、やっぱりその優しさは偽善じみていた――。
シャラン
『――で。雑妖に襲われていたところを、助けたその友達に。化け呼ばわりされて、君はどうしたんです』
過去に、ある【】と會話をした男がいた。
青い空の下で、不機嫌そうに彼は言った。事実、この日はずっと苛立っていた。
隣の階段に座っているのは、帽子を被った小さなの子で、しだけ目が腫れぼったくなっている。
は躊躇いながらも、応えた。
『お兄ちゃんが怒ったから、あたしは何もしなかったよ。泣いちゃっただけ。
……あたしね、思うんだけど……、
あたしが勝手に人間を好きなだけだったのかなって。
月之宮に産まれるって、普通の人間から見たらアヤカシと同じくらい怖いんだよ。
お兄ちゃんやななちゃんが、當たり前だと思っちゃだめだったの。
きっと、力を隠してみんなの為に頑張らないと、人間の仲間になれないのかなって。
小さい頃は、窓ガラスとか壊しちゃったことあったし…………弱い人間だったら、間違えて殺しちゃうかもしれなかったよね。
アヤカシでも親友は、ちゃんとツバキがいるんだし、さ。……もう、人間のお友達は、ななちゃん以外作らないって決めたの』
一気にこれだけのことを喋ったは、にこっと笑った。
まだ小學生の子どもだけど、一人前の作り笑顔だった。
『そういう生き方は心が疲れますよ。……いつか限界がきたら、僕は遠慮なく人間から君を奪いにいきますから』
男が、半ば殺気立ちながら呟くと。
『何それ、そんなくらいなら。うちの學校に來ればいいのに……。ほら、全國の苗字辭典。街の図書館で借りてきたの!これなんかすっごくカッコいいと思う!
ツバキ、名前しか考えてないじゃんっ』
『東雲……って。やけに化生らしからぬ、縁起の良さそうな苗字で僕に年齢詐稱をしろと言いますか、君は……』
『クオーターの生徒會長とか。この間、漫畫にそういうキャラがいたもんっ』
『そんな面倒なこと、やる訳ないでしょう。どんな事があれ、子どもに混ざって芝居をする気はない』
呆れた男に、キャハハッと元気には笑った――――、
――――――
――――
――?
今、何を考えていたっけ?
……放心狀態から我に返ると、東雲先輩が柳原先生にこう言っていた。
「一理あるな、八重の前で生臭くすることもない」
なんだか遠慮なく私の名前を呼び捨てにされているような気がするんだけど……。
……ま、いっか。テレビの時代劇みたいに八重殿、とか姫とか言われるよりマシだと諦めよう。
泣いている白波さんが、ぐったりしたカワウソを悲しそうに見ている。
それでも、余計なことは言わない。
白波さんの優しさは無差別なのかと思っていたけれど、
……彼は心優しくとも必要悪は理解できる格なのだとじた。
アヤカシ殺しを生業にする、我が家にどこまでも都合のいい優しさだった。
「……瀬川君を……殺さないで」
処分場所を考えていた東雲先輩は、耳に屆いた聲に顔を上げた。
この場にいた全員が驚いて、靜まり返った。
――カワウソの助命嘆願を言ったのは、れた三つ編みの人間であった。の気のない顔で、は震えていた。
「お願いです……わたしの言葉を、聞いてくれたのは……」
気な遠野さんのどこに、荒い聲でそんなことを言う勇気があったのか。瀬川のどこに、この恐ろしき狐にはむかう価値を見出したというのだろう。
「……そうして、くれたのは瀬川君だけだった……っ」
切ない、溜め息だった。
「……みんなの都合のいい存在に、ならない自由も。……ちゃんとあるって、教えてくれたのは、瀬川君なんです」
怯えた遠野さんの言葉に、鳥羽君が呆れたように言った。
「それ、犯罪者が悪用しやすい理屈だぞ」
個人の自由を振りかざして、他人を傷つけるのは只の無法者。
もっとも、私たちだって自衛でカワウソを処分しようとしているわけだから、結局は暴力的な解決に持ち込まれようとしているのだけど。
その矛盾に、柳原先生が困ったような笑顔を作って、涙ぐんだ遠野さんの前へとしゃがみ込んだ。雪男は火のついた煙草を指ではさみ、彼に優しく訊ねた。
煙草の匂いが、文學を包む。
「遠野。……よかったら先生に教えてくれないか?
この、あー。……瀬川とだ、神様まで手作りして、葉えたかった願いごとって何だ?
家庭問題とか、言いにくいことならここで言わなくてもいい。
勿論、ちゃんと反省してもらわなきゃならんが……もし、オレになんとかできる範囲なら、遠野の力になってやりたいんだ」
とても教師らしい言葉だ。アヤカシから出たとは思えぬセリフに、私はちょっとした。
それは遠野さんも同じ心境になったようで、潤んだ瞳がゆれる。
しばらく口を閉じていたものの、小さな聲でこんなことを言った。
「……が、……なんです」
「ん?」
にいっと笑顔の、擔任の雪男へ。遠野さんは顔を真っ赤にして、一杯の勇気でハンドメイド神様の機を告白した。
「……私。柳原先生が、好きなんです……」
――その言葉の衝撃に、柳原政雪の笑みが凍り付いた。持っていた煙草が、ぽろっと落下する。
ひゅるるる――と、揺した彼の異能が暴走して。突発的に発生した雪が風に舞った。
心の中がぷちブリザードで丸わかりになっている。
「……ほお」
背後にいた東雲先輩の黒笑に。柳原先生はびくっと震えた。
「……つまり、これはお前が原因だったというわけか」
ぼき、と手の関節を鳴らして。東雲先輩は地獄が似合いそうな聲で、雪男へと言った。
柳原先生は、作り笑顔を引きつらせて――慌ててスライディング土下座をした!
……何故か、私に向かって。
「……月之宮、なるべく早く。懸命な判斷をした柳原を許してやれ」
八手先輩が、恥もプライドもなく土下座のお手本のような勢で私の前にいる雪男を見やってそう言った。
腕組みをして、すごく気の毒だと云わんばかりに。
「これ、明日から擔任が変わるかもしれねーな」
目を宙に浮かせた天狗が、呟いた。
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