《悪役令嬢のままでいなさい!》☆45 最高の罰ゲーム

グラウンドに額をりつけた柳原先生のボサついたグレーの髪を眺めて、私が戸い困り果てていると。

その姿になにかじるものがあったのだろうか。

……土下座中のアヤカシを目にして、どのような心境に至ったのか分からないけれど。

柳原先生の教え子である遠野さんは、林檎のように赤くした顔で、しずかに土下座に加わった。

は、今回の件で痛めつけられた鳥羽君へ頭を下げた。場合によっては踏みつけられそうな距離まで近づいて、土下座をした。

「……ごめん、なさい」

毒気の抜けた、憑きの落ちたような謝罪だった。

妖怪に唆されて、悪事に協力してしまったとはいえ、殺人までは行う気がなかった遠野さんは、普通のの子であったと云えるのだろうか。

でも彼は、瀬川が鳥羽君に行った暴行を黙認し、あまつさえ利用しようとしたのだ。その段階で、遠野さんと瀬川は一緒に悪いことをやっていた。

土下座をしている遠野さんは、正気に戻った今では狂気の影はどこにもない。すっかり人間らしくて……むしろ、悪事を働く前よりも深い眼差しとなっている。

どうして、悪いことをしてしまったんだろう。こんなに綺麗に謝れる、愚直な人なのに。

この彼が、カワウソとの流で惹きつけられたものとは何だったのだろう?

天狗は複雑そうな表をしている。『謝るなら、白波さんと私にしろ』と言いたそうだ。

……いやいや、今回の件で一番暴にされたのは君でしょう、鳥羽君。

そりゃ私も負傷はしてるけど、ふざけた瀬川にやられた傷だから遠野さんとは無関係よ……って、あれ?

よく見たら、私のシャツ、けっこう紅く染まってるじ?

腕の生傷は見當たらないのに……なんだか、かなり出したように見えてちょっと妙な……。

おかしいな……確かにここに傷があったのよ。病院でうことになるかと思ったんだけど――。

白波さんをチラリと橫目に見て、私は眉を潛める。

瀬川が神子フラグメントと呼んだ、この世界のヒロインはしゃくり上げている。

これって、もしかして……?

考え事に頭が支配されそうになった私は、うっかり土下座中の雪男の存在を忘れかけた。

雪男の背後では、いい笑顔の東雲先輩が、狐火で苛立たし気にドリブルを始めた。

それに私のの気が引く。焦ってんだ。

「柳原先生、頭を上げてくださいっ」

「……いや。多分、月之宮のけを得ずにこの姿勢を解いたら、その瞬間に柳原が丸焦げになるだろ。遠野は死んじまうから、免除されるだろーけど」

鳥羽君が、狐の恐怖のドリブルをガン見して、言った。バスケットボール協會がこれを見たら失神するだろう。

「青くない辺りが、弱火でじっくりといくつもり、か」

何かを悟ったように、八手先輩が重々しく唸った。

「……先輩って…………」

白波さんの、慄きが口から零れた。

がぶっ倒れないのは奇跡だと思うけれど、これもう、意識飛ばして夢だと思いこんだ方が神に優しいんじゃないかな。

「いやだって。あんなに白波さんのこと好きだったのに、こんなに堂々と、そんな恐ろしいことを先輩がするわけが……、ですよ、ね?」

「――僕は。白波小春のことを好きだと、八重の前で明言した覚えは一度たりとも無い」

私の混した言葉に、狐は冷たく言い放った。

白波さんが「つつつ、月之宮さん、東雲先輩は私のことなんか、アリさんとしか思ってないよ!?そんなじが、今すっごくしてるからね!?」と悲壯な聲で言って、私をがくがく揺さぶった。

パニックが360度回転して、いつもの白波さんモードになっている。

…………何だか、すごく寒気がするんですけど……っ

東雲先輩の強い眼差しが向けられて、私はバッと顔を逸らした。

ブルーアイズは、咎めるようなをしている。

彼はため息をついて、さらりと言った。

「もう、隠しても無駄だな。……僕が好きなのは、八重だ。

こんなにトチ狂った世界じゃな「柳原先生、許しますから!顔を上げてくださいっ」…………」

耳を押さえた私が、反的に甲高くぶと。

のない雪男はがばっと起き上って!土下座継続中の遠野さんをかっさらって、私の後ろにダッシュで避難した。

「………………オレやばい、マジでヤバイ……」ともごもご言っている。

罪悪で暗い顔をしていた遠野さんは、先生が腕を摑んだ時に恥ずかしそうに俯いた。――八手先輩がそんな2人に、せめてこれを使えとばかりに木刀を差し出している。

鬼が大事に扱ってそうな得を手放すほどに、憐れに映ったのか。

「ここまで最悪のタイミングを、よく選べたな。月之宮……」と鳥羽君が心底呆れたように呟く。

……涙が驚きに止まった白波さんが、魂が抜けかけた私を揺さぶった。

「ここで目が死んじゃダメだよ!まだ東雲先輩は傍にいるんだよっ」とかなり失禮なことを囁いてくる。

そんな一同に、無表になった東雲先輩が、狐火をぐしゃっと思いっきり握りつぶした。火のが散る。

なんだか、彼の目元がひくついているような……知らないっ見たくない!他人の都合のいい存在にならない自由もあるーっ!

「……とりあえず、八重。さっさとこれでも使って、その恰好をどうにかしなさい」

そうして私の姿を、ようやくマトモに眺めたのか。

東雲先輩は、何かに気が付いたように目を細めた。おもむろに自分のブレザーをいで、こちらに手渡してくる。

手元にきた男ものの上著に、私は首を傾げた。

近づいた東雲先輩が、やけに顔を背けているので、自分の今の姿をちゃんと見直すと……。

……元の黒いスポーツブラと谷間が、濡れたシャツにしっかりけてた。

「――いやあああ!?」

「――――っ」

あまりの恥ずかしさに、思わず手がでた。

いつもの覚で迷うことなく急所を狙いにいった拳が、東雲先輩に直撃して。気を抜いていた狐が、呪文の強化されていた私の攻撃によって空高く吹っ飛ばされた。もう、見事なくらいに高々と。

――みんなが絶句したのが、分かった。あんだけ恐怖の大魔王になってた狐が、にぶん毆られたのだから。

自分のやらかしたことに気づき、さあっとの気が引いた。私、殺される。

もう予想だにしていない一撃だったんだろう。

東雲先輩は、勢を立て直して無事に著地すると、なんとショックの余りかそこに座り込んでしまった。

「…………これすら嬉しくじるって、もう末期ですかねえ……」

あぐらをかいた狐は、北極星を探すような遠い目になってどんよりしている。

みんなの咎めるような視線が、私に集中した。

……殺され、ない?……東雲先輩の許容範囲だった?

え、噓でしょ。私が渡された上著を握りしめていると、白波さんが悲しそうに言った。

「し、東雲先輩は紳士だったんだよ……。月之宮さん」

すごく同の含まれた聲でたしなめられた。

鳥羽君がひそかに囁いた。

「……月之宮の暴挙の數々で助かったかもしれねーぞ俺たち。狐様、ついに怒りから諦めの境地に達したじだし」

「ひやひやしたが、東雲さん、月之宮に毆られてちょっと喜んでるみたいだから。むしろ機嫌が良くなったかもしれんなあ……」

落ち込みはじめた東雲先輩に、柳原先生が可哀そうなものを見るような目を向けた。

「これが……被というやつか?」

「それ、狐さんの前で言ったら命が足りんぞ」

「東雲先輩の月之宮さんを見てる目、そういうのとは、ちょっと……」

荒ぶる狐が居なくなった途端の、このアットホームはなんだろう。

「……これ」

私が小さな聲に振り向くと、遠野さんが気まずそうに、土埃のついた服を差し出していた。

正真正銘の、私がぎ捨てたブレザーだ。

「持ってくるの、忘れて……ごめんなさい」

「あ、ありがとう」

敵対関係だったはずだけど、もう彼のトゲがとれてしまったのか、今のやり取りで思い出して慌てて取りにいってくれたのか。

もう、みんなの意識はすっかりカワウソから狐の方へと向けられていて。

――だから、その微かな言葉を聞いたのは。私だけだった。

「……がんば、ったんだけど……なぁ……」

どこまでも、寂しそうな呟き。

聲にならない慟哭を耳にして、皆に忘れられた、その橫たわった獣へと振り返った。半明になったは、泥だらけでちょっとだけ火傷を負っている。

罪ばかりを重ねた川獺かわうそは、誰ぞへ問うているようで……。

初夏の湖みたいな碧の瞳は、私たちの姿を映さぬままに。哀しそうにそっと、いう。

「……だれか……ぼくに、おしえてよ――」

自分の命の終わりと思っているのか。もう意識も混濁して……強がりも剝げてしまったのか。気ではなく、笑顔もなく、悪態もなく。

ただ、あるのは……これまで誰の耳にも屆かなかった、子どもの問いであった。

「ねえ、だれか教えてよ……ぼくは、どこで間違えてしまったの――?」

……ああ、

この一匹の哀れな獣は、どこまでも罪を知らない。

私の息が詰まった。

「こんどは……もっと、うま、くやれるかなあ……」

彼は生まれいずる子どものままで、親もなく、友もなく、道しるべになる燈りもなかった。

……この罪の數々は、

この川獺が獨りぼっちで、世界を泳いで生まれたものなんだ。

きっと、このアヤカシは……頑張り方を教えてしかった。

頑張ったら褒めてほしくて、自分だけを見て、してしくて!

私を求めた理由は、彼の書いたメッセージと向き合おうとして見せたから。

愚直な遠野さんと話しができたのは、彼がどこまでも夢を諦めない年であったから。

失敗したら、一人で考えて。転んでも、一人で泣いて。玩を沢山揃えても、どうして楽しくないのか理解できなくって。

きっと、この川獺は見てきたはずだ。

人間が仲睦まじく笑う日々。一面に咲き誇る花々。鳥の群れが羽ばたく景や、沢山の住宅が立ち並ぶ街を…………たった、獨りで。

追いかけようとしても消えていく飛行機雲を捕まえようとするような、慘めな気持ちだったことだろう。

もう充分すぎるほどに、あなたは――――、

川獺の近くにしゃがみ込んだ私は、みんなにバレないように囁いた。

「――私ね、式妖がいないの」

式。ざっくばらんに云えば師の使いっぱしり。

「今まで、他人の命を殺してきたのなら……これからは、私に命を預けて生きてみない?

生殺與奪は私が決めてしまうし、絶対服従にはなるわよ?その格が丸くなるくらい、遠慮なく怒るけど、さ」

伏せられていたアヤカシの瞳が開いていく。

「そりゃあ、瀬川君は口も、格も極悪だけどさ……でも。死ぬなら、悪いことをしたと分かってから、死んでほしいわ」

東雲先輩が、そろそろ気づいちゃうかも。

私のブレザーを広げて、一匹の川獺を持ち上げて包み込むと……その獨りぼっちの化けは、小さな掠れ聲で若き師に訊ねた。

「……いっしょに、いてくれるの?」

私は、調子に乗らせないように言う。

「お嫁さんにはならないけど、ね」

「…………ほんと……?」

「そのが直るまで、傍にいてあげる」

私の言葉に、カワウソはぽつりと、こう言った。

「……それじゃあ、死ぬまで、ずっと一緒じゃん…………」

「そうかも、ね」

そんな返事をすると、カワウソの瀬川松葉は苦笑したように、獣の姿で目を閉じて。その眥からちっぽけな涙の雫を、落として――。

――――笑った。

「それって……最高の、罰ゲームだ」

私もその言葉に笑って、氷の大地に捨てられた、その泥だらけのカワウソを拾い上げたのだ。

どうしようもなく悪いやつだけど、この化けを生かしてみたいと思ってしまったから。

こちらに気付いた東雲先輩から、慌てた私はカワウソを抱っこして逃げ出した。

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