《悪役令嬢のままでいなさい!》☆53 あんころもち(1)

珍しいことに、あの友人の記憶が素面のままで浮かび上がった。

八重から取り上げたクッキーの味が想像できたからだろうか。

東雲椿は機嫌よく、そのクッキーの重みをじながら自宅へ帰った。

高校の生徒會長を真顔でやっているのだから、これぐらいの褒はもらっていいだろう。

そのために、八重から調理実習の失敗作を取り上げるチャンスを伺っていたのだ。

東雲は、マンションの鍵を開けた。

冷やかな暗さをじさせる住まいだ。

へ渡せずじまいの髪飾りが機の上に載っていた。埃がかぶりそうになっている。

天井の白く輝く電球が、源となって照らしている。

僕という奴は、電気がこれほど近になることを考えもしなかった。

フィラメントが市場にあらわれた時にはひどく驚いたものだ。

夜を気軽に照らすのが當たり前になってしまっては、かつて人心のよりどころになっていた月のことなんか、現代人は観賞用ぐらいにしか思ってやいないのだろう。

人間とは、忘卻をしていく生きだ。

バターや砂糖を贅沢に使ったクッキーは、東雲にとったら近代の日本のかさをじさせる代である。

自國の食料自給率はともかく、なんとまあ夢語のメシが當たり前になったものだ。

彼だって半ば呆れながらも、週末に酒を楽しんでいるのだから人のことはいえない。

缶チューハイ、ビール、ウイスキー。

においがつくのはマズいので平日は控えているが、東雲は無類の酒好きだった。

ビーフジャーキーには特に著があって、年がら年中つまみにしている。

俗にいうザルの飲家である。

最近は外國人滯在者もかなり見かけるため、この金髪でも飲み歩きがしやすくなってしまった。

……だからこそ、浴びるようなヤケ酒にだって、何度も手をのばした。

本當に分知らずのだ――ましてや、落ちぶれた僕が浚わんとするのは、あの時の年の孫娘だ。

東雲は、運命の數奇さに自嘲する。

思いに、八重が作ったクッキーをマンションの一室で噛みしめた。

……やはり、気が遠くなりそうなほどに不味い。

歴代の月之宮の中でも、最高にヒドイ料理の腕だ。

顔を歪めた東雲は、月之宮に生まれた友人と約束した夏を思い出した。

青空や道雲と一緒に、どこまでも真っ直ぐに咲いた。

――その年の名は、月之宮五季。

跡継ぎになることなどめぬような、五男坊であった――。

あのころ、時代は戦火に巻き込まれつつあった。

大っぴらに言えなかったが、日戦爭の時には無謀な戦だと思った。

とにかく、當時の日本は焦燥にかられていた。

出兵した者を助けようとした神々が、力つきて消えていくことはザラだった。

僕と同じように力をギリギリまで溫存する奴と、両極端なことになった。

元から人口がないこの國の神は、西洋の大規模な信仰と戦うにはずっと分が悪かった。

皆、ない勝率を増やそうとあがきにあがいた。

大正の平和は、そうやって勝ち取った。

けれど、昭和になれば世界諸國の仁義なき爭いで銃聲が鳴った。

この狂は、後に第二次大戦と呼ばれることになる。

の1941年、暦の上では夏がやって來ていた。

やけに鮮明に覚えているのは、その命の限りに蟬が鳴いていたことだ――。

「おーい。青火さまはおられるかーい」

社で晝寢をしていた土地神は、呑気な聲をかけられて顔をしかめた。……また、うっとうしい來客がやってきたものだ。

八月にこいつと會えば、更に暑苦しくなる。

「……だったら、なんだ」と気だるく応える。

耳がいい客は、すぐさま履きぎっ散らかした。靴がごろんと落ちていく。

名家の出だというのに、なんと嘆かわしい振る舞い。ズカズカと社の中に踏み込んできた。

ちょっとだけ背高の年は、白いシャツにサスペンダーをつけている。

明るく快活な表で見渡して、土地神のだらしない姿を発見すると吹きだした。

「婦人がぎ捨てた襟巻えりまきのようになっているじゃないか!」

狐神の青火は、その手ひどい想にイラついてを起こした。

……金の髪に、トンボ玉のような青の瞳。

背が高く均整のとれたつきをしており、浴を著崩していた。

白い縞柄の浴は、大衆向けの仕立てであることが明らかだ。この狐のおざなりな裝いっぷりをじさせる。

青火は、銭があろうと遊び歩くようなことはしない堅で、 英國エゲレス人に近い見目で和の佇まいをしている。

土地神から不機嫌そうに睨み付けられても、

訪問者の月之宮五季つきのみやいつきという名の年は、大して痛手をけることもなかった。

むしろ、大笑いして腹が痛そうだった。

見た目は靜かな男子だというのに、この呑気で小ざっぱりした気質といったら!

全く、世間の子が抱く幻想を臺無しにすることでは天下一品だった。

青火は、こいつは何しに來たんだと腕を組む。

五季は抱えてきた風呂敷包みを、満開の笑顔で掲げた。

「喜べ、あんころ餅を供えにきたぞ!」

「ほお」

青火は半眼になった。

「砂糖もちゃんと沢山れたものだぞ、箸も用意したのだ。向こうの石段で共に食そう!」

「外國が戦爭をしている時勢に、よくそんな無駄遣いをしたもんだ」

「臥せた三の兄者の滋養に良いかと作ったのだが、食が細いらしくてな。沢山できて食べきれぬから、青火さまにお裾分けに來たのだ」

「僕に堂々と下げ渡しとはいいだな、五季」

月之宮の五男坊が悪びれなく話すと、青火が皮を送る。

「だって、青火さまは神である以前に俺の友人ではないか」

「うぬぼれるな、これは子守りだ」

青火は憮然とし、五季は苦笑する。こんなやり取りも、いつものお決まりだ。

「青火さま、どうかこの後始末を手伝ってくれ。このまま棄てれば父上と一守の兄にこっぴどく叱られてしまうんだ」

……チッと狐は舌打ちした。

五季の願い事をきいてやる義理もないが、社に一番熱心に通ってくるのもまた、この年である。

青火は、渋々重い腰を上げて石階段の方へと歩みだす。足に下駄をつっかけ、外に出た。その後ろから、ズボンを履いた五季が話しかける。

「青火さまも、たまには洋服を試してみればいいじゃないか。きっと映畫のスターみたいになるぞ」

「大和の神まで、五季のような西洋かぶれになってどうするんだ。お前こそ、しはその恰好を自重しろと何度言わせる」

「古いなぁ、お國の兵隊さんだってズボンさ。俺は和服よりこっちの方が趣味なの」

この子ども、口ばかり達者になって……いや、こいつはもうじき青年になるのか。

昔なら、とうに元服している歳だ。

隣をよく見ると、骨格が完しつつある男子がそこに居た。

……時代の覚に流されすぎた、か。

そんなことを思いつつ、石階段に腰かけた。

れ日を眺めて、蟬の聲をききながら重箱を開ける。

たっぷりの小豆と砂糖の照りが輝く、贅沢なあんころ餅が沢山詰められていた。

月之宮の次男は、海外へ呪いをかけるように命じられたと聞くが――家人がこのような甘味を作るとは、そのの反で酷く消耗してしまったと見える。

アヤカシ祓いの月之宮一族を、この國はどこまで対人戦に向けて軍用する気だ……?

青火はそんなことを思わされながら、手渡された塗り箸で餅をとり、かじりついた。

「…………っ、」

彼は、本能的に吐き戻しそうになった。

砂糖の甘さともち米の食に合わせて、焦げ臭さとえぐみが口に広がったのだ。

箸から取り落としたあんころ餅が、再び重箱の中へぽてっと著地した。

言いたいことがありすぎて、聲にならない。

青火のおっかない形相に、五季は頭をかいた。

「これほどの品を戦時に揃えたのに、よりにもよって月之宮の人間を臺所に立たせたな!?正月の餅ですら不味くする輩だということを中は忘れたのか!」

先祖代々、元旦には一門でついた餅が狐へ奉納される。

五季は、それを狐がかなり嫌そうにけ取っていることを知っているので空笑いを返した。

青火からその度に、『頼むから餅つきは使用人に任せてくれ。やるなら僕の分だけは別にしてほしい』と苦けるのも五季の役目になっている。家族へ伝えたこともあったのだが、父は穏やかに笑って五季へ1つの伝承を耳打ちした。

――ある當主が、それを鵜呑みにして新年の餅を自分たちではつかずに奉納した年があった。だが、その男は渡した瞬間の青火様のご尊顔を見て後悔したらしい、と。

「それが、新りの娘がひどく慌ててたみたいでな。うろついていたら、ちょっと餡子あんこをかき混ぜててくれと、困った様子で頼まれたのだ」

「焦がすに決まってるだろう!?あれだけ不用なのに、どうして剣以外のものを持とうと思った!」

「……本日ならどうにかできそうな、気がしたのだ」

「やるなら、味噌から始めろ!」

青火が怒ると、五季は、しおれた向日葵のように頭を垂れた。狐とて、今回ばかりは甘やかせない。

この子どもは、いつまでたっても長しないじゃないか。

これじゃあ、五季がいっぱしの男になれるのは當分先になりそうだと……、月之宮家の守り神である青火がため息をつくと。

「なんで、うちの家族は揃って料理ができないのだろう。衆だってみんなそうだ……」

年が悲しそうに言ったので、

代々の月之宮の人間に教えた昔話をしてやってもいい頃合いかと、長生き狐は苦笑した。

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