《悪役令嬢のままでいなさい!》☆321 帰りたい私

その場所は、どこまでも明だった。

地と天は逆さになり、雪のようなの粒は下から上に降っている。水晶は塔になっている。澄んで、澄んで、が凍ってしまうほどの冷たさに魂が凍る。

ここはどこで、自分が誰だったのか思い出せない。

大切な人がいたような気がする。守りたいものを取り戻す為に、何をして、何があったのか。分からない。何も、ナニモ。スベテ。

ただ、ひたすらに走った。その先にあったここは、思っていたよりもずっと寂しい処だったけど。

私は満足だ。だって、顔を忘れたあなたのことを守る為に死んだのだから。

私は幸福だ。人をして死ねたのだから。

私に後悔はない。

そのはず……そう思ったのに。

失くした郭、影になった自分の瞳からポロポロと涙が零れる。消える前の流れ星のような輝きと共に、セカイに結晶となって溶ける。

怖い。

無のセカイは、こんなにも冷たい。

まるで私自が消えてしまったよう。このまま時間が経っていけば、そのうち思考すらできなくなってしまうのかもしれない。

時空の狹間で私は泣いた。

慟哭に吠える。

悲しい。

獨りぼっちは、こんなにも。

こんなにも。

全部強がりだった。戻れなくなってもいいなんて噓。つくんじゃなかった。

あなたを殘して來てしまった。

あなただけを、置き去りにしてしまった。

なんて酷いことをしてしまったのだろう。

戻れなくなってから、今更に、そう思う。

誰か、助けてしい。

助けてください。

馬鹿な私を笑ってください。

「後悔をしているのですか?」

その時、聲がした。

振り返ると、手に燈りを持ち、やけに気配が薄い白髪の男がほほ笑んでこちらを見ていた。その善良そうな雰囲気に、私は瞠目をする。

「まさかこんなところで貴に逢うとは思っていませんでしたよ、……八重さん?」

……それは私の名前だろうか。

ぼんやりと男を眺める。そうしているうちに、私を構する郭と影が強くなったような気がした。

「あ…………」

我に返った頃には、私は自分の記憶の一部を思い出した。

「行燈さん!」

もう二度と會えないと思っていたのに!

そう呼ばれて、現世から消えた道案の神はにこりと笑った。

「良かった。消えていく前に呼び止めることができました」

「私、何があってこんなところに……」

「貴のいた元の世界で、小さな時空嵐がありました。それに巻き込まれてここまで飛ばされてきたようですね」

考え込むような仕草で、行燈さんはふわふわ浮かぶ。

「時空嵐って……」

「どうやら相當な無茶をしましたね? それだけ傷ついていたのに、自我を保っていられたのは奇跡に近い」

行燈さんの窘める言葉に、私に寒気が走った。

「あの……ここはどこですか?」

「ここは狹間です。時空や概念、そういったものの終著點といいますか」

いつかに松葉が作った異世界のような場所といったところか。

私がどこかに飛ばされるのは初めてではない。何度も似たような経験を繰り返している。

「……私、帰らなきゃ」

「…………」

「現世に帰らないと、いけないんです。小春と約束をした。東雲先輩だって、義兄や松葉だって、ウィリアムも、八手先輩も。あのまま放ってなんておけない」

「そうですか」

どこか冷ややかな笑みで、行燈さんはこちらを眺めた。

「無理、でしょうか」

その眼差しに、ようやく私は自分が蟲のいい発言をしていることに気が付いた。帰る方法がもしもあるのなら、先に消滅したはずの行燈さんがここで過ごしているはずがない。

淺く息を呑んだ私に、彼は淡々と言う。

「普通ならこんな場所まで來てしまえば、帰る手段なんて存在しません」

「……でも」

「ですが、君の場合は普通という言葉は當てはまらないのも事実です。既に生來神として覚醒をしているようですし、半分だけで良ければ現世でバラバラになったを自力で再構することも可能です」

「……半分?」

「人間としての質的な君自とは、ここでお別れだということです」

その言葉の意味が、分からなかった。

怪訝な面持ちをしている私に、行燈さんはため息をつく。

「今の君にはそれは大した代償だとは思えないかもしれない。もしかしたら、重荷を下ろしたような気分にすらなるかもしれない。ですが、いつか必ずそのことに後悔を覚える日が來るでしょう」

「…………」

功する確率は高いですが、これまでの因果律から人間として生きていた頃の月之宮さんの報が失われてしまいます。今まで生きていた痕跡も、歴史も、大事な人たちが持っていた君との思い出も全て無くなってしまう」

「そんなの」

そんなの、帰ったなんていわない。

東雲先輩も、希未も、小春も。お父さんもお母さんも、私のことを忘れてしまう。

ようやくこの事態の深刻さを理解した私に、行燈さんは優しい眼差しになった。

「もう一つの方法は、現世にいる八重さんのお友達に再構してもらうという可能

行燈さんは、二つ目の指を立てた。

「再構をしてもらう……」

「こちらは、正直功するかは分かりません。けれど、を失って報として散り散りになってしまっている貴なら、みんなの還ってきてしいという祈りを頼りに実化することができるでしょう」

「そんなこと、できるんですか」

だって、どうやったらいいのかも分からない。

こんな場所にいたら、みんなの聲は聞こえない。祈りなんて、到底屆きやしない。もしかしたら、私のことなんてとっくに忘れているかもしれない。

そう思って俯いた私に向かって、行燈さんは叱咤する。

「では、できなかったら諦めるのですか?」

「…………、」

「方法が見つからなかったら、貴は自分の未來を諦めてしまうと?」

辺りは靜かだ。

「だって、私、どう頑張ったらいいのか分からないんです」

今までは、道が見えていた。目の前に見えている可能に向かって走れば良かった。そこに疑問を持ったことなんて、一度もなかった。

だけど、灰の雪が降るこの世界は道なんてどこにもない。

全てが白紙で。誰もこの先を決めてなんてくれない。自分で解決できる範囲を超えている。私一人には何もできない。

そう思ったら、再び涙が滲んできた。溢れて零れそうになる。

「貴一人で頑張る必要なんてないんですよ」

行燈さんは、言ってくれた。

冷たくなった私の手をとって、囁く。

「これからの人生。目の前に起こる問題は、君だけが解決しなくてもいいんです」

道祖神である彼は説いた。

「人間が一人でできることって、本當にちっぽけです。大自然にも、天変地異にも、人は勝つことはできません。あなただけでこの世の全てに決著をつけようと思ったら、君はもっと百巡ぐらい人生を終えなくてはならない」

「人間は負けてもいいんです。できなくても、逃げても、落第しても、失敗しても不幸でもいいんです。諦めてもいい……と言いたいところですが。でも、諦めてはならないことが一つだけあります」

「あなたのお母さんは、あなたを産む為に自分の命を神様に一度預けました。妊婦は赤ん坊を大きくする際に骨度が低下してしまう人もいるといいます。正しくお腹の赤子に栄養を運ぶ為にを削る思いであなたを産んだのです」

「あなたの周りの人たちがあなたをしていなくても、あなたを産んだ瞬間の母親は、あなたの為に命を懸けたのです」

「絶対に、もう二度と貰った命を末にしないこと。生きることだけは諦めないでください。これは私からのささやかなお願いです」

行燈さんは、そう話した後に會釈をした。

自分の、が苦しくなった。どうして、私は何度も危険にを曬すような真似をしたんだろう。確かにそれしか方法がなかったのかもしれない。そうその瞬間は思ったけど、もしかしたら、もっと別の道があったのかもしれない。

いつから、私は剣を取って戦うことが當然だと信じていたの?

自分の幸せを捨てて、がむしゃらに勝利し続けることにこだわって。

誰かを守るために死ぬことを、私が死ぬことで悲しむ誰かのことを真剣にこうして考えたことはなかった。

……きっと、みんなが泣いてる。

このまま死んだらお母さんが泣いてしまう。

せっかく一生懸命育ててくれて。産んで貰った命だったのに、こんなに馬鹿な使い方をしてしまった。

死ぬに死ねない。

義務ではなく、帰らなくちゃいけない。

みんなに、お母さんに。こんなところまで來ていたことを謝らなくてはならない。

そこまで考えたところで、私は無意識に何かを握っていることに気付いた。

よく見てみると、それは小さな紙切れだった。

……七夕に母から持たされた短冊だ。

『家大安』

そう書かれているのを見た瞬間に、私の耳に誰かの祈りが屆く。

世界から涙の雨が降ってくる。

幾つもの、戻ってきてしいという純粋な願いが、溢れんばかりに私へと到達した。

「…………っ」

行かなきゃ。

今なら、きっと帰れる。

こんな場所に行燈さんを取り殘すことに躊躇われ。あなたは行かなくていいのかと視線を上げると、彼は靜かに首を橫に振る。

「元からパスポートは一人分でしょう?」

「そんな、行燈さん……っ」

「貴に逢えて良かった。杉也のことを、よろしくお願いします」

泣きそうになった私に、道祖神は手を振った。

行燈さんの持っていた燈りが輝きを増し、セカイ中に広がっていく。白く、白く、激しく私を包んで焔が燃える。

「……行燈さん、ありがとうございました!」

聞こえたかは定かではない。でも恐らく、彼とはもう二度と會えない。

不思議と、行燈さんが微笑った気がした。

理屈じゃなく、直でそう思った。

現世に還ってすぐに、聲がした。

「――ああ、八重ちゃん!」

目覚めると、そこには見知った顔の人が泣き崩れそうになりながら私を抱きしめていた。暖かな溫と、リズムを刻む心臓。彼の涙に濡れながら、私は呆然としている。

「良かった、帰ってくることができて!」

「どうしたの……」

「どうしたのじゃないわ! 全くみんなにも心配をかけて! まさかあんな異能の使い方をするなんて思わなかった! これもそれもみんな私が神としての振舞い方を教えてこなかったからだわ……、あなたの彼氏の東雲君も、お友達の栗村さんや白波さんも、松葉ちゃんも本當にみんな気が狂いそうになっていたのよっ」

いやいや、どうしてあなたがそれを言うのだ。

黒かったはずの彼の髪はいつもと違って桜に輝き、神々しいばかりのオーラをまとっている。いつものような普通の人間の範囲を逸したしさを出していた。

何も一連の事を知らなかったはずの、蚊帳の外だったはずの人に、私は放心狀態になりながら呟く。

「なんでそれを知っているの……お母さん」

「それは後で説明すれば良かろう」

奧の方でケラケラと笑っているのは、久しぶりに會う蛍前だった。

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