《【新】アラフォーおっさん異世界へ!! でも時々実家に帰ります》第2話『おっさん、逃げ隠れする』後編
(どうする? また逃げるか?)
3匹のゴブリンが近づいてくる中、木に隠れた敏樹は逡巡していた。
まだまだ疲れはないので走ろうと思えば走れるのだが、こうやって別の個らしきものがいるとわかった以上、安易にき回るのもはばかられる。
逃げた先でさらに別の個に遭遇しないとも限らず、逃げることもかなわないような、より強力な生に遭遇しないとも限らないのである。
(あ……タブレット……)
し落ち著こうと視線を下げた敏樹の目に、地面に置かれたタブレットPCが目にった。
おそらく足の裏を見ようとしたとき、無意識のうちにそこへ置いていたのだろう。
敏樹は町田の言葉を思い出しながら、おもむろにタブレットPCを手に取り、そして考える。
これを作するに當たって、ひとつだけ認めなくてはならないことがある。
――ここが一どこであるかということを。
(異世界…………だよなぁ)
先ほど見たような、そしていままさに近づきつつある正不明の生の存在……。
(正不明? 違うだろ……)
子供のような格で緑っぽいをした醜悪な存在。
その姿をあらためて思い浮かべたとき――いや、一目見た瞬間から敏樹の頭にはひとつの名詞がはっきりと浮かんでいたのだ。
(どう考えてもありゃ“ゴブリン”だろうがっ!!)
ゴブリンなどと言う異形の生……、ではなく魔が存在する以上、ここが異世界であることに間違いはないのである。
そしてそうとわかった以上、日本での常識は捨てるべきであろう。
例えばここまで全力疾走で疲れなかったのも、足の裏に何の傷跡も見えないのも、何らかの力が作用していると考られる。
(スキルの効果だろうな)
たしか町田がタブレットPCを作して習得させてくれたスキルの中に、〈無病息災〉というものがあったはずである。
死ににくくなるようにという敏樹の要をけて習得させてもらったものだが、いかにも疲労や怪我が自然回復しそうな名前ではないか。
敏樹は手にしたタブレットPCを見る。
これを使ってスキルを習得できると、町田は話していたはずだ。
ならばこの場を切り抜けるためのスキルを、いま習得すればいいのではないだろうか?
(よしっ、いくぞ)
敏樹がタブレットPCの畫面部分をタップすると、ホーム畫面のようなものが表示され、いくつかのメニューから『スキル習得』を選択した。
(…………多過ぎだろ)
畫面上には膨大な數のスキルが表示されていた。
その中から、この狀況にあうスキルを選択するのは、なかなか容易ではなさそうである。
(落ち著け、俺。最悪走って逃げればいい。多傷を負っても多分大丈夫だ。〈無病息災〉とやらを信じよう)
となれば、次に考えるべきは“どうやってこの場を切り抜けるか”という行方針を決めねばならない。
先ほどのように走って逃げるのか、あるいは戦って倒すのか、もしくは隠れてやり過ごすのか。
逃げるのであれば移系スキルを、戦うのであれば戦闘系スキルを、隠れるのであれば隠系のスキルをという合に考えていけば、うまく切り抜けられそうである。
ゴブリン達の足が遅いのはなんとなくわかっているので、逃げるのは見つかってからでもいいだろう。
であれば先制攻撃を仕掛けるべく戦闘系スキルを習得するか、あるいはこのままやり過ごすかのどちらかであるが。
(スキルって習得してすぐ使えるものかな?)
例えば戦うとして、武を持っていないいまの狀態だと格闘技関連のスキルを習得することになるのだろうが、スキルを習得してすぐの狀態で思い通りにはくだろうか?
まともに鍛えていないこのが、高度な武について行けるとは到底思えないのだが……。
そしてなにより――、
(あれ、素手で毆れるか? ってか、れるか?)
敏樹は先ほど目にしたゴブリンの醜悪な姿を思い出す。
(無理無理!! よし、隠れてやり過ごそう。じゃあ隠れるのに役立ちそうなスキルはっと……おおっ!?)
特に作したわけではないが、敏樹がそう思考したことでスキルが自的に絞り込まれた。
どうやらこのタブレットPC、とんでもない代のようである。
(えっと……〈擬態〉〈気配遮斷〉〈臭気遮斷〉〈音遮斷〉……ん、待てよ?)
表示されたスキル一覧に目を通していた敏樹だったが、ふとその表示形式がPCでいうところのファイルマネージャーに近いものであることに気付いた。
すなわち、“大カテゴリ”“中カテゴリ”“小カテゴリ”といったツリー形式になっているのである。
先ほど見ていた隠系スキルは小カテゴリの下に位置するものであり、そのツリーを遡っていくと、一番大元にあったのは〈影の王〉というスキルであった。
(大は小を兼ねるというし、とりあえず〈影の王〉にしとくか。ちょっと中二臭いけど……。えっと、ここにチェックでいいんだな?)
各スキル名の左に四角いチェックボックスがあり、そこをタップするとレ點のチェックがった。
(おおう!?)
チェックをれた瞬間、敏樹はそのスキルの使い方を直的に理解できた。
そしてその覚に従い〈影の王〉を使用すると、自分の存在が一気に薄れたような覚を覚えた。
うまく言葉に出來ないが、おそらくいまの狀態で自分に気付くのは困難だろうということだけはわかる。
「ゲギギ」「ガガ、ゴ」「ググ」
そのとき、ゴブリン達の聲がかなり近くから聞こえてきたことに敏樹は気付いた。どうやらスキル習得に集中するあまり、そちらの警戒がおろそかになっていたようである。
(まずい。隠れる時間がない)
そこで敏樹はスキルの力を信じることにし、木にもたれかかってしゃがんだままじっとしていることにした。
不快な聲と、足音が近づいてくる。
そしてゴブリンは…………、敏樹のすぐ脇を通った。
「っ!!」
予想外の近さに、敏樹は思わず息をのんでしまう。
そしてそれに気付いたのか、3匹のうちの1匹が立ち止まった。
「ゲギゲギ?」「ゴゴ……」
他の2匹もそれにつられるように立ち止まり、3匹のゴブリンがキョロキョロとあたりを警戒し始める。
敏樹は聲をらさないよう口元を押さえながら、すぐ近くでその様子をうかがっていた。
一番近くにいるゴブリンとの距離は1メートルもなく、しゃがんでいる敏樹の視界の大半をゴブリンの小汚いが占めていた。
(く、臭ぇ……)
すぐ目の前に異形の魔がいるというのはかなりの恐怖を伴うものであったが、それ上回るほどゴブリンから漂ってくる悪臭は不快であった。
生ゴミのような臭いと生乾きの雑巾のような臭い、そして糞尿が腐ったような臭いが混じり合った悪臭によってもたらされる吐き気と、敏樹はしばらくの間戦うことになった。
「ゴギョ……」
一番近くにいたゴブリンが振り返った。そのゴブリンはしばらくの間あたりを見回していたが、やがてその視線が下を向く。
(……っ!!)
視線から察するに、そのゴブリンは確実に敏樹を捉えているはずである。
しかしそのゴブリンは敏樹に対して何かアクションを起こすでもなく、目をキョロキョロとかしていた。
何度か目が合ったような気はするが、敏樹の視線をけてゴブリンの目のきが止まることはなかった。
(〈影の王〉が作用してるのか……?)
ここまで接近された以上、ただ逃げ出すというのは困難であろう。ならば〈影の王〉スキルがうまく作し、相手に気付かれていないと信じるしかあるまい。
(頼む……、さっさとどっかに行ってくれぇっ……!!)
敏樹の願とは裏腹に、目の前のゴブリンは執拗にあたりを見回していた。そしてゴブリンはクンクンと鼻の鳴らしながら、徐々に敏樹へと近づいてくる。
(こ、怖ぇー……)
やがでその醜悪な顔が目と鼻の先にまで近づいてきた。
すぐ目の前にいるにもかかわらず、ゴブリンの視線が定まらないのは〈影の王〉に含まれる〈擬態〉の作用であろうか?
(にしても……臭すぎるだろっ!!)
先ほどから漂う臭とおぼしき臭いにくわえ、口かられる吐息の臭いもまたひどいものだった。
卵か、あるいは製品が腐ったような臭いが、先ほどの悪臭に上乗せされているのである。
長い間嘔吐を我慢しているせいか、すでに敏樹の目からは涙があふれ出し、鼻水が口元を押さえた手を汚していた。
「ゴゲゴゲ」「……グギョ」
し離れた場所にいたゴブリンがなにやら喚くと、敏樹の目の前にいたゴブリンはを起こし、振り返った。
ようやく目の前から醜悪な顔がなくなったことに、思わず安堵の息を吐きそうになるが、敏樹はそれをぐっとこらえる。
「グギョギョ」「……ゴギッ」「グゲグゲ」
そして1匹のゴブリンが、先ほど敏樹の目の前にいたゴブリンを軽く小突きあげると、もう1匹のゴブリンがそれをからかうような仕草を見せ、そのまま3匹のゴブリンは敏樹から離れるように歩いて行った。
「んぐ…………おえええええ……」
ゴブリン達が見えなくなるまで口元を押さえながら耐えていた敏樹だったが、どうやら助かったらしいことを確認する前に、盛大に吐いた。
「はぁ……はぁ……。なんなんだよ……くそっ……」
吐くために四つん這い――正確にはタブレットPCをに抱き、両膝と片手をついた姿勢――になっていた敏樹は、〈影の王〉を解除してよろよろと立ち上がり、數メートルだけ歩いたあと、さっきを預けていたのとは別の木にもたれかかった。
出來ればあのまま座り込みたかったが、自分が吐いた嘔吐からしでも距離を置きたかったのである。
ぐったりと木に背を預けるような形で腳を投げ出して座ったあと、敏樹はようやく安堵したように大きく息を吐き出した。
そしていくら全力疾走したところで疲れることのなかった自分が、とてつもない疲労に襲われていることに今更ながら気づいた。
「やっぱ異世界……だよなぁ……?」
突然見知らぬ森に飛ばされ、ゴブリンとおぼしき魔に追い立てられ、スキルを使ってやりすごした。
現代日本で――いや地球上のどこにいようとも――このようなことが現実に起こることはありえないだろう。
折り重なる木々の葉の隙間から見える空をぼんやりと眺めながら、敏樹は再び大きく息を吐き出すのだった。
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