「ちくしょう……、折れてやがる……」

斥候の男は無理な姿勢で著地したため、足首を骨折していた。

なんとかけなくもないが、アジトまで何日かかるか知れたものではない。

それ以前に、魔に襲われて死んでしまうかも知れない。

「いや……、こうしてる間にも俺は狙われてるのかもな」

自分に気付かれず矢を放つような相手である。

いつ次の攻撃が來てもおかしくない狀況ではあるのだ。

男は警戒心を高め、周辺の探知に意識を集中した。

可能として考えられるのは自分の探知可能な範囲外からの攻撃である。

探知の範囲を広げて敵の位置を探るか、あるいは範囲を狹めてでも度を上げるか。

悩ましいところではあったが、結局どちらも上手くいかなかった。

「くそぅ……痛ぇ……」

折れた足の痛みでうまく集中できなかったのである。

暗部にいたころは痛みに耐える訓練も行なっていたが、何年も山賊団というぬるま湯で過ごした結果、最低限諜報活に必要な能力以外はかなり低下してしまっているようだ。

「だったらこいつで……」

男は懐から黒いコインのようなを取り出した。

それは通知の魔道で、それを叩き潰すことで、特定の相手に魔道が作した場所をほぼリアルタイムに伝えるというだ。

「こいつはもらっておくよ」

突然聲が聞こえたかと思うと、手に持っていた魔道を奪われてしまった。

「なっ……！？」

顔を上げれば、そこには奇妙な格好の男が立っていた。

沢のある丸い兜と、にまとったごく普通の革鎧とがアンバランスな格好にみえた。

手には奇妙なかたちの手斧が持たれており、男から奪ったはずのコイン型魔道はどこにもなかった。

ポケットにでもしまったのだろうか。

「何もんだてめぇ……」

男は問いかけながらも、目の前のこの男こそが自分をここまで追い詰めた人であると確信していた。

この男自が手を下したのかどうかはともかくとして。

「わるいけど、死んでもらうよ」

その言葉に一瞬心臓が止まりかけた男だったが、腐っても元暗部の人間である。

平靜を裝っているが、相手の聲がわずかに震えていたこと、そして今なお表に怯えや迷いがあることを見抜いた。

（こいつは……たぶん人を殺したことがねぇか、慣れてねぇか……そこに活路を見いだすしかねぇ）

「頼むっ、見逃してくれ」

男は足の痛みをこらえつつできる限り姿勢を正し、頭を下げた。

無防備に後頭部をさらせば逆に躊躇すると考えたのだ。

「俺みたいなちんけな山賊であんたの手を汚すことはねぇ！　そうだろ！？」

男は頭を上げ、すがるような視線を向けると、相手はしためらったように見えた。

「あんた、あの集落の関係者か？　だったら俺はこの先敵対しねぇと誓うよ！　山賊からも足を洗って、まっとうに生きると約束する！！　だから、な？　見逃してくれよぉ！！」

男は涙を流しながら懇願した。半分は演技だが、半分は本気である。

実際、ここで助かったら山賊を抜けてもいいと思っている。

痛みで集中力が緩んでいたとはいえ、目の前に現れるまで存在に気付けないような相手を敵に回したくはないし、なにより死にたくなかった。

あと一押しでなんとかなるか、と思ったところで、突然相手の表が消えた。

「なぁ、お前は同じように許しを請う人たちに、いったいどんなことをしてきたんだ？」

淡々と発せられたその問いに、男は肝が冷えるのをじた。

自分が過去に行なってきたことを、目の前の男はすべて見通しているように思えた。

だからこそ自分は見逃してもらえないということも。

（ああ……あいつらはあのとき、こんな気分だったんだな）

無様に命乞いをし、それでもなお助からないとわかったときの人間の表が、男は好きだった。

あえてみを持たせ、それを斷ち切るということを何度行なってきたか。

そうやって自分が手にかけてきた多くの人がじていたものを、男はいまになって理解した。

おそらく人はこのを絶と呼んだのだろう。

見逃してもらえない、とわかれば、もうジタバタしてもしょうがないだろう。

ひとつみがあるとすれば、奪われたあの魔道である。

あれは潰せば作するだが、所有者の魔力を知できなくなったときも自で作するのである。

所有者から一定の距離を離すか、あるいは所有者が死ぬかすれば……。

「……わかった。じゃあ最後にひとつ聞かせてしい」

自分が死ねば魔道が作する。頭目ならそれで何かを察し、なんらかの対策をとるはずである。

「あんたの名前を」

最期に一矢報いることができると思ったからか、男の口元に誇らしげな笑みが浮かんでいた。

＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

「大下敏樹、４０歳」

突然男の態度が改まり、覚悟を決めたように名を問われた。

一瞬戸ったが、初めて手にかける相手である。

冥土の土産に名前を教えてやるのもいいだろうと思い、敏樹は答えてやった。

そしてそのことでむしろ覚悟が固まった。

命乞いをされたとき、し心が揺らいだ。このまま立ち去ってくれるのであれば、見逃してもいいのではないかと。

しかし、ふとアジトから救出したたちのことが頭をよぎった。

歯を抜かれ、舌を切られ、手足の自由を奪われたシーラの姿を。

恩人とわかっていても男というだけで敏樹に恐怖してしまうたちの姿を。

山賊たちにされてきたことに苦しむたちの姿を思い出したとき、男の謝罪がとても薄っぺらいにじられた。

そして自分のなかで何かがすーっと冷めていった。

そんな敏樹の様子に男は覚悟を決めたようだった。

敏樹の名を聞き、わずかにうなずいた男の脳天に、敏樹は片手斧槍を振り下ろした。

男は刃が頭に到達するその瞬間まで、不敵な笑みを浮かべたままじっと敏樹を見つめていたのだった。

――人を殺した。

頭の半分を叩き潰され、脳を垂れ流してぐったりと倒れる男の死からし離れたところで、敏樹はを押さえてうずくまっていた。

片手斧槍を通じて伝わってくる骨の砕ける、そしてそれを超えたあとに訪れるらかいを潰す手応え。

命が失われ、頭の半分を潰された男が、人からただの塊に変わっていくのを敏樹はじたのだった。

それはやがて不快につながり、その不快を発散すべく絶したくなるのをこらえるように口元を押さえた。

そうやって口元を押さえながらしでも男の死から離れるべく歩こうとするが、足に全く力がらない。

頭が重いとじた敏樹は、片手で口を押さえたまま、片手でヘルメットをぎ捨てた。

それでもガクガクと震える膝は敏樹を支えきれず、數歩で崩れて膝を著いた。

やがて胃の辺りがムカムカとしてくるのをじ、それがの辺りまでせり上がってくる。

背筋には寒気が走り、全のが粟立つのをじていた。

ゴクリとつばを飲み込み、なんとか嘔吐を耐え忍んだが、再びせり上がってきた不快に耐えるように、敏樹はを押さえてうずくまった。

男を手にかけてどれくらいの時間がたったのだろうか。

「ぜぇ……ぜぇ……」

相変わらず気分は悪いが、吐き気は治まったようなので、敏樹は仰向けに寢転がり、目を閉じて呼吸を整えようとしていた。

（そういや初めてゴブリン殺したときも……）

異世界に來て、初めて人型の魔であるゴブリンを殺したときも、同じく気分を害したのを思い出した。

〈神耐〉レベルが上っているにも関わらず、いまはあの時よりもさらに不快であるが……。

だがあの時同様スキルの効果で、しばらく経てばこの気持ち悪さも収まるだろう。

いまはゴブリンを殺してもなにもじなくなっているのだから、人を手にかけることもいずれ……。

（それで……いいのか？）

この不快がスキルの力で消え去り、それ以降この覚も鈍くなり、やがて何もじなくなる……。

つまり人を殺しても何もじなくなるということだろうか。

（……俺、大丈夫なのか？）

このまま異世界にを置いていれば、いずれもっと多くの人を手にかけることになるだろう。

そうなるまえに、異世界のことなど忘れてさっさと日本に帰って平和に暮らした方がいいのではないか。

そんなことをぐるぐると考えていると、不意に頭が持ち上げられるのを敏樹はじた。

弾力のあるらかいものの上に頭を乗せられた敏樹は、なんとも言えぬ心地よさをじていた。

そしてうっすらと目を開けると、ロロアの顔が見えた。どうやら敏樹は膝枕をしてもらっているらしい。

「ロロ……ア……？」

彼は泣いていた。

「ひとりで……無理しないで……！！」

ロロアが絞り出すように告げた。

敏樹をじっと見つめる彼の目から落ちた涙がポタポタと落ちる。

敏樹は頬に溫かいものが當たるのをじながら、なにか違和を覚えていた。

「私が……、これからも私がずっと一緒にいますから……。だから、なんでもひとりで背負い込まないで……」

（ああ、そうか……。目が……）

膝枕をされうつむくロロアの顔を下からのぞき込むようなかたちになったため、普段フードで隠れているロロア目がしっかりと見えていたのだ。

先ほどからずっとロロアと目が合っていることに、敏樹はようやく気付いたのだった。

（ロロアがいてくれれば……、俺は大丈夫、かな）

特に拠があるわけではない。

ただ、涙に濡れる黃金こがねの瞳を見ながら、敏樹はそう思った。

「……ありがとう」

弱々しい聲で、しかしはっきりと敏樹がつぶやくと、ロロアは穏やかにほほ笑んでくれた。

そしてそのまま優しく頬をでられながら、敏樹はゆっくりと眠りにつくのだった。