「さーて、準備は萬端整いましたよ、っと」

敏樹はタブレットＰＣをじっと見ていた。

『報閲覧』を使って【神聖不可侵】の効果が切れるタイミングを解析し、カウントダウンを表示していたのだった。

「じゃ、これを付けて……フー……フー……」

防臭マスクをにつけた敏樹の呼吸がくぐもる。

「１０秒前……、設置……！」

〈格納庫〉から取り出した瓶を黒いオークの足下に置く。

それはすでに〈格納庫〉で開けられただった。

（……くっせぇ！！　やっぱガスマスクが必要だったか……。おおっと、３、２、１）

そして黒いオークはき出した。

まず辺りを見回し、うっすらと聞こえる音に耳を澄ませているようだ。

そしてスンと鼻を鳴らした瞬間、鼻を押さえて悶絶した。

（うん、臭豆腐で充分行けたな）

臭いによる攻撃が異世界冒険でいつか役に立つかも知れないと、敏樹は當初シュールストレミングの購を検討していたのだが、近年罰ゲームやら面白畫やらで流行っているのか品切れになっていた。

そこで関連商品のところにあった、臭豆腐を代わりに購したのだった。

これもテレビ番組の罰ゲームによく使われているので効果はあるだろうとは思っていたが、予想以上の果を得ることができた。

「ブフォオオ！！　ブフゥゥ！！」

鼻を押さえて転げ回っていた黒いオークだったが、すぐに鼻を押さえ、槍を手にして起き上がった。

指の間からは大量の鼻水が流れ、ゼェゼェと息がれる口からもよだれが垂れていた。

「ブフゥ……」

そして黒いオークは呼吸を止めることで臭いを遮斷することにしたようだ。

魔石から活エネルギーを得られる魔にとって、呼吸は必ずしも必要なものではない。

ただし、これによって嗅覚はほぼ遮斷されたも同様であるし、呼吸を止めることでのパフォーマンスは多なりとも落ちるのである。

「ブフォッ！！」

ピクピクっと耳をかした黒いオークが、背後の草むらに槍を繰り出した。

カツン！　音を立てて壊れたのは、敏樹が設置していた小型のオーディオプレイヤーである。

スピーカー蔵で１個千數百円の安だが、小さな音を出すには充分であった。

「ブフッ！！」

今度は目をこらしていたオークが何かに気付き、木に向かって槍を繰り出した。

そこには敏樹のから上の寫真がり付けられていた。

自撮りしたものをＡ４でプリントアウトし、コンビニエンスストアのコピー機でＡ３に引き延ばしたものである。

敏樹はこれらオーディオプレイヤーと寫真に〈影の王〉で隠効果を付與し、ひとつひとつ付與のレベルを変えていたのだった。

つまり、付與されたレベルの低いからより音が聞こえやすく、より発見しやすいのである。

ひとつ破壊すれば次に効果の高いから音が聞こえ、ひとつ突き破れば次に効果の高い寫真が見えてくる。

そうやって黒いオークの聴覚と視覚への依存度をどんどんあげていった。

ここまで聴くことと見ることに集中してしまっては、もう第六もなにもないだろう。

（そろそろ仕上げだな）

敏樹は自己最高レベルで〈影の王〉を発し、黒いオークのすぐ近くにいた。

もくろみ通り黒いオークは敏樹に気付いていないようなので、まずは臭豆腐を回収して〈格納庫〉にれる。

代わりに〈格納庫〉からスタングレネード（音響閃手榴弾）を取り出すと、ピンを抜いて黒いオークの足下に転がした。

これも異世界冒険の役に立てばと以前購しておいたものである。

敏樹はスタングレネードが作する前に、〈音遮斷〉と〈遮斷〉の効果を付與した【結界】で自分を囲った。

「１……２……３」

タイミングを見計らって【結界】を解除すると、黒いオークが直しているのが見えた。

本來屋外では十全に効果を発揮しないスタングレネードだが、すでに日は沈み、あたりは暗くなっていること、木立にもそれなりに音を反響する効果があること、そしてなにより敵がスタングレネードの効果対象である視覚と聴覚を鋭敏にさせていたことなどが功を奏し、狙い通りきを封じることができたようだ。

（ここまでやってもまともに倒せないってんだから、參るよなぁ……）

敏樹は【神聖不可侵】が解けてからここまでのあいだに、『報閲覧』を使って彼我の戦力差を解析していた。

スタングレネードの効果は本來數秒から十數秒に及ぶが、この黒いオークを相手にした場合、おそらく１秒にも満たないか、下手をすれば一瞬で解かれるかもしれない。

となれば、せいぜい一撃を加えられれば上々といったところだろう。

つまり、敏樹は一撃でこの黒いオークを仕留めなければならず、そのために有効な方法を『報閲覧』で検索したのだが、高位の単攻撃魔のみという結果しか出てこなかった。

（前回、あのまま不意打ちが功してたら、反撃で死んでたな）

片手斧槍やトンガ戟でいくら頑張っても、一撃で仕留めるには至らないというわけだ。

であれば魔を使えばいいかとういと、そういうわけにもいかない。

一応〈無詠唱〉スキルを習得している敏樹だったが、それでも魔の発にはわずかながら準備が必要となる。

発までに直が解ける可能は高いし、事前に準備していればその際の魔力のきを知されていただろう。

高位の魔となれば消費魔力も大きいので、〈影の王〉で隠蔽したとしても、黒いオークの直をごまかせないかもしれないのだ。

（いろいろ想定しといてよかった……）

そこで敏樹が目をつけたのが、発時の魔力消費がなく、同じ無詠唱でもより早く発できる低位の魔だった。

そして敏樹は〈思考加速〉で引きばされてゆっくりと流れる時間の中で、フレイムスタッフを取り出し、できるだけ殺気を放たぬよう――普段町を歩くような心持ちで――直してけないオークの背後に立ち、杖で背中にれた。

「【冷卻】」

それはを冷やすための生活魔である。

対象から効率よく熱を奪う魔だが、戦闘で使えるほどの効果はない。

しかしフレイムスタッフを使っての、およそ百倍の効果となると話は違ってくる。

數秒でスタングレネードの効果が切れた黒いオークは、すぐさまき出そうとしたが、すでに全が凍りかけており、ほとんどくことができなかった。

それでも魔に抵抗レジストしつつほんのしだけけるようになった黒いオークは、ギチギチと音が鳴りそうなきで首を回し、かろうじて敏樹の姿を捉えられるところまでをひねることができた。

そして敏樹と目が合った瞬間、黒いオークはわずかに口角を上げる。

絶対的優位にあるはずの敏樹だったが、背中に冷や汗が流れるのをじた。

（あとひと息……）

そう思ったところで、黒いオークは前を向き直り、ギシギシとわずかずつをかしながら、ゆっくりと腰を落とし、拳をの高さまで上げた。

そして――、

「ヴォオオオオオォォォォォッ！！！！！！」

森の中に黒いオークの咆哮が響き渡った。

それは威圧効果を持つ〈咆哮〉というスキルである。

その咆哮をけた者は恐怖におののき、が直して思考も停止する。

先日、森の野狼の頭目が放ったものとは桁違いのものである。

至近距離でければ意識を失うこともあり、下手をすればショック死すらしかねない、そんな危険なスキルだった。

さらにその〈咆哮〉には一瞬だが発的に全能力を上昇させる効果もあった。

能力はもちろん、魔法に対する抵抗力もである。

【冷卻】への完全な抵抗レジストに功した黒いオークは、自由になったを翻した。

そこには直してけない敵がおり、あとはそれをただ槍で貫くだけでこの戦闘は彼の勝利に終わる。

……はずだった。

「ブフォッ！？」

振り返ったところにいた敵はなんの痛もじさせないような表で立っており、を翻した自分のに杖が當てられるのをじた黒いオークは、瞬時に全の自由を奪われるのをじていた。

「ほんと、町田さんに謝だな」

〈無病息災〉は狀態異常を無効にするのである。

そして〈咆哮〉は高い効果を持つ分、力や魔力を大きく消費する。

さらに、フレイムスタッフ越しに〈魔力吸収〉を試したところ、むしろ通常よりも効率よく吸収できることがわかった。

黒いオークに、二度目の【冷卻】に対して抵抗レジストする力は殘っていなかった。

「……完全に凍らせてんのに、死なないんだな」

黒いオークはすでに全をカチコチに凍らせており、指一本かせない狀態だった。

しかし、目だけは敏樹を捉えて放さず、その恨みがましい視線からはまだ力がじられた。

また、先ほどから敏樹はずっと〈魔力吸収〉を使って延々と魔力を奪い取っているのだが、それでも黒いオークは気絶する気配がない。

どうやら敏樹が魔力を奪い取るよりも、黒いオークの魔力回復のほうが、ペースが早いようだ。

このままいけば【冷卻】の効果が切れるのと黒いオークの魔力が回復するのとで、いずれ抵抗レジストされてしまうだろう。

かなりのペースで敏樹は魔力を奪っているので、まだまだ【冷卻】を最大威力で発可能だが、それではいつまで経ってもこの戦いが終わらない。

「とどめ……刺すしかないか」

凍らせた勢いで死んでくれたならどうということもなかったのだろうが、いざと止めが必要となると、し心が重くなってくるものだ。

しかし放っておけばいずれこの黒いオークは回復し、再びき出すだろう。

き出したこのオークが一どんな災厄をまき散らすのか、想像もつかないところである。

なので、ここできっちり仕留めておくのが、戦いを始めてしまった敏樹の責任だろう。

「ごめんな。恨みはないんだけどな」

そう言いながら敏樹は〈格納庫ハンガー〉からミリタリーマチェットを取り出した。

一応低レベルながらも〈剣〉スキルを習得しているの使えなくはないのだが、片手斧槍〈ハンドハルバード〉に慣れている敏樹にとって、ミリタリーマチェットの軽さはどこか頼りなさをじさせる。

その頼りない武で黒いオークを傷つけるのは容易ではなかろうが、こんなこともあろうかと敏樹は新たなスキルを習得していた。

――〈斬首〉。

剣、または刀によって、無抵抗な相手の首を落とすことに特化したスキルである。

本來は処刑に使われるもので、ある程度を拘束し、抵抗できなくした上でのみ効果のあるスキルだ。

しかもこのスキルは頸部以外の箇所に當たってもほとんど威力を発揮しないという制限があるのだが、そのかわり激しく抵抗されない限り相手の防力をほとんど無視して首を落とすことができるのだった。

覚悟を決め、ミリタリーマチェットを構えた敏樹は、地面にしっかりと足を著け、大きく振りかぶった。

この大掛かりな予備作が必要なため、スタングレネードの効果中に使うのは困難であり、もちろん不意打ちに使えるようなスキルでもない。

あくまでけない、あるいはかない相手に対してのみ有効な処刑用のスキルであり、戦闘に使えるものではないのだ。

（じゃあな）

敏樹は〈斬首〉を発して黒いオークの首をなぎ払おうとしたのだが――、

「マッデェッ！！」

ミリタリーマチェットの刃が黒いオークの首を捉えようかという寸前、悲痛なび聲が森の中に響き渡った。