ベルがさらわれた。

龍一郎はそのことに絶を抱いていた。龍一郎はまだ學生だ。自分の手で何かを守ったことなどない。

毎日の學校生活に、ただ流れていく日々だった。

レオーネに來て、ひとつだけ守ってみようと思った相手がいた。あの笑顔が忘れられなくて、彼のことをこの世の荒波からかばってやろうと決めた。

なのに――。

「守れなかった」

宿屋のベッドに、龍一郎は座り込んでいた。

「まだ絶することはない。そのベルというを拐した何者かは、必ず何かしらのアクションを起こすはずだ」

フィルリア姫は向かいにあるベッドに腰かけていた。

ただの安宿なのにフィルリア姫がいると、まるで屋敷の一室である気がしてくる。全から華やかさを放っているのだった。

「ですが、ベルはきっとまた心を閉ざしてしまいます」

わずかだが、ベルはを見せるようになっていた。心を閉じ込めていた殻がしずつ剝がれていっていたようにも思う。ここで、また酷いことをされたら、ベルの心が壊れてしまうような気がした。

「生きていれば良い。生きているかぎり、幸運が訪れる瞬間は必ずある」

フィルリア姫は、まるで自分に言い聞かせるようにそう言った。

それに――とフィルリア姫は続けた。

「拐されたからといって、諦めたわけではなかろう？」

「それはもちろん」

助けに行くつもりだ。

しかし、いったいどこに連れて行かれたのか。

「奴隷がさらわれるケースは、だいたい娼館に売られていることなどが多い」

「娼館ですか」

「他人の奴隷と良い仲になって、を連れ出すのだ。そしてを売って利益を得る。今で言うと、通貨として使われているを得るわけだ。そして男はトンズラする。俗に言う、チラシと言うやつだな」

フィルリア姫は渋い顔をして言った。

この迫力さえある気品あふれるお姫さまは、そういった下卑た行為を嫌っているのだろう。

そう言えば――と龍一郎は思い出す。

《車》に乗って、グランドリオンにはじめて來たときのことだ。そういう言い方をすると、古い昔のことのように思えるが、つい今朝がたのことだ。

ベルは「売り飛ばさないでくれ」と懇願してきた。あの時のベルは、そのチラシの危懼をしていたということだろう。

「私が思いつくのは、それぐらいだが、あとは私怨だな」

「私怨ですか」

「他人の奴隷を盜んだ場合、もとの持ち主が奪い返しに來ることもある。その場合は、逃げた奴隷の頬に釘をさして、二度と逃げられないようにリードでつなぎ止めるのが主流だが」

想像するだけでもが痛む。

だが、最悪なことにそのケースはおおいに考えられた。もとはと言うと、ソトロフ男爵の家から、ベルを拐するような形で連れてきたのだ。

あまり他人に言いたくないが、今はウソ偽りなく報告するべきだろう。

「そうかもしれません。はじめにベルを拐してきたのは、オレのほうですから」

「気に病むことはない。君の場合は拐ではなくて、保護だ」

そうだろう――とフィルリア姫は龍一郎の顔をのぞきこんできた。

思った以上に、顔が近い。フィルリア姫の花の香りがする吐息が、龍一郎の鼻の頭をくすぐった。あわてて顔を離した。

フィルリア姫にたいして青ずっぱいを抱くと、不思議なことに、なぜかベルにたいする申し訳なさが募った。

「保護のつもりだったんですけど」

「すると、ソトロフ男爵の家に連れ戻されているということかな。しかし、ソトロフ男爵はたしかケルネ村に派遣されていたはずだが」

と、フィルリア姫は考えるように首をかしげた。

「ええ」

ケルネ村で何があったのかを、事細かくフィルリア姫に伝えた。

「なるほど。ケルネ村はクロエイに襲われたのか。なら、ケルネ村に戻っている可能は低いな」

「そうですね」

「だいたいこの雨だ。都市の外は真っ暗だからな。出歩くにはあまりに危険だ。拐犯もおそらくまだこのグランドリオンの中にいるはずだ」

「オレ、娼館とやらを見てきます」

「私も行こう」

「よろしくお願いします」