侯爵の執務室。

それほど大きい部屋ではない。ただ、置かれている家や、天井からつるされている家からは高級な印象をけた。

他の部屋と同じようなガラス張りのケースがあった。奴隷をれてを採る場所だ。

そこに――。

「ベルッ」

生きているのかわからない。

以前に見たときよりも、アザが増えている。顔は紫に腫れ上がっているし、著ていたものはがされている。

ほとんどだった。

である部分は隠されているが、のほとんどないベルの青白いカラダが曬されていた。

「心配するな。殺してはいない。殺すとを採っても力にできないからな」

聲が飛んできた。

正面。

重厚のあるイスに深々と座っている男がいた。はじめに見たときに気づかなかったのは、背中を向けていたからだろう。イスの背もたれに隠れて見えなかったのだ。

「スクラトア・クェルエイか」

「たしか、シラカミリュウイチロウとか言ったか。昨夜――今日の明け方のことだ。君にオレの家の奴隷が奪われたのは」

金髪のイケメンだ。クラウスのように軽薄なじもしなければ、ベルのような薄幸なイメージもない。

さりとて、フィルリア姫のような華やかさもない。顔立ちは整っているが、特徴のつかみにくい白面だ。それが不気味だった。

琥珀の瞳がジッと、龍一郎を見つめていた。

「ベルのことを、取り返しに來たのか」

と、龍一郎は問うた。

「その通りだ。正直、奴隷１人どうでも良いが、奪われたままではメンツが丸つぶれだからな」

「なら、もう一度奪わせてもらう」

正直、怖い。

クロエイを相手にするときとは、別種類の恐怖があった。

クロエイはあきらかに人ではない。その分、純粋な恐怖を與えてくる。しかし、スクラトアは人間だ。

クロエイを相手にしたときよりも、もっと近な恐怖を覚える。その恐怖の底にあるのは、腕っぷしでは勝てないという自覚があるからだ。

それでも――。

もう一度ベルの笑顔が見たい。

人差し指でクイッと押し上げる、あの手式の笑顔を自分に向けてもらいたい。

そのベルに危害をくわえるこの男には、怒りを通り越す憎悪をおぼえる。だからこそ、その琥珀の雙眸ひとみを見返すことが出來た。

「気にくわないな。他人に施しを行うことで、自己満足を得ようとしているんだろう。この偽善者め」

偽善。

そりゃそうだ。

あらゆる善意は結局、自己満足につながるのだ。

それでも――。

「オレはベルがしい。オレの勝手なワガママだ。善意とか悪意とかそういう話じゃない」

くくっ――と兆して、

「ふははははッ」

と、スクラトアは笑った。

「な、なんだよ」

赤面をおぼえた。

好きなの子を、自分の手の屆く距離に置いておきたいという気持は、男にとってはいたってトウゼンのことだろう。だが、それは口に出すと顔からが出るほど恥ずかしいことではある。

「聞いたところによると、質値が２００もあるそうだな」

「ああ」

「そんな人間が奴隷のにをするというのは、酷く稽だよ。貴族のならもっと良いのがいるだろうに」

たしかにその通りだろう。

フィルリア姫を見ればわかる。めくるめく気品をそなえている。あの輝かしいばかりの華やかさは、ベルのようなにはないものだ。

それでも、龍一郎はベルに惹きつけられたのだ。陳腐なセリフだが、１６歳のに理由なんて必要ないだろう。に理由を必要とするのは、大人だけだ。

「とにかくベルは、返してもらう」

「ここにベルの所有権を証明する権利書がある。もしも今日一晩、このオレを守りきることが出來れば、これをくれてやろう」

「な、なに？」

ケンカでも吹っかけてくるのかと思っていたので、心構えをしていたのだ。予想外の言葉に理解が遅れた。

「侯爵の息子とやらが暗黒病にかかっていたのに、都市の中にってきたのだ。そのおかげで、都はパニックだ」

「クラウスのことか」

おそらく龍一郎と貧民街で共闘したときに、暗黒病にかかったおだろう。

「侯爵の息子がクロエイになったというのも、質が悪い。今は明かりを燈しているが、この屋敷にクロエイがり込んでくるのも時間の問題だ」

「もう廊下にって來てるよ」

ここに來るまでに、そのクラウスのクロエイに遭遇したのだ。

スクラトアは苦りきった顔をした。

「さっき暴れるような音が聞こえていた。もうってきたのか。とにかく、何でも良いから、このオレを守れと言っているんだ。質値が２００もあるんなら、守れるだろ。オレを守れたら、ベルはくれてやる」

スクラトアは早口でそうまくしたてた。

「ふ、ふざけるなッ」

なんでこんな男を、守らなくてはならないのか。ベルを痛めつけられて、龍一郎の裏には今、憎悪がふつふつと煮えたぎっているのだ。

「ふざけているのはどっちだ。外を見てみろッ。クロエイに囲まれているんだ。今は、協力し合うときではないかッ」

たしかにそれは正論だ。正論だが、急に正しいことを言われて、そのようにけるほど龍一郎は人間ができていない。

「ほら、これを使え」

スクラトアはガラスケースにった、銃を機上に置いた。

「これは？」

怒りにとらわれていたが、龍一郎はふと我にかえった。その銃に見覚えがあったからだ。たしか以前に、マチス侯爵が龍一郎にくれると言っていた銃だ。

たしか《影銃―タイプ０》とか言っていた。

「強力な《影銃》だ。侯爵の虎の子だ。の消費量は激しいらしい。普通の人間であれば數発撃っただけで貧になるそうだが、お前なら使えるだろう」

たしかに龍一郎の質値は高い。

さりとて、一発撃って貧になるような銃を使うというのは、ムリな話だ。質値が高いからといって、が多いというわけではないだろう。

ただ、さすがは侯爵の銃というだけあって、裝飾には凝っている。銃には龍の絵が彫り込まれていた。

「お前が使えば良いだろ」

スクラトアも貴族なら、質値はそれなりに高いはずだ。

「お、オレにはムリだ。クロエイと戦うなんて――」

スクラトアは、震える聲でそう言った。