《男比が偏った歪な社會で生き抜く 〜僕はの子に振り回される》12話
「ブルーベリージャムとってー!」
泣きすぎて目が腫れている彩瀬さんの元気の良い聲とは反対に、背を丸めて上目づかいでお願いしている。
「塗りすぎないように注意してください」
そんな態度を見て気を使ったのか、持っていたブルーベリージャムのビンを渡す表は、今までと違い明るい表で、渡す作もどこか優しげだ。
「ありがとう!」
今まで二人が話すときは、ケンカか業務連絡といった殺伐とした容ばかりだったので、普通の會話は初めてかもしれない。昨晩、思いの丈をぶつけ合い和解できたことが良かったのだろう。我が家は、今まで以上に明るく賑やかになりそうだ。後は母さんの試験を乗り越えて、この関係が確固たるものになれば何も言うことはない。
「今日から私が後ろに立つ。二人はユキちゃんの橫で警戒して」
家から出かける直前に絵さんから提案があり、今まで會話がしにくかった彩瀬さんが前に移し、絵さんが後ろに立つ並びに変えるようだ。二人の関係が変わったことに気づいたのだろう。この提案は非常にありがたかった。
「私が教えた通り、を大切に出來る子で安心したわ。これからもを大切にしなさい」
僕の前に立っていた母さんが近づき、左手を背中に回し、右手で頭をでる。褒めるときはいつのこの勢で、子供の頃から変わらない。今は歳の近い二人がいるのでさすがに恥ずかしく、離れようと腕をかすが、もがくだけで抜け出すことに失敗してしまった。嬉しくて悶えていると勘違いしたのか、右手まで背中に回りきつく抱きしめられてしまう。
耳元で「大きくなっても可いね」と囁き、腕に込める力が徐々に強くなっていくのをでじながら「そういえば、母さんに抱きつかれたのはいつだったかな?」と、無益なことを考えていた。中學生になってからは話す時間もなくなっていた。
前世の僕は、子供が大きくなる前に死んでしまったので想像することしかできないが、子供の獨り立ちを嬉しく思うと同時に寂しいとじているかもしれない。こう見えても父親だったし、子を思う親の気持ちは理解出來る。一度でもそんな考えがよぎってしまうと、母さんの気持ちが痛いほどわかってしまい、僕から抜け出すことはできなくなってしまった。
満足するまで付き合うよ。
しだけ痛む背中が気になりながら、東京駅から地上に向かう細長い道をゆっくりと歩いている。僕のことを凝視しながら、く歩道を早歩きで移するスーツ姿のOLを橫目に、週末の準備について聞くことにした。
「週末の準備は二人で進めるとは言ってたけど、何を用意するか決めているの?」
「私はすでに裝備があるのでそれを使う予定です。彩瀬さんは、スタンガンと催涙スプレーは必須ですね。あとは念のため服の下に著る、薄い防刃ベストを著用してもらう予定です。すでにサイズを測って発注しているため、土曜日までには到著する予定です」
「重裝備だね」
「人數のなさを考慮すると、もうし裝備を充実させたいところですが、道の扱いに慣れない人が扱うと逆に怪我をしてしまう場合もありますから。その代わり、今日から徹底的にシゴく予定です」
「ユキトのために頑張るから期待してね!」
やる気に満ち溢れているようで、僕の顔の前に親指を立てた手を見せてきた。地下室で行われているトレーニングは一度見たことがあるけど、ウェイトトレーニングから始まり、足技の練習や絵さんと組手もしていた。特別な予定がない限り毎日続けている。部活程度の運しかしたことがない彩瀬さんが耐えられるかな?
「みんな頑張るね。僕はトレーニングは遠慮しーー」
「一緒にトレーニングしようよ!」
彩瀬さんは、慌てたように僕の発言を途中でさえぎった。
「無理にってはユキトに悪いですよ」
「えー! でも、通學だけじゃなく、トレーニングも一緒に參加できたら嬉しいでしょ? 休憩中に《これで汗を拭いてください》って、白くてフワフワしたタオルを渡されるの! そのタオルで汗を拭いた後に、ペットボトルを渡してもらって……が憧れシチュエーション! これは頼むしかない!」
両手を広げて熱弁している。興しているようで聲が大きく、周りからの視線がいつも以上に強い。そろそろ靜かにしてしい。
「私だって何回も想像したことがあります。そのことを考えるだけで、夜も眠れなくなるほど興します」
「だよね! わかってくれると思っていたよ!」
彩瀬さんはさっきから、こちらをチラチラと見て様子をうかがっている。わざと本人の前で話しているようで、僕が參加せざる得ない狀況を作ろうとしている。あざとい!
「子供の頃から作っている《男にやってしいことリスト》の1つが達されます。小さい頃からの夢です。ですが、自分ののためだけにお願いするのは気が引けます」
顎に手を當てて、本人がいることを忘れて真剣に考えている。こちらは、外堀を埋めているつもりはないのだろう。真剣に悩んでいるが、僕は《男にやってしいことリスト》には、他にどのようなことが書いてあるのか気になる。
「本人に聞いてみないと分からないんじゃない? もしかしたら、快く引きけてくれるかも?」
「確かに、最後はユキトが決めることですね」
「なら聞いてみよう! ユキト、私たちのトレーニングに參加しない?」
さっきまでは斷ろうと思っていたけど、今の話を聞いた後だと斷りにくい。二人とも何かを期待するような、キラキラとした目で見つめているとじるのは気のせいではないはずだ。今この狀況を斷る人がいるのであれば、それはお願いした相手がどうでも良い人か他人の心が理解できないやつだけだろう。
「買いに行くまでの、期間限定でいい?」
だから意見を変えてしまったのは仕方がない。そう思うことにしよう。
僕が參加することが決まると、二人は両手を挙げてハイタッチをわし合った。さすがに目立ちすぎ、護衛としての意識もかけてた行だったので、気がつくと二人の頭に絵さんのゲンコツが落とされていた。
◆◆◆
トレーニングルームは地下室にある。個人が持つにしては設備は充実していて、ベンチプレスやチェストプレスなどウェイトトレーニングができる機材や、ルームランナーのように有酸素運でを鍛える機材もある。また、畳張りの武道場にはヘッドギアも用意されていて、格闘技の稽古も可能だ。ゴム製の棒などもあり、道を使った戦い方も訓練できるようになっている。
普段は楓さんが毎日使い、たまに絵さんが利用するぐらいの場所だが、今は僕、楓さん、彩瀬さんの三人が並んで立っている。學校から帰ってきて部屋でし休んでから、來たのでトレーングする時間は十分に殘っている。
「トレーニングルームの存在は聞いていたけど、広いし設備も充実しているね! 楓さんはどんなトレーニングをしているの? 私も同じことをするのかな」
質問をした彩瀬さんは、學校指定のジャージを著ている。金髪姿とジャージの組み合わせはヤンキーっぽく見えるが、彼はいつも楽しそうに笑っているため、悪そうなヤンキーのイメージには當てはまらない。ファッションが殘念なといったじだろう。
「いつもはベンチプレスなどでウェイトトレーニングをしてから、ルームランナーを使っています。武道場は、まだ一回しか使ったことがありません。」
楓さんは運のしやすさを重視ているのか、ショート丈のタンクトップとコットン製のホットパンツという刺激的な格好だ。昨日の風呂場でもにたような服裝だったので、トレーニングするときは、いつも薄手なのだろう。
薄く割れた腹筋に、キュッと引き締まったくびれとヒップ。背は高く、は小さくも大きくもない。男の視線を釘付けにするバランスの良いだ。しでも気を抜くと、ずっとを見てしまいそうなので、目のやり場に困る。先ほどからトレーニングの説明をしてくれているけど、話している容なんて頭にらない。
「以上です。今日やることは、分かりました?」
強い意志の力を使い、壁に立てかけてある時計を見ていたら、いつの間にか説明が終わっていたようだ。何も聞いていないし、覚えていない。「説明を聞いてませんでした!」と言ったら、きっと悲しい顔をしてしまうだろう。彩瀬さんにはからかわれるのは間違いない。ここはごまかそう。
「僕はし見てから始めてもいいかな? まずはお手本が見たいな!」
「いいですよ。彩瀬さん、こっちに來てください」
彩瀬さん僕のために頑張って! 心の中で応援しながらトレーニングルームの壁に寄りかかる形で座り、二人のきを眺めることにした。
「彩瀬さん。あと一回! あと一回、を持ち上げるのです! この最後の一回が、明日の筋につながります!」
毎日やるトレーニングだからハードなことはしないだろうと思っていたが、考えが甘かった。二人ともベンチに足を乗せて、両腕を肩幅程度に広げて腕立て伏せをしている。現在は1セット30回腕立て伏せの3セット目で、彩瀬さんは顔を真っ赤にしながら腕立て伏せをしている途中だ。よく見ると、二の腕がプルプルと震えている。
「は!」と謎のび聲をあげて、最後の一回をなんとかを終えた途端、「ハァハァ」と息を切らしながら床に仰向けで寢転んでかなくなってしまった。控えめなのきが悩ましい。
楓さんはそんな彼と時計を互に見つめ、10分後に手を叩き、みんなの注意を引きつける。
「もう一回! もうワンセットやりますよ!」
地獄のメニューは、まだ終わらないようだ。彩瀬さんは信じられないといった驚きの顔をしているが、気力を振り絞って腕立てをする制になった。
彼達の頑張りにこたえるためにバッグからスポーツドリンクとタオルを取り出して、トレーニングが終わるを待つことにした。
「もうだめー! けないー!」
「よく、頑張りましたね。ウェイトトレーニングは、これで終わりです」
「これで《もうワンセット》とか言いだしたら、怒るところだったよ!」
最後の1セットを終えた彩瀬さんが、力なく床に倒れている。一緒に腕立てをしていた楓さんは、汗はかいているが、毎日トレーニングしているだけあって余力が殘っているようだ。力盡きた姿を満足そうに眺めている。
「こんなの毎日やっていたの? ちょっとキツすぎない?」
彩瀬さんが抗議したくなる気持ちはよく分かる。この世界の男のは、儚く脆い。子供の頃から多は鍛えてきたけど、1セットやっただけで力盡きそうだ。これを毎日やれと言われたら、逃げ出す自信がある。
「そうですよ。明日はスクワットですから。毎日、違う筋を鍛えましょう!」
トレーニング友達ができて嬉しいのか、水を得た魚の様に生き生きとしている。彼の中ではすでにメニューが出來上がっているようで、次々とプランが飛び出してくる。いつもは彩瀬さんに引っ張られることが多いので、立場が逆転している。珍しい景だ。
「もう無理ー!」
「スクワットをしてを鍛えると、ヒップが引き締まりますよ?」
「……」
「男は、引き締まったヒップが好きらしいです」
「……」
「私やる! 楓さんみたいに引き締まった魅力的なヒップを手にれるんだから! ユキト待っててね!」
葛藤した結果、頑張ることにしたようだ。僕の方を見てウィンクまでしていたので、やる気はあるのだろう。楓さんのヒップは非常に魅力的なので、ぜひ引き締まったヒップを手にれてしい。期待を込めながら白いハンドタオルとスポーツドリンクを二人に手渡した。
「子供の頃からの夢が、一つ、葉いました……」
「あ、ありがとう。意外に恥ずかしいね」
楓さんは涙が流れ落ちるのを我慢するかのように上を向いて目をつぶり、彩瀬さんは頬を掻きながら照れ笑いをしている。
「あ! タオルに私のイニシャルがある! 楓さんのタオルにもある?」
「わ、私のタオルにもイニシャルがっています……。だ、男からのプレゼント。夢は一つではなく、二つ同時に葉っていた……」
いつ気づくか楽しみにしていたけど、意外とすぐに気づいてくれたようだ。
実は、男必須スキルである裁で、トレーニングルームにる前の直前に、二人のイニシャルをれたタオルを作っていた。これから大変なトレーニングをする二人にサプライズプレゼントとして気持ちを込めて渡したのだ。ささっとっただけなのでしだけ気が引けるけど、想像した以上に喜んでもらえたようで良かった。
10分程度の休憩時間が過ぎてから、格闘技を訓練するために、ウェイトルームから畳のある武道場に移した。
「當日、何かあったら私が攻めで、あなたが守りです。出來る限り相手のきを邪魔して、時間を稼いでください。そうすれば、必ず私が助けに行きます。けや避け方の練習をしましょう」
二人とも攻めるわけにはいかないから、役割分擔は必要だろう。二人を分けるのであれば、僕も同じ分け方をする。守りに徹すれば攻めるのは難しい。荒事に慣れていない人は、専守防衛をするのが効果的だろう。
「では先ず始めに、下半を中心にをらかくしましょう」
育の授業でやるような前屈や橫開腳、片足を上げて壁につけ筋をばすなど、足を中心にをしている。彩瀬さんはがいようで、90度程度しか足が開けず、「イタイタ」とびながらを押されている。他人に思いっきり押してもらったほうがらかくなるので、ここは我慢して耐えるしかない。
「しがいですね。お風呂あがりにをする習慣を作りましょう。痛くて辛いかもしれませんが、これもユキトのためですよ?」
「……頑張る」
なんだか、彩瀬さんのコントロールが上手くなっている気がする。
「それでは、ヘッドギアを付けたらすぐに始めます」
開始の聲とともに訓練が始まる。先ずは避け方を教えるようだ。
「足が止まったら攻撃が當たると思いなさい! 足をかして避けてください。ほら、きが止まっていますよ」
きが止まった隙を見て、腕を取り一本背負で投げ飛ばす。なんとかけは取れたようで、彩瀬さんはフラフラしながら立ち上がることができた。
「止まったら負けです。護衛対象から離れないようにきなさい!」
その発言がきっかけとなって楓さんのきがさらに激しくななる。右足を使い上段からの前回し蹴り。後ろに下がって避けたと思ったら、蹴りに使った右足を軸にして左足を使った上段後ろ回し蹴り。流れるように足技が繰り出され、最後の攻撃が見事に當たり、橫に3m吹き飛び、背中から畳に落ちて転がり、壁にぶつかった。人が吹き飛ぶ姿を初めてみた……。
「まだまだですね。さあ、もう一回やりますよ」
フラフラと幽霊のように立ち上がり、ピタッときが止まる。顔を下に向けているので表までは分からないが、は小刻みに震えているみたいだ。
「あーもー! 頭にきた! 絶対に許さない!」
彩瀬さんの闘爭本能に火がついたのか、訓練の容を忘れて前に出て攻撃を始めたが、楓さんは難なく避けて當たる気配がない。
「私のきをよく観察しなさい」
避け方を見せるほど余裕があるようで、一度も當たらず、たまに反撃までしている。その後も、投げられ、叩かれ、ときには踏みつけられ、ボロボロになりながらも黙々と訓練を続けいた。その様子は見ているだけでも痛くなるほどで、僕が習っていた護が子供の遊びだと思ってしまうほどだ。
「晩飯を準備するね」
こんなパワフルで危険な訓練に付き合っていたら、が何回壊れるか分かったものじゃない。訓練に參加していないことがバレる前に抜け出すことを決意し、小聲で用事を伝えると靜かに武道場から出て行くことにした。
二人とも、好きなものを作るから許してね。
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