午後7時14分。

最終下校時刻の6時をとうに過ぎ、生徒會長である晴子も生徒會の仕事や各部の見回りを終え、家路を歩んでいた。

空が黒に埋め盡くされ、星々の見える空はこの都會にないのかと憂鬱になるも、そんなことより他のことを考えろと他の思考に命じられ、頭をフル活用しながら彼は闇夜を進んで行く。

そんなある時、彼の攜帯電話が鳴った。聖人の格に合う、緩やかな著信音が閑靜な住宅街に響き渡る。晴子は攜帯を手に取り、通話ボタンを押すことによって著信音を消す。溫の移ったスマホを耳に當て、発信者に向けて告げた。

「やぁ、北野くん。どうかしたかね？」

その聲はいつもの晴子の聲調だったが、彼の口元は三日月狀に歪んでいた。対して、電話の向こう側にいる北野も同じような笑みを浮かべながら、口調はいつものもので言葉を返す。

《ええ、晴子さん……。この前、あなたは私に言ったわよね？　また遊ぼう、って》

「ああ、確かにそう言ったね。それで、今から遊んでくれるのかな？」

《フフ、そのつもりよ。やっと舞臺を整えたの》

北野はくすくすと笑って、嬉しそうに言う。しかし、その顔は笑い方よりも悪い顔をしていた。

「そうかい。それは嬉しいなぁ……。早速、遊ぼうではないか」

舞臺を準備してくれたことに、晴子も言葉の上では喜んでいた。その顔は愉悅で満ちた、とても聖人とは呼べぬ顔だった。

《じゃあ、今から説明をするわね。遊びの容は簡単、鬼ごっこよ。私は10分ごとに寫真を送るわ。貴はその寫真をヒントに私を探すの。フフ、簡単でしょう？》

「なるほどね。実にシンプルだ」

晴子は納得しながら辺りを見渡す。ここはまだ學校付近で、まだ1年次の彼も、転校して1月の北野も、土地勘がないため、鬼ごっこをするのは厳しかった。

――それは彼達が、"普通"である場合だが――。

彼達は天才、既にこの街の地形は把握していた。鬼ごっこをするには十分な知識がある。勝負は互角になることだろう。

《フフ……じゃあ、1枚目の寫真を送るわ。よろしくね》

「ああ、楽しもう」

簡素な態度で言い放ち、晴子は通話を終えた。彼は1つ息を吐くと、誰もいない前方を見て獨り言を吐き出す。

「電話番號を教えた覚えはないのだがなぁ……」

いびつな笑みを浮かべ、不思議そうに呟いた。その表には怒りではなく、恍惚に近い笑みがあった。

晴子は基本的に連絡先を教えない。1人に教えると他の人も群がってきて教えないといけなくなるから。連絡先を教え過ぎてたくさんメッセージが來ても、彼に返す暇はない。そのため、換手はかなり絞っている。

クラス委員の男子、生徒會のメンバー、各部活の部長……。そして、中學以前からの友人。

(幸矢くんや競華くんは北野くんに接しているが、私と同郷であるとは教えていない筈……。ならばクラス委員の男子かな。彼も口は堅いが、スマホを勝手に見たのだろう)

推測を広げつつ、不意にやって來たメールを開いた。

本文などない、知らない連絡先からのメール。添付された畫像が1つ、晴子はそれを開く。

畫像は北野が自撮りしたものだった。その背後には石垣と、暗くて種類まで分からぬ針葉樹、そして月の見える空が寫っていた。

そして、石垣にられていたものを見て、晴子はそっと目を閉じた。

石垣には晴子の寫真がポスターサイズでられ、赤い文字で大々的に死ねと書かれていた。目には黒い線がっているものの、酷い事をすると晴子は肩を落とす。怒りよりも先に、どうしてこんな事をするのかという悲しい気持ちが彼を襲ったのだ。呆れ返ってやる気も出ないが、彼は渋々足を進める。

その中で再びスマホを取り出し、ある人に電話をする。それはこれから先に必要な準備。

――彼はこれから、本気で北野を潰しにかかる。數々の冒涜に対し、怒りにれたわけではない。一度こってり絞ろうと、それだけの事。

自分と正反対の背面世界にを落とし、真っ黒なを表に立たせてしまう。そのの名は、きっと狂気と呼ぶのだろう。彼自、そのにを委ねればどうなるかは検討もつかない。だから――

(……どうか、私を止めてくれよ)

電話相手に向けて、そう願うのだった。

◇

ヒュウヒュウと夜風が凪いでいる。下方から聴こえてくるし遠目の車の走る音が、この場所が高い建である事を指し示していた。

私はこの街で最も高いビルの屋上で、悠々とフェンスにもたれながら遠鏡で小道を歩く神代晴子を見ていた。

10分置きに自撮り寫真を送り、あたかも逃げてるように見せ、その実彼には走り回って貰い、寫真をヒントにしてある場所へと導する。送る寫真は昨日までに撮ったもので、今日は悠々と傍観しているだけ……。導する最終目的地は學校――貴の大好きな場所で、貴には散って貰いましょう。

クツクツと笑いながら、私は晴子さんのことを観察していた。さて、彼は私の指定した場所に向かって――

「……あら？」

走りながら電話をする彼を見て、私は1つの疑問が浮かんだ。彼は私の寫真に移した場所とは違い、辺りをうろちょろしているだけだったのだ。彼なりに策があるのだろうが、こちらから見えている以上、策は全て無意味だ。

そう思っていたのに。

「――消えた！？」

思わず聲に出してんでしまった。

遠鏡で見ていた彼の姿は、忽然と消えてしまったのだ。もう今見ていた所の近くには見えない。逃げた――彼は、私が見ていることに気付いている！！？

ここから向こうまで、500mはあるのに――！？

「落ち著くのよ……」

自分に言い聞かせ、冷靜さを保つ。目があったわけでもない、彼は私がここに居るのを気付いたわけじゃない。彼には今さっき"鬼ごっこをする"と言っただけ。私がずっと高みの見をしているのなんて、気付きようがない。

そう、私はずっとここに居ればいい。晴子さんは必ず私の送った寫真のところに向かうはず。そこに目を向けていればいい。

私は深呼吸を繰り返し、一昨日寫真を撮った小道の近くを見渡す。晴子さんの居た距離から考えれば、最短でも1分だろう。目立つ建が無いし、分かりにくいかも知れないけれど、彼なら2分もあれば著くはず。

そう、だからこそ私は目を凝らして到著地點周辺を見ていた。そこに神代晴子が現れると信じたから。だから――。

「――みーつけた」

不意に後ろから聞こえた聲に、私は戦慄するのだった。

そっと、ゆっくり、震えながら振り向く。夜風の吹くビルの屋上そのり口を背景に、彼は佇んでいた。汗一つかかず、ニタリと口元を歪め、悪魔の姿をした神代晴子が――。

衝撃のあまり、私は遠鏡を落とし、フェンスに寄りかかる。ビルの屋上に居る、そんなそぶりを見せる報は與えていない。電話で夜風や車の音が聞こえても、それは私が走って逃げてるように、聴こえてもおかしくないわけで――

「……な、何故……」

思わず尋ねた。訊かずにはいられなかった。

神代晴子はニコリと微笑み、優しく告げる。

「簡単なことだよ。キミみたいに、他人を使って人を傷つけるような卑怯者が、鬼ごっこなどという疲れる遊びをするわけがない。ならば私の事を監視でもしてその姿を見て嘲笑うんだと思ってね。私に電話を掛けた時、キミが私を監視できる位置……そして、他の位置に移しても監視できる場所。それは、このビルしかないと思った。ここらで一番高いビルだしなぁ、富士宮本社は」

晴子さんは端的な説明で、私を罵りながら的確な推理を説明した。私がここに居るのをあの1回の電話で悟り、居ないことを疑いもせずやって來た――！？

そんなの、普通の思考じゃない――。

「おい」

晴子さんはいつもの聲で、しかし脅すような言葉遣いで聲を掛けてくる。私は思わず、もう一歩後ろに下がった。もうこれ以上下がれない。なのに、このの近くに居ることが、怖い――。

「キミは誰を相手にしてると思ってるんだ。私は天才だぞ？　ナメるなよ、小娘」

「――――」

嘲笑うかのように口元に笑みを浮かべて、彼はそう口にした。喧嘩腰の彼に対し、私は震えることしかできない。この圧倒的な実力差、思考力の差。それはかつて、私が瑠璃奈に負けた時のような、恐怖だった――。