6時間も授業があると、學校を出るのは3時半を過ぎてしまう。夏を過ぎたからか、夕が出るのは早いもので、水の空は徐々にオレンジに塗り変わっていく。

「――秋、ね」

僕はなんとなく、その言葉を口ずさんだ。実りの季節であり、死の季節でもある。

赤が多い季節だ、を連想するのも不思議じゃない。それも、これから敵の本拠地に飛び込むとならば――

「……どうかした？」

隣を歩く椛がニコリと笑って尋ねてくる。まさしく僕の敵であり、晴子さんの敵である。科學に強いんだ、薬品だらけでもおかしくない。それとも、印象とは裏腹に普通のらしい部屋なのだろうか。

そんなことを考えていると答えるのに遅れ、彼は僕の脇腹をつつく。

「無視はよくないわよ？」

「……考え事だよ。君の家に行って、何をされるのか、ってね……。人実験とかじゃなければいいんだけど……」

「あら、高校生が人実験に攜われると思って？」

「……。……瑠璃奈――」

「あれは人間じゃないでしょう？」

「…………」

僕の親戚が人間扱いされてないんだけど、それはどうなんだろう。まぁ、まだ人実験してるわけじゃないだろうし、ギリギリ人間だと思う。

……ギリギリなら、ダメかな？

「はぁ……まぁいいわ。こっちよ」

「……うん」

彼に導されながら、僕は進んで行く。その道の先には面倒な事があるんだろうけど、進む事が晴子さんの役に立つ。だったら、進むしかないのだろう――。

◇

なんの冗談かと思った。オートロックの高級マンションだなんて、高校生の一人暮らしにしては変のだから。

エレベーターで上がった15階は最上階で、ここの家賃は月いくらなのか気になって仕方がない。廊下を歩いて北野の表札が見えると、椛はカードキーをドアに當てて扉を開く。

「……さ、って」

「…………」

高級住宅にるのは、し苦手だ。僕は割と庶民的な暮らしをしてるし、普通な暮らしをする晴子さんや快晴の家に、昔はよく行っていた。だからこういう所が場違いな気がして、しりにくい。

まぁ、ここまで來たのだからるけど……と、僕は玄関にり、靴をいだ。靴を揃えようと、後ろを向いて屈かがむ。

剎那――ビュンッと、椛の手が僕にびた。

その手に摑まれていたのは注――何かの薬なのだろう。

こんな展開は予想できた。じゃないと、わざわざ後ろを向くなんて、隙は見せない。

「はぁっ……」

僕はため息混じりにを橫に倒しながら、飛んでくる椛の腕を摑んだ。注の針が僕の指の隙間を通り、靜止する。――僕の右手の握力は65kgなわけだが、その右手で彼の手を摑むと、當然ながら痛そうにする。

……護のために、椛は試験管を持ってたっけ？

僕は使う必要すらなかったな。

「淺はかだよ、椛……」

「グッ……つっ……」

一般子の握力とは、どのくらいなものだろう。とりあえず、椛は僕より相當弱いらしい。

一回で倒せないとわかってたのか、彼は左手にも注を持っていた。しかし、その注は床に落ち、左手は自らの右手を支えている。

……あまりにも無様なので、僕は注を奪って彼の右手を離した。

「……ッ……これは、予想外だわ……」

「この程度が予想外と言うなら、本當に君は神代に挑まない方がいい。彼は僕と互角か、それ以上に強いからね……」

「…………」

僕は注を持ったまま、椛の橫を通り抜けてリビングにった。リビングはがなく、それでいてベージュや木のが多いからか、清潔があった。子としては飾り気もないリビングだが、家の主人が椛なら不自然ではない。

自然だからこそ、僕は當然のように注の中を水を流しながらシンクの中に捨てた。

「……なんで」

後ろから椛の聲がする。

ああ、これは赤いか。護用とか言って、注に使うんじゃわけないな。

「……なんで、文句の1つも言わないわけ？」

ようやく質問の全容がわかったので、答えることにする。僕は蛇口の水を止め、椛に向かって振り返った。

「……僕は、こういうこともあると考えて、ここに來た。だから別に、気にしてないよ……」

「……それは、私が弱いと言いたいの？　お前なんて相手にもならないから、倉にって來ようって、探検気分だったわけ？」

「…………」

言葉が荒くなる椛。つい最近晴子さんに負けたばかりだから、プライドがズタズタなんだろう。可哀想だけど、相手にならないのは事実だし……。

って、僕は彼と関係が悪化すると悪いから……ふむ、どう言い逃れようか。

「……椛には、化學の知識がある。だけど、それを生かす策略があまりない。力はあるんだけど、それを活かせてないんだ」

「…………」

椛は僕の言葉を聞き、黙り込んだ。僕の言葉を、認めるしかないだろう。化學の力は強い。弾や毒ガス、人を殺す兵を簡単に作れてしまう。しかし、使い方のレパートリーがなければ、手が読まれて潰される。

さっきだってそうだ。靴を整えるために後ろを向く、その隙を突く。分かり易い不意打ちだからこそ、不意打ちにならない。

「君は、戦略を覚えるべきだよ……。相手の裏を読んで、更に裏を読まないと、生きていけないよ？」

「そうは言っても、戦略なんて増やしようがないわ……」

「……相手を知ること、だね。格や行をよく観察して、自分が行した時の相手の行を予期する。……さっきも、キミが僕の握力を知らなかったばかりに、僕に勝てなかった。そうでなくても――」

僕は腕を振るい、ワイシャツの袖から手元にそれを飛ばした。手に摑んだのは――防犯ブザーだった。

小學生が學校で配られるような、黃緑で満月がし欠けたような形をしている。椛はこれを見て、口をぽかんと開けた。

これが僕の隠し武、みたいなものだ。こんな子供がに付けるものを出すのが意外だったのだろう。

「……防犯ブザー？　そんなもので、私に勝てると？」

「勝てるよ。栓を抜けば、君は一瞬だけビックリする。防犯ブザーは投げることもできるし、君の注意を引いた瞬間、僕は君を仕留めることができる……」

「一瞬ぐらいで……」

「……顔面、毆られたことある？」

「――――」

椛は黙した。普通なら、顔面を毆られることはまず無い。しかも、素手で。

上手く威力を消せる武人なら別だが、大の場合、一発で怪我をする。僕だって筋力はそこそこあるから、ただじゃ済まない。

「貴方は、そんなことをする人なのね」

「生き死にに関わる事で、そんな戸いはしないよ……。それに、君は薬すら使うんだろう？　顔を毆られるとか、腹を刺される覚悟ぐらい持っといた方がいい」

「…………」

僕の聲に、またしても椛は沈黙する。的確に彼の弱點を言っているつもりだ。思うところがあるのだろう。

僕はゆっくりと振り返り、椛の方へと近寄った。彼の肩をポンッと叩き、できるだけ優しく言ってみる。

「君は、遊びが過ぎる。楽しんでいると淺慮になるからね。戦いを挑むなら――冷靜に、真剣にやれ」

それだけ言って、僕は彼を通り過ぎた。今日は、これでいいだろう。僕は短い廊下を通り過ぎ、靜かに帰宅するのだった。