十數分後、機と椅子が隅に積まれた空き教室で、遙はるかと向かい合って立っている。

言われた通り、癒に使う諸々の道持參で、だ。どれも學校の備品なので、こっそり持ち出すのが地味に大変だった。

向かい合った遙はるかが持っているものを見て、思わず呟く。

「ってそれ使うんかい」

「いいでしょ？　お互い、手に馴染んだものを使うんだから」

遙はるかはそう言いながら、その手に持った小さな扇を自分の眼前で広げて畳む。

その扇は遙はるかの私で、それ自は何の効果もない安の扇子でしかない。

しかし、ひとたび彼が振るえば、普段の何倍もの速さと強さで魔を紡ぎだしてくる。

「たまには使ってあげないと寂しがるしね」

彼はそう呟いて扇に頬を寄せる。その顔はいつものふざけてる時とは全く違う、憂いと鋭さを持っていて、こちらも持ち手に力がる。

「じゃあ、かまえて――」

遙はるかの聲に合わせて、機の電源をれる。

「さん、にー、いち……」

こちらの道が起し始めたと同時に、遙はるかが扇を持った手を振り上げ聲を張る。

「【ご照覧あれ――】」

遙はるかの詠唱が始まった途端、彼の背後から様々な柄の反が噴水のように噴き出し、教室の壁や天井を覆っていく。

なすすべもないままに、俺の周りは和柄の布で作られた繭のようになった。遙はるかの姿は、どこにもない。

「なんだこれ」

幻なのは分かっている。問題は規模だ。

今までは、大砲で打ってくるとか、虎が出てくるとか、いわゆる「一つの」をそこにあるように見せかけるのが、俺が見たことのある幻だった。

何が出てこようとそれは幻なのだから、一回けてから反撃しようというのが今回の俺の作戦、だった。

魔はどんなでも、形中は者がそれにかかりきりになる。そして、幻は幻を常に出し続けている必要があるので、者本人は無防備になる。

たとえ遙はるかの詠唱が速くても、連発はできないから、初弾と次弾には時間差ラグができるわけでその隙を狙えばいい。

まさか、者本人を隠し、フィールド全を攪かくらんさせる規模のものを、一瞬で紡ぎだしてくるなんて。

ともかく、この幻から醒めなくては。

幻を見せられている俺も、そしてかけている遙はるか本人も、この慘狀あくむを見続けるわけにはいかないのだ。

「しっかし、どうすんだこれ……」

ずっと歩いているのに、端にたどり著く気がしない。おそらく同じところをぐるぐる歩かされているんだろう。無論、遙はるかの姿も見えない。

癒にできることは主に二つ。魔を使った治療と、歌を用いた魔力制。

ここで言う「歌」というのは一般的に呼ばれる歌と大して変わらない。違うのは、旋律や歌詞に魔力を込めて、歌の対象者（今回使う場合は遙はるか）の気分や魔力の流れを変えることができるというところ。

うまくいけば、遙はるかの展開させているを解くことができるかもしれない。

俺は足元の機械に視線を落とす。小さめの金屬製スーツケースのような外見。それの蓋を開けると、沢山のボタンやツマミのあるDJミキサーに似たが顔を出す。

俺が癒用の歌を紡ぐのに使うだ。対象者や周辺の、神波や魔力を読み取り、歌に変換する。

これが無くても歌は紡げるが、特に今回のような既に展開されたを上書きしようとする場合、あるに越したことはない。

電源をれただけだった歌調整機ミキサーのツマミを回し、フィールドと対象者の波を力する。風のような音と、微かなアコーディオンの音が流れ出す。

次に、俺自の魔力を足していく。曲が変われば、魔的主導権がこちらのものになる。

しかし。突然、合音聲のようなひび割れたび聲が辺りを震わせた。

『アハハハ！！　ムリムリ！！！』

『キカイマカセ！　インチキッ！　インチキ！！』

『ジブンデヤレヨ！』

慌てて電源を落とす。

どこも壊れていないか確認して、俺は小さく悪態をついた。

これは、おそらく……俺の聲だ。

予期せぬ狀況で、うまくいてくれないらしい。

あまり気が進まないが、手元のナイフで布が切れないか試すことにした。

手をばした途端、布の合わせ目から墨のようなが噴き出し慌てて手を離す。

息を落ち著かせながら確認するが、落としたナイフにも自分の手にも、何もついていなかった。

時間の覚も分からないが、極彩の空間に、神がだいぶ參ってきているように思えた。

が解けない場合、単なる比べになるが、その場合無理矢理見せられているこちらが圧倒的に不利だ。

「なぁ遙はるか。そろそろ出てきてくれねえ？」

そうぼやいてみるが反応はない。

「何がみ……」

言いかけて、背後に気配をじてすぐさま振り返るが、何もない。

「おい……」

「【ねぇ、歌って？】」

すぐ耳元で聲がするが、やはり遙はるかは姿を見せない。

「歌……」

歌調整機ミキサーは最近の機材であり、歌は本來、者の聲と演奏する楽の音で作るものだ。

今、楽は持ってきていないから、聲だけアカペラしかないが。

「即興でバシバシ魔組める誰かさんと一緒にしないでほしいんですがね」

虛空に向かって言うが、反応は返ってこない。

俺は目を閉じて何度も深呼吸をする。

さっきからずっと、遙はるかは明確な攻撃をしてこない。

ずいぶんなめられたものだと思うが、ご希に添うなら邪魔されてはかなわないから彼も空気を読んでるんだろう。多分。

――彼が構築した魔世界を塗り替え解かす歌。

かかとでリズムを刻みながら、テンポを決める。

そのテンポに合わせて鼻歌で大の調キーを定める。

意を決し、ゆっくり腕を振り上げ、天井をでるように手をかす。

俺の真上から、暗雲が立ち込め布を覆っていく。

しずつ広げていくのをイメージしながら歌いだす。

「♪【雨降る中 君は一人 歩いている

傘は差してない うつむいて――】」

彼の姿を思い浮かべながら、即席で歌詞を考える。

俺はその場でゆっくり回りながら、雲を教室全に広げていく。

「♪【灰の世界 僕は君へ手をばすけど

その姿は揺れて　霞んで消えた】」

極彩が消え、一面雲の中になる。

一度にんなことをして、うまく息継ぎができない。

に手を當て、絞り出すように歌う。

「♪【君の太になりたいと　伝えても　君は無理だと言うのだろう

それなら僕は　傘を持って君を迎えに行く

例え君がどこに行っても】」

徐々に、ぼんやりと、遙はるかの姿が浮かび上がる。

駆け寄りたくなる衝を抑え、はっきり見えるようになるよう念じながら、最後まで歌い切る。

「♪【その雫が　頬を伝う前に】」

遙はるかが目の前に立っていた。

悲しそうにも嬉しそうにも見える顔で、肩を落とし、両手を広げて立っていた。

俺は彼の額を優しく小突いて鎮靜の呪文を囁く。

彼のが力なく崩れるのを、しっかりと抱きとめた。

眠っている遙はるかは席に座らせて機にうつ伏せになるように、しばらく寢かせておいた。

放課後のチャイムが鳴りだす前に、もぞもぞいて目を覚ます。

「おはよう」

一応挨拶すると、寢ぼけまなこでこちらに微笑み、寢起きのかすれ聲でぼやいた。

「簡単に『きみ』とか使わないの」

「相手が分かりきってるからいいだろ」

俺がそう応えると、満更でもない顔で笑った。

遙はるかは気分を切り替えたのか、大きくびをしてすっくと立つ。

「じゃあ帰りますかー」

俺は満創痍なんだが、とか、宿題忘れんなよ、とか言いながら、寮の前まで送っていく。