《輝の一等星》天井に腕あり
人間の持つ五の中で最も大切な部分は、と聞かれたときに多くの人は視覚か、あるいは覚、食いしん坊なら味覚、音楽がすくなら聴覚と答えるだろうが、昴萌すばるめ詠よみはきっと嗅覚と答えるだろう。
理由はと聞かれれば簡単、匂いというものは最も記憶の中に鮮明に殘るからだ。
小さなころの記憶をたどってみればわかると思うが、目で見たものや耳で聞いたもの、食べたものやったものなど思い出せるかもしれないが、それら最も古い記憶の中で、ふとした瞬間に思い出されるのは匂いではないだろうか。
春夏秋冬の獨特な季節の匂いから始まり、母に抱かれた瞬間にじた匂い、運會で転んで砂だらけになったときにじた、せき込むような砂埃の匂い、大切な人との別れで泣いた涙の匂い、あらゆる場面を人は匂いでじて記憶しているのではないかとさえ思う。
詠は本を読んだり音楽を聴いたりすると、なぜか匂いをじることがある。それはおそらく小説や音楽で生み出された場面が嗅覚を生み出しているのだと思う。
匂いがあるだけで、たとえ本人がそこにいなくとも、近くにその人をじることができる。
だから、好きな人に服の匂いを嗅ごうとする変態さんの気持ちもほんのしだけわかってしまうわけで……。
そういうわけで涼のいた子寮に帰ってきた詠は、姉のベッドにダイブしていた。その枕からは、懐かしく優しく、そして、しい香りがあって、安心した。若干の悲しさがこみあげてきたものの何とか涙を流すことなくこらえる。帰ってきてすぐにヴィオラに涼の居場所を聞かれたけれど、答えることはできなかった。
そんな彼の心をあらゆる意味で揺るがす匂いに包まれながら、詠は、何もない天井を見上げ、考え事をしていた。それはもちろん、黎のことである。
結局、詠は差し出された彼の手を取らなかった。
リョウお姉ちゃんについて何かわかるかもしれないし、黎の様子はかなり気になったものの、得のしれない恐怖というものもあったし、安易に踏みってはいけないと直が告げていた。
黎はまるで修學旅行中に夜中に同級生へ向かって「夜遊びに行こうぜ?」というみたいな実際はかなりのリスクがあるかもしれないのに、その一切を説明しないで軽いノリでっている高校生のような言い方であったものの、彼の普通ではない服裝のためか、あるいは、彼から発されている見えない圧のようなもののせいか、二つ返事で了承……というわけにはいかなかった。
頭がごちゃごちゃする、涼が死んだということ自、けれられないというのに、どうして時間はいてしまうのだろうか、待ってくれないのだろうか。
そんなことを思いながら、背中をぐいぐいと押してくる『時』に対して、それでも詠は逆らおうと代り映えのない白い天井をじっと見つめていると、
天井が、く。
いや、違う。
何かがすり抜けてくる?
「……っ!」
以上に気付いた時にはすでに詠はいていた。二階建てのベッドから転げ落ちたものの、の多の痛みは鳴り響く銃聲のキンキンとした音によってかき消されたような気がした。
確かに『結界グラス』が展開されたじはしなかったし、第一こんな能力を元ルードである詠ですら知らない。
天井から現れたのは、銀に輝く拳銃を持っている右腕。天井に人の腕が張り付いている、あるいは、生えているように見える。
「どうしたの? すごい音がしたけど……」
銃聲によって、リビングにいたヴィオラが部屋にってきそうになったところので、開きそうになった扉をすぐに詠は側から閉めて鍵をした。
「ヴィオラはそこにいて! こっち來たら……危ないから」
「……?」
扉の向こう側にいる彼が明らかにわかっていないのはわかるが、鍵を閉めてしまった以上、彼はこの部屋にっては來られない。銃弾が貫通したときが心配ではあるが、それは詠の行ででどうにでもなる。
扉の前からすぐにいた詠が、壁から生えている腕に向かって機の上の本を投げつけると、銃弾は本を貫通させて、詠の頬をかすめた。
ヴィオラをこの部屋にれないということは逆に詠も出られない、つまり、詠の退路はふさがれたことになるが、おそらく相手は詠が狙いなのだろう。もしも、ヴィオラも標的になっているのならば、人殺しにとっての基本中の基本、殺しやすい相手から殺していくということから考えても彼が先に狙われているはずなのだ。よって、彼自から関わろうとしなければヴィオラが傷つく可能は低い。
部屋の中にあるものを投げつけていくが、どれも銃弾によって軌道を変えられるか、あるいは、打ち抜かれてしまうかで天井の腕にはものは當たりそうにない。
相手の能力が分からない以上、逃げて様子を見るのが得策とはわかっているが、この狹い寢室の中では無理だ。
もしも、詠にまだ力があったのならば、こんな相手など朝飯前だったのだが、何の力もない今の彼は、ただの中學生のの子に過ぎない。ゆえに、得のしれない相手に対して彼ができることは絞られてくる。
狹い部屋の中を回り、放たれる銃弾の數を數えながら避ける、をかすめるものの、がむしゃらにを投げているためか、銃弾がに直接當たることがなかった。
もしもこれが、幽霊や幻覚、妖怪の類の仕業でないとするならば、相手の使っているのは何かしらの神というやつなのだろう、昔見た『ティルヴィング』と同じ類のものに違いない。
しかし、目の前にあるのは特に変わった様子のない拳銃だ、相手が神を使っているにしろ拳銃事態が神ではないのだろう。つまりは魔法の銃でない以上、裝填數には限りがあり、弾が盡きれば、必ずリロードしなければならない。
(今だっ!)
腕のきが一瞬止まったところを、詠は一気に駆け出す。
腕から銃を奪い取ること、こんな単純な手しか力なき彼が生き殘る手段はなかった。
思通り、鉛玉が飛んでくることはない。
瞬発力で勝利した、そう詠はほんの一瞬だけ思ってしまった。
(えっ……?)
しかし、頭に何かをたたきつけられ、が床につく。
何が起こったのか、正確に理解するのに詠は數秒の時間を要した。
「ったく、よりにもよってなんでこんな使えそうにない、ガキなんかをうのかねぇ」
そして、至極當たり前のことがおき、當たり前の結果になったことを理解する。
詠には腕しか見えていなかったが、當然、相手にはもう片方の腕があり、足があり、がある。
天井から現れたのは、短い赤髪にドラキュラのような八重歯が目立つ年だった。彼の左手は詠の頭を鷲摑んでおり、右手には拳銃を持っていた。
頭に拳銃を突きつけられて、けなくなった詠の頭の中は以外にも冷靜に働いており、今自分を拘束している年のことよりも、自分自の、『らしくない』無様な様子に驚いていた。
力がない自分は何か自分の知らない力に出くわしたとき、初めから逃げなければならないとわかっていたはずだ。なのに、逃げずに逆にロックした。そして、相手の銃を奪おうとすれば當然相手はその他のの部位を使って抵抗してくることくらい子供だって想像できるような結果だったはずだ。
どうして、こんなミスをしたのだろうか?
床に頭をつけながらそんな疑問を持っていると、これまた、本當に簡単な理由にたどり著く。
疑問が解消された瞬間、自分が『らしくない』のではなく、どこまでも、昴萌詠『らしい』行をしていたのがわかって、詠は口元をゆがめた。
死ぬまで、待っていられるつもりだったが、自分がそんなできた人間ではなかったというわけだ。
実際にみたわけではない事を信じたわけではないし、帰ってくるかもしれないとさえ思っているというのに、諦めようとしている。これ以上考えることを放棄しようとしている。
自の考えていることと行が違っていて、自分が考えている以上に、自分のことは知らないものだと思うと同時に、人間という生きがどこまでも矛盾しているだとわかった。
(私って……リョウお姉ちゃんのところに行きたかったのか……)
それは、まるで初対面の人の報について聞いたような理解の仕方。自分とが引き剝がされたようなそんな覚がある。
姉のもとへ行きたいがために、自の命を絶つことは詠にはできなかった。なぜなら、姉に『自殺なんて馬鹿な真似だけは絶対にするな』と聞かされていたからだ。
ゆえに、単純明快な自殺願を他人によって行ってもらおうとしただけのこと。
(本當にセイ姉ちゃんのことを責められないや……)
こんなこと、涼が知ったら、顔を真っ赤にさせて怒るだろう。
でも、もう、どうでもよかった。
今までも涼の傍にいられるならば、他のどんなものも犠牲にしてきた。涼自の靜止すらも振り切ってきた。彼の隣は誰にも渡さないと、その席に座り続けることだけのために生きてきたといっても過言ではない。
(そう、私にとって、リョウお姉ちゃんが『全て』だった)
もう、待たなくていいと思えばし気が楽になった。天國で姉に會えるだろうかと考えてうれしくじてしまう自分はどうかしていると思った。向こうの世界でも、彼の隣という席は守り通そうと死んだ後のことまで考えてしまっている自分は、きっと、いかれているのだろう。
スゥー、と息を吸った詠は背後にいる年へ告げる。
「もういいよ……終わらせて」
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