《輝の一等星》ヨルムンガンド
梅艶の指から展開された淡い青白い『結界グラス』は部屋全を包み、同時に彼の背後に巨大なが出現し、そこから一匹の大蛇が表れる。
この地下最強である支配者オルクスが、唯一恐れるといわれるアンタレスの力の結晶。
れるだけで敵を殺すこの世で最強の毒を持つ、その大蛇の名前は『ヨルムンガンド』。
シュー、と息を吐きながらチロチロと舌を出す蛇はその場にいるだけで、空間をゆがませ、生きの本能に危機を訴えかけてひるませる。
目の前にいる魔に気圧されそうになりながらも、もう一度刀を構えなおした黎は、梅艶と目を合わせる。
「どうしても……闘わなければならぬか?」
「愚問ねぇ、この結果はお母様が選んだことよぉ?」
賭刻黎は、この姿になるその瞬間まで、華の無念を忘卻していた。一人の娘を可がり、幸せな家庭の中にを置いていたが、その中で、もう一つ、大切なものがある事実を失っていた。
しかし今、黎の前には最も大切なものがある。それも、手をばして走れば屆きそうなくらいに近いところに。
だが、賭刻黎にはそれを得ることは許されない。彼自が許せない以上に、きっと彼はそれを許さないはずだから。
ならば、ここで大人しく死を選ぶか。最の娘に殺されるならば、悪くはない。
でも、それもまた、許されない。
なぜなら、自の命に代えて黎の命と、その記憶を繋ぎ止めた友がいた。諦めるということはすなわち、彼の意思を潰してしまうことになるのだから。
歩むことも、諦めることも、許されない見えない鎖で繋がれたこのはやはり、たった一つの目的に向かうしかない。
だから、黎の、いや、黎たちの選択肢は一つしかなかった。
「鬼神隊隊長、賭刻黎、長押してまいる!」
揺らぎそうになった心をどうにか押さえつけ、聲を張り上げ、自に活をれた黎は、大蛇との間合いを一気に詰めていく。
対して大蛇もまっすぐ黎へ向かって、彼を楽に人の出來る大きな口を開けたまま迫ってきた。
蛇と接する直前に、を橫に投げ出した黎は、ヨルムンガンドの攻撃を避け、「はぁ!」という聲と共に橫から切り上げる――が、蛇には傷一つつかなかった。
ヨルムンガンドは最強の毒を持つことで有名だが、これが怪たるやゆえんはそれだけではない。
全がどんな金屬よりも固い頑丈な鱗でおおわれており、口には猛毒と共に鉄板であろうとも貫く牙、心弱き者ならば睨まれただけで失神してしまうだろう眼。
加えて口から散布している猛毒、ヨルムンガンドトキシンは気化し、周りにいる主以外の生きの行を制限させる。
(やはり、一撃というわけにはいかぬか……)
突進していた蛇の頭は、黎の攻撃など見向きもせずに、地面を伝って再び黎へ迫ってくる。地面に膝を付けながらも躱した黎は、頭をフル回転させて考える。
彼の持っている刀では大蛇の皮に傷つけることはできない。それに、この蛇の持つ獨の特上、口の中に刀を突っ込んだとしても、切る前に刀が消滅してしまうだろう。
それに加えて、この戦いには時間的な余裕がない、空気中の毒がに回る前に勝負をつけなければがかなくなって終わりだ。
そのとき、黎は不自然な引っかかりを覚える。
アンタレスの力はこの蛇だけではない。
確かに切り札はヨルムンガンドであることは間違いないのだが、彼にとって、『結界』の範囲の空気を毒に変えることくらい、造作もないことである。
つまり、ヨルムンガンドトキシンが黎のに回るのを待つまでもなく、次の瞬間にも、黎を戦闘不能にさせることができるのだ。
なぜ、彼はそれをしないのか。
力の持ち主である梅艶自が毒に侵されることなど、まずありえない。彼のいつも吸っているパイプ自が毒の一種なのだから。
クッ、という聲と共に、三度目の攻撃が來て、それをかろうじて避けた黎は、今までずっと視界の隅にれていた梅艶を見る。
彼もまた黎を見ているが、余裕ぶっているその表とは裏腹に、黎にはどうしても彼が手を抜いているとは思えなかった。
なぜならば、黎自が、一瞬の隙さえあれば大蛇の間を駆け抜け、力の本である梅艶自を切ろうと考えているからである。
これは決して親子の喧嘩ではない、人間同士の殺し合いだ。
この戦いが終われば仲直りできるだろうなどと、能天気で甘い考えを持てば次の瞬間には自分の命はなくなるだろう。
生死をかけた戦いの中に過去など、繋がりなど、関係ない。
ただ目の前にいる敵だけを倒す、それだけ考えなければ一瞬先の未來もないのだから。
そんなギリギリの剎那の戦いだからこそ。
(……楽しいのかもしれぬのう)
黎は、ヨルムンガンドの頭を刀でけ流し、避けながら、ふっ、とこらえきれない笑みを作る。
華と呼ばれ、梅艶の母として存在するためだけに生きていたあのときからすでに18年もたっている。
昨日までの記憶の中にある梅艶は、まだ小さく、抱きしめるだけで壊れてしまうのではと心配になるくらいに小さな存在だった。
その小娘が今このとき、自と対等以上に戦っているこの事実を嬉しく思ってしまうのは、やはり親バカというやつなのだろうか。
たとえ殺し合いの相手であっても、その長をじるだけで幸せにじられるのは、おかしなことなのだろうか。
(どうやら、妾のもかなり歪んでおるらしい……)
何度でも襲い掛かってくるヨルムンガンドの攻撃を黎は飛び上がり、刀で壁に傷をつけ、そこに足をかけることで壁を走り抜け、蛇の腹の前で著地するが、著地するときにしよろける。
微かながら足のきが悪くなってきている。どうやら、しずつだが、毒がに回ってきているようだった。
しかし、敵の攻撃はすぐには向かってこない。
この蛇はあまりにも巨大がゆえにこの狹い空間での攻撃方法はおのずと限られてくる。尾か頭で攻撃する、どちらかしかない。ゆえに、腹の部分につけば、しながらも時間を稼げるというわけだ。
大蛇の次の攻撃は遠くにある頭よりも近くにある尾からくるだろう。
だが、そう考えて構えていた黎の予想を裏切り、大蛇はすぐに攻撃することなく、き出し、梅艶の近くへと行ったではないか。
いや、この蛇の力を考えればなんら不自然なことでもない。避けられると分かっている攻撃をするよりも相手のきをじっくりと見る。何をせずとも相手は勝手に毒でどんどんけなくなっていくのだから。
だが、黎は大蛇のその行に違和を持つ。
理屈も減ったくれもないただの直であったが、すぐに黎は自のその覚の正を考える。
蛇のさらに奧にいる梅艶と再び目が合う、彼はやはり、黎を見ていた。
敵は黎一人なのだから、別に変じゃない、それなのにまた、引っかかる覚がする。
考えているうちにも、黎のはしずつだがけなくなっていく。刀を持つ握力がほんのしだがなくなっていることに気付いていた。
これがもし、飛鷲涼や、昴萌詠であったのならば、がかなくなるかもしれないなどという、迫りくる焦りによって、考えるよりも先にいていたことだろう。それが悪いこととは言えない。
しかし、彼たちに比べて圧倒的な場數を踏んでいた黎は、心が炎のように熱くなっているこの瞬間であっても、頭の中は南極の氷のように冷ややかにいていた。
そして、ふう、とその場で一息つき、小さくつぶやく。
「……そういう、ことか」
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