《都市伝説の魔師》第二章 年魔師と『地下六階の年』(8)
「何を當たり前の質問をしているの? そんなの當然、一人の人間を選ぶに決まっている。だってあの人は……僕の人生を救ってくれた大切な人だから」
「へェ! 柊木香月は天然たらしだよ、まったく!」
闇はせせら笑う。
ほんとうに闇は人間らしい。
「……まあ、そんなことはどうだっていい。どうだっていいんだよ。そんな戯言を話すために、わざわざここまできたわけじゃないから」
闇は一歩年に近付く。
年は気味悪さにたじろいでしまうが、それでもその場に立ち盡くす。
年の表を見つめて、闇は頷く。
「柊木香月に何を求めているのかは解らないけれど……、殘念ながら彼はもう魔を使えない。使うことが出來ないのだよ。使った瞬間どうなるのか、とか考えないほうがいい。そもそも使う手段を封じたのだから」
「使える手段……。いったい、彼は何をしたというんだ! 全然解らない。彼がそれをされる理由が」
「強いて言うなら、罰だよ」
その一言に、背中に悪寒が走る。
「……罰、だって?」
「そう。罰。イカロスの逸話を知っているかい? 蝋で翼を作り、空を飛んだ伝説のことだよ。父のいいつけを守っていれば死ぬことは無かった。だが、彼はそのいいつけを無視したことで太に近づきすぎて翼は溶けて、そして死んだ」
「……彼も同じだっていうのかい?」
「ああ、そうだよ。それが解らないのかい。まあ、もしかしたら解らないかもしれないね。一応、警告はしたのだよ。けれど、けれどね。それでも彼は無視した。無視したのだよ。それは仕方ないことだよね。警告をしたのに無視した。だから我々は魔を奪った。これに何の間違いがあるというのか、逆に聞かせてほしいくらいだ」
「……間違っている。間違っているよ。そんなことは間違っている」
年は。
怖かった。
おびえていた。
目の前に立っている――異形を見て。
本當は逃げ出したかった。
けれど、年を助けてくれた魔師が貶されている。
それは許せなかった。
許したくなかったし、許すはずが無かった。
けれど、年は非力だ。その異形について対策するが何一つとして無かった。
(どうすれば……!)
「一応言っておくけれど」
闇は言った。
「――僕はここに居る闇が、本だと思ったら大間違いだよ? 當然ながら本は別にいるし、僕は普通にパペットを使っているだけに過ぎない。そんな僕を、魔師でもない君が倒すことなんて出來るわけがないだろう?」
「……」
年は何も言えなかった。
その通り、年は魔師では無い。魔への対策がまったくもって、ないのである。
ならばどうすればいいのか。
どうすれば――この狀況を打破することが出來るのか。
「……どうしようもない」
年は吐する。
そう。
どうしようもなかった。
「――助けてよ」
その言葉は、気が付けば年の口から零れていた。
「助けて? そんな聲が屆くとでも思っているのか! ばかげている!」
笑っていた。
年の微かな希を打ち砕くかのように、闇は笑っていた。
「助けてと言って助けが來るわけがないだろう? それこそ、現れるのはヒーローくらいのものだ。そんなヒーローが現れるとでも思っているのか? だとしたらそれは大きな間違いだ。言ってやろう。ヒーローなんて存在しない。ヒーローは存在しないんだよ」
闇の言葉に、年は何も気づかなかった。
闇がなぜそこまでヒーローという単語に固執しているのか、気付かなかった。
「……命乞いは済んだかい?」
闇は右手を掲げる。
これから何をするのだろう――年は解らなかった。年は魔を知らないから、當然のことともいえた。
魔を使っていない一般人に魔を行使することは、魔師同士が定めたルールを破ることになる。
だから普通ならば魔師が一般人に手をかけることなど無いのだが――。
「恨むなら、僕らに力を奪われた柊木香月を恨むがいい」
そして、そして、そして――。
闇はその手を、振り翳す。
「……る程、こういうことね」
――しかし何も起こらなかった。
「……!? どういうことだ?」
闇は明らかに揺していた。
「いやあ、まさかこんなことになっているとはね。思いもしなかった。香月クンが彼だけは救ってほしい、なんて言っていたから誰なのか? なんて組織でも話題になっていたけれど、まさかこんな場所で出會うとは」
「貴様……何者だ?」
そこに居たのはツンツン頭の年だった。
白のパーカーにダメージジーンズ。ロリポップキャンディを舐めて、下を見つめている。見つめている、というよりも突然のことで揺している闇を見下している、と言った方が近いかもしれない。
彼が屹立していたのは時計塔。
その頂上であった。
「……まさか、こんな場所から魔師が出てくるとは思いもしなかったかな?」
年は笑っていた。
気が付けば雨は止んでいた。
しかし黒雲はその場にとどまり、雷の音が鳴り響いていた。
ツンツン頭の年は言った。
「……年」
「はい?」
「お前の名前を知らないから、取り敢えず年とでも言っておく。僕のことはジョーとでも言えばいい。今から僕があいつを何とかする。だからお前は逃げろ。あとから僕も追うよ」
「でも……」
「でもでも何もない! 急いでいくんだ!」
「……は、はい!」
年は急いで踵を返し、駆けていった。
闇は手を走り去っていく年に焦點を當てる。
「そう簡単に逃がすとでも思っているのかい?」
しかし、それと同時に。
ジョーが闇の目の前に屹立していた。
「悪いねえ。あの年には何の義理もないが、香月にああいわれてしまったら僕だってやらざるを得ない。だから、し付き合ってもらうよ。あの子が逃げるまでの間だけ、ね」
「逃げるまでの間、か……。僕も隨分と嘗められたものだ。聞いたことも見たことも無い一介の魔師にそんなことを言われるようになったとは」
「とはいえ、僕は君のことを知らないのだけれどね? 明確には『敵』としか考えていない」
「敵、か。柊木香月のことを想っているのであれば、敵になるのだろうよ。しかしながら、僕は君のことも知らない。なんて呼べばいいかな?」
「名前を名乗らない人間に、名前を言いたくないね。そういう時は先に自分から言い出すのがマナーってものだろう?」
「そうか。そういうものだね。ならば教えてあげよう。僕の名前は小手史。君を殺す人の名前くらい、覚えておいてくれよ?」
それを聞いたジョーは一笑に付す。
「殺す人の名前か……。いいや、逆だよ。僕が殺す。殺すのだよ。僕の名前は大條和。まあ、よろしく頼むよ」
そして。
激突が、起きた。
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