《いつか見た夢》第18章
目をつぶって、奴の蹴りが當たる瞬間を待った。だが、蹴りはいつまでたっても當たることはない。
目を開けると、佐竹は前のめりに倒れようとしているところだった。やはり、俺の反撃はちゃんと急所へ當たっていたのだ。
気合いで蹴りを放とうとしたが、結果として、こっちの攻撃が奴の必殺の蹴りを放たせるには至らせなかったのだ。
「ぅ……」
奴の腹からはとめどなくが流れ、白のシャツを赤に染めていっている。蹴りを放つのだから、その攻撃の原點となる腹を狙ったのだが、うまいこといったようだ。
気付けば、脇が冷や汗のため濡れていた。ここまで死の危険をじたのは久しぶりだ。佐竹は、まさに強敵というに相応しいだろう。
こちらの集中力が最高の狀態でなければ、俺の銃の技がなければ……それらがほんのしでも足りていなければ……恐らく倒れていたのは俺の方であっただろう。それほどの使い手なのだ、この佐竹という男は。
だが、その油斷が俺に隙を生んだ。
佐竹はまだ完全に倒れきっておらず、蹴りを放ってきたのだ。驚くべき集中力と神力の持ち主というべきだろう。
しかし、その蹴りは先ほどまでの殺人腳とまではいかず、簡単に避けることができた。
「よせ佐竹。あんたはもう助からない。後一時間といわずに死ぬんだ。最後まで苦しむような闘いはよすんだ」
そう、佐竹の目にはまだ、闘爭心というものが全く失われていなかったのだ。
「ぐ……そ、そうかも、ぐふ……しれませんな……だ、だが、死ぬにしてもこんな場所で死ぬわけには……」
腹からはとめどなくが流れているため、床の絨毯に滴っていっている。赤の絨毯は、そのを吸収して赤黒く変していた。
奴が倒れかけていた時にポケットから取り出していたのか、腹を押さえている反対の手には、黒いマッチ箱ほどのものを持っていた。
「……そう、私の……死に場所はこんな……ところでは、ない……」
途切れがちに喋る佐竹は、その小箱のようなものの中心あたりを押した。
一瞬早くそれに気付いた俺は、中年の死が座っているソファーのに飛び込むように隠れた。
その瞬間、轟音が部屋中に響く。部屋の壁が吹っ飛んだのだ。
その風によって飛ばされたコンクリートの破片が、部屋のあちこちに飛んで當たる音がする。
それらに混じって、シャンデリアやガラスが割れた音も大きく響いた。視界を大量の埃が舞い、周囲を曇らせている。
しかしそれ以上に、耳に発による殘響があるせいで周りの音が聞こえない。これほどの至近距離で発音を聞いては、當然と言えるが。
「くそっ……それより奴は」
ようやく視界がひらけるようになると、思っている以上に部屋は破壊されていた。これで下にいる連中もさすがに気付くだろう。
辺りを見回すと、発した壁は人が立ったまますっぽり収まるほどの、大きなができていた。向かいには、天樓の棟がいくつも見え、夜の街を彩っている。
壁に寄り掛かっているように倒れていた死は、発によってできた大より下に落ちていったのか、見當たらない。他の死も、コンクリートの破片によって、ずたずたになっている。
そんな慘狀であるにも関わらず、佐竹はまだ生きていたのだ。何がなんでも生きようとする、執念はもはら驚嘆の域を越え、すら覚える。
銃弾にも倒れず、風にも吹っ飛ばされず、それは神懸かっているかのようだ。のろのろと這いつくばって、の方へと移していたのだ。
その姿は、何がこの男をそういたらしめているのか逆に興味が沸いたほどだ。
「佐竹」
「く……わ、私はまだ……ここで死ぬわけには……」
壁までついた佐竹は、ひどく緩慢なきで立ち上がろうとしている。その顔には、もはや生気というのをじさせない。死相というものだ。
數分前とは別人のように見え、幾度も見てきたから分かる。もう數分もあれば命盡きるだろう。放っておいても結果は変わらなかっただろうが、たった今起こった発は、更にこの男の死期を早めたのだ。
「……分からないぜ。一何があんたをそこまで掻き立てるんだ……」
「ふふ……ぐっ。……た、単純な、ことですよ……私は、あ、あの子のもとに行きたいだけ……」
あの子。きっと前に仕えていたというの子のことだろう。佐竹は必死の形相で、壁のまでよろめきながら行き、何か言いかけた時だった。
俺は、瞬時にそれに気付き、扉のほうに再び床を転げ回る形で飛び込んだ。
その直後、佐竹は膝から倒れた。そう、一瞬向かいのビルに人影らしきものが見えたからだ。
一瞬だけだったが、ライフルを構えていたように見えたために、またも転げ回ることになった。
その一瞬の判斷に助けられ、素早く扉のに隠れることができた。
廊下の先からは、エレベーターから走りながらこちらに向かってくる、黒服の連中がようやく音を聞いて駆け付けてきたのだ。
「ど、どうしたんだ!?」
「やめろ――」
來るなと言う前に、先頭の男はこめかみあたりを撃ち抜かれ、走って來た勢いそのままに俺の前に倒れた。
後続の男達は、何が起こったのか理解できていないようで、唖然としたまま、扉の前に突っ立ったままだ。
「おい、扉の前に立つな!」
俺の言葉に反応できたのは、一番後ろにいた奴だけで、二人目の男は隠れようとする前に再び発された銃弾によって、ぶち倒された。
「くそっ、何者なんだ!」
わけが分からない。佐竹はスパイだったにしても、この組織と取引に応じた組織、そして俺。それとは全く違う、第三の組織に雇われたスナイパーだろうか。
銃をつかって反撃しようにも、こったはただの拳銃、あっちは狙撃銃だ。向かいのビルの屋上ににいることは分かってはいるが、その前に撃ち抜かれて終わりだろう。
「おい、下にいる連中に言って、向かいのビルの屋上に向かうように言え!」
「な、なんだって?」
俺は、なんとか隠れることができた黒服の男の足元に一発うち、早くしろとぶ。
男は銃を撃ち込まれたショックで、恐怖の表を顔に付けながら、イヤモニターを使って指示を出した。
どこの誰かは知らないが、これで大丈夫だろう。それに恐らくスナイパーは俺ではなく、佐竹を狙ったのだろう。もし俺を狙っていたのであれば、最初から俺を狙っているはずだし、わざわざこんなビルにいる時に狙う必要はないはずだ。
しかし、それでもまだ理解できない。佐竹を狙ったにしても、何故無駄に二発も撃ったかだ。仕事が片付いたのなら、その一発だけで十分なはずだ。
佐竹のように、ターゲットが二人いるところを狙って、俺も道連れにしようとしたのだろうか。もちろん、考えられなくはない。だが、だとしても解せないことだ。狙撃をしたのなら、さっさと逃げ出さなければすぐに捕まってしまう危険もあるはずだろうに。
まぁいい。分からないものを、無理に今考える必要はない。俺はやっとのことで一息つけた気分になり、大きく深呼吸したのだった。
雨は夜になり更に激しさを増していた。風も吹き出すようになったために、もはや嵐といっても差し支えないほどだ。
俺はそんな中、傘もささずに歩いていた。革ジャンの隙間から水が滴り、不快な気持ちになり背中を丸めながらだ。
(今日は災難だった)
無心に歩いていたが、そんなことが頭に浮かんだ。用心棒の仕事を引きけながら、失敗したのだ。しかも、その暗殺者の正は長年、主人に仕えていた側近兼執事の男だったのだ。
おまけに俺はそいつの罪を被らされ、始末されるところだった。だが、これは思うに復讐だったのだろう。
まだ調べてみないとなんとも言えないが、佐竹という男は、自分が仕えていた男ともう一人を同時に始末するためだったのだ。事実、中々二人同時にやるというのは難しい。どっちかをやったら次、なんてのはそうそうやれるものではない。
立て続けに自分の主人が殺されたような人間を、もう一人の奴だってそうそう雇うはずはないだろう。俺は、ジャンパーのポケットに手を突っ込みながら、その中のものを手でいじくっていた。
これは、佐竹が大切にしていたと思われるロケットで、中にはまだ若い頃の佐竹と高校生くらいのの二人の寫真があった。
これは、あの狙撃のあとに騒が一先ず落ち著いた時に、そっと佐竹の死を調べたらでてきただ。寫真のは、栗のセミロングの髪と、やはり同じをの瞳を持っていて、どことなく病的なものが伺えた。が弱かったと言っていたから、そのせいだろう。
それと同時に、はどこかはかなげで、それでいて満ち足りた微笑をたたえていた。佐竹も、冷酷な殺人鬼になる前だったのだろう、その顔にはとても同一人とは思えない、穏やかな表をしていた。
寫真のこの男とは、ただの信頼しあった従者と主人ではなく、互いに好き合っているようにも見えた。
佐竹は、最後に“彼”といった。それまでは、あの方と呼んでいたのに、その隨分な変わりようにどこか違和をじたのだ。
だが、相思相……いや、もしかしたら佐竹だけがのことを好いていた可能もあるかもしれないが、だからこそ、あの老人のことをあんなにいとも簡単に始末したというのにも、頷けるというものだ。
だが、そうするとあの老人も、もしかしてそんな佐竹のことを分かっていて雇ったということも考えられなくはない。老人は、佐竹のことを心から信頼するようにしていたのだろうが、結局は佐竹の復讐心を、解放させるまでにはいたらなかったのだ。
まぁ、いい。どれもまだ推測の域を出ないのだ。はっきりと分かるまでは、あれこれ考えすぎるのも良くない。
最終的に佐竹をやったのは、なんとも不粋なスナイパーだったが、どのみち俺が放った銃弾によって、奴は死んでいただろう。だからなのかどうかは分からないが、俺はなぜか、佐竹のことをこのまま放っておくことができないでいる。
スナイパーにやられたからか、奴の純粋な何かにあてられたのか、それともただの同なのかは分からない。だが、一つだけはっきりしていることがある。
それは佐竹を始末したスナイパーのことだ。この野郎は、このままにしておくことはできない。
きっとあのままであれば、元々の標的でなかっと思われる俺も、佐竹とともに地獄にたたき落とすつもりだっただろう。事実、あの老人の組織連中を二人も道連れにしたのだ。俺を放っておくはずがない。
もちろん、その二人を始末したことには、いまひとつ納得がいっているわけではないが、現時點ではそのように考えておいた方がいいだろう。この世の中の道理が通らない業界で生き殘っていくには、何事も最悪の事態を想定していた方がいい。
まぁ、俺のいる組織も、末端の人間とは言え、巻き込まれそうになったのだ。多なりとも事実の確認程度にはくはずだ。そうすれば、佐竹の過去やなんかも、もっと詳しく判るだろう。そして今晩、襲撃した、あのスナイパーもだ。
まぁ、このまま任せっきりということにするつもりはない。別に、組織の報網を甘く見ているわけではないし、全くかないわけでもないと分かってはいるのだが、分なのか、こういうのは自分からもくべきだと思っているからだ。
とりあえず、組織に知れ渡るのも時間の問題だが、一応は連絡をれておくのが良い。言わなかったら、あのがまた口うるさく、あれこれ言ってくるに決まっているのだ。そうなる前に自己申告しておこう。
どのみち、いろいろと皮を言ってくるのだろうが、時間が遅くなると更にそれが激しくなるので、今しておくに越したことはない。あのは昔から口うるさく言う癖に、あれこれと、こちらの世話も焼きたがる欝陶しいなのだ。
開口一番に、皮を言われるのが予想できた俺は、ため息をつきながら攜帯を取り出した。
時刻を見ると、すでに真夜中の1時半を過ぎようとしているところだった。
今日はまだ平日ということもあって、夜の都會は隨分と閑散としたものだった。もちろん雨のせいもあるだろう。
俺はし離れてはいるが歓楽街の一畫にかまえた、ビルの地下にあるクラブにきた。『サバカ・コシュカ』と書かれたドアを開けて、中へとる。ちなみにロシア語で、犬と貓という意味らしいが、全く意味はないらしい。
ここは臑すねに傷を持つ、または持っていたような輩が頻繁に出りしている場所で、クラブとは名ばかりの薄汚いバーだ。
だが、俺もやはりそういう人種だからなのか、こういう場所の方が落ち著けるので、好きなのだ。もちろん、この世界にる前からこういう場所は、なぜかいつも心惹かれるものがあったのだが。
店は、中世ヨーロッパの酒場を意識していて、音楽も所謂流行りものというのは、一切流さないというのにも好がもてた。
泥臭いブルーズや、即興オンリーのバップ、どこの國の民謡ともしれない騒がしいもの……それらを、やはり人種や國籍関係なしに、楽に覚えがある連中が生演奏するのだ。
たった一人でやる奴もいれば、その時その時で初めて知り合ったような連中同士で、即興バンドを結してやる奴もいる。そのため、ひどい演奏をするのも珍しくないが、そんな後先分からないような即興が、俺を含めたここにいる連中を、興の坩堝にっていくのだ。
もう真夜中だと言うのに、ごった返して、帰る気配すら見せない連中の間をすりぬけながらカウンターへと行き、俺は無想にグラスをみがいている店主に話しかけた。
「いよぉ、久しぶりだな」
「なんだお前、久しぶりに顔見せたな。てっきり死んだものかと思ってたぞ」
いきなりご挨拶なことを言ってきたは、流暢な日本語を喋るロシア人で、この店の主人だ。
祖國に想を盡かし、かつては外人部隊で數多の中東紛爭、灣岸戦爭やアフリカにまで行っていたという奴だ。でを洗う世界に嫌気がさし、日本がバブルに沸いている頃にきて以來、ここに店を出したのだという。
二十歳の頃にはすでに戦場に行っていたという話だから、年齢はなくとも50代も半ばを過ぎているだろう。
「で、今日はなににするんだ?」
「そうだな……じゃぁ、久しぶりに來たからな、アードベックにしようか」
「アードベックか、分かった」
そういって店主は、棚の上の方に置いてある瓶をとり、計りなどせずやや大きめのショットグラスにドボドボと注いだ。
ここでアードベックと言えば、十七年と決まっているのか、他にも種類があるにもかかわらず、それを出すのだ。俺としては、その奧にある三十年のアードベックの方が気になっているのだが、ここから見たところまだヴァージンのようで、何か思いれでもあるのか、開けるつもりはないらしい。
目の前に豪快に置かれたグラスの中には、一杯としてはかなり多い量があった。普通は大三十ミリリットルがワンショットの目安と言われているが、これは明らかにその一・五倍以上は注がれてある。そんなサービス神旺盛でいて、日本のバーやクラブでよく見る価格よりも、遙かに安いのもまた好を持てるのだ。
いわく、サービスはないがな、とのことだった。俺としても別に過剰なサービスなどいらないので、これで十分なのだ。
「しかし、お前は相変わらずスコッチが好きだな。たまには他の酒類のウイスキーも飲んでみる気はないのか?」
「あんたの奢りでなら飲んでやってもいいぜ?」
「アホぬかせ。うちはギリギリでやってるんだ。呑んだくれ共に奢るだなんて、そんな金をドブに捨てるような真似できるかよ」
「くっくっく、違いないな。でも、だからこそ良心的な常連がこうやっていい酒頼んでるんだから、いいじゃぁないか」
だったら、最初からきちんと計れとは言わない。これがこの親父のスタイルだからだ。
「良心的だって? だったらもっと頻繁に足を運ぶんだな」
「気が向いたら來るさ」
肩で笑いながら、相槌をうった。この日本では、おおよそサービス業には向いていないこの店主を、俺は気にっていた。たまに気のむいた時に話す、兵士時代の話はいつ聞いても面白かったからだ。
だが、俺は自分からは聞かせてくれとは言わない。向こうから話し掛けてくるから、面白いのだ。普通であれば、自分の方からあれこれ話かけるような奴は、うざいだなんだと、つまらないことをいう連中が多いのが日本人という人種らしいが、俺は逆だ。
ひたすら自慢話はごめん被るが、人の経験話というのだけは別で、それに付隨していれば、自慢話すらも面白いものなのだ。
今の時代、それすらも文句をたれる奴が多いように思う。しかし、今日は來た目的があるので、話し掛けられるのは、遠慮しておこう。
「ところで話は変わるが、ガスの奴はいるか?」
「なんだ、報がしいのか?」
「ああ、ちょっとな」
「濡れてるから分からなかったが、さては今日なんかあったな? お前はたまに、硝煙の匂いを染み付かせたまま來るからな」
苦笑しながら肩をすくめ、それよりどうなんだと促す。
「いや、今日はまだ來てないな。珍しい日もあるものでな。もし來たら、言伝おいてやるが?」
「いや、いい。そこまで急ってほどじゃぁない」
ガスというのは、この街一番の報屋を自稱している奴で、その報収集の早さとその正確さは、俺みたいな奴は當然、同業者からも一目おかれている奴だ。
だが、いくら街一番でも、そいつ一人だけを頼りっぱなしというわけにもいくまい。
「まぁいい。だったら一人優秀なのがいるぜ? 最近売りだし中の奴なんだが、こいつがなかなかできる奴でな」
店主は、俺の了承などお構いなしに、その男を呼んだ。
「ニーロ、ニーロはどこだっ」
店主は、やかましい店すらも黙らせるような馬鹿でかい聲で、ニーロと呼ばれる男の名をぶ。
「そんなでかい聲ださなくったって聞こえる」
そうして話しかけてきた男が、俺の隣に現れた。どうも、この男がニーロと呼ばれているやつらしい。名前だけで地中海あたりのラテン系をイメージしたが、全く違った。
どう見てもの淺黒い、東南アジア系な顔をしている。また、この親父同様澱みなく、流暢な日本語だ。この男もまた、日本での暮らしが長いのかもしれない。
「おお、ニーロ、そんなところにいやがったか。お前に客だ」
「まだ客になるなんて決まった覚えも、言った覚えもないんだがな」
呆れたように小さなため息をつきながら、両名を見た。
「安心しな、こいつの料金システムは、結構良心的だ。客が納得するまでは金を貰わないんだとよ」
「そうなのか?」
こいつは珍しいと思い、ニーロの方を見やる。
「ああ。おれは基本的に調査料と報料の両方、まとめて一括払いしかけ付けてないんだ」
ニーロの言葉に頷きながら、アードベックに口をつけた。癖のある、それでいてどこか甘さの余韻を殘す、ドライな味がを焼いていく。
特別話すことなどなく、黙ってスコッチを口に含んでいくが、その様子を店主の親父とニーロは、まだかとまだかと、じっと俺が話し出すのを待っているようだった。
俺は負けし、話してやることにした。
ニーロは黙って話を聞き、俺が話終えると分かった、と一言だけ言い殘して、即座に隣から離れていった。
「大丈夫さ、あの男は。俺も二回ほど奴から報を買ったが、腕は保証する」
「なんだ、房の浮気調査でも依頼したのか?」
「けっ、あいつが浮気できるようなタマかよ」
毒づく店主は、悔し紛れにため息をついた。この店主の房は、小柄な力士さながらの容姿をしているのだ。
俺はこの親父を言い負かしてやったと、笑いが止まらなかった。
午前五時になろうとする頃、俺は寢座に戻った。幸運にも雨は小康狀態ではあったがタクシーを拾い、戻ってきたのだ。
革ジャンをぎ捨てるかのように放り投げ、熱めのシャワーを浴びた。熱い湯が冷えたを溫めていく。
シャワーを浴び終えた俺は、サイドボードから相も変わらずスコッチを取り出して、思いきりから胃へと流し込む。
ベッドに戻る前に、キッチンの橫に投げた革ジャンからロケットを取り出した。酒は、ベッド脇の小さなテーブルに置き、倒れ込むようにベッドに沈み込む。
この殺風景な部屋には不釣り合いなほどの高級なベッドは、疲れたをやさしくだきとめてくれる。
寢転びながら、ロケットの中を開いた。佐竹と名も知らぬが微笑みかける。別に笑いたくもないのに、寫真の二人につられてを歪めた。
「……あんたは、この子のところに行きたかったのか?」
もういるはずのない人間に、話し掛けるように呟いた。もしかしたら、そうだったのかもしれない。
こんな世界にを置いていると覚が麻痺してくるが、自分の死に場所くらいは、自分で選びたいと思うものだ。人を殺すからこそ、その最期の安住の想いはなかなか手にれられないのだ。それが分かっているから、あんなに必死だったのかもしれない。
ふと俺は思い立ち、ベッドから起きて、脇のテーブルの引き出しを開けた。中には、一枚の寫真を納めた寫真立てがある。この寫真を見るのは、隨分と久しぶりのように思う。そう、この寫真は俺が一番幸福だったと思う頃の寫真だ。
寫真には、俺と沙彌佳の二人が寫っている。日付は、今からちょうど六年前の三月だ。
當時、俺が通っていた金城高校の制服にを包んだ妹と、休日だったというのに、妹にせがまれて仕方なく制服に著替えて撮ったのだ。
確か中學の卒業式の翌日で、沙彌佳は出來たばかりの制服に著替えて、記念になんて言って、目を輝かせていたのを思い出す。
寫真の中の俺はぶっきらぼうにしていて、全く笑えていない。思えば、俺は笑うのが下手なような気がする。この寫真を撮った時も、全く笑えず、何回も取り直したことがありありと思い出される。
対照的に、沙彌佳は俺の左腕にしっかりと腕を絡ませて、この上ないほどの笑顔だ。
「妹じゃなけりゃぁ、惚れちまいそうだよ……本當に」
結局、何度も駄目だしされるうちに、俺の方がイライラしてきたため、この寫真で手打ちになったのだった。
俺は寫真を見ながら、しだが笑ってみた。きっと、この寫真の自分のように、下手くそな笑い顔になっていることだろう。
この寫真を見ると、いつもが締め付けられるのだ。いつも必ず後悔の念に苛まれてしまうのだ。確か、この寫真を撮って數日と経っていなかった。沙彌佳が失蹤したのは……。
気付けば、寫真を持つ手は震えだしていて、寫真立てがミシリと歪むほど力強く握っていた。悸が激しく、呼吸も荒い。
俺は、嫌なに蓋をするような気持ちで寫真立てを引き出しの中に戻し、暴に引き出しを戻した。
(こんな気持ちにさせたのも、このロケットのせいだ)
半ば八つ當たりではあるが、そうでも思わないとつらかった。もしかすると、俺が佐竹のことを放っておけないのは、嫉妬しているからかもしれない。
ロケットの中にいる二人は、幸せそうに笑っている。なのに、俺はぶっきらぼうにしていて、全然笑えていなかった。幸せそうにしているのは沙彌佳だけだ。
そのことが俺にはどうしようもなく、悔しくて仕方がなかった。
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