《いつか見た夢》第20章
今朝は最近にしては珍しく、夢を見ることなく目が覚めた。心なしか気分も良く、久しぶりに爽快な目覚めと言っていいだろう。
昨晩はいつもより早く寢たからなのか、酒もほとんど飲まなかったからなのか、それとも、過去の夢をみなかったからなのかは判斷しかねるが。
そして目が覚めたその時から、昨日悩んでいたはずの綾子ちゃんへの電話も、しないと決めていた。綾子ちゃんには気の毒だろうが、どうにも連絡したいと思うことができない。
昨日のは、幻か何かであったのだと言い聞かせることにしたのだ。その方が互いに後々悩む必要はないはずだ。俺なんかではなく、彼にはもっとふさわしい奴がいるはずなのだ。
チクリとが痛んだが、かぶりを振った。もう決めたのだ。もし綾子ちゃんのことを大切にしたかったのなら、そもそもがこんな世界にる必要はなかったのだ。
そう決めてしまうと後は楽なもので、のつっかえが取れたように気が軽くなり、何故悩んでいたのか馬鹿らしく思えるほどだ。
今ならあの狐に文句を言われようとも、なんとも思わないかもしれない。俺は著替えずにそのままだった服をぎ、熱めのシャワーを浴びることにした。
一日著たままの服で寢ると、なぜこうも不快に思えるのだろう。もちろん、寢汗のせいなのだが、今日はよほど気分が良いようで、そんなことすら考える余裕があるようだ。
シャワーを浴びていると、に張り付くように渇いた汗が、洗い落とされていくのが分かる。頭も洗い終わると、本當に生き返ったみたいだ。
俺はを拭いたバスタオルを腰に巻き、そのままソファーへと腰掛けた。窓の向こうは昨日に引き続き、天気が良いようで青空が見える。
いつもなら寢起きに酒をあおるところだが、気分が良いとそんな気にすらならないようで、サイドボードには目もくれなかった。
せっかくだから今日は散歩がてら、例のの墓に行ってみるとしよう。気軽に散歩なんて言えるような場所にはないが、遠出するには最高の日だし、こんな日に彼の墓にれるのであれば、佐竹もまたしは喜ぶかもしれない。
早速行に移すべく、素早く著替えて寢座を出た。當然、銃の攜帯は忘れない。
しかし、こんな時間に寢座を出てどこかへ向かうというのは、久しぶりだ。朝早いということもあり、サラリーマンやOL、學生達がそこらかしこに各々の行くべき場所に向かって歩いている。
澄まし顔の者。よほど會社や學校に行くのが嫌なのか、げんなりとした顔をしている者。生きる目的すら見つからず、ただなんとなく日々を過ごしていそうな顔をしている者。何が楽しいのか、ニヤけ顔の者もいる。
久しぶりに朝の人込みに紛れるというのも、悪くないかもしれない。やはり、世界はきっちりと回っているのだと再認識できる。
そして、かつては自分もそうだったという、懐かしい思いも同時に沸き起こった。それでも俺はそんな気持ちも含めて、今はそれがとても新鮮な気持ちでいっぱいだった。
目的の場所に向かうため、地下鉄を乗り継いだ。周りには高校を卒業し、つかの間の休暇を満喫しているのか、初々しさを醸し出した年やとも言えない男が多くいた。
そんな連中を見ていると、また記憶の彼方に意識が飛ばされてしまいそうだ。自嘲気味にを歪め、軽くかぶりを振ってため息をついた。
どうしてか、あのくらいの男のカップルを見ると、実は兄妹なんじゃないかと錯覚してしまう。
仕方のないことだが、どうも俺はあの頃に捕われ続けているようだ。
妹は失蹤した……判っているのはたったこれだけだ。いや、周りにいた連中は、もう死んだと思っているのかもしれない。
だが、俺にはどうしても沙彌佳が死んだとは思えない。事実、未だ失蹤扱いのままではないか。○・一パーセントの確率もないとしても、零ではない。
なら、それを諦める道理がどこにある。まだ百パーセント死んだというわけではない。いや、俺がこの目で沙彌佳の死を確認したわけではない限り、諦めることはしない。妹は死んではいないかもしれないではないか。
この世界にって分かったが、表社會にいたのでは、この世界のことは全ては分からないということだ。
斷片的なことは分かっても、やはり詳細を知ることはほとんどないのだ。この世界に飛び込むきっかけも、元はと言えば、表社會にいたのでは分からない報が分かるかもしれないからという、全くの希的観測からだった。
妹の失蹤が、ただの金目的の拐ではないとも言われたし、ストーカーによるものでもないとも言われた。俺達は四六時中とはいかないが、ずっと一緒にいたのだから、なくともストーカーによるものではないことは分かったのだ。
もし、ストーカー野郎が拉致したのであれば、その前になんらかのアクションがあるはずなので、それには何かしら気付けたはずだ。
親父達も手を盡くしたが、結局八方塞がりで、もしかしたら某國に拉致されたんでは?なんて憶測も出された。
そんな時、真紀にこの世界にスカウトされたというわけだ。こっちの世界になら、分かり得ない報もあるかもしれないわよ、と囁かれて。
もちろんその殆どが、俺の目的には全くと言っていいほど関係のないものばかりだったが。
しかし、首を突っ込んでしまった以上それらをさないと、自分の仕事に障害が出るから仕方なくやってきた。
真っ先に組織への忠誠心というのを棄てた俺だから、組織は信用していない。だから殺し屋という職を利用して、俺なりに人脈を増やしていったのだ。だが、未だそれらしい報はってこない。
以前、ガスという報屋を使って拉致や拐に詳しい人間たちを探らせ、當たっては見たものの、そんなのは日常茶飯事で、しらみ潰しにやっていくしかないという。あまりに妹の失蹤時の報が、な過ぎるということだった。
だが、一つだけ……はっきり言って、ただの推測と可能の問題だが、プロによるものだということは信じていいはずだ。
まず、手際が良すぎることがあげられる。計畫的な犯行であることは間違いないはずなのだ。
もう一つは裏の世界とは言え、人探しのプロ達にすら、なんらネタを摑ませないということ。それも何年もだ。
そうなると、さすがに死んだのではとも思えるが、この目で死んだところを見ていない限り、俺は絶対に信じない。信じてなるものか……。
その時だった。
「お兄ちゃん!」
一瞬、俺にかけられたと思った言葉に、思わず驚いて振り向いた。いつの間にか、俺のやや後ろ橫には一組の男がいたのだ。
察するに兄妹のようだが、どことなく背丈恰好が似ている。雙子なのかもしれない。
「わっ……うるさいなぁ、そんな耳元でぶなよ……。大電車の中なんだから靜かにしろって」
「お兄ちゃんがぼーっとして、あたしの言ってること聞いてないからでしょっ」
「だからってなぁ……」
「言い訳無用だよっ。きゃっ」
電車が加速したため、の子はバランスを崩してよろめき、俺の肩にぶつかる。
「あぁ、言わんこっちゃない。あの、妹がすみませんでした」
「あっ……ご、ごめんなさい」
兄妹は謝罪の言葉を述べながら、頭を垂れた。しかし俺の顔を見た途端、顔が引き攣ったのがわかった。
別に怒ったわけでもないのに、二人は何度か過剰に頭を下げ念りに謝罪すると、そそくさと場所を移していった。
(……まぁ、この顔じゃぁ仕方のない話か)
兄妹を橫目で見送り、小さくため息をついた。昔からたまに顔付きが怖いと言われることがあったが、今みたいな反応は初めてだ。
この數年はそんな風に思われたくなくて、意識的にそこういったものを避けていたためか、すっかり忘れていた。意識的にやっていたものが、気付けば忘れるくらいに當たり前になっていることがある。
思えばこんな朝の時間帯に、不特定多數が同時に使う公共の乗りを使った時點で、こんなことは予想できそうなものだが、今日は気分が良かったせいか、そんなことも頭から吹っ飛んでいたようだ。
俺はタクシーで行けば良かったと思いながら、目的の駅に著いたため電車を降りたのだった。
記憶していた住所の寺に足を踏みれた。境は隨分と古く、あまり補修工事などは行われていないようだ。まぁ、補修がなされているかどうかで、坊主の質が分かるものでもないが。
それにしても、墓場というのはなぜこうも、な雰囲気を漂わせているのだろう。寺が寺なだけに、夜は“そんな雰囲気”に早変わりしそうだ。
おまけに、それを助長するように古い墓が多く、苔が土臺の石にびっしりと覆われているのもなくない。この寺の墓達は、すでに參る人も死んでしまっているのかもしれない。
いくつか墓を覗き込んでみると、墓にったことを示すような銘が刻まれていない。墓にるのを銘に刻むという行為は、大々的に広まったのは明治維新以降のことで、それでも金を持った連中だけだ。
庶民にもそれが付くようになったのは、記憶が正しければ関東大震災からだったと思う。
そうでもしないと、墓にった者の時期が分からなかったり、場合によっては無名菩薩になってしまうのも多いからだと記憶している。
明治以前は、死者には忌名いみなと呼ばれるものが與えられ、それを記したものを墓として刻んでいたらしい。
しかし……全く、こんなところに本當に當時資産家だったの墓などあるのだろうか。だが當時の記事には、ここで葬儀が行われ、納骨されたらしいので間違いはないはずだ。
尤も、墓荒らしにあっていなければの話だが。まぁ、大丈夫だろう。この日本で、わざわざ墓荒らしなどする奴はいまい。いくら令嬢だったとは言え、その墓に金銀財寶をれたりもしないだろう。
そんな古い墓場だが、の眠る墓にはある程度の目星はつく。十二年前なのだから、苔がびっしりなんてことはないはずだ。
それに、もうにどういう想いを抱いていたかは知るよしもないが、なくとも佐竹は命日にはここに來ていた可能は高い。となると……。
「あれかな」
俺は一人呟き、この寺の墓場には似つかわしくない、比較的新しい墓を見つけた。
その墓石の前に來ると、思っているほど新しくじなかったが、いかんせん、周りの墓が古ぼけ過ぎて、目新しくじるのだ。
いやしかし、たかだか十二年かそこらでこんなにまで古くじさせるものなのだろうか……。
俺の祖父さんが死んだ時、ひい祖父さんの代からの墓を昔見たことがあったが、まだそっちの方がこの墓よりも新しくじたほどだ。參ってくれる人がいないと、こんなにまでは荒んでいくということなのかもしれない。
墓石の後ろを見ると、今井夏姫いまい なつき年18才と、銘が掘られている。どうやら間違いないようだ。
ロケットをポケットから取り出して中を開いた。相変わらず、中の二人は穏やかな微笑みを浮かべている。
ほんのわずかな時間、二人を見つめた後、納骨されている部分の石をかして、ロケットはそのままにして納めた。石を戻したところで、別に客がきたようだった。
「おや? 今井さんのところに參るなんて、彼とはお知り合いで?」
聲をかけられたため、橫目でチラリと相手を見ると、どうもこの寺の住職と思わしき人のようだ。歳はもう70は過ぎているだろう。
「いえ……直接の知り合いというわけでは……」
「うむ。彼ももう亡くなって十二年になるからね。全く、あの事件は本當に悲慘だった」
住職(俺はそう決めた)は遠い目になり、當時を思い出しているようだった。
「……どんな人だったんだ?」
「ふむ、夏姫さんのことかね。彼とは特別仲が良かったわけではないからの」
「そうですか」
「まぁ、人づてには良く聞いたがのう」
「人づて? そいつは佐竹という名前じゃぁなかったか?」
「おお、おお、そうじゃそうじゃ。佐竹という名前じゃった。ほぼ毎月、命日の23日は來ておったよ」
「毎月……余程、大切な人だったんでしょうね」
「うむ、そうじゃったんじゃろうの。なんでも、一度は結婚も考えたそうじゃからのう」
「結婚だって?」
こいつは驚いた。まさか、結婚まで考えているほどの仲だったとは。
「じゃけど、なんとも酷い話での? 夏姫さんには、元々一緒にならないといけない相手がおったそうでのう。所謂許婚じゃな。
佐竹という男は、それを破棄させてでも一緒になろうとしたらしいんじゃが……」
「その結婚相手というのは、誰か分かりますか?」
「殘念ながら名前まではもう覚えとらん。じゃが、確か一昨日あったビル発事件あるじゃろ? あのビルの社長の息子じゃったな」
住職の言葉にまた驚いた。つまり、あの老人の子供ということか。
「しかし、その子供も死んどるんじゃよ。これまた、何者かに襲撃されての……」
「九年前……ですか?」
「おお、良く知っておるのう、お若いの」
「まぁ、ちょいと心當たりがね」
九年前といえば、あの老人が組のトップに立った時だ。そして、その襲撃者を撃退したのが佐竹だったというわけだ。
ニーロは確か、一芝居うっていたかもしれないと言っていた。証拠なぞないが、間違いないだろう。息子を殺させ、自分がそこに颯爽と現れる。そして、その襲撃者を返り討ちにして、あの老人に取りった佐竹の姿が思い浮かぶ。
住職の話からだと、當時の狀況がいまひとつ正確に摑めないので分からないが、もしかしたら、その襲撃者というのも佐竹で、裏にあの老人の息子とやらを、始末しているかもしれない。
「じゃが……あまり死人の悪口は言うものではないが、この息子というのがどうしようもないドラ息子でな。元々夏姫さんとの結婚も、このドラ息子が無理矢理に婚約させたという話じゃったし……無理矢理というよりも、半ば脅しじゃったそうじゃ。
社長である親父さんも知っておったのかもしれんのう」
「脅し……」
「この息子が亡くなってから、かなり悪どいこともやっておったと聞いての、まぁ、何と言うか……やはり、自業自得、因果応報というものなんじゃなぁと思ったものじゃよ」
住職は、わしもまだまだじゃなと苦笑いを浮かべた。それにつられて、俺も苦笑いで返した。
そのドラ息子もあんたがやったのかは知らんが、全く、目的を達できたあんたには頭が下がる思いだぜ、佐竹さんよ。
「ところで、お若いの。墓參りに來たということは何かしらご縁のある方か?」
「まぁ、そのようなものです」
「そうかそうか。佐竹とやらは元気にしておるかいのう?」
「……ええ」
「ほっほっほ、それは良かったわい。あの男は、妙にほっとけんでな」
住職は良かった良かったと、手を叩きながら笑った。もう死んでいるのだが、わざわざ言う必要もないかもしれない。
「すみませんが、俺はこれで」
「もう行かれるかね。年寄りのざれ言に付き合ってくれてもうて、すまなんだのう。佐竹にもまた來るよう伝えておくれ」
「……はい」
住職の顔を見ずに、俺は今井夏姫の墓に目をやって寺を後にした。
俺が尾行されていることに気付いたのは、寺を後にしてしばらくしてのことだった。
人數は二人だ。後ろ數メートルのところをゆっくりになったり速くなったりと歩いているが、間違いない。もう一人は、車道の反対側にほぼ平行して歩いている。俺とあまり変わらない年頃の奴だった。
だが、実際には後二人か三人、後こそ尾けてはいないがいるはずだ。スイッチポイントで、その尾行要員とチェンジするのだ。常に同じ人間に尾行させていては、俺のような人間にはすぐに気付かれる。
何者かは知らないが、最悪の狀況を考えてそう思った方がいい。あえて今日は、あまり歩かない大通りを歩き、連中の向を探りながら撒けそうな場所を探す。
こんな都會ではやはりデパートなんかが常套手段ではあるが、最も効率がいい。
スイッチポイントに來たのか、後ろの男が代したようだった。その瞬間を見計らい、橫の大手デパートへった。
後ろの奴は追ってくるだろうが、平行して歩いていた奴はこれで撒ける確率は高い。
案の定、後ろにいた奴は大急ぎで店舗の中にってきたが、もう一人はまだの様子だ。
エレベーターのボタンを押して、降りてくるのを待つ。後ろの奴をあえて待ち、エレベーターに乗り込む。
尾行者は、エレベーター乗り場には來なかったものの、不釣り合いな化粧品売り場なんかの商品を覗き込んでいた。
六階を示すボタンを押すと、上へき出した。尾行者はきっとその階に大急ぎで向かうことだろう。
だが、意味もなく六階を押したわけではない。六階には、もう一つのエレベーターが停まっていたのが分かったからだ。
六階に著くと、反対にあるエレベーターに乗り込んで、今度は地下行きのボタンを押した。
エレベーターはすぐさま下に降りていき、一階を通り過ぎて地下に著いた。
もう一人が一階にいた可能もあり、その場合は実力行使で、尾行の目的とどこの組織に所屬しているのかを吐かせるつもりだったが、なんとも拍子抜けだ。
このデパートは、地下よりそのまま地下街に繋がっていて、難無く人込みに紛れることができた。
これで、尾行者を撒くことができたはずだ。尾行されている時にじるような覚もない。
さて、俺を尾行なんてしようとする連中は何者なのか、考えてみる必要がある。まず、一昨日の夜に雇った連中はどうだろうか。
連中のボスが殺されたことによって、怒りの矛先が俺に向いたというのは考えられなくもない。だが、元より殺したのは俺ではなく、同じ組織にいた側近だったわけで、おまけに時を同じくして、そいつは殺された。
親父を護れなかったと噛み付いてくる奴もいたが、組織の連中も狙撃により始末されている以上、わざわざ俺を尾行してまで報復しようとするのは、いまいち説得力に欠ける。
それに連中が尾行なんていう、ちゃんとした訓練をけていたとは思えない。
素人に睨みを利かせると同様に、俺のことまで見ていたような奴らに、あそこまで組織だったことはできそうもないだろう。
尾行していた奴らも、そんな雰囲気はなかった。俺に撒かれはしたが、明らかにその手の訓練をした人間の行だった。よって、あのヤクザものの仕業ではないだろう。
ならば、組織に組していながら、あまり組織そのものに依存していない俺に、ついに組織が反逆者としての烙印を押したというのは?
いや、だったら最初から尾行をつけるのは、理屈に合わない。多分、そうなる前に何かしらアクションがあるはずだ。真紀が來るなり、もっと直接的なことをだ。
尾行するということは、単純に対象の行と目的を知るための諜報活の一環なので、組織がそんな面倒なことをするとは、とてもではないが思えない。
まぁ、一昨日の件で要注意人という、なんともありがたいレッテルをったということもないかもしれない。
一昨日の夜に佐竹を撃ち、儡でくの棒だった二人を撃ち殺した奴らの仲間なら、どうか。
……いや、これはあまりに全が不鮮明すぎて分からない。あの場にいた俺を、あのヤクザ連中の仲間と思って付け狙っているというわけだ。
だが、それも納得のいかない話で、元々佐竹やあの連中を狙っていたとして、その護衛に別口で雇われた俺のことを、調べていないとは思えない。ターゲットを始末した後、別に俺を始末する必要はそこまでないはずだ。
関係者は全員始末するという完璧主義者で、殊勝な心がけを持っているなら別だが。
最後は、やはり警察だ。この手の訓練だってけている奴もいるだろうし、俺を一昨日の事件の重要參考人とみて、尾行した。
これならつじつまが合う。ついに俺も表世界の番人のリストに載ったというわけだ。俺を売ろうとする連中なら、あのヤクザ連中を含めいくらでもいるのだから、リストりするのだって、有り得る話だ。
……やれやれ。今日は年に何度あるかもわからない気分の良い日だというのに、臺なしにしてくれる。
まぁ、いいさ。警察だろうがなんだろうが、俺を捕らえようというのなら、容赦はしない。捕まえられるものなら、捕まえてみるがいい。
俺はまた一悶著ありそうな予に、ため息をついた。
午後になり、俺は郊外にあるアジトにきた。
組織のやつから連絡があったためだ。今日は一日、のんびりしようと思っていた矢先にこれだ。
「よう、九鬼」
「なんだ、あんたも呼び出されたのか」
「まあな。そう言う君こそ、一昨日、あんな事件に巻き込まれたのに大変そうだな」
「まぁ、仕事というなら仕方ないさ。そっちこそ、ヨーロッパでの諜報活は、隨分だったそうじゃぁないか、田神たがみ」
アジトに著いた俺を出迎えたのは、やはり組織の工作員である田神だった。
歳は俺よりも一つか二つ上だと思われる田神という男は、知り得る限り、最高のエージェントだ。とても不思議な男で、あまり人を信用しない俺が、一目見てこの男のことを信用させたのだ。
素が全く知れない男で、下の名すら知らず、前に真紀にもそれとなく聞いたことがあったが、真紀も知らないということだった。それゆえ用心深くなっていた俺ですら、気付けば気を許していたのだ。
そう、過去に何をやっていたのか自分からは頑なに話そうとしないので、全く素が知れないというのを、それがまた強調させていたのだ。
だが、一度気を許せばどうでも良くなり、聞かないようにした。組織としても、使えるならなんでもござれだから雇ったのだろう。
「ああ、終わってつい二、三日前に戻って來たばかりでね。そしたら、君の話が飛び込んできた」
田神は顔をしだけしかめるようにして、笑った。その顔は、どことなく優男のようにも見えなくもない。
だが、何年この世界でやってきたかは知らないが、やはりその顔にはしっかりと生き抜いてきた証として、うっすらと傷がっている。
まともに生きていたら、モデルかなんかで生計が立てられたかもしれないような、端正な顔立ちをしている。
「あんたがここにいるってことは、今回はかなりのものか」
「買い被り過ぎだ。まぁ、いつも以上に危険になるかもしれないな」
「そうか……まぁ、せいぜいあんたの腕と運に便乗させてもらうさ」
俺は笑いながら肩をすくめた。過去、何度かこの男と組み、困難と言われた仕事をしてたことがあったが、この男と組むと不思議なほど安心があるのだ。
保証などあるわけでもないのに、絶対に大丈夫だという気になるのだ。だから、今回もきっとうまくいくと俺は踏んでいる。
「來たわね」
部屋の奧から、真紀が現れた。このは俺よりも若いながら、現場を指揮するチーフのポストについている。
まぁ、実際この世界では年齢による優劣など全くないと言っていい。もちろん、経験による差ができるのは當たり前なので、そこで多は年齢でチーフが選ばれることはある。
真紀はそういう意味において、逸しているのだろう。圧倒的な能力があるからと言っても、それが指揮として、能力が必ずしも高いとは言えないのは、どこの世界でも同じだ。
プライベートならこのの指示になど従うつもりはないが、仕事となれば話は別だ。
まぁ、チーフとは言え、軍隊そのものを扱うようなものではないので、いざ作戦が始まればよほどのことがない限り、チーフの死がチームの死に繋がるわけでもない。あくまでまとめ役であり、作戦の立案者であることに過ぎないのだ。
つまり、最終的にはチームの誰かがしっかりと仕事をこなし、生き殘りさえすればいいわけだ。小數鋭であれば、なおのことだ。
それはさておき、今回の任務はある企業への潛・目標の奪取だ。この世界にって驚かされたのは、一般の企業であるはずが、実際にはそれを隠れみのにして悪どいことをやってる連中が、なんとも多いことだ。
もちろん、下請けの會社はそんなことに加擔しているとは知らず、クライアントの指示を仰いでいるわけだが。まぁ、経済とはそうやってり立っているのだから、それに関して文句は言わない。
だが、知らずとは言えそれに関わった以上は、場合によっては命を落とすことになったとしても、それもまた然りだ。
……もちろん、こちらの邪魔さえしなければ、こちらとしてもむやみやたらに始末するわけではないが。
「今回の目標はA県N市にあるのだけど、報では、向こうも私設警備隊を常時配置しているとのこと。
警備隊とは名ばかりで、実際には、軍隊と言ってもいい。かなり訓練された者たちで構されているらしいわ」
「決行は?」
田神が聞く。俺もそれに軽く頷きながら、真紀を見た。
「明後日の2400時よ。2400時に、目標のビルは一旦システムが切り替わるわ」
「切り替わる? 夜は私設隊のお出ましというアナログになっちまうのか?」
「そう。厳にはその地下のシステムが、ビルと今回の目標を護衛することになるの」
「なるほど。私設隊はそいつのお守りってわけか」
真紀は目で肯定しながら、説明を続けた。
「もう一つ。まだ未確認報だけど、同じ時に別の暗殺者が來るかもしれない。もちろん同じを狙ってね。
渡せるではないので、遭遇した場合は即座にこれを排除すること。いいわね?」
「基本的には、いつもと変わらないということだな」
「N市でのアジトはここ。明後日の晝すぎまでには集合。以上よ」
そういって真紀は、アジトの場所が書かれた紙を俺と田神に渡した。見ると、ターゲットとなるビルに程近いホテルの一室のようだった。
田神は、け取るだけけ取ると容を一瞥し、その紙をすぐにライターを使って燃やした。
この男は異常なほど記憶力が良く、一度暗記してしまうとほとんど忘れないのだという。なんとも羨ましい話だが、その正確さには俺も驚嘆したほどだ。もしやこいつの頭の中は、コンピュータなんじゃないかと思って聞いてみたことがあったが、ただ肩をすくめて笑うだけだった。
田神いわく、本來人間に備わっている能力なので、別にたいしたことではないという話だったが、この男は自分ができるため、皆もできるはずなのだと言っているようにしか、俺には聞こえなかった。
そんな能力を含め、得の知れない男なのだ。
それを見ながら真紀は、では解散と短く告げたのだった。
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